向日葵(仮) 第1回
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朝の日差しが私の瞼を貫く。開け放たれた窓から差し込む陽光は、初春であるというのに容赦がない。
小鳥のさえずりと未だに真冬を思い出させる冷たい声で、私は完全に覚醒した。
「お嬢様、お目覚めの時間です」
「わかっておる。・・・・・・ところで、あの男はきておるのか?」
伏し目がちに問うと、メイド長のレナは何時もどおりのポーカーフェイスで答えた。
「はい。すでに客室に待たせております。しかしお嬢様。
何も平民風情に来賓用の部屋を用意する必要はないのでは?」
「いいのだ!彼奴には最高の仕事をしてもらわなくてはならん!
汚い部屋では士気も下ががるだろう。これは貴族としての計らいじゃ!うぬは口出しするな!」
「お嬢様。これはご忠告ですが・・・姫様は議会で最も発言力の高い十公爵バルタザール卿の
ご息女です。あまり平民と仲良くされるのは通念上どうかと思われますが?」
「な、仲良くなどしておらん!!」
「左様ですか。それなら構いませんが・・・。先の通り、距離には気をつけてください。
相手はご主人様が認められたとはいえ、所詮平民の画家に過ぎません。
これ幸いとお嬢様に狼藉を働く危険も零ではございませんので」
「わ、わかっておる。だからそちはさっさと準備をしておれ!」
私が言い放つと、レナは何時もどおり洗練されたお辞儀をして去っていった。
な、何故メイドごときに私が命令されなければいけないのだ!
わ、私は素晴らしい絵が欲しいだけなのだ。
け、決してレナが申すように仲良くなどしておらん!!
わ、私は・・・貴族で、彼奴はただの平民なのだから・・・・・

大きなキャンバスには都で最新のドレスを身に纏い、花のように輝く笑顔の女性が描かれていた。
正直、我が目を疑った。
「こ、これが私なのか?」
「はい。公爵様の仰せのとおり、写実的に描いております」
と、ということは・・・この男の眼に私は、こういう風に映っておるのか・・・?
いや、あまりにも対照的だ。鏡に映る私は、もっとつり眼で無愛想な女のはず。
瞳の色や着ている服、輪郭や顔のパーツはすべて一緒でも、まるで別人ではないか。
「お、オマエ。ちゃんと私を描いているのか?こ、これはどう見ても別人じゃぞ!」
「そんなことはないですよ。わたしは見たとおりのお嬢様を描かせていただいております」
「ば、ばかな!私はこんな風に笑えない・・・」
母様が亡くなってから、私は上手に笑えなくなった。だから、キャンバスの女は違う。私ではない。
「初めてお会いしたときはすこしキツイ印象を受けましたが、椅子に座っておられるお嬢様は
非常にいいお顔をされていいますよ。わたしの技量では残念ながらこの絵が限界ですが・・・
お嬢様の笑顔はそれはもう、どんな花よりもお美しい。自分の実力が呪わしいですね」
そういって、男は苦笑した。顔に集まった血液が、一瞬して沸騰した。上手く思考が働かない。
胸がドキドキする。
な、なんなのだ・・・この気持ちは?へ、平民風情に、この私が?
「それでは、続きをお描きいたしますので。そこにお直りください」
それからきっかり数時間。男は私を真剣なまなざしで射抜きながら筆を動かしていた。
その間私は、男の視線を真っ向から受けることができずに呆けていることしかできなかった。

「今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」
男が画材を仕舞う。
「・・・・・・昨日はどこへ行っておったのじゃ?」
そういうと、男は虚を突かれたように
「実は、絵の具を切らしてしまいまして。一人でイズル山に絵の具の材料を調達しに
出かけておりました」
「・・・・・・ずっと、待っておったのだぞ・・・・・・」
「メイド長のレナさんにちゃんと伝えたはずですが?」
「・・・・・・それでも、待っておった。・・・今度絵の具を取りに行くときは、私も連れてゆけ」
「へ?あ、その・・・イズル山は険しいですし時折獣も出ますので、お嬢様が登られても
何も面白くないと思われますが・・・」
「・・・・・・・・・いい、連れてゆけ」
気づくと私は男の袖を掴んでいた。男はたじろぐように視線を泳がす。
「そ、それは・・・」
「お嬢様。その方も困っております。イズル山など貴族が近づく場所ではございません。
それに今朝も忠告したはずです」
「・・・・・・・・・わかっておる、わかっておる・・・・・」
私はそこでようやく男の服を離した。安っぽい布地の服で絵の具の染みやカスが
こびりついているが、私にはそれがどうも神聖なものに見えて仕方なかった。
「それでは、失礼いたします」
玄関まで見送ると、男は礼をして去っていく。私は胸に寂寥感が広がるのを感じた。
うぬはこれから、どこに帰るのだ?家か?それとも・・・
・・・恋人のところなのか・・・?

