永遠の願い 第3話
[bottom]

孝人さん。
心の中でそう呼んだ。
4月の青空はやや暖かかったけれど、まだまだ、その暖気は本気ではない。
桜の木は満開を過ぎたけれど、雨が降ればまた冷える。
寒いのは苦手。
体が冷えると、そのまま冷たくなってしまいそうだった。
孝人さんの側に、いつもいる村崎先輩とのこととか、孝人さん自身のこととか、
私が知っておかなければならないたくさんのことを知りたかった。
でも、それ以上に。
孝人さんをお慕いする気持ちをはっきりと告白したかった。
好き。
こんなに心が焦がれる思いは初めて。
ずっと父に厳しく躾られてきた私は、普段は本ばかり読んでいる面白みの無い暗い女に見られてる。
だからといって、習い事とかそういうのをしているわけでもなく、
そういうのはお金持ちのすることだといわれた。
実際、うちはそこまで裕福というわけではなかったし、一家の収入を支えた父は、5年前に他界した。
だから今は、ちょっと多めの借金に負われながら、細々生活をつないでる状態。
私は今、母と、姉との3人家族。
姉はすでに結婚して家を出ていて、今は母と私だけ。
母はもう40は過ぎているのに、まだまだ若い人には負けないぞとバイタリティ全開で
頑張っているようだけれど、私目に見て、ちょっと勘弁して欲しいところは多い。
癖なのかもしれないけれど、お風呂上りに下だけ隠して上を隠さずにリビングをうろつくのは
やめてほしい。
もし孝人さんを家に呼んだときにそれをやられたら、そんな中年太りしたぶよぶよの腹、
孝人さんがヒイてしまう。
未亡人とはいえ、すでにもう独身も同じなんだから、もっときりっとして、
適当に再婚相手とどこかに行って暮らしてくれるといい。
でないと。
きっと孝人さんとの生活に支障が出るから。

 

孝人さんは私の恩人だった。
階段を上り下りするのは、体力のない私にはとても重労働だった。
そこを、たくさんの本を抱いた状態で降りていったことで、足元の注意などなどを配慮できなくて、
あと数段のところで転げ落ちそうになってしまった。
我ながら、自分の分相応を省みない無謀極まりないそのときの行動を恥ずかしく思うけれど、
でもそんな投身が、彼との出会いを生んだのだと思うと、けしてそれが不運だったとは考えにくい。
足をくじいて動けなくなっていた私に気を使い、押し広げた本のヤマをまとめてくれて、
運ぶべき場所に運んで、私を保健室で手当てしてくれた。
ちょうど養護教師がいなかったので、彼が手当てをしてくれたんだけれど。
「きれいな足だね」
「そんなでもありませんよ」
「いや、数多く見てきた中でも相当上位ランクだな」
「かいかぶりです、そんなに誉められたら困ってしまいます」
湿布を当てて、包帯を巻いてくれる。
そういう器具、適当に使っていいのかと危惧したら、先輩は「役得、役得」といった。
普通そういうことはバカ正直にいうものじゃない。エロオヤジに見えてしまう。
きっと反射的に、口をついて出てしまった冗談だと思う。
でも、そんな自分の弱点すらも包み隠さずに開け広げる姿は、自分を抑えて隠してる私にとっては、
太陽のような暖かさと、まぶしい輝きをもっているよう。
孝人さん。
私を助けてくれたとき、すぐそばにいたのは、彼にべったりの幼なじみさん。
村崎晴海さんと紹介された。
晴海さんは余裕の笑みで、よろしくといっていた。
もちろん余裕だとかそういうのは私の勝手な思い込み、でも、あの人の目は私に
泥棒猫というレッテルを貼るにふさわしい、忌避のまなざしをしていた。
近寄るな、孝人さんは私のだ、おまえなんか付け入る隙間も無い。
そう、暗黙的に訴えているかのよう。
話をしていると、お二人と私は国語の担当が一緒で、その教師は自分の授業の最初の10分を
読書をする時間に当てていた。朝に読書の時間を作ることができないうちの学校の制度に、
一石を投じようとする試みらしい。
私は山の中から一冊ずつ、自分のオススメをお二人に渡した。
その本は図書館の蔵書だったが、10冊を一週間で読み終えてしまうから、
いつもいつも両手に抱えて持ち運んでいたから。
あとで、それらの本の次借りる人を彼らに変えてもらおうと思った。
私の趣味は読書と生け花で、学校にいるときはほぼリーディングマシーンになっている。
休み時間にはひまを見て本を読んでいる。
ライノベも純文学も目を通すし、推奨図書なるものも一通りチェックする。
推奨図書は押し付けがましい大人たちの理想でしかないところもあって、
私のような聖人君子ではない人間にはほぼ無縁。
せいぜい夏休みの読書感想文の課題のためにちょっと目を通すくらい。
でも、昔の文学も捨てたものじゃないから、実際そっちで感想を書くほうが多い。
もちろん、今の文章もたくさんいいところあるけれど、そっちで感想文を書くほど非常識じゃない。
最近の純文学の感想を書くとどうしても、エロスのことを外せなくなってしまうから。
そんな破廉恥な内容を送るような真似は、未成年の身でやる愚かさをよくよく理解しこれを封じる。
実際そのエロスは、官能小説ぎりぎりのラインで、どこまでも表現性を追及するような、
そういうテキストを見かけたから。
あんまり飾りすぎるとわけわからないとかそういうのあるけれど、
指で自分のをなぞるようになったのは、自慰をするエロスを見てしまったから。
最初は、ただ弄ってるのが良かっただけ、だったのに、あのとき、あの人に出会ってからは、
私の指先は彼の指先になっていた。
私があのとき、肌の温度を感じることができた、初めての父以外の男性。

