永遠の願い 第7話
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俺はとんでもないことをしてはいないだろうか?
そう考えるのは何も榊さんの約束を受け入れたという事実だけで語れるものじゃない。
別に、本当に後ろめたいことをしているわけじゃない。
榊さんを知らずに、答えを出すわけにいかないだろう。
もっとも、無理に榊さんなんかを知らずに晴海と本当に付き合う、などという選択肢は、
ずっと昔に考えたことのある妄想だ。
いざ、晴海と恋愛関係になる、という展開が、どうも頭の中にシミュレートされない。
いつもの俺たちの間柄が単に延長されるだけ、ではないか。
晴海はただ俺を案じて、俺のためにがんばるだけ。
そう、今日もまた、朝の弱い俺の目覚ましに、枕元に立つのだ。
「孝人ーっ、おきろーっ」
ばさっと、何かが捲れあがる音がする。
外は夜明けを通りすぎた明るい陽射しに照らされていた。
俺の上に通る冷ややかな風、それが晴海によって奪い取られた、俺の毛布たちと入れ代わりに
吹き込んだもの。
また今日も一日が始まる。苦手な朝の一風景と共に。
「っ……」
「孝人ー起きてよ、ねぇ〜」
今日は昨日よりは暖かい。だが、毛布を奪われて対応しきれない体は冷えた空気に体温を奪われる。
すぐそばに感じる気配は、とてもなじんだ人のもの。
「ぅぅ〜」
「早く起きようよ〜ね〜え〜」
手が俺の肩に当てられて、耳元に呼びかける声はけして大きなものじゃない。
だが、奪われた体温は俺の眠りを軽く妨げてくれて、意識はぼんやりと声の主を確認しようと
覚醒に向かいだす。
声の主は俺のことを覗き込みながら、しきりに俺の覚醒を確実なものにしようと肩を揺すった。
「おきたかなぁ?」
「ん、あぁ」
俺が目を覚まして、今日もまた普段と、いや、ちょっといつもと違う一日が始まる。
晴海のやつのテンションもいつもどおり。俺もいつもどおり着替えて、
焼いたパンを受け取って登校する。
時間はどうしても遅くなってしまい、晴海はまたぼやいて俺に早起きをうながす。
最近は晴海も無駄を知ってか朝食を作りおかなくなった。昔は俺が起きて
一緒に食べられるものと信じて作って待っていたようだが、ここのところはそれもない。
あたりまえといえばあたりまえか。
単純に食費がもったいないんだからな。
そういうところは申し訳ない気持ちがあるのだが、どうしても朝は早起きできない。
まったく、余計なところまで気を回すんだからな……
着替えと、今日はおにぎりか。
「今日こそはと思ってたのに。どうしてもだめなのかな」
制服を差し出して、そう申し出る晴海。
別に何か違うことがあるとかないとかいうわけではないが、
どこか力の入り具合がいつもと違う気がする。
制服を受けとり、ラップに包まれたおにぎりを適当にベッドにほうると、
おもむろに着替え始める。
衣類をベッドに投げ出しながら、下に手をかける。
「んー?」
「ぁ……」
あえて、突っ込まないでいるつもりだったが。
晴海はじっと俺を見つめたまま硬直してしまっていた。
「俺の生着替え見て楽しいか?」
「た、っ、ち、違うのっ! 何も言わずに脱ぎだすから、その」
「じゃあ見てていいぜ」
「そ、そんな、見てるのだめっ!」
と、晴海はあわてて俺の部屋を飛び出した。
見て減ったりするものでもないんだけどな。
そんないつものやりとりは、いつもの晴海がそこにいる、という事実だけを残していた。

なんの変化もない。
いつもの晴海だった。
俺はそんな晴海のテンションに、一切の厄介ごとを放り投げて彼女との登校に望む。
「よう、今日もラブラブだな」
「ああ、おまえらもさっさと落ち着けよ。一生童貞は寂しいぞ?」
「ちょ、ちょっとぉっ」
まあ、からかう男のひとりやふたりはいる。
晴海はそんなふうにからかっていくやつらに対していちいち赤面して真剣に答える。
そんないつもの風景が通り過ぎていく。
本当にのんびりとした歩みだ。
それだけは、いつもと全く変わらない成り行き。
俺は、そっと晴海を横目で見て、完全に茹であがってしまった頬を見つめながら、
今日起こり得るあらゆる可能性についてのことを考えていた。
そのひとつ。
ふと見かけた、小柄で華奢な少女の後姿。
昨日真正面に俺を見据えて、振り絞った勇気をぶつけてきた当事者である。
「おはよう」
何気に俺たちのほうが歩くのが速いのか、それとも、わざと遅く歩いていたのか。
同じ方向に学校に向かっていた。
昨日のあの告白がなければ、見過ごしていたであろう目立たない存在。
「おはようございます、孝人さん」
振り返って彼女は答えた。
「ああ、いつもこっちからなんだ?」
「はい、孝人さんはいつもこの時間なんですね」
榊さんの姿を見かけるなり、なんとなく声がうわずっているように思えたのは、気のせいだろう。
いつの間にか、榊さんが自分の左隣、つまり晴海のいる右隣とは反対側に肩を寄せていたのには、
割とすぐに気づいたが、あえてそれを咎める気にはなれなかった。
「ああ、あんまり朝は得意じゃないから、朝飯はパン1枚かおにぎり1個だ」
「お腹すきませんか?」
「そりゃ、すくさ。でも朝の甘いひとときに比べればそんなの小さい問題だって」
「朝の、甘い……」
「孝人……っ」
別に意識していないで口走った一言によって、榊さんも晴海も、とんだ勘違いをしているような。
何がどういけなかったのかを噛みしめるように思い出すが、
そんなエロトークに発展するようなことを言った覚えはなかった。
晴海が、ずっと俺の袖を掴んでいた。
くいくいと、ひっぱりながら。
ちょっと気まずくなってきた気がする。というか、今は晴海と一緒にいるときだろう、孝人。
IHHHを恐れるとかそういうわけではないが、晴海と二人でいる手前、
長いこと榊さんを留めておくのは気分がよくない。
「っと、これについてはまた後でな。急ぐぞ晴海」
「え、あ、うん、じゃあまた後でね榊さん」
「はい……」
晴海の手を引っ張り、俺は榊さんからはるか前方へ晴海とともに前進するために、
駆け足気味に歩みを進める。
榊さんの視線がやや気になるが、晴海の手前、八方美人でいることはできなかった。

