永遠の願い 第1話
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朝の目覚めはいつも騒がしい。
寝ぼけ眼を擦らされる、やや不機嫌な目覚め。
それもこれも、別に頼んでやってもらっているわけではないんだが、
いつもいつもそうしてくれるからなんとなくそれに乗っかってしまっているだけ、
というのが本当のところだ。
と、何がどうしてどうなっているのかといえば、簡単に言えば「朝起こしに来るやつがいる」
ということなんだが。
「おーい、孝人おきろーっ」
さっそく、俺の上から毛布を剥ぎ取るその幼なじみ。
寒さと遠くなる日々とはいえ、まだまだ朝は俺の肌に寒い空気を流した。
実際、勘弁して欲しいなどと願っていたりなんかすると、まじめに遅刻し、連帯責任で
こいつまで迷惑をかけてしまう。
「ぅぅ、あとちょっとー」
「起きないと遅刻だぞー、今日もいい天気で、空気もすがすがしいよ」
「それはおまえだけだぁ……寝る」
「寝ちゃだめだってばっ、ほーらぁ」
俺の肩を揺する。
寝間着姿の俺、そのゆったりとした布地を押し上げるものに気を留める事も無く。
……無く、か。
「ん、ぁ……晴海、時間は?」
「8時10分前」
つまり7時50分。
いつまでも粘っているのも自分が情けないので、だまって体を起こすことにした。
時間からして、メシは昼までお預けだな。
と、思ったんだが。
「はい、制服。それと、食パンをトースターで焼いておいたから、マーガリン塗っておくね。
準備ができたら取りにきて」
「ん、わかった」
まったく、そんなところまでしっかり手を回すんだから、こいつもよくやると思うよ。本当に。
制服を俺が受け取ったのを確認して、その黒光りするようなストレートヘアを翻しながら、
幼なじみ……晴海は、部屋のドアノブに手をかける。
すんなり出るものと思っていたのだが。
「孝人、見せ付けないでよ、それ」
と、小声ではあるもののまるで俺に聞いて欲しいかのように、訴えをつぶやいた。
見せつける、という言葉自体は薄い。
だが、何をどう見せ付けているのかは、わかった。
「えろえろ」
ちょっとからかい半分にいってやった。
「それはどっちよーっ!」
もっとも、未だに収まらないそれを振りかざしたままじゃ仕方ない反論か。

晴海が部屋を出て、俺も着替えてかばんを手にとり、下に降りる。
彼女が言うとおりにマーガリンを塗った食パンを受け取った。
両親が同じ職場で共働き、普通なら今ごろ家にいついているのだが、今は出張で家を空けている。
重要なこと以外は連絡を取り合わなくてもやっていけるが、時折電話をかけては俺のことを案じてる。
一人息子の安否を気遣う、どこにでもいるうっとおしいくらい愛情を注ぐ両親だ。
その両親に、一切の世話を任されているのが、目の前にいる村崎晴海である。
「はい、時間あまりないから、かじりながら行こう」
晴海はもちろんいつでも行かれる格好だ。
俺も、もっと早く起きればもっと念入りに準備できるんだが、どうも朝は苦手だ。
早起きの誓いを何度破ったことか。
結局、晴海が起こすからいいや、みたいな諦めムードになっている気がしなくもない。
髭も寝癖も、今は自分でなんとかやってるが、よく晴海にそういうとこの手入れを怠っている
ぐうたらを叱られた。
だからいつも30分くらい前から粘っているようなんだが……いつも30分は寝過ごす。
なにやってんだかと思うが、逆を言えばそれも晴海に感謝しなければいけないことか。
マーガリンが塗り終えたパンをかじりながら、二人で玄関を出て外に向かう。
晴海の言うとおり、雲ひとつ無い快晴だった。

 

