二等辺な三角関係 第6回
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 竹沢は実は依存症だけじゃなくて分裂病も患っているんじゃないか、そんなことを思う。
 でなきゃ二重人格だ。俺と一緒にいるときだけ第二の人格が表に出てくるんだ。
 「こ〜ちゃんそのクマおもしろいね〜、パンダみたいだよ」
 からからと笑うあどけない顔立ちの女は、俺が飛ばしている殺気を理解できないらしい。
 「だよなー、竹沢もそう思うだろ? 幸平、やっぱりお前どこからどう見てもパンダだぜ」
 黙れじ〜ちゃん。
 「そうじゃなきゃ極悪死刑囚のイカレた眼ね。何か病的なものを感じるわ」
 け〜ちゃん、アンタみたいなヤツとの仲を疑われたのが心から不快だよ。
 「こ〜ちゃん病院行き?」
 お前絶対喧嘩売ってんだろ?
 「しかも精神病院だな」
 ゆ〜ちゃん、それは違う。精神病院に行くべきは竹沢だ。
 「何かやってても精神鑑定で無罪かも」
 み〜ちゃんさり気に口悪いな。
 「それじゃあ世の怒れる群集の気が収まらないな」
 だからじ〜ちゃんは黙ってろ。
 井出淳から一字取ってじ〜ちゃん。
 お前のそのニックネームの面白さに比べたら、俺なんてペットボトルについてるみみっちい
 おまけストラップよりもつまらないないさ。
 「俺だって好きでこうなったんじゃないって理解してらっしゃるか? 皆さんはよ……」
 「パンダが何か言ってない?」
 「舐めちゃいけねえぞ……奴らはファンシーでもこもこしたナリのクセしてかなり強暴だ」
 「そりゃクマ科だからな」
 「ええっ! クマの仲間なのに笹食べてるの?」
 「それは進化の過程でいろいろと――」
 「クマ科のパンダにクマがあるなんて完璧じゃないか! 良かったな幸平!」
 「あたしの話まだ途中……」
 「ああもう勝手にしろ……」
 ここまで無様に弄られると反論する気も失せてくる。

 

 メンバーは男三、女三の計六人。
 隣同士で並んでいる縦列の男女別グループは偶に合体する。
 全員弁当組みなので昼飯を一緒に食う事も多い。
 今は授業と授業の短い間とはいえ、受験生の貴重な休み時間を浪費中だ。
 しかし竹沢も何でこんな似偏った呼び名を好き好んで使うんだ?
 誰が誰だかわからないだろう、これじゃあさ。

 「でっ、どうしてそんなことに? 寝たの何時?」
 グダグダな談笑に話題転換をもたらす役割はこのグループでは大抵決まっている。
 鈴木悠也、通称ゆ〜ちゃん。テンション低めだが話のわかる渋い男だ。
 伊達に将棋部で主将をしていたわけではない。風格あるね。後光が差してるよ。
 「四時過ぎまで半眼でパソコン凝視しながら文書作成をせっせとやっててさ……」
 日付が変わる直前まで通話していたせいで、だ。
 相手は言わずもがな、斜め前の席で人畜無害に咲いている向日葵。
 連続着信がなかった代わりに連続通話すること数時間。
 通話料は俺持ちじゃないからいいけどさ、時間はそうもいかねえんだよ。
 「その程度でそこまでいくってヤバいんじゃねえの? 体力なさ過ぎだろ。これだから
 三年間家に帰るだけの青春を過ごしたヤツはよー」
 じじいの戯言は無視。気遣えよ、友達を。
 中途半端に睡眠とってるから、かえって授業中寝れなくて辛いんだよ。
 今は逆にその眠気がぶり返してきてダウンしかかってるんだけど……。
 「そうか……新川君って三年間帰宅部だったよね?」
 「……ああ、そのせいで中央委員にさせられたんだし」
 み〜ちゃんのみは天野美貴の美貴。
 自己主張は少なめだが、基本的に流れに沿った発言をする常識人。
 質問に俺は、春の委員会決めでの無所属への風当たりの強さを思い出す。
 「うわあ、それは大変だ。寝不足もそうだし、同情するよ」
 「暇人が忙しくなっていいことじゃない」
 け〜ちゃんは以前紹介したとおり、セカンドネームが圭だから。
 元バスケ部、その部員はほとんどが大雑把でガサツで気さく。偏見なしにこいつも該当。以上。
 それにしても声が大きいんだよ……。寝不足の頭痛が悪化するからもっと静かに話してくれ。
 しかも体調不良の人を捕まえて何て言い草だ。
 「本橋は天野の爪の垢を煎じて飲め。そうだこの際、天野になれ。そっちの方が俺も幸せだ」

 「こ〜ちゃんはみ〜ちゃんがお気に入りだねえ」

 ……しまった。怒りに任せて口が滑った。
 ほんわかした言い回しにぞくりとするのはもう脊髄反射だ。
 心なしか『お気に入り』のアクセントが一段階強い。
 本日放課後の問い詰めの話題に追加オーダー。
 「やったねみ〜ちゃん」
 「あんまり嬉しくないかな……」
 「まあ例えみたいなものだから……」
 微妙に本音が混じってそうなところにちょっと傷付くが、これで何とか上手く軌道修正を――
 「本橋が天野の女の子っぽさを見習ったほうがいいとは俺も思うぜ。
 いや、セクハラとかじゃなくてさ。本橋と話していると何か……」
 しかし、ナチュラルに暴露トークを開始した老害のせいで、俺の思惑は大きく外れてしまう。
 「男友達みたい?」
 「自覚してるのか……」
 「自覚してたんだ……」
 悠也と天野のダブルパンチ。
 普段そういうことを言わない人間からのイメージのほうが大きいんだろう。
 さすがにゴーイングマイウェイの本橋も肩を落としてガックリしてみせる。
 「やっぱり男から見ると、美貴みたく料理上手でお淑やかのが気に入るんだろうけどさ……」
 「そんなことはな――」
 そこから先を言わせては――
 「幸平が惚れ込むほどの腕前だしな」

 何てことをっ! だからお前は黙ればよかったんだっ!!!

