うじひめっ! Vol.7
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 困り眉にポニーテール、美人とまでは行かないが非常に愛嬌のある顔立ちをした彼女こそ
 従妹の木更津遥香。
 見ているだけでいじめたくなる顔だが、絶対にいじめてはならぬ存在である。
 やほーと陽気に挨拶かました彼女の表情が一気に凍り付いて氷点下に達したのは
 ひとえに俺が上半身裸で、鼻がないとはいえなかなかの美人さんに組み敷かれて
 騎上位に移行する寸前の格好に見えていたからだろう。
「……なにしてんの、かずくん」
「なにって、ほら……ナニを?」
「へえー」
 無表情に頷くと、肩に下げていたスポーツバッグをぶるんぶるん横スイング。
 存分に遠心力をかけたところで縦回転に移行。背中から掬い上げる軌道で
 天井ギリギリまで持っていき。
 ――そのまま鉄槌のように振り下ろす!
「ぶべらっ!」
 が、すっぽ抜けて俺ではなく良治に直撃した。
 重く湿った音とともに奴は宙に持ち上げられ、盛大に吹っ飛ぶ。
 これが遥香の必殺技、ギャラクティカ・スポーツバッグだ。誤爆は仕様。
 暢気に他人気分で見ていた野郎が一瞬にして巻き込まれ、
 哀れな犠牲者へ変貌する地獄が醍醐味である。
 アホタレ良治は壁に叩きつけられた後、ずるずると下がって前のめりに倒れた。
 尻を天に突き上げ、二度と立ち上がって来れない敗北のポーズを形作る。いいザマだ。
「ひっでー! ひっでーよ、かずくん!」
 目尻に涙を浮かべた遥香が泣き叫ぶ。自分がかました誤爆はどっかの軍みたくガン無視か。
「12000発何かを喰らわせたいけど我慢してまず訊くよ! 誰、その真ん中だけのっぺらぼう女!?」
「真ん中だけのっぺらぼう女……」
 普通にショックに受けたとおぼしきアイヴァンホーさんが呆然として脱力。
 すとんと俺の下腹部に腰を下ろす。
 お……き、危険な位置だ。ヤンチャな愚息が叛乱軍と手を結んで
 理性に謀反を起こしかねない位置取り……!
 咄嗟に良治の顔を見る。気絶して壮絶なマヌケ面を晒していた。うまい具合に萎えた。
 平静を取り戻し、クールに切り返す俺。
「そんなことより遥香ヨー、いつ家族旅行から帰ってきたんだヨー。
 あとうちに来る予定もしばらくないって聞いたけどヨー」
「んー、昨日。それと、こっちには『友達んとこ泊まる』って虚偽報告してから来ちゃった☆
 アリバイ工作もバッチリだし、かずくんの叔父さんたちにバレなきゃもうなんつーか、アレ。
 アレです。ヤリたい放題デスよ☆」
「星記号が散りそうな口調でいともあっさりと……」
 こいつがザ・ワールド・イズ・マインでやりたい放題なのは昔から変わらないところである。

 少し昔話をしようか。
 小さい頃の彼女は内向的なところがあって、周りの輪に溶け込もうとしないで
 一人遊びすることが多かった。
 俺ん家に遊びに来たときも母親の陰に隠れてなかなか出てこないような子で、
 大して興味が持てなかったもんだ。
 ある日、良治と掴み合いの喧嘩をして一時的な絶交モードに入った俺は、
 くさくさして公園へ砂場遊びをしに行った。
 するとそこには最近見知った従妹の子がいて、黙々ぺたぺたと砂の建造物を
 丹念につくりあげていたわけ。
 まあ、そっから先の展開は言わずもがなだろう。発作的に破壊衝動に乗っ取られた俺は
 そいつを速やかに破壊。心ない罵声を浴びせて、いつも困ったように眉毛をハの字にした
 新参の従妹を泣かせてやろうとした。
 ――泣かなかった。足元の砂をぐっと掴み、投げつけて目潰しを仕掛けてきやがった。
 眼球の痛みに悶える愚かなクソガキ(俺)を押し倒すや、馬乗りになって
 ガッツンガッツン殴って殴って殴った。
 何発目かで鼻血が出た。少し怯む様子を見せた。その隙をついて拘束から抜け出した俺は
 すかさず逆襲。その子も負けずに応戦。互いに一歩も退かず壮絶なインファイトを展開し、
 駆けつけた親たちに引き離されるまで続けた。
 込み上げる鼻血を拭われながら、痛感した。こいつはハブられてひとりなのではない。
 虎が群れないのと同じ、いささか凶暴すぎるがゆえの孤高だ――と。
 かくして、最前の良治とよりもいっそうヒドい本気の喧嘩を泥だらけになって
 繰り広げた俺たちは、互いを無視できなくなった。
 ガンの付け合いから和解へと歩み出すのに二週間かかった。
 全力を尽くしてドローにまで持ち込んだ相手のことを、
 今の言葉でいうならリスペクトする気持ちもあったのだろう。すんなり馴染んだ。
 一緒に絵本を読んだり、おうたを歌ったり、手を繋いであっちこっちに行ったりした俺らは
 男女やいとこの仲を越え、親友としての絆を結んだ。そこまでは良かった。

