二等辺な三角関係 第5回
[bottom]

 「中央委員は何やってたわけ? 先週の定例会議、誰も出てこないとか困るんだけど?」
 俺がそのことを思い出したのは、帰り際の昇降口だった。
 いきなり呼び止めてきたご立腹の生徒会長にそう言われるまで、完全に忘れていたのだ。
 しまったと思ったのが顔に出てしまったのだろう、わざとらしい溜息を吐かれた。
 「全く以て使えないわね……。もう少しで任期終了なんだから無駄に仕事増やさないで」
 「悪かった……。それで、結局資料のほうは大丈夫だったのか?」
 あれはあの日の前日に印刷して、麻衣実ちゃんが持っていたはずだ。
 彼女が資料を渡していないならば、下手すると定例会議自体中止したのかもしれない。
 「そっちは問題なかったわ。――資料だけ置いて帰るのもいい根性してるけどね」
 高飛車女の嫌味は無視する。
 まったく、こいつがいなければ俺は3割り増しで生徒会が好きになれるだろうに。
 「そうか、ならよかった……」
 「よくないわ。――これ、埋め合わせでやっておいて頂戴」
 したり顔でディスクケースを手渡す辺り、委員の欠席によって特に問題が起きなかったのは
 事実らしい。この女は余計な労力をかけることを何より嫌っていて、
 もしそうなら怒鳴るくらいはするだろうから。
 それに麻衣実ちゃんが先週の手落ちにまだ謝罪していないとは考えられない。
 「ラベルは……、来期生徒会選挙立候補者の応募用紙か。期日は?」
 「明日の朝よ。じゃあ頼めるかしら、委員長さん?」
 偉ぶった態度がどこまでも気に障るが、落ち度がこちらにあるので仕方がない。
 むしろ、それがわかっててデカイ態度でいるんだろうけどな。
 不本意ながらケースをカバンにしまう。

 念押しまでされたのに、俺は会議に出なかった。
 俺は向けられた信頼を蹴飛ばし、責任を放棄した。
 麻衣実ちゃんが怒って帰ってしまったのも無理はない。
 こいつにパシられるのはきっと神様が俺に与えた罰だろう。

 「遅くなっちまったが、後で麻衣実ちゃんに電話で謝っておかないとな……」
 「ついでに文句の一つも浴びせておいてよね。でないとアタシの気が晴れないから」
 推薦入試の評価を上げるために立候補したと公言する会長。
 麻衣実ちゃんとは天と地ほどの差があるその後姿を見送りつつ、俺は靴を取る。
 ……あんなのを見ていると麻衣身ちゃんがどれだけいい子かよく分かるな。

 「お話終わった?」
 「……おっと」
 竹沢は昇降口を出てすぐのところで待っていた。
 面倒なのに捕まってしまったので先に行かせたのだ。
 「こ〜ちゃんと初めて帰れるねえ〜」
 向日葵のように眩しい喜色満面。
 竹沢をマスコットと俺が評す所以。
 何も知らないクラスメイトにとって、竹沢は見ているだけで元気が出てくる存在だ。
 それは竹沢の依存癖を知っている俺も例外ではない。
 思わず、会長のせいで覚えた苛立ちが吹き飛んでしまう。

 「そうやってずっと笑っていてくれたら助かるんだけどな?」

 ――なのに竹沢は、

 「無理だよ」

 その笑顔を寂しげな微笑に変えてしまう。

 「こ〜ちゃんに見捨てられると思うと恐いよ。とっても恐いよ。――だからわたしはね」

 パールホワイトの携帯を開き、液晶画面の数字の並びを見せる。

 「一晩中わたしとお話して欲しいんだよ。――後輩さんとじゃなくて」

 ――緩んだ頬はあっという間に引き攣ってしまった。

 会長は恋人どころか友達としてだって対象外だぜ……。そう警戒してくれるなよ……。

 盗み聞き、だろう。俺が麻衣身ちゃんに電話を入れると言ったのを聞いたらしい。

 告白から約一週間。
 竹沢の侵食は広がっている。
 それも眼を見張るスピードで。
 『放課後』の解釈が翌日の放課後までに変わってしまうのはそう遠くないかもしれない。
 現にとうとう今日は一緒に帰る事を押し切られてしまっている。
 竹沢がクラスの中でも理性的でいられる限界は近いかもしれない。

 最近では俺が他の女子と話しているだけで怯えているように思える。
 そのせいで、今週からは麻衣実ちゃんに頭を下げて、委員の仕事も完全休業。
 やはり直接の原因である娘といるのは、どう考えても竹沢を刺激しそうだったから。
 だから会議のことを聞く機会もなく、思い出せずにいた。
 麻衣実ちゃんも言ってくれれば……、俺を責めてくれればいいのに……。
 理由も言わず、働きもせず、そんなんでは黙って許してくれる彼女に申し訳が立たない。

