うじひめっ! Vol.12B(前)
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「――我はアイたん激ラブなるがゆえに」
「その呼び方をするなと言っとろうがッ!」
 気絶していたはずのアイヴァンホーが条件反射のツッコミを繰り出す。
 衝撃が来る。ちょっと、いや……かなり脳が揺れた。視界がぐらんぐらんと大地震を起こす。
 ――すぱーん
 叩いた音が遅れて聞こえてきた。
「いい一撃だ……音速を超過するほどとは……」
 宙を見れば、掌に切り裂かれ低気圧で冷やされた水蒸気が見事な飛行機雲を棚引かせていた。
「ええい黙れ! 貴様、よくも姫様の貞操を……!」
 俺に抱きついていた遥香をべりっと引き剥がし、胸倉を掴む。
「おわっ! 何すんじゃい、女バルログ!」
 引き剥がされて放り投げられた遥香は猫の如く柔軟に体を捻り、四肢をついて着地しながら
 キッと睨む。
 目尻の涙は既に乾いていた――なんとなく、そうじゃないか、とは思ったが。
「やっぱり嘘泣きだったんだな、あれ……」
「せっかくイイ空気になってきたんだから邪魔しないでよ!?」
「今度こそ殺してくれる!」
 抗議する困り眉の声を無視。
 仮面を外しているアイヴァンホーは碧の瞳で睨み据え、ぐいぐいと喉を絞めてくる。
「ぐっ……!」
 息が詰まり、苦しくなる。視界が赤く染まる。
 だがそんなことよりも、俺の胸を苦しめるものがあった。
 アイヴァンホーの双瞳――怒りに燃える二つのそれらは。
 しかし、密かに悲痛な翳りを帯びて心を刺す。
 ああ――この人は。
 お姫様を傷物にした、ぶっ殺してしかるべきゲスゲスしい陵辱漢の俺を手にかけることに。
 ――哀しみと、罪悪感を覚えているのだな。
「アイ……ヴァン……ホー……」
 震える手で彼女の肩を掴んで――ぐっ、と。
 引き離すのではなく、むしろ力いっぱいに引き寄せた。
「え!?」
 引き離されまいとして体重を前に掛けた彼女は予想を裏切られ、俺の胸に飛び込んでくる。
 ぽすん。細い体が腕の中に収まった。柔らかい。
「さっきも思ったけど、案外巨乳なんだな……」
「な、なにを言っているんだ!? は、離せ、離さんか!」
 暴れるアイヴァンホーをぎゅっと抱き締めて力を封じつつ、耳元に口を近づけた。
 そっと言葉を耳孔に吹き入れる。
「アイたん」
 びくっ、と大きな震えが腕に伝わってきた。
「だ、だからその呼び方をするなと何度言えば……」
「いいや! 言うね! あなたのことが好きだから! 好き好き大好きだから! 超愛してるから!」
「あっ……」
 間近で大声を出されたせいか、身を竦める。すかさず抱き締める力を強くした。
「初めて会ったとき――あなたにおもいっくそ投げ飛ばされたときから胸がキュンとなって
 恋に落ちました!」
 いや床には落ちたが恋には落ちなかっただろ、俺。心臓がキュンしたのも恐怖で縮んだからじゃん。
 どうした? 超音速で頭を叩かれて言語機能が変調を来たしたか?
 確かにアイヴァンホーは鼻がないけど美人で、髪がさらさらの銀ボブカットで、
 身長高くてほっそりとスタイルが綺麗で、料理もそこそこ上手で、きついところもあるけど
 姉貴みたいな気安さもあって、朝が弱くて、抹殺すべき相手についファーストキス(と思う)
 をしちゃって失神するドジっ娘だけど、半分が蛆虫のDNAで構成されている女なんだぜ?