 問題は、はるかがキス魔として覚醒してしまったことだった――

「かーずくんっ」
 まだ当時は肩上のショートにしていた彼女が、
 お気に入りの赤い服を着てパタパタと駆け寄ってきた。
 俺は家の前で「きょしんへー」になったつもりで夏の虫どもにホースで散水して
 ブチ殺しの愉悦に耽っていた。
「なんでえ、やぶからへびに」
「それは『ぼう』だよ。べつのとまざってるよ。と、んなこたーどーでもよくて」
 じゃじゃーん、という口擬音とともに一冊の本を取り出した。マンガだ。
 姉のものをかっぱらったらしい。
「ここをみれ」
 指差したコマは、まあいわゆるキスシーンだった。しかも少女コミックではなく
 レディコミだったもんだからやたらと濃厚に描かれていた。
 ようやくマンガの読み方を理解してきた俺にはちょっとしたカルチャーショック。
 ぽかんと口を開けっぴろげにして見入った。
「なあ、なんでおくちすっとるの、こいつら」
「フフーン。かずくんってば、しらないんだー」
 得意げに目を閉じて鼻で笑う姿が腹立たしかった。
 目をつむると、遥香の困り眉は逆に自信ありげに見えるのだ。
 拗ねた俺は「しらねー」と投げやりに答えた。
「これは『キス』っていってねー、すきなひととするとチョーきもちイイんだってさー」
「ふーん」
「じゃ、しよっか」
「いきなりかよ!?」
 子ども心にも過程を無視したアバウトな話運びには慄然としたものだった。
「べつにいーじゃんかー。あたしはかずくんすきだよぉ? かずくんはあたしのこときらいー?」
 つぶらな瞳を困り眉の下でキラキラさせて小首傾げてくる幼女を無下にできる奴はすごいと思う。
 俺にはできなかった。「そうやね、にばんめくらいにすき」と譲歩返答。

 一番は「なうしか」だった。

「なら、」
 がしっ、としゃがんでいた俺の両耳を摘む。
「いててっ」と悲鳴とともに手を振り払った俺は面を上げて睨む。
「んちゅー」
 睨まれたのもなんのその、顔を上げたのをこれ幸いとばかりに屈み込んでアヒル口を接近させた。
 キス。そう、考えてみればそれが俺にとってのファーストキスだった。
 たぶん遥香にとっても、だ。
 ちゅぱちゅぱじゅるじゅる、マナーのなっていないスープの啜り方みたいに
 音を立てて唇を吸ってきた。
 その柔らかさと口の肉を吸われる感触、ほのかに香る幼女特有の匂い――
 未成熟の性はがっつり刺激された。
「ぶちゅー」
 夢中になって吸い返し、止め忘れたホースの水が蟻の巣へ流れ込んで水没させるなか、
 真夏の太陽の熱に肌を汗ばませて唾液を交換し合い口から頬、
 ときに鼻まで濡らして接吻タイムを満喫。
 一方が唇を離しても必ずもう一方はどこかを吸ったり舐めたりしている
 狂騒的なじゃれ合いが連鎖した。
 終わったのがむしろ不思議なくらいだった。
 まだ乾き切らぬべたべたどろどろの顔面を乱暴に手で拭いつつ、彼女は「にへへ」と不敵に微笑む。
「……これでいちばんになった?」
 瞳には、決して幼さとは相容れぬ生臭い妖しさが宿っていた。

