「ユースケ!!あさだよっ!!」
ようやく空が白み始めたころ、俺の布団を引っぺがしたのは幼馴染のポチだった。
コイツにとって朝とは午前四時のことを言うのだろうか?
俺の認識で四時はまだ、『夜中』だ。
それなのにいきなり六速に入ってしまったギアのような唐突さでいつも彼女はやってくる。
「ユースケ!!あさあさあさあさあさあさ朝だよ〜っ!!」
轟々とうなりを上げる改造車のような剣幕で、俺の耳元に叫ぶ。何度もいうな、解ってる。
「わーってるよ・・・・だからもう少し静かにしてくれ・・・朝からキャンキャンキャンキャン五月蝿いぞ」
「むぅ〜〜いつもユースケが起きないのがいけないんだから!!
ボクの散歩は何時もの日課でしょ??寝不足だからって怠けちゃダメだぞ!!」
文字通り、“尻尾”をぶんぶんと振りながら、黒目がちで大きな瞳を
キラキラと輝かせてポチが吠えた。
そう、俺の幼馴染、“ポチ”こと黒田千穂には四足獣特有の“尻尾”が生えているのだ。
俺が暮らす社会には、何種類かの“人間”が存在する。
たとえば俺のように猿をルーツとする、“ヒト”や、ポチのように狼をルーツとする“犬人”。
ほかにも数え切れないほどの哺乳類をルーツとした人間が存在し、お互い仲良く暮らしているのだ。
彼彼女等はルーツの違いこそあれ、長年にわたって積み上げてきた
ヒューマン・シビルイゼーションを共有している。
元はまったく違う生き物なのに、差別や偏見は存在せずに仲良く手を取り合っているこの社会。
習慣や動物であったことの本能的な面ではヒトが一番社会に適合しやすい“人間”であるが、
誰もそれを気にしたり攻撃しようとはしない。
ただ個性として受け入れられるこの世界が俺は大好きだった。
だから俺とポチのような間柄が世界中にあふれていても不思議ではない、
視界をちらつくポチの尻尾をみながら思う。
ふさふさとした黒毛で先端だけ白く染まったそれは、色を逆転させた毛筆を思わせた。
そして同じく獣には必需の、髪の毛に溶け込んでいる黒い三角形の耳はすこし垂れていた。
いかん、コレは拗ねている証だ。
「最近ユースケはちょっとボクに冷たくないかぃ?・・・クラス替えで別になったからって
他の女の子に手を出したらダメなんだからね!! 」
「はいはいはい・・・」
本当にポチはわかりやすいことこの上ない。尻尾をぶんぶんと振ってみれば喜んだり
嬉しがったりしている証。
耳を頭に張り付かせたり、尻尾を股に挟んで小さくなっていれば恐がっている。
そして耳をぴんと張ってかすかに喉を鳴らしている今、可愛い尻尾ちゃんは怒っていることを
必死にアピールしているのだ。
「お〜それは悪かったな〜ポチポチ、よ〜しよし」
俺は半ば習慣化したその行為を恥ずかしげもなく行う。
肩口で切りそろえられた艶々の髪をゆっくりと梳きながら、
耳の裏から顎の辺りまでを軽く擽ってやる。
まるで小動物をあしらうような行為なのだが当のポチは偉く気に入っているようで、
大きな瞳を細めて俺の腕を甘噛みしている。
「んん〜ず、ずるいよ、ユースケ!!はぐらかさないでよ〜」
それでも気持ちいいのか、はぐはぐと犬歯を俺の腕にこすり付けている。
「はいはい〜ポチちゃん〜」
今度は耳の中に指を入れて擽りながら、程よく肉がついたお腹をさすってやる。
「あぁあ・・・・ゆ、ゆーすけぇ・・・・」
くぅ〜んと鼻を鳴らしながら、小さな体を寄せてくる。小柄なくせに出るところは出て、
引っ込むところは引っ込んでいるために女の子特有の体の柔らかさで朝から俺は
コンディションレッド発令中だ。
「はい、今日はここまで。さっさと散歩行くぞ〜」
ポチの声が湿りを帯び、陶器のような白い頬が危険に熱を持ち始めたころにぴたりと手を止める。
「あん・・・。やっぱりユースケはずるいよ〜」
ポチは少し寂しそうな声を上げるが気にしないでおく。
「ホレ、さっさとコレつけな」
ポチの前に赤い革製の首輪を放り出す。ところどころ丁寧な装飾が施された凝ったものである。
コレは誕生日にポチ本人にせがまれて買ってやったものだ。
もっと他にアクセサリーはいっぱいあるのだが、これが一番俺を近くに感じられてイイらしい。
そしてポチと散歩するときは何故かコレをつけるのが習慣となっていた。
「ユースケがつけてくれなきゃヤダ!!」
「じゃあいいよ。先に行ってるからな」
踵を返してそのまま歩き去ろうとする。
「待って、待って、置いてかないで、お願い!!」
