夕焼けの徒花 第3回
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 私は夏が嫌い。

 夏は暑いから。夏は人を解放的にする。それは身に纏う服装も例外じゃない。
 私は肌を晒すことが嫌いだから。身体の線の浮き出る服は着たくない。
 でも、夏だとそうも言っていられない。
 同性からはスタイルが良くて羨ましいなんて言われるけど、私はその反対。
 特に男の人の視線を受けるのが嫌だった。
 同年代の女子より発育が早かった私は、始めこそみんなより早く大きくなっていることを
 単純に喜んでいたが、男子の視線を集めるようになると、それも急激に無くなっていった。
 男子にちょっかいを出されたり、身体測定の度にその気持ちは逆のベクトルを向いていった。

 中学に入る頃には、その気持ちの名称をはっきりと認識した。それは『嫌悪』だった。
 分かったからには対処の仕様もある。なるべく目立たないようにすることだった。
 といっても、極端に野暮ったい格好をすればいいというものじゃない。
 それではかえって目立ってしまうから。
 大きめの制服で胸を隠し、スカートはちょうど膝くらいに。あとは極力その格好を維持する。
 中学生にもなれば新しいことを積極的にして目立とうとする子が多いから、
 みんなの視線は自然とそちらに行ってくれる。
 あとは、ヘンに孤立しないように小さな友達の輪に入れば殆ど大丈夫だった。

 

 子供が何を言うかと思うかもしれないけど、
 私はこの頃には既に人生を達観しているところがあった。
 いや、半ば諦めていたと言ったほうがいいかもしれない。

 父は祖父から継いだ事業の拡大に情熱を燃やす人で、殆ど家にいない。
 母とはお見合い結婚だという。
 しかし愛情がないわけではなく、それは父が家にもたらす財からも分かるし、
 時にはお土産を手に帰宅しのんびり食卓を囲むこともある。
 父の事業に興味はないけど、家庭に不満はない。

 父は、私を何処に出しても恥ずかしくないようにしたいと思っている人だった。
 そしてその思いは習い事という方向を向いた。
 祖父のように身一つから一代で身を立てたのではない二世ゆえ、だろうか。
 色々なものに手を出し、今でも続けているのはピアノくらい。
 それなりのレベルには達したと思うけど、気が向いたときに少し弾くという
 程度のものに終わっている。

 もう一つ、花がある。これは私の意思で今でも続けている、趣味と呼んでも差し支えないもの。
 元は生け花の習い事だったのが、花好きと大きな庭の存在により、長じて園芸になった。
 花は花瓶に生けて室内で愛でるより、外で陽の光を浴びて活き活きと咲く方がよく似合う。

 ・・・これは、私の心の中の願望が生んだ好みなのかもしれない。
 私は将来、父が選んだ人と結ばれることになるだろう。それはお見合いか、はたまた政略結婚か。
 父の事業に関わるものになるのは間違いないと思う。
 だが父は、それが私の幸せだと心から信じていると思う。
 私を任せるに足る、経済的にも精神的にも見込みのある男性を選ぶだろう。
 実際、思春期のころには「あそこの家のご子息が〜」とか
「昨日の発表会でその家の息子さんが〜」とか話すことが多くなっている。
 父と母の間に跡継ぎとなる男の子は結局生まれず、父は残念がっていた。
 だから、私の結婚には特に気を使うはず。

 私の未来のレールは敷かれているのだ。
 その諦観に対するささやかな希望。・・・普通の恋愛。
 父と母の間には愛はあるが、恋はない。私はそれに焦がれていた。
 生け花のような穏やかな束縛ではなく、風雨に晒されても太陽に向かう、外の花強さと自由さに。
 ふと庭を見ると、一輪の花が目に付いた。美しく咲いていながら、それは実を結んではいない。
 外が綺麗でも、中身が伴っていない花。

 ――徒花〈あだばな〉

 それは、まるで私のようだと思った。

 私立のお嬢様学校に通わせようとした父の反対を押し切り、
 私は普通の公立高校に通うことにした。
 父は渋ったけれど、祖父の鶴の一声が効いたみたいだった。
 いつもは父に追従する母が中立を貫いたのも大きかった。
 もしかしたら、同じ女として私の気持ちを分かってくれたのかもしれない。
 結局私は、約束された穏やかな日々より儚い希望を選んでしまったのだ。
 もしかしたら、という思いを捨てきれず。

 けれど、そんなもしかしたら、ほど当てにならないものも無い。
 二年間、結局私は中学の頃と似たような日々を過ごすことになったのだから。

 入学して3ヶ月、夏休み直前に、告白というものを初めてされた。
 しかし私の心が高鳴ることは無く。最初は顔を見て付き合って欲しいと言っていた男子の目線が
 無意識のうちに下がっているのに気づくと、あとはもう嫌悪が増していくのみだった。
「ああ、この人の付き合ってほしいはそういうことなんだ」と分かってしまったから。
 当たり障り無く、且つ早く済ませるように穏やかな微笑を張り付かせてやんわりと断るのも、
 幾度か断りの返事をするたびに上手くなっていった。
 
