疾走 第19話A
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 思えば――。
 俺は、過剰に怖がり過ぎちゃ、いないだろうか。
 いたり先輩の……はにかんだ笑顔が脳裏を過ぎり、俺は――っ。
「じゃ、じゃあ、さっそく放課後寄って、渡しておきます」
 言った。
 そして決意を胸に。
 今日こそは、ちゃんと、いたり先輩が、『有華と俺が付き合っている』という事実を
 受け止めてくれるまで。
 きちんと、俺が納得させないと。
 嘘を重ねるのは――今日で最後だと、誓おう。
「あ、あのぅ、それで、生方先輩に聞きたいことが……っ」
「うんっ? なにかな」
 可愛らしく小首を傾げる生方先輩に、俺は適当な理由を吐き出す。
 まだいたり先輩のお家にお邪魔したことがないので、住所がわからない。などと。
「なので、教えてもらえませんか、すみませんけど」
「ふぅ――ん。なるほど」
 腕を組みつつ、しきりに頷きながら。
「まだ密室で二人っきりというシチュエーションには至っていない、と」
「は、……ぁ?」
 なにを仰る、生方さんよっ……?
 バシッと背中を平手で叩かれる。
「いやぁ――っ。清い、清いね、エースケくんっ。わたしは大好きだよ、誠実な男はっ!」
「はあ……ぁ、ありがとう、ございます」
 褒められてしまうことにも――罪悪感が、ちくりと。
 はあ。
 とにかく、快くいたり先輩の住所を、わざわざ地図まで書いて教えてくれた生方先輩は、
 元気に走り去っていった。
 家のマンションからは……結構距離があるな。
 多分帰るのはおそくなるだろう。それは覚悟しておく。

 放課後。
 友人らの誘いは即行で断わり、とにかく急いで校門を抜ける。
 有華は――よし、今日は俺が早かった。
(携帯の電源も切って……っ、と)
 有華に、何処へ向かうのかと問い質されると厄介だからな。
 理由を説明するのは、いたり先輩に納得してもらってからでも、大丈夫な……はずだ。
 うん。
 間に有華が割り込んできたら、もっと悪化がひどくなりそう、だから。
「さて」
 地図を確認する。――うん、ふにゃふにゃの線がおどっているだけだと最初は思ったけど、
 辛うじて理解できる。
 マンションの八階か……俺は一階だから、高いところは新鮮だな。
「あ……っ、お見舞いなんだから、なにか買っていかないと」
 馬鹿か俺は、緊張してそんなことまで忘れてしまっている。
 反省するように髪を掻き毟りながら、歩き出す。
 さて、なにがいいかな――。

 風邪にはビタミンCがいいよ、などと言われているが……医学的にはビタミンCをはじめ、
 特定の栄養素が風邪の予防に効果があることは、実証されていなかったりする、らしい。
 だいたい今更予防して、それは無意味なのでは……と、考えなくも、なかったが。
 とりあえずキウイとか――豊富そうなやつを見繕った。
「ちゃんと飯食ってるかなあ……っ」
 ぽつりと呟く。
 ほとんど家では独りらしいし……だるくても栄養は摂取しないと。
 無意識に消化のよいレシピを思いつつ――歩いていたときだった。
 何か。
 首筋が――ぞくりと、する。
「……ぅ、んっ?」
 結構な人混み。振り返る。
 ――っ、っ!?
 俺はかけあしで――近くの本屋に飛び込んだ。自動のドアをくぐる。
 入り口に近い雑誌のコーナーで、適当なモノを手に、……しばし、それに視線を落としてから。
 透明なドアの向こうを……、上目でうかがう。
 そこには――ぁっ。
「……な、んで……っ?」

 

 有華が。
 きょろきょろと、首を巡らしながら……歩いていた。

 

 

 雑誌をすぐさま定位置に戻すと、奥に引っ込む。
 果物の入ったビニールの袋の音がうるさい。
 気付けば……左右の棚には、文庫の本が。
 ――ここは一番の奥。これより先には、どうやっても……抜けられない。
 と、とにかく、ビニールの袋は、鞄の中にしまって……っ?
 はあ、ぁっ?
 いや落ち着けよ、だいたいあれ、本当に有華だったか。人違いじゃ、ないのか。
 第一有華だったとして――何故俺は、本屋の奥にまで、移動しやがったっ……?
 見つかるのが……怖かったっ、か?
(なんで、だよ、ははっ)
 見つかっちゃったら、しょうがない。正直に事情を話せば、いいだけじゃないか。
 そこで、思い出す。
 例の誓いに――やたらと高圧的な、近頃の有華の態度。
(駄目だ、駄目だって)
 順風に物事を進めるためにも……俺は、とにかく、有華とばったり出くわしちゃ、いけない。
 脳味噌の奥底で……警鐘が響いてくる。
 本棚の陰から、入り口の方向をうかがってみる。――自然に、チラッと視線を……っ。
「……ぅ、あっ?」
 本屋に来ているというのに、それらには見向きもしない、少女がいた。
 歩みは真っ直ぐに。けれど視線はあちこちまどわせつつ。
 有華が――確実に、近付いて……い、る。

 おかしいなあ。
 急にエー兄の背中が見えなくなった地点には、この本屋のあたりだったから……っ、
 ここに入ったのは、確実だと思うんだけど。
 それにしても……驚いたなあ。
 あたしを待たずに――校門を走り抜けるエー兄を、見ちゃったときは、さ。
 急ぎつつ、かつ勘付かれずに追跡するの、苦労するんだからね……もぅ。
 さてと。
 さっさと首根っこ掴んで……っ、何処に、あたしに黙って何処に行こうとしてたのか、
 問い質さないとね。
 また、ごめんなさいって言わないとね……ふふ、エー兄ぃ。
 だって……そうでしょ。
 ――彼女のあたしをほったらかしで、他の女と会おうとしてた、
 なんて可能性も大いにありえるんだから。
 あたしの、心労の責任は……きちんと、償って、もらわないと。
 だから。
 出て来てよ……ね、エー兄ぃ……っ?

「は、ぁあっ……」
 盛大に、吐息を漏らす。
 本棚の死角を利用して、なんとか抜け出し、それからはほぼ全力の疾走だ。
 それにしても――間抜けだ、俺は。
 こんなことなら、怪しまれても構わないから、先に有華へ嘘の用事でも伝えておけば、よかった。
 まさか……追跡されていた、なんて。
 後ろを――黙って、背中に視線を固定しながら、歩く。
(あ、れ……っ?)
 デジャビュ。
 ――いや、いや……違うよ、違うさ、うん。
 でも俺は……有華から、逃げたんだよな……っ?
 や、やっぱり、理由はちゃんと説明するべきだったよな……畜生、俺の阿呆っ。
 しかしくやんでも……おそい。
 とにかくだ。
 もう、いたり先輩のマンションは――目前だ。
「……よ、しっ」
 ちゃんと、今日で嘘を終わらせようっ。
 それだけは達成しなければ、ならないことだ。
 ――歩き出す。

 

 そうして。
 阿良川瑛丞は――。

 

 いって、しまうのだった。


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