switch / telepathic communication(仮) 第1回
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「……め……ん…………ね……」

彼女の声は泣き声でかすれて全部は聞き取れない。
けど必死に俺の前でひたすら涙を流して許しを請うている。
彼女が俺に謝らねばならない何をしたというのだ。
彼女は俺に謝られることなんて何もしてないはずだ。
思い出そうとしても何も頭には浮かんでこない。
必死に考えをめぐらそうとするが、どうしてか思考がうまく周らない。

――泣かないでくれよ――

そんな、しびれた思考回路の中でも俺はひたすらに泣きはらす
彼女が見ていられなくて自分の手を彼女に伸ばし頬を伝う涙を拭いとる。
それでも、目の前にいる見知った女の子は顔を歪ませたままで、
俺の手の指だけじゃ拭いきれないほどの雫が溢れ、指をわずかに伝っていた。

なあ、頼むから泣かないでくれって。
俺がお前のことを守るからさ。
絶対に傷つけさせたりしないから。
だから――――

そこで、俺の意識が途切れた。正確には現実に戻っただけだ。
先ほどまで見ていた夢から俺を引き戻したのは目覚まし時計の耳障りな音だ。
朝は弱いわけではないが、あんな夢を見た後じゃ寝覚めも悪くなるってもんだ。
なんだって、あんな夢をいまさら……
そんなことを、ぼやいても時間は待ってはくれない。
時計を見れば、時間はもう朝の八時の少し前……ちょっと寝過ごしてしまったようだ。
急がないと、あいつを待たしてしまうな、そう思いながら、
朝の支度の準備を早く済ませようと未だに残る眠気を瞬時に取り払って、
手際よく制服に着替えかばんを背負い二階から台所のある部屋へと降りていく。

「今日は遅いわね、空也朝ごはんは?」
「じゃあ、少しだけ」

台所に降りてくると母さんがいつもより起床の遅い俺に話しかけてくる。
どこの、家庭でもあるようなありふれた会話。
だけど、俺はそれに抑揚もない、とらえようによっては冷めたような口調で返す。
仕事に出かけようとする父さんにも似たような返事しかしない。
別に両親が嫌いなわけでも、仲がうまくいってないわけでもない。
ただ、俺が感情を表に出すのが得意ではないだけだ。
二人もそれをわかっていてくれて、特に何も言おうとはしない。
だでに、長年親子をやってるわけじゃないのだ。

テーブルにおいてある焼きあがったパンを口に放り込み、
お茶を使って強引に流し込む。そのまま、急いで洗面台へ。
軽く顔を洗って、歯を磨き終わった頃に玄関からのチャイムか鳴り響く。
側に置いた、鞄を肩にかけてそのまま玄関へと足早に向かっていった。

おはよ。クーちゃん」
「ああ、おはよ」

玄関を開けると、俺を待ってくれたいた彼女は満面の笑みを浮かべて俺を出迎えてくれた。
彼女、古瀬伶菜(ふるせれな)はこの俺、香月空也(かづきくうや)の幼馴染みである。
セミロングの髪は染めてはいないが、光の加減によっては栗色にも見え、
少しだけ色素が抜けている。綺麗だとかいうよりはどこか幼く、その大きく
くりっとした目がその子供っぽい容姿に拍車をかけていた。

彼女は何故かいつも一緒に学校に通ってくれている。
幼い頃からの付き合いというものは意外と心地よい。
特に何も言わなくても意志の疎通も長年の付き合いから図りやすいので、
普段から無口な俺にはかなり助かったりしている。
一緒にいるときは大抵彼女が一方的に話しかけてくる。
俺は基本的に、それに相づちをうったりふられた話しに受け答えしている。
内容は特に取りとめもない話しで、部活の内容とか学校の宿題が難しいとか、
昨日見たバラエティー番組は良かったとか本当にとりとめもない話しだ。
玲奈が楽しそうにしてると俺もすごく楽しい気分になる。

「でねでねこの前、尚美ちゃんがね……」
「オッス、クー!!」

2人で会話をしてると頭から後頭部に鋭い衝撃が走る。
紺の学生鞄を遠心力をかけるがごとく、そのまま振り回したためか威力はかなりのものだ。
一瞬、意識が飛ぶんじゃないかってくらいの激しいフルスイングに、
それを放った張本人のほうへと振り向いた。

