雪桜の舞う時に 第7回
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 久しぶりに私は幸せな気分になった。
 桧山さんが作ってくれたお弁当は天下を揺るがす美味さを秘めていた。
 思わず、私はリアクションで猫耳や尻尾まで出してしまいそうでしたか、
 何とかいつものにゃにゃーで済ませたので良かったと思います。
 感受性が高いとは言え、変なものに変化するのは良くないよ。
 放課後になると、私はさっさと帰宅をします。私を苛めている奴らに捕まってしまうと
 酷い目に遭わされるからです。
 帰りのホームルーム終了になると脱兎のように急いで下駄箱の方に向かいます。

 今日はあんな幸せなことがあったんだもの。ゴミ以下のカスカス連中に苛められて、
 不幸な日に書き換えられるのはゴメンです。
 桧山さんの至福の日々を今すぐ日記に書き込むためにも、私は疾走をしようとした途端に
 強い力で腕を掴まれた。 
 後ろを振り返ってみると、常に私を苛めていた主犯格の女子生徒が穢らしい笑顔を浮かべていた。
 その後は、いつものようにひと気のない校舎裏にまで強制的に連れて行かれてた。
 抗おうとしても、体格のいい男子生徒達にがっちしと腕を掴まれては
 かわよい女の子である私ではどうにもすることはできません。
 ただ、野蛮な暴力を振るわれるのはずっと待つだけ。

「あなた、あの2−B組の桧山と仲がいいんですってね」
「あんたなんかには関係ありません」
「もしかして、桧山が助けてくれたことを勘違いして想いを寄せているなら、
 おとなしくあきらめた方がいいわ」
「それは一体どういう意味ですかっっ!?」

 桧山さんと私の仲を切り裂こうとする主犯格の少女に殺意が沸騰した。
 私が唯一心を許せる相手に出会えたのにその全てを否定される同情で憐れむように
 私を見下す視線が何よりも許せませんでした。

「だって、桧山にはとても可愛い彼女がいるんだもん。
 あなたみたいな貧乏人が本当に好かれていると本当に思っていたのかしら?」

「えっ?」

 桧山さんに彼女?

 えっ?

 あれっ?

 そんなっ……

「そんなことあるわけありませんっっっっ!!」

「だったら、2−B組の東大寺瑠依に聞いてみればいいわ。桧山と付き合っているのかってね。
 彼女も困っているらしいわよ。
 彼氏が最近変なドラ猫に餌をあげているから、そのドラ猫が勘違いして
 懐いてくるかもしれないだって」
「う、う、そ、だ」

 桧山さんは何の取り柄もない私に一杯優しくしてくれた……。
 桧山さんのはにかむ笑顔が私の傷んだ心をいつも癒してくれた。
 ううん。私なんかを好きになってくれるはずがないのはわかっている。
 わかっているんだけど、感情は全く納得できませんよ。
 だって、私は桧山さんのことが、剛さんの事がこんなにも好きになってしまっていた。

 中学校の頃から苛められている私を助けてくれたのは彼だけだった。
 それからも、健気に私の事を心配してくれたのも桧山さん。一緒にいてくれたのも、桧山さん。
 そんな彼に惹かれるのは当然じゃありませんかっっっ!!
 桧山さんに彼女がいようといないが関係ない。
 この純粋で儚い想いだけはきっと私が勝ち得たものなんです。
 だから、こんな奴らに負けない。

「あはははっはははははははっはっはははははは」

「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」

 崩れてゆく理性のリミットが外れると私は限りない声で吠えるように叫んでいた。
 普段苛めているグループの人間たちなんかまるで恐くなかった。
 恐いのは桧山さんに捨てられること。
 ただ、それだけであった。

「あ、あなたねぇっっ。私たちにそんな偉そうな態度を取っていいと思ってんの? 
 子分A、子分B。懲らしめてあげなさいっっ!!」
 甲高い声と同時に男子生徒達は暴力を振り上げる。
 強烈な拳で顔を殴られ、躊躇なく私は彼らのサンドバック化する。
 私がやられる姿を女子生徒は楽しそうに笑っていた。
 私はただ我慢をしていた。
 早く終わりますようにとただ祈ることで痛みから逃げるのがいつもの私だった。

 けど、違う。

 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。

 念仏のように彼の名前を繰り返して呟く。名前を呼ぶだけで胸が暖かい気持ちになってゆく。
 幸せになれる。
 無限に続く暴力にも、私は耐えることができるっ!