 「こ〜ちゃんの声が聞けるなら寂しくないし、たくさん安心できるよ」

 俺の苦悩を気にも留めず、竹沢は自己完結してる。

 たった一度。そうたった一度なんだ。
 俺と見ず知らずの後輩の仲良さげな会話を聞いただけで、竹沢は半狂乱になった。

 そして、タガが外れてしまった。壊れてしまった。狂ってしまった。

 元来の人格は善人だと思う。
 しかし、そこに依存と恋愛が混ざると簡単に歪みが生じてしまう。
 孤独感と嫉妬心がセットになっていて、それが竹沢を暴走へと駆り立ててしまう。

 ――――これじゃあ現状維持の選択肢も消滅かな。

 強張った顔に貼り付いた苦笑いが偉く滑稽だ。

 「それにとっても大切な話だからこ〜ちゃんも聞きたいと思うんだ」
 逃げ道をなくした俺を竹沢はさらに追い込む。

 笑顔で信頼と愛情をばら撒く。

 「わたしはね、これでもかなり気を遣ってきたんだよ?」
 「何を、……言ってるんだ?」
 脈絡のなさについていけない。
 これじゃあまるで精神病患者だ。

 ――いや、馬鹿か俺は、依存症は精神病のお友達みたいなものだろうが。

 

 「そんな恐い顔しないで……。わたし頑張ったから……、……頑張ってきたから」

 泣き顔で依存と嫉妬をぶちまける。

 「わたしたちが二人でいるために、……わたしは頑張ってきたんだよ」

 わからない。何もかもがわからない。
 こいつの考えている事は全部わからない。

 「………初めて優しくされてから、ずっとずっとずぅぅぅぅぅぅと、我慢してきたんだよ…………」

 だから何をだ。

 「……えへへへへぇ〜」

 断言する。お前の脳みそは溶けている。

 「だからね、わたしは知ってたんだよ。知ってたから鍵をかけるようにしたの」

 鍵? 教室の鍵のことか?

 「……誰かがいるのはわかってた。毎日のように扉の向こうに立っていたんだよ?」

 誰だそいつは? 頭のおかしなヤツをこれ以上俺の側に増やすな……っ。

 「結局、扉を開ける勇気はなかったみたいだね。そのせいでなかなか顔が見えなくて
 大変だったんだあ。……でもね、今週になってからは扉を開けたりはしないんだけど、
 ガラスにぴったりくっ付いてて……、それでちょっとずつわかってきて……、
 ……やっと今日特定できたんだよ……」

 誰だ? 誰だ? 誰なんだ? 言うなら早く言ってくれっ!

 「その人に、こ〜ちゃんを取られるのが恐かったから……。すっごくすっごく恐かったから……。
 頭の中が真っ白になって、膝ががくがく震えて、お腹がきりきり痛くて、涙が溢れてきて、
 辛くて辛くて堪らなかったから……」

 ――――――もう、いい。

 「……寂しかったんだと思うんだ。それはわたしもわかるんだ。だけど……だけどね、それでも
 わたしはわたしが寂しくなるのだけは……、こ〜ちゃんがいなくなるのだけは……」

 お前の理屈は―――――――――――――――――――――――最高に意味不明だ。

 「だからその人を今夜、こ〜ちゃんに教えてあげる」

 ……………。

 「こ〜ちゃんとわたしの仲を覗き見するようなわるい人はこ〜ちゃんも嫌いだよね?」

 ……………。

 ……………。

 ……………。

 「ねっ? 嫌いになってくれるよね? ……そう、だよね……?」

 ……………。

 ……………。

 ……………。

 「……そっ、う、だっ、よね?」

 ――これは狡猾な悪魔の誘いなのか。あるいは愚かしき救世主待望なのか。
 それともそれ以外の何かなのか。

 「……ちっ」
 小さく舌打ち。
 もし竹沢に聞かれたら、しがみ付かれて引き摺りながら帰ることになるのは確実だ。
 なのに悪態をついてしまう苛立ちをどうか察して欲しい。

 奇しくも場所は正門。その状態はこの前と微塵も変わらない。
 手を差し出す人物は、俺がイエスと言わなければ、ただ悲痛なまでに懇願するのみ。
 わかっていた。本当は全部わかっていた。
 これが『依存される』の真の意味だと。

 あの魅惑的な少女が、俺に全てを預けている。

 ここまで心が揺れ動くのは、決して竹沢の依存症を悪化させた罪悪感ではからではない。
 投げ出せない関係者の責任感ですらない。
 意味不明? ふざけるな。こんな明確な意思表示があるか。
 一言でオーケーだ。

