疾走 第21話A
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 再び、俺の自由を完全に奪った先輩は、ふらふらと部屋から去った。
 失敗してしまった、という確信。
 けれど、ここで嘘の言葉で武装してしまうのは……、どうしても、出来なかった。
(けど先輩、なんで、わかってくれないんだ、よ)
 駄目って……言ったのに。
 と――足音が、また、近付く。
「ふ、ぅふ、ふっ」
 なにを笑ってるんだ……っ?
「……、む――ぅっ!?」
 戻ってきた先輩は、俺の意識を砕いた道具……、フライパンを、持っていた。
 後頭部の痛みが、ずきりと、よみがえる。
(なんだよ、おい、そんなモノ、持ってきて、どうする)
 どうするって……、はは、は。
 ここがキッチンでない以上、あれに残される他の用途は。
「治療、ち、血血、治療の、時間ですよぉ、エースケくん」
 その凶器をぶらぶらと片腕で弄びながら、そんな台詞を、いたり先輩は言った。
 は、ぁ……っ?
 フライパンぶらつかせながら、ち、治療って……。
(治療が、必要なのは――先輩じゃないかっ!)
 そんな俺の叫びも、口を塞がれては内心に消えるのみだった。
「これでがんがん、あたま叩いたら、あの……あんな、女のこと、忘れるんじゃないかなあって、
 思ったんですよ」
 駄目だ。
「そ、そしたら、ぁ、エースケくん、私のことだけ、見てくれますし、ぇ、へへ」
 いたり先輩は――。
 もう、駄目なんだ。
「ぅ、む……ぅ、ぅ」
 それは違うと、俺は涙目になっているのを自覚しつつ、首を振る。
 違う、その手段だけは間違っている、気付いて、気付いてくれ先輩、頼むから……っ!
「……うん? ぁはは、エースケくん、すっごく嫌がってる」
 い、嫌に決まってるだろう……っ!?
 下手したら、今度は、し、死ぬかもしれないのに、誰が好き好んでフライパンで頭殴られ……っ!
「大丈夫ですよぉ。注射と同じで、……目をつぶっていれば、すぐに終わりますから」
 お、俺の人生が、終わるって、それ。
 いたり先輩が、歩み寄ってくる。
 動けない俺は……、飛来するだろう痛みを想像して、震えるだけだった。

「忘れろ、ぉっ!」
 あまり加減せず、それを、エースケくんの頭に振るう。
 右に左に、あわせて交互にエースケくんの横顔も揺れる。
「忘れろ、忘れろ、あんな、あんな害虫、忘れて、忘れて……ぇっ!」
 額が割れて、鮮血が流れる。
 構わない。
 それくらいやらないと、十分ではないだろうから。
「ぅ、あ、あは、ははっ」
 のってきました。
 お腹にも、一撃入れておきましょう。
「ふ、は、はぁ」
 お腹、お腹、あたま、お腹、あたまお腹お腹あたま――。
「げ、ひ、ひひぃ、ふ、うへぁははははははははははははははぁあっ!」

 

 至理の、治療という名前の暴力は。
 一時間ほど、ほぼ休息無しで、瑛丞を痛めつけた。

 

 

「ぁ、はっ、はっ、ぁ、はっ」
 鼓動の音が、うるさい、です。
 見下ろせば……椅子に繋がれたまま、横に倒れている、エースケくんが、いる。
 興奮する。濡れる。
 ぴくぴくと弱々しく震えている様子が……いじめられた小犬みたいで、すごく。
「か、わいい、ぅ、ふふ、ふ」
 食べちゃいたい。
 けれど――抑える。まだ治療は、終わっていない。待機する必要が、あった。
 とりあえず。
 朝まで、エースケくんを、見ていようか……。

 

 そして朝。
 苦しそうに目覚めたエースケくんを確認してから、朝食を用意する。
「はい、エースケくんの」
 言って、それらを床に置く。
 ぎゅるるるぅ、という、空腹の音がエースケくんのお腹から響く。
 手足と口を動かせないエースケくんには、その空腹を満たすことは、まあ無理なんですけど。
 黙ったまま、朝食を眺めるだけのエースケくんを尻目に、私は笑顔で朝食をいただく。
「エースケくん、食べないんですか……っ? ぅふ、ふ」
 そんな質問を、知らず投げていた。

 

 さて、風邪は気付いたら全快していたので、今日は登校します。
 エースケくんは、……まあ、手足はちゃんと縛り直したし、ガムテープも張り替えた。
 大丈夫だと思う。
 昼休みに、さくちゃんに話しかけられる。
「昨日はエースケくん、来てくれたんでしょっ! で、どうだったわけさっ!? ん、んっ?」
「あはは、うん……それは秘密、かな」
 まさかそのまま監禁しちゃったとは言えません。

 時計を見上げる……あ、もう四時をまわってる。
 ひねっていた首を、もとに戻す。
 椅子と一緒に倒れたまま、ずっと、おれは耐えていた。
 それは空腹だったり、のどの渇きだったり……、そして。
(やばい、やばい、まずい、ぞ、これ)
 にょういだったり……。
 部屋の蒸し暑さだったり。
(あついし、体中、痛いし、痛い、ぅ、痛い、よぉ)
 あたまは割れるみたいに痛い。意識がちゃんとさだまらない。ふわふわする。
 痛いのは、いやだ。ぅ、う……ぅう。
 おれ……馬鹿、泣いてる場合じゃない、ぅ、ちくしょうぅ……っ。

 ガチャリ。

(っ! ひ、ぃいっ……!)
 いたり先輩、帰ってきたのか……っ?
(いやだ、もういたいのはいやだ、いや、ひぃ、ぅ、あ、うぐぅ……っ)
 うごいてくれ……、よ。
 もう……なぐられたくないよ、いやだよ。
 たすけてよ、だれか。

 かえって来るなり、先輩はガムテープをはがしてくれた。
 のどが渇いたというと。
「ん、むぁ……ちゅ、む」
 口移しで、みずを飲ませてくれた。
 とても、きもちがわるい、けれど。
 蒸し暑い部屋で死にそうだったおれには、その行為をこばむことが、できなかった。。
 その後、椅子を立たせて、先輩は俺の真正面に座り。
「じゃあ質問しますよっ? ――エースケくんの好きな人は誰ですか」
 まっすぐにおれをみつめて、問いかけられる。
 おれの、好きな人。
 それは――。
「ゆ、」
 あ、違う、しまった。
「――えと、いたり、先輩です」
「……ふうん」
 しっぱいした。
 いたり先輩……すごく、こわい顔、してる。わらってるけど、こわい。
「エースケくん……、ねえっ? 最初、ゆ、とか言わなかった、かな……っ?」
「い、いってない、いって、ないです」
「言ったよね」
「ちがう、ちがいま――っ」
「言ったよっ! 私には聞こえたっ!」
 頬から、響く音が広がる。
 平手でたたかれた。
「駄目だなあエースケくんは。今日もたくさん、たたかないとね」
「そ、そんな、いや、やだ、いやだっ」
「あはは。泣いてるエースケくんも、可愛いよ」
 そん、な。きょうも、いっぱい、たたかれるのか……っ?
 再びガムテープで口を塞がれる。
 こわい、いや、やだ、ぃ、や……ぁ、う。

 

「あ……、エースケくん。おもらししちゃったの……っ?」
「しょうがないなあ、私がふいてあげるね」
「くすくす……そんなに泣いちゃって、赤ちゃんみたいだね……エーちゃんっ?」

 

 ぅ、うう、ぅう。
 うあ、あ……っ、ああ、ぅ。


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