雪桜の舞う時に 第6回
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 明け方の悪夢が夢だったのかのように、桧山家に静かな朝が訪れる。
 朝の5時に起床して、お弁当作りのために俺は台所で材料を刻んでいた。
 両親が家にいないことが多かったので、家事は慣れている。
 それなりに料理の上達できたのも、瑠依がしょちゅう晩飯を食べに来てくれた頃だろうか。
 
 誰かに料理を食べさせることを前提にして料理を作ると瑠依の好みの味や味付けに神経を使う。
 塩加減にも、気を遣わないといけないし、調味料の使いすぎもよくない。
 ただ、淡々と集中して作業をテキパキと地味に毎日繰り返したからこそ、今がある。
 でも、雪桜さんのためにお弁当を作るという意味では俺の手は僅かに震えていた。
 それは当然である。虎に喰わせる飯は残飯でも良いのだが、栄養不足で常にお腹を空かせている
 雪桜さんに家の残りをそのまま詰め合せてしまうわけにはいかない。
 
 なんとか、雪桜さんに好きそうなおかずをぶちこんで、今日は様子を見ないとな。
 いい匂いが台所中に充満すると、すでに朝の7時頃になっていた。
 俺は出来上がったおかずをお弁当に盛っていると玄関のドアがカランと鐘の音が鳴った。
 騒動しい足音を立てて、問答無用にこの家にやってこれるのは一人しかいない。
 隣に住んでいる餓えた虎が桧山家の食卓から食料を奪いにやってきたのである。

「おはよう。剛君」
「ああ。おはよう」
 瑠依の蔓延なる笑顔の挨拶も気にすることもなく、俺は目の前の作業に没頭する。
 瑠依は我が家同然にソファーに座って、テレビのスイッチを点けた。
 たまに瑠依が早朝からやってくるのも珍しくない。
 母親が朝食を作ってくれない時や気が向いた時とかにやってくる。
「剛君、お腹が空いたよ。早く、ごはんごはん」
「今、お弁当を盛り付けてるから、自分でその辺に残ったおかずでも食べてろ」
「へぇ、剛君がお弁当を作っているんだ。珍しいな」
「そりゃ、雪桜さんの分も作っているから、ついでに自分の分を作っているんだよ」
「えっ!?」
 瑠依が信じられないという表情を浮かべて、俺がいるキッチンにまでやってきた。
「雪桜さんのお弁当を作ってるの?」
「ああ。そうだよ」
「どうして、剛君が雪桜さんのお弁当を作らないといけないの?
 もしかして、無理矢理頼まれたんでしょう? だったら、私が強く断ってくるよ」
「バカ。そういうんじゃないよ。俺が好き勝手に作っているんだ。
 雪桜さんは普段からロクな物を食べてなさそうだし」
「だからって、おかしいよ剛君」

 こいつ、一体何に怒っているのかさっぱりとわからない。
 雪桜さんにお弁当を作ることに瑠依は憤慨している。
 これはさすがにお隣さんだからって、俺の交友関係にまで口を出してくるのはちょっと困る。
「別にいいだろ。瑠依には関係ないんだし」
「関係がない……?」
 俺が突き放すような口調で告げると、瑠依は茫然とその場に硬直して立ち尽くしている。
 無視して、弁当の盛り付けの作業を続けていると罵声が飛んだ。
「関係あるもんっっ!!」
 顔が紅潮して、そのつぶらな瞳を細くして睨むように瑠依は俺を見つめていた。
「私以外の女の子に優しくしないでよっっ!! ねえ、剛君。お願いだから、私だけを見てよ」
 テーブルに乗っているお弁当を乱暴に振り払って、お弁当は鈍い放物線を描いて
 ゆっくりと墜ちてゆく。
 豹変した瑠依の態度に驚愕してしまっている。
「うるさいうるさいうるさい。剛君のバカぁぁぁっっ!!」
 そう言って瑠依は立ち去ってゆく。残されたのは全く状況がわかっていない俺と
 床に落ちているお弁当だけであった。
「作り直している時間もないから、雪桜さんの分だけでいいか。
 俺は購買でパンとか買えばいいんだから」
 何事もなく俺はキッチンの後片付けに没頭する。
 瑠依の急な豹変は全く気にもしていない。俺が女の子にお弁当を作って、
 あいつが嫉妬するのは少しおかしい。
 そろそろ、あいつには俺離れが必要な時期かもしれんな。

 

 予想外だった。
 あんな風に自分を取り乱すことなんて予想すらしなかった。
 朝から夜までべったりと剛君の傍に離れないようにしようと思っていたのに。
 それが朝の出来事で思わず私の溜まっている想いを剛君にぶつけてしまった。
 もっと、私を見て欲しい。私だけに優しくして欲しい。それだけで良かったのに。
 剛君が雪桜志穂という女のお弁当を笑顔で作っている姿を見かけてしまったら、
 胸の内に溢れる醜い心が増幅した。