 つまり結論を言うと――パーフェクトじゃないか。

「頼む! どうか俺の嫁になってくれ!」

 告白っつーか、いきなりプロポーズしていた。
「―――!」
 求婚されたアイヴァンホーは硬直した。俺の腕から抜け出そうとしてもがいていた力が消え失せる。
 沈黙。顔を俯かせ、一向に上げようとはしなかった。
 返答を待ちながら、見下ろす。銀髪の間から覗く耳の先端――紅に色づいていた。
 おお……これは……
「可愛いな――」
 はむっ
「あうっ!?」
 思わずちょっと齧ってしまった。こりこり。軟骨の感触が歯に響いてくる。
「いい形してる――はむはむし甲斐があるってもんだな」
 ぺっこんぺっこんこねりこねりと、歯と唇で耳介をすり潰すように弄んでは囁いた。
「や……やめろ……耳は……耳はダメ、なんだぁ……ぁ!」
 今までの震えとは比べ物にならない、打ち上げられた魚さながらの活きの良さで
 ビクンビクンと身を痙攣させる。
 全身の毛穴でその振動を受け止めた。鼓動が早くなる。ああ。この女(ひと)が欲しい。
 今すぐ欲しい。
「なら早く答えてくれ。『はい』か『Yes』か『Да』か『Ja』か『是』の五択だ!
 こんだけありゃ答えられるだろ!
 さあ! 言え! 言いたまえよ! 言わないとあんたの耳を甘噛ミズムでいつまでも
 犯し続けてやるぞ!」
「あ……あああ……!」
 イイ感じにテンパってきた。声に虚脱の匂いが嗅ぎ取れる。きっと眼もウツロになっているだろう。
 ふっ――
 この女、陥落(おち)たっ!
「これからアイヴァンホー様の生くちびるに生接吻してやりたいんですが構いませんねッ」
「いいわけあるかアホ! あんたがキスしていいのはあたしだけだろーが!
 コラ、やめへんかーい!」
 外野で猛抗議して飛び掛かってくる遥香を眼中からなくし。
 いざトドメを刺そうと、頬をベロ舐めしながら彼女の薄桃色をした唇に喰らいつ――

「姉様はここねッ!?」

 ――こうとして邪魔が挟まれた。
 どばんっ
 右上段回し蹴り一閃。部屋のドアをブチ開けて誰かが乱入してきた。
「ヒギィッ!?」
 ちょうどドアの脇から跳躍する瞬間だった遥香が、飛び込む勢いにドアの開く勢いが加算された
 相対速度を顔面にモロ頂戴したおかげでカートゥーン風に歪みながら悶絶して転げ回っているが
 まあこの際どうでもいいか。
 ちっ、あと一歩だったのに。
「誰だ!?」
「トゥーシー!?」
 乱入者が名乗るより早く、瞳に正気を取り戻したアイヴァンホーが叫ぶ。
「姉様!? ……どうやら間一髪だったみたいね!」
 まるで遠慮のない足取りでずかずかと踏み込んでくるそいつは、
「ぷぎゃっ!」
 と踏みつけられて鳴く足元の遥香を一顧だにしない。
 声や身長からして、俺よりも若そうな女の子だった。
 体格で言えば中学生くらいだろうか。服装は緋の半袖ブラウスにスカート。
 アイヴァンホー同様普通の夏服なんだが。
 それ以外はあんまり普通じゃなかった。顔の脇から腰まで伸びた赤髪は見事な縦ロール。
 顔にはアイヴァンホーと色違いの真っ赤な仮面を被っている。
 白の模様入りで、やっぱり眼のところにだけ穴が開いていた。
 そう――言わばその子は、一個の燃え立つ炎だった。オペラ座のファントムならぬ
 木更津家のフレイム。
「紹介されなくてもだいたい分かるぜ……あんたの妹なんだろ」
「あ、ああ。又左衛門尉――利家と云う」
「は!?」
 利家だと!?
「幼名は犬千代だったが、今年に数えで十五を迎えてな……」
「利家っつーことは……お、男の娘(こ)かよ!? 最近流行りの!」 
「いえ! れっきとした女よ! 父様のネーミングセンスがアレなせいでよく間違われるけどね!
 だからみんなは『トゥーシー』と愛称で呼んでくれるわ! ――あなた、わたしの前でもっぺん
『利家』と呼んだらマジ殺すわよ!」
 ギンギンの殺意を篭めて睨んでくる。瞳の色までもが痛いほどの深紅だった。