 気を失った私に飽きてしまったのか、苛めグループたちはすでに去っていた。
 校舎裏で放置された私は衣服についた土を降り払うとあちこち痛めた箇所を手で押さえた。
 紫色のアザになっているところが多数あるものの、どうにか家に帰ってられそうである。
 結局、今日一日の最後も不幸になってしまった。
 あははははっ。一体何をやっているんでしょうね。
 泣きたい気持ちを抑えて、私は立ち上がろうとした時。
 普段は誰もやってこないひと気に生徒の姿を見かけました。
 それも、桧山さんとあの女がこっちに歩んできます。
 ど、ど、どうしようっっ!!
 こんなボロボロな姿を好きな男の子に絶対見せたくもないし、
 傷心しきっている私をライバルのあの女に見せるわけにもいかなかった。
 その辺にある茂みに隠れよう。
 痛む体に鞭を打って、私は二人がここに来ないように祈ります。
 でも、私の願いを聞き入れる神様は残酷にもいなかった。

 瑠依の風紀委員の見回りに付き合って、放課後はいろんな場所に連れ回されて
 校舎裏までやってきた。
 瑠依は常に機嫌が良いのか鼻歌混じりで俺の先頭を歩いていた。
 この場所に来ると思い出すのは雪桜さんと初めて出会ったことを思い出す。
 苛められた雪桜さんを俺が苛めグループから助けようとしたあの時のことを。
 あれから、雪桜さんは奴らに苛められているんだろうか
 せっかく、放課後はできるだけ一緒にいることで雪桜さんを苛めから助けようと思っていたのに。
 瑠依の風紀委員の臨時の手伝いを脅迫まがいに頼まれたおかげで。
 心配事は増える一方だってのに。
「剛君」
「ん?」
 瑠依が振り返って先程の機嫌のよい表情から一変して、真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「妹さんが、彩乃ちゃんがあの事件に巻き込まれて、もう5年だよね」
「あ、ああ。そうだな」
 それはとある事件で亡くなった妹の名前だった。
 亡くなった妹の事件の事を想うと、胸が鋭く突き刺さるように痛む。
 事件自体は風化しているが、失った存在は時間だけでは癒せない。
 だが、瑠依は何で今更そんな昔の事を話すのか理解できなかった。
「もう、5年も経ってしまったんだね。桜を見るたびにそう思わない?」
「5年ね」
 そう、5年も経ってしまったのだ。

 事件は5年前の春の季節に遡る。

 赤いランドセルを背負って大喜びしていた彩乃が事故に巻き込まれて亡くなってしまった。
 突然の報せに俺達家族や学校関係者が唖然とする事件が起きたのだ。
 小学校に入学したばかり新入生たちが集団下校している最中に猛スピードでトラックが
 突っ込んできた。
 歩道を歩いていた新入生達は無残に牽かれて、周囲は赤の景色へと染まってゆく。
 トラックの運転手は巻き込まれなかった新入生たちの群れにトラックで突っ込んだ。

 生存者を亡き者にして自分がやった犯行を隠すためか、
 何度も何度も新入生たちの死体を行き来して完全に息の根を止めるために繰り返した。
 隠蔽工作に集中していたためか、犯行途中に警察官達に囲まれて緊急逮捕された。
 この事件は当時マスコミやTVに騒がれて大事件へと変貌してゆく。

 無差別殺人事件の犯人である赤坂尚志被告は当然死刑を求刑されて、今でも裁判が続いている。

 事件の犠牲者として、桧山彩乃は慰霊碑に名前が刻み込まれている。
 妹が悲惨な事件に遭ってからはうちの家族は変わった。
 事件の事を忘れたいのか、彩乃がいたことを忘れてしまいたいのか、
 両親は仕事に没頭して家に帰ることが心底嫌がっているのだ。
 消えない心の傷を受けているのは両親や俺だけではないというのに。
 実の妹のように可愛がっていた瑠依もこの事件でどれ程のショックを受けたのか。
 でも、両親が忘れたいという気持ちを分からなくもない。

 俺は事件の事を小学校で話題になると何の考えもなしに突っ走っていた。
 彩乃が無事であるように祈りながら事故が遭った現場に無我夢中で辿り着いた先には。
 悪夢のような光景が待っていた。
 歩道だった場所には多数の新入生達の屍が赤い液体のアスファルトの上で倒れていた。
 人間の血というのは、これほどまでに赤かったのか?