 勉強は授業を聞かなくても分かるくらいだし、運動など部活に打ち込む気にもならなかった。
 それでもこの高校に通い続けたのは、言い出したのが自分自身だという意地。
 正直、父が「転校を考える気はないか?」と言ってくれるのを待っていたくらいだった。

 そのつまらない意地に、今は感謝している。そのお陰で彼と――皓一くんと出逢えたのだから。

 私と彼の出逢いは何と言うか・・・
 些細というか、偶然というか、陳腐というか、そんなものだった。

 登校中、曲がり角で激突。猛ダッシュしていた皓一くんにぶつかられたのだ。
 余程急いでいたのか前傾姿勢になっていた皓一くんは、私の胸元へ正面衝突。
 押し倒される形で、もつれて倒れこんでしまった。

「すっ、すいません! 大丈夫ですか!?」

 暫し私の胸に顔を埋めたまま呻いていた皓一くんは、
 その状態を悟るや否や凄まじい勢いで飛び退き、傍目にも真っ赤な顔をしたまま
 即座に私に手を差し伸べてきた。
 呆然としていた私は、促されるままその手を取る。
 細めの体つきとは裏腹の強い力で引き上げられた。

「ケガ、ないですか? 痛いところとかもないですか?」

 酸欠気味に荒い息を繰り返しながら、皓一くんは私に話しかける。
 心からすまなそうな表情と真摯な瞳は、はっきりと私の目を捉えていた。

‘ドクン’

 心臓が不自然に跳ねた。こんな真剣な顔で私を見る男の人はこれまでいなかったからだろうか。
 父でさえ、私をこんな風に見つめてきたことはないと思う。
 内心の不自然さを必死に押し隠し、私は大丈夫だよ、と微笑みかけた。
 実際、車もかくやというほどの急ブレーキをかけていた皓一くんのお陰で、
 私は尻もちをついた程度の痛みしかなかった。
 むしろ大丈夫じゃないのは皓一くんのほうだと思う。
 靴からは摩擦熱による蒸気が立ち上っているのが見えたくらいだから。
 それでも、私の言葉を受けて心から安堵したことが分かる溜息をつくと、
 良かったです、と控えめに微笑んでくれた。

‘ドクンッ’

 心臓が、もう一回り大きく跳ねる。
 ヘンだ。こんな至近距離に男の子がいれば間違いなく嫌悪感を催すのに、それがない。

「えっと・・・ホントにすみませんでした。その・・・とんでもなく失礼なことをして・・・」

 改めて、彼が頭を下げた。失礼なこと、のくだりで声が少々裏返る。
 それが私の胸に顔を埋めたことを指しているのはすぐに分かったけど、
 やはりというか嫌悪感はない。これが他の男の子だったら、
 私の身体でいやらしいこと考えてるんだ、と嫌な気持ちになるのは間違いないと思うのに。
 頭を上げた皓一くんは、最後にもう一度すみませんと言って走っていった。
 酸欠と照れでまだ赤いままになっている顔だけど、それを隠すことなく、しっかりと私の目を見て。

 私は彼が走り去った後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。
 別れ際の私を見つめる彼の瞳、三度高鳴った心臓――
 それが、嫌悪を抱かなかった理由を教えてくれた気がして。

 今まで告白してきた男の子は、私の身体にしか興味がないくせに、
 それを全く認めようとしない人ばかりだった。
 やましい気持ちでいっぱいのくせに、そんな気持ちが全く無いように振る舞い、
 上辺だけの美辞麗句で紳士的な態度をアピールする。
 エッチなことなんて全く考えてないかのように。

 私だって高校生ともなれば「そういう」お付き合いがあるのは分かる。
 彼らがそれを求めているのはいわずもがな、なのに。
 私の顔を見つめる瞳が、ともすれば目線を胸元へ下げているのはバレているのに。
 身体ばかりで『私』を見ようとせず、あまつさえそれを誤魔化そうとする。
 正直に「エッチなことさせて欲しい!」と言われた方がまだマシだ。・・・させないけど。

 だから男の人は信用できないと思っていた。同性愛に走るつもりはこれっぽっちも無いけれど、
 異性に恋するなんてそれ以上にありえないと思っていた。自らの望みとは裏腹に。

 皓一くんの狼狽ぶりを見れば、私を押し倒してやましい気持ちを抱いたのは明らかだ。
 でも彼は、それを誤魔化さなかった。認めた上で謝ってくれた。ちゃんと私を「見て」。
 身体だけが私じゃない。でも、身体を抜いても私じゃない。

 やっと分かった。私は、全てをひっくるめて私を見てくれる人を欲していたんだ。

 私を本当の意味で女の子扱いしてくれた初めての人。ネクタイの色と制服から、
 同じ学校の二年生だと分かった。

(同じ学校の後輩、か・・・)

 もう一度会いたい。自分の反応が知りたい。何より、彼の反応が知りたい。

 あれほど嫌いだった異性のことで頭を一杯にして、私は春の陽気の下のんびりと学校へ向かった。
 ・・・その日は、三年目にして初めての遅刻。
 皓一くんが急いでいたのはそのためだったのだろう。
 素行で先生に注意されたのも初めてだったというのに、
 私の心は昼休みや放課後に後輩の少年を探す算段へと飛んでいたのだった。


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