夕焼けの徒花 第1回
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 夕暮れの中、俺――縁皓一(えにし こういち)は、ある家の前に立っていた。
 中を覗くと手入れの行き届いた庭が目に入る。
 芝生に置かれた木棚には色とりどりの花の植木鉢が置かれ、
 それらはつい先程浴びたらしい水を受けて、瑞々しい輝きを放っている。
(先輩、家に居るんだな・・・)
 花を育てるのが趣味なのだと、恥ずかしそうにはにかんでいた少女の笑顔が浮かぶ。
 今は夏場だから、花に水をやるにしても
 遅めの時間にしないといけないと言っていたっけ。
 俺は、先輩に自分の決意を告げるためにここにいる。正直気が重い。先輩の反応が怖くて仕方ない。
 出来るなら逃げ出したいが、そんなことをしても、ほんの僅か先延ばしになるだけ。
 それどころか気の重さが増すだけだ。
 俺は深呼吸と第一声のシミュレートを玄関の前で一分間繰り返し・・・
 不審者として通報される前に、チャイムに指を伸ばした。

 先輩――二条紗耶香(にじょう さやか)さん。俺の一つ上で、俺の通う高校の三年生。
 長い髪をなびかせる美少女だが、お洒落にはあまり興味が無いのか、
 髪を飾るのは薄いピンクのヘアバンドだけ。
 性格も控えめで大人しいため、容姿の端麗さの割には男共の話題に上ることはあまりない。
 それでも、何度か告白されたりはしているらしいけど。
 学業は学年でもトップクラスの成績で(俺も何度か見てもらったりしている)、
 運動神経も並以上はあると思う。
 信じられない話だが、贔屓目に見ても平凡の域を脱しない俺と、
 俺とは天地の差がありそうな紗耶香先輩は、彼氏彼女――いわゆる恋人同士の間柄だ。
 3ヶ月前、学年が上がって間もなくの頃、些細なことがきっかけで知り合った俺に、
 紗耶香先輩はなぜか何くれと構うようになった。始めは軽く話す程度で
 多少親しい先輩後輩という感じだったのだが、
 いつしかお昼を一緒に食べたり時には弁当を作ってきてくれたり、
 一緒に帰ろうと放課後に校門や昇降口で待っていたり
 俺が遅いと教室まで迎えに来てくれるようになったり・・・とするようになった。
 俺に会えなかった日の翌日は機嫌が悪く、機嫌を直す条件が手を繋いで一緒に帰るだったり、
 その際必要以上に身体を密着させてきたりした。
 ここまでされれば、流石の俺でも何となく分かる。「いや、でも」「まさか先輩が」
「相手は俺だぞ?」こんな自問自答を数日間繰り返して、
 それでも「先輩は俺を好きなのかも」という推論は変わらなかった。

 ある日俺は、自分から先輩に告白した。

 特定の誰かが好き、ということがないため漠然としたものでしかなかったが、
 俺とて彼女が欲しいかもという気持ちはあった。
 紗耶香先輩がその特別な人になったとしたら、それは俺なんかには勿体ないくらいの幸運だろう。
 それに、先輩と共に居るのは純粋に心地いい。俺も先輩も人付き合いは広くなく、
 派手に遊びまわったりするのは好きじゃないので、付き合ったからといって
 無理に背伸びする必要はないと思うし、化粧っ気のない控えめな美しさの容姿も、
 むしろ俺的には好みだ。

 まだ恋、には遠いが、それはこれから共に居ることで埋めていける、
 いや、埋めていきたい距離だと思ったのだ。
 いつも通り先輩を家まで送っての別れ際での告白。気恥ずかしさから俺は端的かつ早口に、
 しかし先輩の目を見て告白した。
 先輩は、時間が止まったように無反応。あまりに続く沈黙に不安は増し、
 挙句「もしや俺ってザ・ワールドの使い手?」などと現実逃避じみたことを考え出した頃、
 先輩がようやく反応した。瞳にいっぱいの涙と共に。泣きじゃくる先輩をなだめること数分、
 通りがかる人の冷たい視線に耐えつつ(先輩の両親が留守でよかった・・・)、
 先輩は嬉しくて泣いてしまったと、自分こそ俺のことが好きだったと告白してくれた。

 結局その日は真っ暗になるまで玄関の前で、一通り赤くなったりモジモジしたり
 ソワソワしたりしていた気がする。
 はっきり覚えているのは、別れ際に触れるだけの小さなキスを交わしたことくらいだ。

 こうして恋人同士になった俺たちだが、それほど付き合い方が変わったわけでもない。
 せいぜい先輩が俺に気兼ねなくくっついてくるようになったことくらいだ。
(あれで気兼ねしていたのか、と俺は少し思ったけど)
 それでも、以前は感じる事のなかった満たされた気分で日々を過ごしていた。

 そうして一ヶ月が過ぎた。

 

 ・・・一ヶ月しか、保たなかった。


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