桧木孝人さん。
ささやかな優しさと、ささやかなエロスと、深く深く包み込む暖かさと、どこまでも誠実なあの人は。
虜になるまでの時間をどこまでも短縮していた。
それは、ほとんど一目ぼれに近いもの。
いけない、と、何度言い聞かせたことか。
彼には村崎晴海さんがいる。晴海さんとは毎日、とても仲の良さそうな風景を見ている。
本当はまだ、付き合っていないことはみんな知っているのだけれど、
二人の仲をからかうのが好きな人たちの手で、たくさんゆがめられてしまっていて、
こんなぱっと出の知らない女が、突然孝人さんを好き、って名乗り出ようとしても、
それは完全に無いものにされてしまいそう。。
私が二人の間に割ってはいる権限は、実際あるはずがない。
ないから、夢を見て、夢を叶えたくて。
お手紙をしたためた。
だから今こうして私は、ちょっと暖かい、まだ寒いかもしれない空の下で、彼が来るのを待っている。
4時からの約束。
まだ、20分も経っていないのに、彼は時間一杯まで待つことも無く、私の目の前に現れた。
あのときと変わらない、あのときお会いしたときと変わらない、お慕いするままの姿だった。
「こんにちは、はじめまして」
丁寧にお辞儀を心がけ実践する。
「あ、どうも、はじめまして」
ちょっと、応対にとまどうようにぼそっと応じる孝人さん。
「私は後輩なんですから、肩の力抜いてください」
「それも、そうか。ってか、一度会ったことあるよな」
「はい、どこで出会ったか、覚えていますか?」
「そうだな……中庭で一緒にメシ食ったけか。ああ、それとも、図書館で
テスト勉強付き合った娘か、それとも……」
「足ひねったときに助けてくれたこですよ、先輩」
ジョークがジョークになってない。
それって、全部村崎さんとのことじゃないだろうか。
「足ひねった……ああ、あのときの」
すぐに先輩は思い出してくれた。
「はい、その節はお手数をおかけしました。ちゃんとしたお礼もできなくて申し訳ありません」
「ああいや、そんなに改まらなくても」
ちょっと堅苦しすぎるか。
私も、最敬礼の緊張を解くことにする。
「そうですね。じゃあ、私もすこし肩の力を抜かせていただきますね」
「そうしてくれ。先輩後輩ってだけでそれじゃあどっちも息詰まるだろ」
「はい」
「じゃあ、さっそく本題に入るか」
「は、はい」
本題、という単語にすぐ、ここに孝人さんを呼んだ理由が頭の中にリフレインする。
そう、告白という単語が。
はなから「ダメモト」である。
きっと、孝人さんは村崎さんのこと、好きだと思うから。
これでもしだめだったらいさぎよく身を退こう。
でも、もし猶予を与えてもらえたら……
「私、ずっと、先輩に出会ってから、先輩のことが頭の中から離れなくなってしまったんです。
先輩と付き合う日のことをずっと夢見るようになってしまったんです。
一目惚れって、実際にあるんだと、信じられませんけど、信じずにはいられませんでした。
だからその気持ちを、先輩にぶつけさせてください」
そう、この、あなたへの想いを。

「好きです。お付き合いはお友達からでもいいです。お返事は私のことを十分知ってからで
かまいませんけれど、できれば恋人として、お付き合いしたいです」

きっと、捨てられないと思うから……


[top] [Back][list][Next: 永遠の願い 第4話]

永遠の願い 第3話 inserted by FC2 system