 ここに倒れている人間であるモノはもう生きてはいないと小学生であった俺は悟った。
 警察官達に手錠の鎖で腕を縛られて連行されている中年のおじさんが俺の方を見つめて、
 にやりと微笑んだ。
 そいつがこの惨劇を起こした張本人だと気付くのはTVでニュ−スを犯人の顔を見てからであった。
 
 ただ、元気な妹の姿を探そうとしても事故現場には警察が到着しているから入れない。
 いや、悲惨な光景を目にしたおかげで俺は足が震えて探し出すことなんかできなかった。
 淀んでいる。
 赤く染まったモノ。
 理不尽な妹の死も犯人の殺戮も。
 何もかも淀んでいた。
 

 俺も両親同様に妹の彩乃の死を忘れたくて、最初からいないように扱った。
 自分は一人っ子だと無理矢理思い込みながらも、あの時の鮮血の光景が悪夢のように甦ってくる。
 それは現在進行中で続いているおかげで朝の目覚めはとことん悪い。

 だが、瑠依は今更そのような話を持ち掛けた意図は全くわからないが、
 彼女にとっても彩乃の死は衝撃的だったはずだ。
 なのに瑠依は真剣な表情で俺を見つめ続けてる。
 俺は瑠依から発する言葉に息を呑む。

「もう過去から解放されてもいいんじゃない?」

 蔓延なる笑顔を浮かべて振り返った際にスカートが揺れた。
 いつもの狂暴さが嘘のように虎の頬は真っ赤に染まってる。
 恥ずかしがり屋の瑠依が異性に対する免疫がないので、
 木の下で告白というベタな展開を狙っているなら、
 俺は躊躇なく屋上から飛び降りるぞ。

「剛君が5年間どれだけ苦しんでいたのかはいつも隣にいた私がよく知っているつもりだよ。
 だから、剛君は剛君の幸せを掴んでいいんだよ」
「瑠依……」
「今朝のお弁当の事はごめんなさい。私は雪桜さんに嫉妬していたかも。
 ううん、剛君が他の女の子と優しく接しているだけで嫉妬していた」
 瑠依の拳が力強く握り締められ、何から堪えるように顔は俯いて
 前髪が表情を隠すように覆っていた。
「本当に情けないよね。いつも一緒に剛君が隣にいてくれるって勘違いしていた。
 いつかは二人とも離れ離れになるのに。
 それに気付いたら、私の嫉妬なんかただの傲慢で剛君を締め付けるだけ存在になっていた」
「それはちょっと違うと思うぞ。瑠依の事は重荷にもなってないし、
 瑠依の嫉妬なんかまだまだ可愛い方だぞ」
「うん。ありがとう。でも、私は剛君が幸せになって欲しいから。
 雪桜さんと付き合う方が剛君にとってはいいんだよ」
「いや、待て。雪桜さんとはそういう関係じゃないって」
「私。わかってるから。剛君を選んだあの人ならきっと幸せになれると思うよ」

 いや、聞けよ。人の話。

「放課後の風紀委員の活動も今日で終わりにしといてあげる。
 ゆっくりと雪桜さんとの時間を楽しめばいいの」

 そう言い告げると瑠依は逃げるように疾走してゆく。
 追い掛けようと思ったが、俺と瑠依の曖昧な関係は終わってしまっているのだ。
 その決意をした瑠依の意気込みを裏切る行為だけは、俺はしたくなかった。

 ただ、気になったのは……。
 逃げ去ってゆく瑠依がどこか微笑んでいたのは気のせいだろうか?
 不気味すぎる。


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