昔から、晴海は俺が他の女の子と話すと不機嫌になった。
何の事はない、行事やなんかの必要事項を申し出られるにしても、
女の子からの話は大抵は晴海を介して俺に通達される。
何もそこまでやることはないんじゃないかと思ったのだが、晴海は
「いつも冗談ぶってるくせに、相方のヤキモチは考えないんですかー?」
と、嫌味半分に突っ返してくる。
最初はむすっとした晴海がかわいくて遊び半分に女の子に話し掛けまくったことがあったが、
ジョークと受け止めてもらえずにその日の夕食が地獄絵図になったことは、今でも忘れない。
あれから晴海も少しは俺が別の女の子と話すことも許容してくれてはいるようだが、
世話になっている手前、あまり晴海の目の前で浮かれた感情に正直になるのも気が引けた。
教室で、隣同士の席に座った俺と晴海。
1時間目は確か古文だったか。
実は、榊さんに声をかけたあと、教室に入ってくるまで、俺は晴海との会話を
完全に途切れさせてしまっていた。
しばらく、正面を向いたままぼうっと黒板を見ていた俺。
晴海はそのときどんなことを考えていたのかわからないままだったが。
授業の始まる本当に直前に、晴海が声をかけてきた。
「ねえ、孝人」
「なんだ?」
「今日のお昼……榊さんを呼んでいい?」
唐突だった。
晴海からの申し出だった。
明らかにそれは、今までの晴海からは考えにくい思い切りだった。
「ああ、俺はかまわないけど。3Pの相談?」
「……孝人、今日のご飯を炭にしちゃうよ?」
「悪い、笑えない冗談だな」
榊さんもまじえてのジョークに、晴海の青筋が見えた気がした。
言葉自体は、いつもの晴海のおっとり感のある口調なのだが、
その奥の闇は底知れず深く暗く恐ろしかった。
「そういうんじゃなくて。榊さんにちゃんとご挨拶して、いろいろ話しておきたいことがあるの」
「はいはい、それなら榊さんに俺が話し掛けたときに言えばよかっただろ?」
「その前に孝人先いっちゃったじゃない」
「あ、そうか……」
「ね、連絡とってもらえないかな?」
その闇がだんだんと遠のいていく。
晴海のいつもの穏やかさが戻ってくる気がした。
いつもながら、晴海に頼まれごとされるのは嫌な気がしない。
それは、なんだかんだで晴海のことを可愛いと思うからなのかもしれない。
恋愛とかそういうんじゃない、気に入っているという言葉が一番近い用法だと思われる。
俺は授業が始まる本当にぎりぎりのタイミングで、榊さんにメールを送信した。
送信ボタンを、押す。
すぐ横に、人の気配。
「桧木、授業始まるから、携帯しまえ」
「……っ」
古文の担当、宿題狂。睡眠電波発生装置。
その、容姿はというと。

長身、メガネ、セミロング。
胸は晴海のほうがあるだろうが、プロポーションなら負けていないだろう。
その容赦のない成績付けから、白夜叉と呼ばれてもいるこの学校の名物教諭。
広川州麻(ひろかわ すま)先生だった。

容姿から、彼女に気のある男性教諭のうわさは耐えない。
もっとも、州麻先生自身は潔癖気丈な人らしく、
そのガードの固さを崩せた男の話は聞いたことがない。
実際その授業に望む姿勢はさまざまに新しい教育方針を取り入れるなど斬新を狙っているが、
逆に本腰を入れるべき授業内容の退屈さには一切触れない。
単調な口調で淡々と黒板を埋めていくため、眠気に負ける戦死者は後をたたない。
それについて、州麻先生はひとことも咎めずに授業を進める。
それが生徒たちに休眠の時間を与えているのかと誰もが推測するのだが、
戦死する回数が多い人間の成績が3を上回る話を聞かない。
テストで90点台を取りながらも眠りの常習犯なやつが、容赦なく3を食らった話がある。
つまり……静かな先生ほど恐ろしいものはないということだ。
それについては、俺は無縁だと思う。
州麻先生の熱心さを無碍にするわけにはいかないから。

そんなこんなの名物教諭の授業も滞りなく終了し、
1時間目から眠りに落ちた多くの戦死者たちに哀悼の意を表した。
授業はひとつひとつ予定通りに行なわれて、お昼休みに入る。
晴海の要請による、榊さんの呼び出しについては。
「こちらこそ、喜んで承ります。場所は孝人さんが決めてください」
と二つ返事で了解を得ることが出来た。
木を隠すなら森の中ということわざにならい、俺と晴海は榊さんを屋上に呼んで、
昼食タイムに入ることにした。


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