ポチは急いで首輪をつけると、物凄いスピードで俺の横に並んだ。
ホントにポチは寂しがり屋だ。少しでも目を離せば拗ねるし、冷たいそぶりを見せれば
今みたいに必死に尻尾を振って甘えてくる。
その溌剌さと、人懐っこさが彼女の魅力でもあるのだが・・・
俺は優しく頭をなでてやりながら、ポチと一緒に歩き出した。
ポチの散歩が終って一緒に朝食をとり、並んで学校に向かう。
彼女と血縁関係はないがお互いの両親が海外に出張しているため、
自然と朝夕と一緒に食べるのが習慣化していた。
ポチは学校指定のセーラー服に着替え、黒いストッキングをきゅっと締まった
しなやかな足に通している。
特別グラマラスとかいうわけではないが、すっきりとした体は健康的な色気を放っていた。
コレに加えて持ち前の愛想で、ポチはみんなの人気者である。
始業時間が近くなると、通学路には生徒の数も増えてくる。
ポチは顔見知りの生徒全員に挨拶しながらも、元気よく俺の腕にしがみついている。
付き合っているわけではないのだから、コレはさすがに勘弁してもらいたい。
「ポチ・・・・?人前でコレは・・・・」
「むぅ〜〜〜ユースケはボクと腕組みするのがイヤなの?もしかしてボクのこと嫌いになったの?」
「いや・・・・嫌いではないんだが・・・・公衆の面前だとイロイロ誤解を招くだろ?いらん噂が立つと
健全な高校生活に支障が・・・」
「ヤダ!!!!!!!ユースケはボクのなの!!!!!だから腕を組んでもいいの!!!!
それにボクもユースケのものなんだから。だから首輪を贈ってくれたんでしょ?ねぇ、違うの?」
「いや・・・・その・・・・なぁ・・・・」
「それにちゃんとこうやって見張ってないとあの女が来てユースケのこと誑かそうとするでしょ。
あの薄汚い泥棒猫が・・・・」
ポチは犬歯を剥き出しにして、鼻面に皺を寄せた。
単なる威嚇とは比べ物にならないほど喉を鳴らし、やや前かがみになる。
感情の振り子である尻尾は大きく立ち上がり、正に怒髪天を突いていた。
突然、雰囲気にそぐわない流麗な鈴の音が響き渡った。
ポチは反射的に振り返り、更に剣幕を強める。
近寄ってきたのは一つの影だった。
「あ〜ら黒田さん。朝からぐるぐると喉を鳴らして・・・・下品ですわねぇ〜
それではいくら優しいユースケさんもドン引いてしまいますわよ」
ポチが暫くそうしていると背後から鈴の鳴る音と一緒に、一人の長身美女が姿を現した。
うなじを強調するようにそろえられたショートボブにやや吊りあがったアーモンド形の瞳。
灰色の髪とあふれ出す自信を封じ込めたような翡翠色の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいる。
彼女は小川玉緒さん。公立校には珍しい所謂お嬢様だ。
そして猫をルーツとした“猫人”の一人でもある。しなやかな肢体は猫人特有のものであろう。
猫人は大変気まぐれで滅多なことがない限り心を開かないと言うが、
俺には結構なついてきてくれている。
男でもでかい部類に入る俺と並んでも違和感のない長身に、
タイトなセーラー服を押し上げているたわわな胸。
豊かな胸を更に引き立てるように引き締まったウエストライン。
背中から臀部にかけての完璧な曲線は女性の羨望と、
男の欲望を掻き立てて止まない。
更に俺的フィニッシュブローは黒いニーハイソックスに包まれた脚線美。
生足も良いが薄布一枚の神秘で色気倍増だ。
シャープな肉付きだが細すぎず太すぎない腿と、良質の筋肉に包まれたふくらはぎと
膝裏にかけての括れは、何度見てもドキドキする。
膝上二十五センチの超ミニスカートとニーハイの作る絶対領域は正に不可侵。
初号機のATフィールドやロンギヌスの投擲をも通さない神秘の扉。
すらりとした長身と相まってシンクロ率400パーセント超だ。
そして彼女の片手で通りそうなほど細い首筋には革製の首輪。中央に嫌味にならない黄金の鈴が
鎮座している。
ポチと同様、彼女のトレードマークの一つだ。
「で、出たな〜泥棒猫〜!!!今日こそ地獄に落としてやる〜」
ポチはますます大きく喉を鳴らして、四つんばいになる。
桜色の唇から覗く犬歯は、もはや歯というよりは牙に近いほど鋭い。
鼻筋に寄った皺と吊りあがった眉。
地面すれすれまで体を落として臨戦態勢一歩手前といったところだ。
「あ〜ら泥棒猫とは言ってくれますわね。拾い喰いでもしたんですの?
