雪桜の舞う時に 第10回
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 昼休みの屋上にて。
 俺こと、桧山剛は女の子から呼び出されていた。
 もちろん、告白されるような状況ではないことはわかっている。だって、その女の子は。
 雪桜さんを苛めていた主犯格だから。
 長い金髪の髪をストレートに伸ばしている白い肌の少女は悠然と風を気持ち良さそうに受けていた。
 この容姿ならどんな男でも容易く彼女の虜にしてしまう魔性を感じられる。

「私は雨霧雫と言います。初めましてというべきでしょうか? 桧山君?」
「あんたは雪桜さんを苛めていた主犯格だろ」
「ええ。そうだったわね」

 今朝、登校していた時に下駄箱の中に手紙が置かれていた。
 内容は雪桜志穂に関する件について話したいと言ったものであった。
 クラスから苛められている雪桜さんに友達がいるはずもないので、仲良くしている俺に
 警告するために苛めグループの呼び出しだと考えた。
 実際に来てみたらビンゴだったので雨霧雫に警戒しながらも慎重に言葉を選んで、俺は言った。

「一体、何の用なんだ?」
「だから、手紙に書かれている通りに雪桜志穂に関する件について話したいと言っているでしょう?
 もう、桧山君はせっかちだよね」
「だったら、さっさと話せよ」
「桧山君は雪桜志穂の境遇に同情しているから、いつも一緒にいようとしているよね?」
 雨霧雫の言葉に胸が突き刺さるような痛みを感じていた。
 そう、俺が今までやってきた事は単純に言い換えるなら『同情』という二文字で
 済んでしまうことなんだ。

「でも、雪桜が同情される価値もない女だったらどうする?」

 はあ? この女は一体何を言おうとしているのだ。
 俺の中では女神にまで祭り上げられている雪桜さんを侮辱するような事を言う奴は
 八つ裂きにされてもおかしくはない。

「桧山君も無関係じゃないわ。だって、私達とあなたの接点は小学生無差別殺傷事件の被害者家族
 なんだから。
 わかりやすく言いましょうか?
 雪桜志穂は、あの事件の殺人犯『赤坂尚志』の娘。

 赤坂志穂なんだから」

「なんだってっっ!!??」
「私たちはあの赤坂志穂の父親によって、大切な家族を奪われてしまったのよ。
 殺人犯の娘がのうのうと平和に暮らしているのが憎かった。
 だから、苛めたの。この世界に赤坂志穂の居場所がないと徹底的に教えるためにね」
「そんなは嘘だろ?」
 もちろん、俺はこの女の言葉なんか信じたくはなかった。
 だが、出会った頃の雪桜さんの言動を思い出すと謎解きパズルの最後が頭の中で綺麗に埋まってゆく。

 雪桜さんが人を避ける理由。

 雪桜さんが苛められていた理由。

 雪桜志穂が殺人犯の娘、『赤坂志穂』だったからだ。

「嘘じゃないわよ。私は中学校時代はあの雪桜志穂と同じ中学だったんだから。
 それに桧山君もあの殺人犯に妹を殺されたんでしょう?
 どうして、あの女が家族を殺した男の娘だと気付かなかったの?」
「それは……」
「雪桜志穂を苛めているグループの連中は赤坂尚志によって、可愛い弟や妹を殺されたの。
 あの事件のおかげでどれほどの幸せだった家庭が崩壊したのか、被害者家族の桧山君が
 わからないはずないでしょう!! 
 私のお母さんはマスコミの過熱した取材と息子を失った悲しみで極度の欝病になってしまったわ。
 何度、自殺未遂したのかすらわからない。
 グループにいる連中なんか、父親が極度ストレスに耐えられず、厳しい現実から逃げるために
 酒で気を紛らわす毎日を送ってる。
 アルコール依存症になって、働きもせずにお酒が飲むお金がなくなると家族に暴力を振るうのよ。
 その子の体があちこちが痛々しい痣を付けられてるのも。
 全ては赤坂尚志のせいなのよ!!」 