 これは、嫉妬ではなくて。殺意に等しい。

 私以外の女の子にお弁当を作るなんて、絶対に嫌。
 どうして、あの女にだけ優しくするのかな剛君。
 私がこれだけあなたのことを想っているんですよ。剛君にだけ私を独占して欲しいのに。
 所属している風紀委員の権力でメス猫の所在を徹底的に調べた。
 職員室にある個人的な情報から、在席している生徒たちの評価や評判。
 恐らく、手に入る限りの情報を集めた。

 それでわかったのはね。
 雪桜志穂というメス猫はクラスから嫌われ者であり、苛められている女の子。
 私も同学年の女子生徒が苛められている話を耳にしたことはあるが、まさかメス猫だったとは。
 苛めグループも先生たちにバレないように焼きを入れていることだし、剛君に近付かなければ、
 剛君から遠く引き離す程度で我慢しようと思っていたのに。
 今朝の一件で考え方を大きく変えた。
 メス猫が剛君に同情を引いて、誘惑する前にメス猫をとことん不幸な目に遭わせてやる。
 幸いなことにメス猫が苛めているリーダー格の少女とは私の友人だし、
 頼めば追い詰めてくれるだろう。

 ううん。

 苛めグループだけじゃあ物足りないよ。私の剛君を奪おうとする人間には
 学校に来られないようにぶちのめしてやる。
 クラス中から総苛めとかどうかな。てへっ。

 ふふふっっ。

 もう少しだよ。

 剛君に言い寄ってくる女は学校の風紀を護る私が追い払いますから。
 彼女はメス猫というよりは、ドラ猫に命名を変えた方がいいかもね。
 さてと学校に行って、友人たちに頼みまくりますか。

 屋上で俺と雪桜さんは仲良くランチタイムをとっていた。
 全くひと気のないこの場所は俺達以外に人がいないので貸切状態である。
 今朝の騒動で俺の分のお弁当は瑠依にメチャクチャにされたので、購買で適当に買ってきた。

「うわっ……。お弁当です。お弁当ですよ。桧山さんっっ!!」

 嬉しそうにはしゃいでる雪桜さんの笑顔を浮かべるだけで俺の朝の苦労とか、
 昼の激しい弱肉強食の争いを勝ち抜いて来たかいがある。
 俺も雪桜さんが横に並んで、買ってきたお昼を頂こうか。
 あの猛者達のおかげでまたまたコッペパンなんていうのを買ってきましたが、
 俺は負け犬野郎だから仕方ない。
 不味いコッペパンを食べようと口を開けようとするが、
 隣の雪桜さんが凝視しているので食べ辛い。

「桧山さんはお弁当じゃないんですか?」
「今朝は一人分で精一杯だったんだ」
 見え見えの嘘をついてみるが、雪桜さんは太陽の笑顔から北極の女王のように沈んでゆく。
「あ、あ、あの桧山さんが作ったお弁当だけど、できれば半分ぐらい食べませんか?」
「いや、いいよ。雪桜さんのために作ったんだから」
「はーい。あ〜ん」
「聞いちゃいねぇよオイ」

 雪桜さんが差し出された玉子焼き(自分で作った)を俺はしぶしぶ承知して、食べた。
 自分で作った味は充分に舌が覚えているはずなのだが、雪桜さんの箸で食べさされると
 愛情と間接キスをしている異常な胸のわだかまりのおかげで口の中に幸せが徐々に広がってゆく。
 こんな経験は本当に初めてだった。女の子に食べさせてもらうってことは
 俺の生きていた生涯にとってかけがえないのモノになるだろう。

「あ、あ、あ、あの。私にも食べさせてください」

 なんですとっっ!?
 白い肌を真っ赤に染めて、雪桜さんは恥かしそうにもじもじしながら目を瞑った。
 俺に口を差し出しているってことはまるでキスをしてくれと言わんばかりの
 甘い雰囲気になってしまっている。
 俺は震えた手付きでミートボールを掴むと恥かしい台詞を口にした。
「は、は〜い。あ〜ん」
 雪桜さんの小さな口に食べさすと、彼女はよく噛んで飲み込んだ。
 自分の手にほっぺたに当てると至福の表情を浮かべた。
「うにゃーーーー!! 桧山さんが作ってくれたミートボールおいしいにゃーー!!」

 そのミートボールは俺が作ったわけではなくて、
 冷凍から解凍して電子レンジで温めた物なんだけど。
 そういう突っ込みを入れる気にはなれなかった。
 雪桜さんの笑顔をずっと眺めていたかった。
 彼女の笑顔を見れば、俺の気持ちも穏やかになってゆくから。

「じゃあ、今度は桧山さんが私に食べさせてください。交互に食べてゆけば、
 お弁当も半分個になりますよ」 
 今度から、二人分のお弁当を作ろうとお昼に輝いているお星様に誓おう。
 昼休みはまだまだ長い。果たして、俺は正気を保っていられるだろうか?


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