 ご自慢の縦ロール赤毛をふさぁっと掻き上げつつ行った彼女の自己紹介を二行に要約すると。
「姉様の五つ下で十四歳よ! でも年下だからってバカにしないでね!これでもわたし、
 通っている蛆人学園の中等科重機動部でエースストライカーやってて『ドリルの又左』って
 恐れられてるんだから!」 ということだった。
 意味分からんが詳しい説明は別に聞きたくないので放置。ジューキドーって柔道の亜流か何かか。
 でもたぶん、「ドリル」ってのは縦ロールを揶揄した表現であってだな。
 恐れられているというより、みんなにからかわれてるんじゃないか?
「父様と母様が、『本当にあの子はちゃんとお仕事をこなせるかしら。生ものを食べて
 おなか壊してないかしら。学園での成績は良かったのにあの子、いざという場面で弱いから……』
 ってあまりにも姉様を心配するもんだからこっそり様子を見に来たけど!
 やっぱり、変なことになっていたみたいね!」
 回し蹴りでドアぶち開けといて「こっそり」とは、なかなかアルティメットな妹だな。
 しかし「やっぱり」って。そんなにアイヴァンホーは家族から信用されていないのか。
「ああ……トゥーシー……」
 無駄なくらい活力と自信に満ち溢れた妹に会って、アイヴァンホーはホッとするどころか沈み込んだ。
 彼女の視線から隠れるようにして、顔を俺の胸に押し付けてくる。
「ね、姉様!? 何をしているの!? わたしが駆けつけたからには、そんな見るからに
 性犯罪を通じてしか異性と交流を行えないムードが濃厚な、負の意味合いでアデプトした
 うだつが上がらない下種男からは離れてもいいのよ!」
「初対面の人間に向かって遠慮容赦なく言いたい放題だなテメー」
「さあ! その生けるゴミ人間略して生ゴミはポイ捨てして!
 早くわたしの胸へ飛び込んでらして!」
 どんと来い、とばかりに両手を広げる真っ赤なトゥーシーこと利家。
「すまない、わたしは……お姉ちゃんは、通常考えられないほどの失態を犯してしまったの……!」
 一人称が「お姉ちゃん」でしかも姉口調になってるアイヴァンホーって、とっても新鮮。
「もう、おうちには帰れません……! 父上と母上には、お姉ちゃんは死んだものと
 伝えてちょうだい……!」
「姉様!? なんでそんなことを言うの!? どうか! わけをおっしゃって!」
 悲痛な声を張り上げ、舞台劇みたいな遣り取りをする姉妹。間に位置する俺は耳がキンキンする。
「あーもう! あんたら、さっきからうっせーよ! いいから、さっさとかずくんから
 離れなさいよ!」
 半分空気化していた遥香が立ち上がり、話に割り込んできた。

「邪魔しないでよ! この滑り台眉毛!」

 ごきん
 あっ、クリムゾン・ガールが遥香の頭頂と顎を両手で挟んで横に九十度回転させた。
 直角に折れた首の肉が少しばかり長く伸びているように見えるのは錯覚だろうか。
「うぼあー」
 首を捻じ曲げられた遥香はすとんと膝を付き、口端からぶくぶくと泡を吐いて前のめりに倒れた。
「おまっ、ちょっ、人の幼馴染みを瞬殺するなよ!?」
「大丈夫! 骨を外しただけだから! ハメ直せば命に別状はないわ!」
 薄い胸を張って堂々と言い切る紅蓮童女。
 いや頚椎って外したりハメ直したりしていいものなのか? 俺にはすこぶる疑問だぞ?
「姫様の純潔を守れなかった以上、蛆界にわたしの戻る場所はないの。だから――」
 見えてなかったせいもあって、遥香の件をまるっきりスルーするアイヴァンホー。
 彼女はぎゅっと俺のシャツを掴み、宣言。
「わたしは、愛に生きる!」

