うじひめっ! Vol.8
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 卒業式の騒動で「謹慎させるべき」という風潮になり、高校が別々になったこともあって
 ――半径百メートル以内に近寄るな
 というストーカー法じみた接近禁止命令が俺と遥香の両名に達せられたが、
 まあ至ってザル法だった。
 電話やメールくらいは普通に交わすし、週に一回くらいは遊びに行ったりする、
 相変わらずな関係が続いた。
 まあ、さすがにキスはいろいろアレだし、あんましなくなったが。
 ほら、十六にもなるとお口だけで済ませられない気分とかなっちゃうわけやん?
 それで遥香とねんごろな仲になってしまうのも安易な気がして距離は保っていた。

 夏休みに入ってから家族と母方の実家に赴いていたとかで、会うのは二週間ぶりくらいだが――
「かずくんがオクテすぎてじれったくなってきたからねー。今年の夏はガンガンいこうぜー」
 俺から強奪したカルピスをちびちび飲んではフフーと笑う。
 間接キスだぞそれ、とか注意してもムダだ。だってこいつキス魔だもん。直チュー平気でするもん。
「つまり、状況を整理するとこうか?」
 気絶したままの良治は放置され、仮面を付け戻したアイヴァンホーさんが気を取り直していた。
「和彦殿は遥香殿を憎からず思っているが、親戚の仲を越えて男女の関係にまで
 発展させる気がない――と」
「まあ、そうですけど……てか『殿』はやめてくださいよ、アイヴァンホーさん。
 呼び捨てでいいですから」
「む。そうか、失礼した。では和彦、わたしのことも遠慮なくアイヴァンホーと呼べ」
「え、でも……」
「気にするでない。あと無理に丁寧語を使おうとするな。却って聞き苦しい」
「あー、うん、分かったよ」
 すっ、と深呼吸して彼女の名前を舌に乗せる。

「……アイたん?」

 殴られた。しこたま殴られた。
「この痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が痴れ者が
 痴れ者がァーッ!!」
 左右の拳は暴走機関のピストンと化す。認識を凌駕する超暴力に悶絶した。
「親しくすることと馴れ馴れしくすることは天と地ほどの開きがあるッ!
 わきまえろ痴れ者がッ!」
「ちょっと!? あたしをブッチして勝手にかずくんと親密になったうえに何してくれてんのよっ、
 お面女!」
 立ち上がって制止する遥香。シュプレヒコールするように握り拳をぐっと掲げ。
「かずくんを叩いていいのはあたしだけだぁっ!」
 さりげなくSっ気をアピールした。
「はぁ、はぁ……」
 遥香の横槍もあって、ようやく矛を収めたアイヴァンホーが荒い息をつく。
「貴様ごときのたわけ者など蛆界の腐肉壺に埋めたいところだが、
 姫様を助けてもらった手前やめておこう」
 お前ら、恩返しに来たんじゃないですか? なのになぜそんなに偉そうなの? 理解不能。
「んもう、顔をボコボコにしてくれちゃって! かずくんがこんな顔すんの、卒業式以来よ!」
 ぐったりする俺を抱え上げ、アイヴァンホーを睨んでいた遥香はふと怪訝そうに首を傾げる。
「ってーか……姫様? 助けた? いったいなんのこと言ってるの、さっきから?」
「ああ、話せば長くなるが、実は俺そこにいる蛆虫のお姫様の命を救ってな」
 と部屋の隅を指差す。「ちょっ、なんの冗談よ」と笑いながら指の方向を見た遥香が固まった。
(あ、どうも。初めまして。私、蛆界で王女をやっておりますフォイレと申しますわ。
 以後お見知りお――)
「げえッ!? 蛆虫っ!? しかも喋ってるっ!? ディ、ディ○ニーの刺客かああーっ!?」
 当然の反応だったが、既にその地点を通過した俺には微笑ましいかぎりだった。
 困り眉に驚愕の表情がプラスされて、なかなかいい塩梅の顔になっている。愛い奴め。

 ようやくホッとひと息ついた。

「なるほどー、それでフォイレちゃんが恩返しにねえ」
 最終的に平然と受け容れてしまうのがいかにも遥香だった。
 こいつは心底「困らないくせに困り眉」だからな。この顔で性格を読み誤り、
 加虐心とか庇護欲をそそられた男どもがちょっかいを掛けて破滅していく様を
 何度も目に収めてきた。連中の末路は悲惨の一語に尽きた。
 木更津遥香の眉毛は、ある意味兵器にも等しい破壊力を持った罠なのだ。正に「まゆわな」。
 ――なんでも四文字に略して満足してしまう最近の風潮を、俺はもっと憂えるべきだと思う。
(なのです。そこで、手っ取り早く体でお返したいので遥香さんも手伝ってくだ――)
「だから却下」
「なりませぬとあれほど」
「そいつはちょっと聞けねぇなー」
 否定の三重奏。蛆虫姫君も本格的にいじけモードへ入っていった。
(ふんっ、ふんっ、ふーんっ、ですの)
 部屋の隅で全身を使って「の」の字を書く。
(和彦さんなんか、私が成長して魅惑的な体に育った暁には後悔のあまり舌を噛み切って
 死ぬがいいですの……!)
「呪詛を振りまくな。蛆に祟られているかと思うと正直いい気分がしない」
 ふう、と一つ溜息。あーなんか疲れた。バタバタしたせいで腹も減ってきた。
 時計を見る。もう夕方だった。
 両親は「今日帰り遅いから晩飯とかテキトーに食っとけ」っつってたけど。
「ちゃっちゃっとインスタントでもつくって食うかな」
「あ、ちゃーんす。……フフーン? かずくん、なんならあたしが手料理を振る舞ってもエエよ?」
「いらん」
 遥香の調理アビリティはおにぎりが普通に握ったつもりでヒトデ型になるくらいだ。
 その技量は推して知るべし。
「ならわたしがつくろう」
 すっ、と立ち上が……らないで四つんばいのまま移動するアイヴァンホー。
 やはり姫様が蛆形態のときは気を遣うのか。
「え? アイヴァンホーって料理できるの?」
「何を意外そうに……姫様と違って半人のわたしは人間とほぼ同様のものを摂食する。
 料理くらい嗜んでいる」
 怒ったように睨むが、四つんばいなので迫力はない。
(私はこのままで食事を摂らせていただきますわ。人化して摂るよりも効率がいいですの)
 とフォイレがついでに発言。まあ、人形態で生ゴミをガツガツやられるよりは
 蛆形態のままがまだマシか。
「ちぇー、つまんねーのー。せっかく『家庭的な女の子』っぽいステータスを上げる
 チャンスだったのにー」
 ぶーたれながらもご飯大好き人種である困り眉は素直に付いてきた。
「フンフフンフフンフフンフフ〜ン……♪」
 鼻歌をハミングしつつ。
 床を這うアイヴァンホーの尻をチラッと見下ろした遥香は。
 げしっ
「ぬおっ!?」
「あっ、ごめーん。ちょうどいい位置にお尻があったものだからつい足が……」
「『つい』で他人の尻にヤクザキックかますなよ!」
「だって自分のお尻は蹴れないし……あっ、かずく〜ん。確かこのへんにバットなかったっけ?」
 ケツバットする気満々できょろきょろあたりを見回す困り眉少女。
 仮面侍従は「……!」と息を呑み、脱兎の勢いで逃げ出した。