 あなたがわたしのすべてです。

 ――一蓮托生はゴメンだが、重荷を半身に積まれるぐらいは……甘んじて受けよう。

 いい加減、それくらいまでには俺も傾いてきてしまっている。
 寄りかかってこられたら、傾くのは摂理だ。

 それは、
 ここまで鮮烈な想いを受けた者の定めでもある。
 ここまで激烈な好意を向けられた者の義務でもある。
 告白の返事は別にして、俺は正しいことをしていると思う。

 「……そんな恐怖体験談なんかよりは、雑談をしたほうがよっぽどマシだな。携帯を貸してくれ。
 番号とアドレスを登録する。俺のもそうしておいてくれ。
 ――コールもメールも好きなときにどうぞ」

 「ほん、とう……?」
 信じられない、そう言わんばかりの呆けた顔で竹沢は言う。
 「……俺は無責任に嘘は吐かないと約束するよ」
 こんなこと宣言しちゃってさ、どうするつもりなんだろう。

 携帯を取り出し、竹沢のデコに押し当てる。
 漂っていた負の気配が消え、にこりと、再び竹沢が向日葵の笑顔を見せる。

 「……そっか、こ〜ちゃんがそう言うならわたしはそれでいいと思うな。
 でも、こ〜ちゃんとお喋りし放題か〜。ありそうでなかったなぁ。普段はみんなと一緒だし、
 放課後は一応勉強するのがメインだったし。しかもダイレクトコールだよ。すごいな、嬉しいな」

 

 半強制的に友達以上恋人未満のポジションに志願させられたようなものだ。
 ここから先、線引きを誤ることがあれば、きっと俺は竹沢と共倒れだろう。
 絶妙なバランスで、まるで天秤量りのように、錘を乗せ間違えれば即振り切ってしまう。
 俺達はギリギリの均衡で成り立つ関係。

 だが――、俺もそうあっさりと取り込まれるわけにはいかない。
 竹沢を立ち直らせる当初の目的を忘れたわけではない。
 せめて日常生活を円滑に過ごせる程度にはしておかないと……。

 「代わりと言っては何だけどな……、麻衣実ちゃんと仕事したりするのは大目に見てくれ。
 他の女子と話すぐらいもな。その分、二人のときは好きなだけ構ってやるから。なっ?」
 「………………やだよ」
 間があったが、はっきりとした拒絶。
 初っ端からこれじゃ気が滅入ってくるな……。
 「……どうしてもか?」
 「……どうしても。こ〜ちゃんが他の女の子と一緒にいるのは嫌だよ。こ〜ちゃんが
 わたし以外の誰かと仲良くしてると胸が痛いよ。……寂しくて死んじゃうよ……」
 強めに言っても効果なし。
 それどころかその度にこうして喚かれるのか。
 どこまで鬱陶しくなれば気が済むんだよ……。
 こんなんじゃ掲げた決意があっという間に挫けちまうぞ。

 「そうか……、なら携帯の話はなしだ」

 一転、竹沢に激しい動揺が走る。
 小刻みに震え、世界の終わりのような顔をする。
 依存症には飴と鞭が効果抜群なのを俺は知っている。
 高レベル依存娘と約三週間も対話していればそれぐらいわかって当然だ。

 「だめだめだめ! だめだよこ〜ちゃんっ。お願いだよ……、お願いだから……。
 ……ごめんなさい。……本当にごめんなさい……。……ゆるしてっ、くだ、さい。
 みずでないっ、でくだざいっ……」
 俺の携帯を握った手を胸の前で大事そうに抱き、取られまいと体を屈める。
 なのに涙ながらに語るのは謙りきった哀願。

 ――本当に、本当に厄介な女だなあ……。

 「……竹沢が約束を守ってくれるなら、……この条件は外せないぞ?」
 「……ぐすっ、うん、わかった。守るね……。ありがとぉ……、こ〜ちゃん……」

 ――それでも、それでもこいつを見捨てられない。
 支えてやると決めたなら、この重圧に耐えねばならない。
 長時間支えてやれる自身は全然ない。
 明日にでも逃げ出したくなっているかもしれない。逃げているかもしれない。
 ……ああ、そんなヤツを抱え込んでやらなきゃいけないんだ……。
 もし三分に一回とかのペースで着信されたら堪らないなあ……。
 それってまるっきりストーカーだよなあ……。

 リアルに最悪な想像に眩暈がする。
 しかしそれは織り込み済みでなければならないのか。
 竹沢の番号の着メロは、リラックス効果のある曲にしよう。
 睡眠増強剤のクラシック群から聞き覚えのあるのをいくつかリストアップする。
 逃げる時は逃げればいいじゃないかと、自分を騙すようにして納得させる。
 けれどその思考の合間に俺は思う。

 俺の精神が挫けるのは、意志が折れてしまうのは、果たして何時なのかね?

 我ながらそれは偉く壺に嵌まる皮肉だった。


[top] [Back][list][Next: 二等辺な三角関係 第6回]

二等辺な三角関係 第5回 inserted by FC2 system