 だんだん話がおおごとになってきたのを肌身に感じながら。
 いまだに事情を呑み込めないでいるトゥーシーへ、これまでのあらましを説明する。
「っつーわけで俺、フォイレの未使用膣にち○こ突っ込んで膜ブチ破って精液ドバドバ
 中出ししちゃったノダ☆」
「こ……殺すっ! こいつ殺すっ! 姉様が止めても! 絶対に絶対にこいつを殺してやるうっ!!」
 少しでも固い雰囲気をほぐそうとフランクな口調を心がけてみたが、逆効果だったらしい。
 憤激して目を血走らせ襲い掛かろうとする真っ赤な少女を、姉であるアイヴァンホーが
 必死で押し留める。
「お、落ち着いてトゥーシー! わたしも今一瞬和彦を圧壊させたくなったけど、
 ここで彼を死なせても姫様の純潔は帰ってこないの! ノーリターン! つまり――殺し損!
『犬死に』ならぬ『犬殺し』よ!」
 すごい説得法だった。それにしても「ノーリターン」は字にすると「ノータリン」に見えて
 仕方ないよな。
「駄犬は駄犬らしく、むごたらしく屠殺してあげなくちゃダメよ姉様!
 こいつの穢れた遺伝子を根絶し! 負の連鎖を断ち切って! ダーウィン賞を差し上げるのが、
 わたしたちのなさねばならぬ務めなの! そうに決まっているわ!」
「遅いの、トゥーシー……もう姫様はとっくに受精されている……」
「なんですって!?」
 目を剥き、トゥーシーは俺から視線を逸らした。そっちを見ると、いつの間にか
 ヒト形態になったフォイレがいた。
「ええ。今、私の子宮では和彦さんの精子が熱烈に細胞分裂してらっしゃいますの。
 愛の結晶――卵は、もう数十分もすればどこにでも産み付けることができます。
 まさしく……デキちゃいましたわ!」
 ふふん、となぜか得意げに鼻を高くする。
 え? デキちゃったって……え? マジで?
「そ、そんな! 姫様が! いと気高き“エーデル”フォイレ様が!
 こ、こんな下郎の子を孕むなんて!」
 さすがにショックだったのか、へなへなと膝を折って床に手を突くと。
「お゛お゛お゛……!」
 形容しがたい声で哭いた。哭き叫んだ。咽び哭いてやむことがなかった。
 アイヴァンホーはそんな妹の背を優しくさする。
「分かったでしょう、トゥーシー。もはやどうにもならないの。だからわたしはもう、
 素直になることにしたわ」
「す、素直になった結果が『愛に生きる』だなんて……こいつのどこに
 姉様が惚れる価値なんてあるの!?」
「価値なんてない」
 お、おい、てめえ……否定の出来ないことをズバッと言い切りやがったな……!
 傷つく俺のことも知らぬげに、アイヴァンホーは口元を綻ばせた。
「――でも、気持ちはある。和彦と一緒に暮らし、ともにご飯を食べ、くだらないことで喧嘩して、
 まるで……トゥーシーよりも出来の悪いきょうだいが加わったような……
 そんな毎日を送りたい気持ちは、確かにあるの」
 切々と訴えかける。「トゥーシーよりも」と言ったところを見ると、妹の出来が良くないことは
 知ってるらしい。
「おうちにも蛆界にも戻れないなら、ここで和彦と在りたい。それがわたしの偽らざる気持ち。
 だって……」
 火照る頬を押さえ。
「……もう、く、口付けだって済ませてしまったし……」
「く、口付けぇ!?」
「すごかった……き、気絶しちゃうほどなんだもの……」
 窒息でな。
「――こ」
 姉の話を聞いて、全身をぷるぷるさせ始めた緋色の少女は。
「ころ――」
 足元から、我が家がネタで購読している朝○新聞を拾い上げてごそごそと丸め。
「――す」
 それをしっかりぎゅうっと握り締めると。

「殺すううううううううううううううううううううっっっ!!!」

 ダンッッ
 床を踏み鳴らし、槍撃の勢いで一気に突き込んできた!


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