 とまれかくまれ。
 期せずして賑やかな夕食会が始まった。
 気絶から覚めた良治も「おー、メシメシー」と当然の顔して紛れ込む。
「いや……お前はそろそろ消えていいキャラじゃねえか?」
 人数増えてきたし。
「ひ、ひでえ。付き合いの長さでは遥香ちゃんを上回っているというのに……!」
「エロゲーでも悪友キャラって大抵途中で空気化してフェードアウトだよな――
 よし、遠慮せず消え失せろ」
「『拡散』じゃあるまいし人間がそう易々といなくなれるかよ!」

 なんだかんだでいただきます、と手を合わせて食事。ごはんに味噌汁に焼き魚とお新香、
 シンプルな和食だった。
「おかわり」
 と茶碗を差し出すと何も言わずジャーからぺたぺたと盛ってくれるアイヴァンホー。
 ご飯時なので仮面はオフ。なにげにエプロンが似合っていた。
 ごはんの盛り方もキレイで手馴れている。
「ふむ。こりゃあ将来はいいお嫁さんになるなー、アイたんは」
「その呼び方をするな」
 すぱーんっ
 しゃもじで頬を張られた。いいよな、しゃもじビンタ。
 いかにもこう、「家庭的な女の子」って感じが……するわけねえ。
 クソ、ご飯粒が口の端についた。ちょっと熱い。
「動くな。取ってやる」
 叩いた張本人が優しい手つきで頬に触れた。あ、少し胸がキュンとする。
 これはあれか、「右手で与えて左手で奪う」の逆パターンか。
 プラマイゼロなのにときめいちゃう罠。
「ほら、もう取れたぞ」
 と見せて示したご飯粒を、何のためらいもなくパクッと食べた。
 え、今のって。
「……間接キス?」
「間接チュウだー!? くそう、お面女め! やってくれる!」
「英語で言えば『サブミッション・キス』だな」
 おい、わざと言っているのか。それとも素でボケたか良治。
「あ……えっ……と……」
 三方から攻められたうえ、
(かんせつきす、ってなんですの?)
 と姫様から素朴な質問を寄せられ、狼狽えたアイたんは。
「う、うるさい黙れ喋るな口を閉じろ息もするなさっさと飯を食え」
 手にしたしゃもじをスイング。縦に。今度はそう、しゃもじチョップだ。脳天直撃。めっさ痛い。
 強制的に話題が終了となり、俺は頭をさすりながらの食事となった。
 にしても……口を閉じて息もせずに飯食うのはさすがに不可能だろ。

 そろそろ寝る時間である。良治もあくびを噛み殺しながら帰っていった。
「――なのにまだ居座るつもりか」
「だって、お泊りセットも用意してきたからにゃー」
 とスポーツバッグを引きずってくる遥香。ああ、良治にブチ込んだアレか。
 じじーっとジッパーを開けてみる。ふむ、中身は概ね着替えか。下着もあるな。
「なっ……勝手に開けて見るなってば!」
 ひったくるようにして奪い返す。頬が赤らんでいた。キス魔ながら羞恥心は湧くらしい。
 うーん、乙女の精神構造って複雑。
 というか遥香がノリ軽いからってついプライバシーを侵害してしまったことには猛省。
「で、お前らも住み着くわけ?」
 我が物顔して押入れの検分を始めたフォイレとアイヴァンホーのコンビに訊ねる。
「ああ、差し当たっては急がないからな。明日中にでも片付けば良くしたところだ」
(のんびりと宿泊して恩返しさせてもらいますの)
 のほほんたる返事。
 こいつら、こんなことを言っといて俺の部屋の押入れを治外法権の魔都に
 変えるつもりじゃなかろうな。
 明くる朝に襖を置けたら乳白色の蛆虫がうじゃうじゃ、だったりしたら悶死するぞ。
「それこそ正に租界だな……」
「かずくん、なにうまいこと言ったような顔して頷いてんの?」
 シェラフを広げている遥香に呆れられた。
 そんなものを用意しているお前に呆れたいんだがな、俺は。


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