 感情的になった雨霧雫が流れる濁流のように零してゆく。
 今まで送ってきた人生を現すように彼女の取り乱し方は普通ではなかった。

「だから、その娘の『赤坂志穂』がのほほんと暮らしているのが私たちは気に入らないの。
 赤坂尚志は司法で裁きを受ける。だったら、私たちが殺人犯に復讐するために『赤坂志穂』を
 地獄の底に突き落とす。
 そのためには苦しんで苦しんで死んで欲しいと私たちは思っているんだよ」

 憎悪の瞳が真っすぐに俺を見つめている。黒く濁りながらもはっきりと強い意志に
 背中に悪寒が走った。

「でも、雪桜さんには何の罪はないじゃないか?」
「桧山君が雪桜志穂が実は赤坂尚志の娘、赤坂志穂だと知った今。
 同じ事が果たして言えるのでしょうか? 
 あなたの妹を殺した殺人犯の娘と仲良くしていたら、無惨に殺された妹さんが喜ぶと思うの?」
「ぐっ……」

 雨霧雫の言う通りであった。
 真っ赤に染まったアスファルトと無惨に散らばっている小学生の遺体の数々。
 その中には彩乃だって含まれていたはずなんだ。
 まだ、小学生だった彩乃があんな風に殺されていいはずがなかった。
 楽しいこと、悲しいこと、辛かったこと。自分で勝ち得た物。
 桧山彩乃はそれらを体験もせずに、あれほど楽しみにしていた小学校を一ヵ月足らずも通えずに
 死んでしまった。

 それから、俺の家族は狂った。

 家に帰ることがない父親と母親の帰り待つ俺は、彩乃が生きていた頃の家族の温もりを求めても
 二度と手に入ることがなかった。
 彩乃はいなかった人として扱われて、私物や彩乃がいた証を両親は全て捨て去ったのだ。
 悲しみから逃げ去るために。
 そう考えて行くと過去に置き去ったはずの怒りと憎しみが胸元に宿るような気がしていた。
 赤坂尚志が憎い。殺したいほど、憎い。その衝動が簡単に抑えきれない。
 このような気持ちで雪桜さんに会う、いや、今まで通りの付き合いは不可能だ。
 この理不尽な感情は雪桜さんを憎んでしまう。赤坂尚志の血縁者である、赤坂志穂まで
 殺したい気持ちになってくる。

「まだ、綺麗事を言うつもりかしら?」
「うるさい。俺はアンタ達とは違うんだ!!」

 何もかもわかりきった卑しい声が俺の心を狂わせてゆく。
 雪桜さんを憎めと。憎まないと、それはあの事件で死んでしまった被害者達にとっての裏切りだと。
 そうやって、雨霧雫は常に叫び続けてきた。最初から決められていた結論に俺を懐柔するために
 この屋上を呼び出されたと気付くのが遅かった。

「フフフッ。一体何が私たちと違うと言うのですか? 雪桜志穂を苛めている私たちと
 雪桜志穂に憎いと思い始めている桧山君と何が違うのかな」
「俺は……」
「私たちのグループに入りませんか? 同じ仇敵を持つ桧山君なら歓迎されると思いますよ。
 そして、赤坂尚志に復讐しましょう。あの女をとことん不幸な目に遭わせることが
 亡くなったあの子達の供養になりますよ」
「なるわけねぇだろうがっっ!!」
「返事は保留ということにしておきますね」
 ちょうどその言葉が言い終わる時に昼休みの終わりを告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「では。またお会いしましょう」
 悠然と振り返る背中に飛び蹴りを喰らわせたい気分になったが、俺は何とか踏み止まった。 
 雪桜さんを苛めるグループに入るつもりはないが、これ以上彼女と付き合う時間を持つことは
 ないだろう。
「雪桜さんに思い切って話すしかないか」
 これまでの友人関係を白紙にすることを。

 

 その話を境に雪桜さんが壊れてゆくことになろうとは
 俺はこの時は思いもよらなかった。


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