足取りはいつもとさして変わらない。
時間からして、歩けば間に合うくらいだ。
「思えば、もう2年になるんだね」
「ああ」
両親の出張のことを言っているんだろう。
そういえばかなり長引いている。
連絡をとっても、あちらのほうにだいぶ気に入られたのか、うちに帰ってくるのは
夏や冬の長期休暇のときくらいで、他はもうほとんどあちらの正社員のようなもの。
まったく、熱を入れるのも勝手だが、ちょっと長すぎないか?
ああ、転校とかの話も聞いたが、それは却下した。
もっと年下ならわからんでもないが、大学受験を控えているくらいの年齢なんだからと突っぱねた。
俺が断ったのはそういう理由ではあるんだが、あの両親は何を考えてか、あっさり承諾してしまった。
なにか裏があるのかと思ったが、あの二人、晴海と俺をもっと親密にしようとか考えているような
ふしがあったから、きっとそれに違いない。
間違っても、晴海は幼なじみだ。
それ以上でもそれ以下でもない、そんな怪しい関係なんか考えたこともない。
そりゃ。
「?」
晴海の体を見て思う。
こんな抜群のスタイルと豊かな胸と、他に類のない美貌、おまけに勉強も運動も料理も出来るなんて
できすぎた幼なじみだ。
親父はもちろんだが、おふくろも晴海と俺のことは大賛成のようだった。
まったくばかげてる。
はなから晴海はただの幼なじみ。人気はあるようだが、慣れきってしまって、そもそも近すぎる。
「もうちょっと早く起きてくれればいいんだけどね」
「仕方ないだろ、こればっかりは」
「ちゃんと努力すれば誰でもできることだよ? そうだ、夜寝る前に、明日何時に起きる、
っていう誓いをきちんとたてるといいかも」
「なんだよそれ」
「早起きできるおまじない」
女の子が好きそうな話だよな。
ほとんど呆れ半分に俺はその話に耳を傾ける。
半端な気持ちで受け応えするものだから、晴海はあまりいい気がしていないようなのだが。
「もう、一緒に朝ご飯食べたいのに」
細くつぶやいた、晴海の一言がやけに引っかかる。
「そんなに朝チュンしたいのか?」
エロジョークで返す。
「な、っ。べ、べつに、孝人がそうしたいなら、考えてもいいけど」
「おいおい」
本当にジョークなんだぞ、これ。
「冗談なんだよね?」
そう疑うわりに、だいぶまじまじと考えていたようなんだけど、晴海ちゃん。
実際、晴海がその生の柔肌を俺の腕の中に預けて、いい朝ね、なんていう夢を見たことは、
別に今日に始まったことじゃないんだが。
それはたんに、ヤリたい盛りの今の俺にとって、一番身近な女が晴海なんだから仕方ないだろう。
「まあな」
「もう、そんなにエッチなことばっかりいってるともてないぞ」
「別に、モテたって好きな人に好かれなきゃ意味ないし」
「はぁ、まったくそういうとこだけ現実的なんだから」
「それが俺なんだからいいだろ」
呆れてため息をついて。
その癖に、晴海はまったく俺に突っかからなかった。
なんというか、かゆいところに手が届くような、そんなカタルシスを与えてくれる晴海。
もう、何年幼なじみをやっているんだろう。
こうして通学路に、同じ学校の制服を見るようになっても、俺と晴海が連れ立って歩いているのは、
その流れに完全に溶け込んでしまった毎日の1風景になっていた。
何人かクラスメイトを見かけて、俺たちは挨拶していく。