 陽炎揺らぐ路上で座り尽くす俺と立ち尽くす相手。ともに四歳。
 ――二匹の獣が目覚めた昼下がりであった。

 薄手の布団にふたり揃って転がり込んで小山をつくりチュッチュチュッチュと小鳥みたいに
 絶えず囀ってみたり、お風呂で全裸になって百数える代わりに百キスしたり
 お湯に潜って水中キスを試みたりお外で誰もいない隙を見てむちゅーっと大胆に戯れてみたり、
 果てには俺が立ちションしてるときまでムチュムチュしてみたりと、
 幼いがゆえに一向に歯止めの利かない四歳児たちはバカップルも青ざめる
 接吻アニマルに化していった。
 そんな感じでチュッパチャップスしまくっていた某日、
 また姉の本棚からろくでもない蔵書を借用してきた遥香がいくつかのコマを指して解説した。
「『キス』のときにしたをからめると、それはもうすっげーらしいぞ?」
「すっげーのか?」
 ワクワクした。早速見詰め合い、照れなんて一コンマたりとも挟まぬ素早さで唇を合わせる。
「ふむぅ……」
 しばし感触を味わった後、おもむろに口を開け広げていった。
「あーん……れろっ」
 同時に口中の軟体生物を解き放った。唾がこぼれそうになった。互いが相手の唾を啜って飲んだ。
 それでも啜り切れず顎のあたりをべたべたにしながら俺とはるかはれろれろと舌を絡め合わせ、
 ときに引っ込ませて相手の舌を迎え入れ、時に追い出して自ら攻め込む。
 出たり入ったり絡めたり、お口とお口の攻防がひとしきり続いた。
 頭ん中がぽわーっと羽根でも生えたみたいに軽くなって
「すっげー」「すっげーね」と舌を接触させたまま頷き交わした。

「ただいまー……あ?」

 そこに遥香の親父が帰ってきた。忘れ物をして昼休みに取りに来たらしい。
 俺らは遥香の母親の目を盗むべく玄関の上がり框に腰掛けてディープキスに勤しんでいた。
 パパってば愛娘がいとこのクソガキとびっちゃびっちゃ唾液をしたたらせながら
 そのちっちゃな舌を出し入れし合って激しく親愛の情を交わしてる場面を間近で目撃しちゃったわけ。
 それはもうすっげーことになった。一時は俺んとこと遥香んとこで断絶するんじゃないかってほどに。
 時間の経過とともに自重することを覚えた俺らはその後なんともない、
 ただのいとこ同士としての付き合いを続けたが。
 中学の卒業式で遥香のタガが外れてしまった。
 衆人環視のなか、感極まって泣きながら俺に「ぶちゅー」とやったのだ。
「か、かずくん……かずくんんんーっ!」
 ぐおわっ
 熊の威嚇さながら両手を天に突き上げ指を鉤状に曲げた従妹の子が至近距離から突撃してくる恐怖。
「ま、待て、話せば分か……!」
 制止も間に合わず。遥香は俺の首にかじりつき、
 柔道みたいな要領で無理矢理屈み込むませたところを爪先立ちになって
 目を瞑ったまま――猛禽の鋭さで一気に喰らいついてきた!
 ズキュウウゥン! 昭和ライクな銃声が鳴り響く情熱的なベーゼ。濃厚すぎるほどに濃厚。
 いや――果たして何百名にも上る観客がいる前でぐいぐい唇を押し付けてくる蛮行を
 情熱と呼ぶべきなのか。
 突き刺さる視線も意に介さずしきりに上唇を吸い下唇を吸い両方同時に吸ってと大忙しでしたよ?
「えっ、あれ? 遥香!? 遥香が……思いっきりキッスしてるううう!?」
「か、和彦の肩甲骨付近をがっちりホールドして! 一向に離そうとしねえッ!?」
「ききききき木更津さんっ!? さささっきから激しく水音を立てて、
 なな、なにをなさってるんですかぁぁぁ!?」
「う、わああ……キ、キスの音がこっちまで聞こえてくるよぅ」
「へええ。キスって、こ、こんなにうるさく音がするんだぁ……」
「って、まだ続いてる!? もう一分は経ったよな!?
 あいつら、いつまでするつもりなんだよ!?」
「あんなに爪先がプルプル震えて……足もつらいだろうに、
 少っしもやめる兆しがありませんですハイ!」
「す、すごい……生徒会長の感動的な演説が彼女の本性を地獄から呼び覚ましたんだ……!」
「もしもし!? 今すごいわよ! 体育館に来なさい!」
 あー、鼻息くすぐってーなー。つか、さっきから唇吸いすぎ。お前はあれか、ラムネの瓶の口か。
 周りで騒ぐ生徒たちと、パイプ椅子蹴立てて保護者席から飛び出す遥香の親父を
 視界の端に捉えながら。
 俺は現実逃避することに精魂傾けた。

 そんな春のこと。

 唾液と血にまみれた卒業式のこと。


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