何時もにまして頭の中がステキなようで。コレだから牝犬は大変ですわ〜」
玉緒さんは長い足を見せ付けるようにモデルポーズを取ると、頬に手の甲を当てて
典型的お嬢様笑いをする。
もともと注目を集める二人なのだが、興味の目線の数はうなぎのぼりで上昇中だ。
い、いかん・・・早くとめなくては収拾がつかなくなる・・・それにあの人までやってきたら・・・・
あぁ・・・・頭が痛い・・・
「ユースケさん。どうしたんですの?額に手をおやりになって・・・・ご気分が優れないのかしら・・・
まぁ朝からワンワン五月蝿い万年発情期の牝犬のお世話は堪えますわよねぇ〜」
玉緒さんはちらりとポチを流し見て、薄ら笑いを浮かべた。
「かぁ〜〜〜〜〜っ!!!!!本当に腹が立つなぁこの泥棒猫わぁ!!!!!!
絶対に食い殺してやるから覚悟しろよ!!!」
今にもとびかからん勢いで、ポチが吠える。
「本当にお下品ですわね〜野良犬はバケツでも漁ってればいいものを。
わたくしのユースケさんに朝から尻尾をぶんぶんと振って媚びまくって・・・・
恥ずかしくないんですの?貴犬は!!!」
「うるさいうるさいうるさい!!!ぜぇ〜たい、今日こそ地獄見せてやるんだから!!」
「やって御覧なさい〜尻尾振ることしか能のないすっからかんの貴犬にできたら、ですけどね〜」
玉緒さんも指を丸め、長い爪を剥き出しで臨戦態勢だ。
ふしゃーっ、といわんばかりに目を細め、形のいいお尻から生えた長い尻尾を
ゆらゆらと揺らしている。
「ふ、二人とも・・・・朝から勘弁してくれよ!!!学校間に合わなくなるよ!!」
「問題ありませんわ!!!」「関係ないよぉ!!!」
二人で同時に叫ぶ。
いったいいつになったらこの二人は打ち解けるのだろうか・・・
かれこれ高校に入って一年になるが毎朝コレでは俺の胃腸が持たない。
それに俺はもう一つの爆弾の投下を懸念していた。
朝から人生に絶望した浪人生のような気分でうなだれていると、
後ろからワイシャツの袖を引っ張られて後ろのめりになる。
「ユウスケ・・・」
悪い予感ってのは当たるものなんですね、ゴッド。
振り返ると玉緒さんほどではないが、すっきりとした体つきの長身の女性が立っていた。
そろえられた前髪と腰まで伸びたストレートヘアが朝日にまぶしい。
繊細な面と滲み出す理知のオーラを掻き立てるような細い眼鏡。
生徒会のセンパイで、混沌としたこの二人を更にかき乱す闇の勢力・・・・
ルアーにアクションを与えるアングラーのように袖をクイクイと引っ張るのは、
俺が最も登場を恐れていたお方、今(こん)先輩その人であった。
あぁ・・・神様はこの俺にひと時たりとも安らぎを与えては下さらないのか・・・
「「あっ、あなたは女狐センパイ!!」」
そう、今先輩は狐をルーツとする・・・・ってもうお分かりだろう?
「む・・・女狐とは聞き捨てならないが、今日は勘弁してやろう。
私はユウスケと一緒に登校して煩わしい子犬や色狂いの化け猫が近づけないほどの
甘い空間を構築しなければいけないのでな」
俺のワイシャツを引っつかむその手で、女狐センパイこと今先輩はすたすたと歩き出した。
頭から生えた長い耳がキュートだ。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ〜」
「ま、待ちなさい!!」
普通に歩いているようにしか見えないのに、恐ろしいほどの素早さを誇る今先輩の速歩。
男の俺でも着いていくのがやっとだ。
脚力が強いポチならまだしも、体力面では大きく劣る玉緒さんがついてこられると思えなかった。
「さぁ、ユウスケ。二人でこのままどこか遠くまで逃げないか?」
真顔で意味不明なことを言う先輩に呆れながら、俺は朝から降りかかる災難に後頭部を痛めていた。
誰か、俺と代わりま鮮花?