「いやー、相変わらずお熱いこったなー!! この新婚夫婦が!!」
「……そんなんじゃないよ」
「またまたー、照れるな照れるなッ!!!」

そうカラカラ笑いながら、俺をクーと呼ぶ伶菜以外の人間こと、
こいつ相場亮介(あいばりょうすけ)は、先ほど鞄で打たれたばかりの人の頭をばしばし乱暴に叩く。

こいつは、元々こんな性格だ。
あっけらかんとしていて誰とでも溶け込めそうで気がつけばみんなに好かれているような奴。
俺とはどことなく対極的な位置にいる人種といえる。
だけど、さすがに学校ではここまで飛びぬけてはないが。
亮介も高校に入り、社会の常識というものを学んだせいか
人前ではこの性格をある程度抑えているらしい。
その、証拠に学校でこいつはバカ呼ばわりされてない。
せいぜい、テンションがやけに高いクラスメイトといったところと思われる。

「痛いっての、頭を叩くな。頭を」
「まあまあ、そんな細かいこと気にしてるようじゃ、将来立派な大人にはなれんよ。クー君」

人の頭をあいさつ代わりにぶったたき、その上こぶの出来たところを
さらに叩いて追い討ちをかけることのどこか細かいことなんだ。

「だ、大丈夫? クーちゃん」
「大丈夫……まあ、ちょっと痛いけど」
「おーおー、またまた見せ付けちゃって――ぐえっ!!」

頭をさすりながら顔をしかめている俺に伶菜が心配そうに覗き込んでくる。
心配ないと返すと、亮介の奴がいつものごとく冷やかしてくるのでそれに
肘打ちを入れて強制的に黙らせる。奴は、地面でもんどりかえって悶絶していた。
みぞおちにでも入ったのか? だけど、同情の余地はない。あいつの、自業自得だし。

こうした、朝の光景は俺にとっては酷く心地よい。
伶菜とのおしゃべりはもちろん楽しいし、亮介との掛け合いも
――たまに、本気で殴ってやりたいこともあるが――まあ、楽しい。
だけど、それも学校に近づくにつれて終わりが近づいている。
陰鬱な気分にはならないが、楽しい気にもならない。

「じゃあね、クーちゃん」
「それじゃあな!!」

伶菜と亮介は同じクラスだが俺だけは別のクラスだ。
2人は教室は3階で俺は2階、玲菜の無邪気な笑顔と亮介のおちゃらけた大げさな手振りに
こちらも軽く手を振って返し俺は自分のクラスへと向かっていった。

2人と分かれた瞬間からこの俺、香月空也の人格は一時的に停止する。
完全に停止はしない、ただ感情のバリエーションがほとんどなくなる。
学生としての日常生活としての機能はきちんと作動するがそれまでだ。
精密機械のようにただ与えられたことを黙々とこなす。
授業中はノートをとり掃除の時間は掃除をし、昼休みには昼食をとリ、終れば下校する。
事務的なこと以外は誰もこちらに話しかけてこようとはしない。
元来、無口なほうだがそれでも何かのきっかけで友達の一人や二人くらいいてもいいはずなのだが
それもない。
この、クラスの全員がまるで腫れ物をさわるかのような態度や、
触れれば傷つけられるのではという少し怖がってるようなまなざしを向けている。
まあ、別にどうでもいいことなんだけど。

放課のチャイムが鳴り俺はすぐさま帰り支度を始める。
鞄に宿題に使う教科書を詰め込み、使わないのは机の中にしまい、
いの一番に教室から出て行った。空は夕焼けに染まっていて橙色になっている。
学校から抜け出ることでようやく、いつもの自分が戻ってくる。

さて……と今日はどうしようか。家に帰ってもいいが、帰ったところで両親はいない。
会うのはもっぱら朝の時間帯だけだ。
二人とも共働きでいつも帰りは遅い。夕飯もおそらく母さんが作ったのが
ラッピングしてあるだろうし特に問題はない。玲菜はバレー部、亮介はサッカー部で今は俺一人だ。

そんなわけで今俺は近くの河川敷にいる。
着いてしばらく立つと俺が来たのを察知したのかわらわらと野良犬、猫たちが寄ってきた。
俺は手馴れた手つきで周りに群がるこいつらに餌を与える。
最初は寂しそうにしている独りぼっちの子犬に餌付けをしただけだったのだ。
だが、その噂をどこで聞きつけたのか一匹、また一匹と増え、
ついには十匹を越える大所帯となってしまったしだいである。

 

さすがにこれだけ多いと収拾をつけるのも大変だ。
元々、家族なわけじゃないし、いろんな所から集まってきたいわば他人同士。
これが昔ほどでもないがたまに喧嘩することがある。
ほら、現に今、黒と三毛の猫が餌箱の取り合いをしてるし。
そろそろ、止めに行かんとさすがに怪我するかなあ、と俺は思い始めていた。
なので、寝転がってた体を気だるげに起こし、目を向けると……

 

 

 

「だめですよ。みんな、仲良くしないと」

そう言いながら、気性の荒いこいつらを何故か手なづけてる変な女が一人いた。


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