男が家にやってくるようになって、三週間が過ぎた。
この男の暮らしが気になってとうとう我慢できなくなった私は、レナに内緒で彼奴の後をつけていた。
貴族の邸宅街を通り過ぎると、雑多な町並みが広がっていた。
肌の黒い者、黄色い者、腰が曲がった者、鎧を纏った者・・・諸々の間を抜けて、男の後をつける。
ドレスにこの靴では歩きにくいことこの上なく、身分を隠すために目深に被った帽子は
却って存在をアピールしているような気がしてならないが、ヤツにばれなければそれでよい。
奇妙な匂いが充満する通りを抜け、教会の路地を曲がると、そこはウサギ小屋程度の民家が
ずらりと並ぶ区画だった。
彼奴は、こんなところに住んでおるのか・・・期待と予想を遥かに裏切って、私は半ば呆然とした。
それでも一定の距離を保っていると、男は急に立ち止まった。
「お勤めご苦労さん」
「あら!今日は早いのね」
見ると薄汚れたエプロンドレスに、赤い布を頭に巻いた若い女と言葉を交わしていた。
何故か胸の奥がどしんと重くなる。頭が脳の位置がすこし下った気がするほど、重い。
「最近十公爵のお嬢さんの肖像画を任されたんですって?」
「あぁ。初めての仕事だから、緊張しているよ」
「うふふ。ようやく貴方の才能が認められたのね。なんだか誇らしいわ〜」
「ははは。そうだね。このまま仕事が上手くいけば、君に・・・」
男はそこで言葉に詰まると、女と目線を絡ませて顔を赤くした。
二人はそのまま時が止まったように見詰め合っていた。
な、何なのだ・・・この空気は・・・気分が悪い。気分が悪い。気分が悪い。
石畳が突然黒い沼に入れ替わってしまったみたいだ。どうして私がこんな場所にいなければならぬ?
どうして、どうして?
私はたまらなくなってその場を逃げ出した。来た道を靴が脱げるのも構わずに疾走する。
邸宅に戻ったときには衣服はボロボロになっていたが、レナの言葉も無視して自室に飛び込んで
鍵をかけた。

ベッドに顔をうずめてもう一度あの男と、女の顔を浮かべてみる。
男のことを考えると、胸が満たされる。
しかし、それとは反対に女のことを思い浮かべると信じられないほどに胸が軋んだ。
な、何故、私が逃げなければならぬ?
ど、どうして、こんな惨めな気持ちを抱かなければならないのだ?
再び男のことを考えると、指先が勝手に下着に伸びていた。
「あぅ・・・うぅ・・・んん・・あぅぁあ・・・」
泡の様に男の顔が浮かんでは消え、そのたびに指の動きは早さを増してゆく。
「あぁ・・・う・・・んぁ・・な、何故・・・っき・・・貴族の私が、あの男のことで、こんなことを、
せねば、ならぬ・・・んぅ・・・の・・・だ」
「こ、こんなこと・・・ほ、本当は・・・・しては、ならぬ、のに・・・」
思惑とは反対に、体は盛り上がっていく。
枕に口をつけて声を押し殺し、ベッドに四つんばいになりながら右の指を秘所に出し入れする。
気づけば背中は弧を描き、犬のように尻を突き出して無様にひぃひぃ啼いている自分がいた。
「だめ、だめ、だめ・・・・な・・・のぉ・・・・」
指は更に加速する。この指が、あの男の筆、いや、モノだと思って動かす。
「ひっ、ひっ・・・ひゃああああああ゛あ゛・・・・」
浮かんでは消え、頭を覆いつくして止まない男の顔が最後に優しく微笑んだかと思うと、
白い波が打ち寄せて思考ごと私を絶頂に攫っていった。
初めての自慰で達してしまった荒い呼吸を沈めていると、急激に醒めた思考が
あの女の顔と一緒に動き出した。

「・・・・・・彼奴の隣にいた、あの娘は、誰なのだ」
声帯は自分でも信じられないほど低い声を紡ぐ。
「あ、アイツは、私の隣にしかいてはならないのに。私の姿を描き続けなければならないのに。
私のことだけを考えながら筆を動かしていなければならないのに・・・・!!」
喉が勝手に狂気を吐き出す。胸の奥がくすぶって、心に黒い燭火が灯った。

「なぜ、なぜ、どうして・・・・?!!」

明かりの落ちた部屋で私は、一人あの女との関係を憂いで怨嗟を吐き続けていた。
答える男の姿は、どこにもない。


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