 もはや淳の存在自体が余計に思えてきた。
 お前が言ったことは『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』クラスの失言なんだぞ。
 革命起こされて断頭台で処刑されてもおかしくないんだぞ。
 「こ〜ちゃん感激してたもんね」
 ああ……もうだめだ。
 この弾んだ科白の裏に隠された真意にどうして誰も気付かない?
 ……いや、俺だってほとんど聞き分けられないけどさ。
 「……あれは天野が自炊してるって言うから、味見で食べたわけで……」
 これと浮気の言い訳がどう違うか、無知な俺には全くわからないな。
 「『足が綺麗に外側にカールしてる。見た目完璧にたこだな。これは美味そうだ……。ん?
 いいのか? なら一つ……美味いな。湯で加減も塩加減も完璧じゃないの?
 他のメニューも豪華だな……。これを全部天野一人で作ったのか……信じられないな。
 俺、料理できる人はそれだけで尊敬に値すると思うよ』
 ――大絶賛オール十点で百点満点な褒め殺しだねっ!」

 にこっ。

 

 つい感動して饒舌になってしまった当時の俺を恨む。
 無垢な笑顔が……恐い。
 般若の前で立ち竦む。そんな純粋な恐怖とは違う恐ろしさがある。
 どちらかと言えばあやし方のわからない赤ん坊を抱えている感覚に近い。
 つまり、何時泣かれるか気が気でないってことだ。
 ……頼むから我慢してくれよ。
 分裂病でも二重人格でもいいから誰かに竹沢の二面性がバレるのだけは避けたい。
 教室でくっ付いてたらバカップルどころか社会不適合者だ。
 しかも片方が泣いてるなんて俺がクズな彼氏みたいじゃないか。
 ……まあ確かに俺のせいではあるんだけどさ。
 全面的に罪を認めても情状酌量の余地は少ないと思えてきたんだよな……。
 むしろ、竹沢にも落ち度があるような……、あるに決まっているような……。

 「おい、幸平。幸平?」
 今更になって責任の所在に不安になってきた俺を悠也が呼び戻した。
 「何?」
 「その調子で授業大丈夫なのか? 居眠りなんかしてたら受験生の心構えが足りないとかで、
 みっちりと苛められるぞ」
 「問題ないって。ただ考え事してただけだ。それでどうした?」
 次は英語。延々と問題演習をする授業は現状では確かに脅威だが、乗り切るしかない。
 「お客さん」
 短く単語だけ言って悠也は入り口を指差す。
 慣れない三年のフロアでも物怖じせず、その冷静沈着さに狂いはない。
 端整な顔立ちと大和撫子な髪型のその女子生徒は、
 「麻衣実ちゃんか」
 「誰なの? 上履き青だし二年生だよね」
 「げっ、可愛いじゃん! しかも名前にちゃん付けかよっ?」
 「雫ならともかく新川がそんな呼び方してるなんて……。しかも年下で可愛くて性格も
 しっかりしてそうな上玉。そうか……これが奇跡か。初体験だわ……」
 「早く行ってやったらどうなんだ?」
 四者四様のリアクションが返ってくる。
 「だ〜れ〜?」
 いや、お前は知ってるだろ。俺と麻衣実ちゃんについては何度も揉めたし。
 それとも印刷室の扉越しに声を聞いただけだったのか?
 それもありえない話じゃないけど、声だけであそこまで騒がれるのも参るな。
 「委員の後輩だよ。少なくとも俺の分の弁当も持参してくれるような仲じゃない」
 取り敢えず紹介しておく。
 用件は業務連絡が妥当だろう。
 タイミングがいい、今日から現場復帰できる事を伝えておこう。
 山ほどある謝罪と感謝はその時になってからゆっくりとだ。

 「俺様クールな男を気取ってる新川がちゃん付けで? 嘘はいけないわねー、
 裏でコッソリ付き合ってんでしょ?」
 「古傷が痛むなあ……。前の彼女のこと思い出しちまった。幸平、お前は幸せになれよ」
 「……お前らそれやってて楽しい?」
 半ば呆れながら席を立った俺は麻衣実ちゃんのところへと――

 くいっ。

 行けなかった。
 「あれっ?」
 脇腹に圧迫感。引っ張られていて前に進めない。
 悪い予感がある。そして予感とは悪い時だけ当たるものだ。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 今、本橋と淳は誰と誰を恋人扱いした?

 緊張が空気を変える。
 その影響下にあるのは俺だけだが、他人じゃないならそのことに意味はない。
 嫌な汗が噴出してじっとりとシャツを濡らす。
 脈拍が速くなる。鼓動が胸を叩いている。
 冗談にしては笑うどころか心臓発作でも起こしてしまいそうなブラックジョーク。
 俺は機械のごとくぎこちなく振り返る。

 ……最悪だ。これなら人格間の区切りがはっきりしているほうがずっとマシじゃねえか。

 ――竹沢が、俺のワイシャツの裾を引っ張っている。


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