追い抜くとか追い越されるとかそういう歩く速度の差が如実に現れながらも、
彼らの目に映る俺たちの姿は。
「おはよう、今日も朝チュンか?」
「まあな」
「ちょ、ちょっと、否定してよぉ」
と、ちょっと悪ノリのきいたやつにからかわれたりとか。
「おはよ〜っ、二人ともラブラブだね」
「うん、孝人とは毎日仲良くやってます」
「昨日の晩こいつはげしくってさ」
「な、な」
「ふふふ」
と、笑みを浮かべられたままどこぞの女生徒に勘違いされるとかは、もう日常の恒例行事。
別に付き合っているとかそういうんじゃないんだが、学内ではなんか、
「ベストカップルランキング」の上位、どころか、首位に立ってるんじゃないか、
とまで言われたことがある。
そういうつもりはないんだが、やはりそういうふうに見られるものなんだろうな。
そうして、通学路の道のりもあとは校門を踏み越えるのみ。
8時20分に、5分ほど前。
予鈴が鳴る頃には教室に入れていた。
「はぁ、もっとゆっくり学校に来たいよ」
「別に、今のままでもいいんじゃないか?」
「もう、そういう問題じゃないの。だって……」
「ん〜?」
「あんまり足早だと、朝の空気をちゃんと味わえないよ」
晴海は俺の隣に座って、カバンの中から教科書類を机に納めながら、一息ついて愚痴っていた。
なんというか、やはりというか。
こいつの幼なじみであることが、奇跡のように思える。
俺にはできすぎた人であり、もっと釣りあうやつがいてしかりなはずなんだが。
どうしてここまで良くしてくれるんだろうな。
そろそろ、俺じゃない、別の男に卒業して、そいつに尽くさないといけないんじゃないだろうか?
そう、考えてみたこともあったりしたが、なぜかそう踏み切って、彼女を送り出す勇気がなかった。
思えば、それだけがんばっている晴海に、ちゃんとしたお礼ができていない。
彼女に何か贈ってからでも、遅くは無いんじゃないか。
と、晴海を俺から離れさせるべきか否か、そんなことを考える理由も、
今俺が机の上に取り出した手紙が理由なんだが。
「さっきのラブレター?」
「ああ」
朝、俺の下駄箱にそっと忍ばせてあった、シンプルだが、けしていたずらなどではないと
いわんばかりの、やや厚みのある封書だった。
「見てもいい?」
「おいおい、それはいくらなんでも」
「ことと次第によっては相談に乗るよ?」
「あのな」
とんだおせっかいだ。
晴海は横目に俺を気遣っているが、シチュエーション的にラブレターだとしてもだ、
これが本当にラブレターであるという保証はない。
それは開けばわかるが。
「おまえは、自分がラブレター出したのを、他の、しかもそいつが仲のいい女にも読まれていたら
どんな気分だ?」
「あー、優しいな。でも、そういうところが孝人のいいところなんだけど。あ、私は大丈夫、
それならそれでいい度胸よ、って突っ走っちゃうから」
「さいですか。じゃあ勝手にしろ」
「そうさせていただきます」
結局、晴海のチェック付きで、俺はその手紙を読むことになった。
封書の中から出てきた手紙は、きれいな手書きの便箋を2枚、折りたたませていた。

縦書きに、すらすらと綴られたそのテキストは。
「突然このようなお手紙を差し出して申し訳ありません。
私は1年の榊幸奈(さかきゆきな)と申します」
幸奈、という部分に丁寧に振り仮名していた。
几帳面というか、気配り上手というか。
まるで晴海のそれを投影しているかのようだった。いや、晴海のやつは気心しれた俺に
ここまで配慮することはない気がするのだが。
しかし、この名前は別にまったく読めないってわけでもないだろうに。

「暖かいあなたの心遣いの数々、私のためにいろいろ手を尽くしてくださったこと、
本当に心から感謝しています。
あんなに優しくしてくれた先輩の手の厚みや、背中の広さや、首の太さが今でも心に残って離れません。
よもやこのようなところで、私の意中の人を見つけられるとは思っておりませんでしたので、
本当に驚きました。
いつもお隣にいらっしゃる、村崎さんのことは存じております。IHHHというファンクラブがある
ことも知っています。
私なんか、村崎さんに比べたら、全然冴えない、草葉の陰からそっと見守っているような
ささやかな女です。
でも、あなたのことを想うと胸が締め付けられるようで、でもいつも、あなたのことばかり
考えてしまいます。
長々と、変なことばかりを書いてすみません。
できれば、単刀直入な気持ちはじかに伝えたいです。
今日の放課後、4時、屋上で1時間だけ待ちます。
ご迷惑であれば、来てくれなくてもかまいません。そのときは、バカな私が抱いた淡い想いは
きっぱりあきらめます。
でもできればどうか、あなたのお返事を聞かせてください

桧木孝人様
                       榊幸奈」

おおまじめに、百歩譲っても、この内容をラブレターでないというやつはいない。
というか、こんな手の込んだいたずら書きをするやつもいない。
いや、いたずら書きなんかしたって、俺は晴海とこの方長いこと寄り添って
生きてきているようなもの、誰が俺なんかを罠に嵌めるものか。
つまり。
これは。
正真正銘のラブレターである。
「ふうん……孝人、一人虜にしちゃったんだ」
「虜って、いってもなぁ」
いつまでもその便箋を出しておくには忍びなくて、封書しなおして机にしまう。
晴海が、何かをいいかけて、俺がそれに受け応えするか否かのタイミングで、
担任がホームルームに入ってきて、授業のタイミングになった。


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