疾走 第11話
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 有華はしきりに、俺の手の甲の一件を登校中に謝った。
 俺は大丈夫を連呼していた。実際、さほど深く肉は抉れてはいなかったし……。
 出血も、すぐにおさまった。
 それよりも……俺には、こんな微量の出血なんかよりも、恐れていることがあったのだから。
 有華の――誓いだ。
 手と手が溶けて混ざり合ったイメージ。離れれば繋がった部分は千切れて、出血する。
 ……噴水が如く、鮮血が舞う。
 あまりにも強制的な……言葉の羅列。極端が過ぎる。
 狂気さえ垣間見えた今朝の有華の様子に――いつかの、誰かの姿が……一瞬だけ重なった。
「……ははっ。違うさ、違うって」
 ちょっと独占したい欲が露呈してしまうのは……人間なら、おかしいことではないのだ、別に。
 むしろ、可愛いじゃないか……っ。ははっ……俺なんかとずっと一緒にって……っ?
「あ――らかわぁ――エ――スケくぅ――んっ!」
「ぶはっ」
 昼休みの教室に、突如俺を呼ぶ誰かの叫び。
 さて弁当を征服してやろうとまずはボトルから水分を補給していた俺は、
 それらを吸収する以前に吐き出してしまう。
 そんな漫画的リアクションを催すほどに、でっかい声だったのだ。
「呼んでるぞエースケ」
「言われなくてもわかるわっ」
 口元を拭いつつ、教室のドアに視線を投げる。
 見ると――見知らぬ女子がそこに立っていた。教室のあらゆる場所に視線を這わせながら、
「お前はもう包囲されている――っ!」なんて叫んでいる。
 左右に結った髪が交互に揺れている。背丈は結構高い。
 全体的にほっそりとした印象であるが……うん、その、胸は大きかったりした。
 と、とにかくっ。落ち着きという要素が見るからに欠落していそうな感じの、そんな生徒である。
「包囲されたな、エースケ」
「ああ……っ。どうやらここまでのようだな」
 意味がわからんがな。
 喧しいその女子をさっさと追い出せというニュアンスが含まれる視線が、俺に集中する。
 ……阿良川瑛丞に、逃げ場はないようだ。
「あの、俺が阿良川ですけど」
「おおうっ。ようやく現れたねっ! そっかそっか、君がエースケくんかいっ!」
 ひたすらに快活である。耳を塞ぎたいが失礼だろうか。
「それでなんの用事で……っ」
「ちょこっと君に聞きたいことがあったりするわけさっ! ちょっと、屋上まで行こうね、うんっ」
「ええっ……? あの、質問ならここでもいいじゃないです――っ」
「問答が無用なのさ――っ!」
 なにやら意味のわからん言葉を迸らせると、有無を言わせず、そのお方は俺の手を引っ掴んで
 走り出した。
 ――走っている最中も、何故か笑っている、不思議な女子である。

 今日も今日とて、屋上である。
 嫌でも昨日のことを思い出してしまうので、正直来たくなかった。なかったのだが……っ。
「し、し、しんどっ……ぜぇ……っ……はあっ」
「体力無いのね少年っ! 駄目だよ、もっとタフネスに人生歩まないと」
 あんたはタフ過ぎる……っ!
 ようやく呼吸が落ち着いてきたところで、
「あの、ところで、あなたのお名前は……っ?」
「ああっ。名乗ってなかったね……ええっと、いたりの友達で、
 生方錯耶(うぶかた さくや)って言う者だよ」
 ――いたり先輩の、友達で、生方……っ?
 ああ、先輩から何度か聞いたな、その名前――ここ数日の出来事が過激過ぎて、
 すっかり忘れてしまっていた。
 しかしこうして会うのは初めてだった。
「呼ぶのは結構ですけど、もうちょっと静かにお願いしますよ、生方先輩っ……!」
「悪いね、ごめんごめん。一日一回はああやって叫ばないと、なんかこう、落ち着かなくてねっ!
 あははっ」
 言いながら、髪を揺らしてげらげら笑い出す。地面をばんばん足で叩きながらだ。
 ……全然落ち着いてませんよねって突っ込むところだろうか、ここは。
「それで……話ってのは、その」
「そそっ。いたりの事だよ」
 あの嗤いを、思い出してしまう。
 努めて無表情に……っ。この人は無関係なので、要らぬ心配はかけない。
「……今朝。登校して、後ろの席のいたりを見たとき、すっごい驚いたんだ」
「――何に、ですか」
「聞いてよっ! イメージ変えるためなのかよくわかんないけど、髪型変えてたんだよね、いたり」
 嬉しそうに……生方先輩は言った。
「これはあれだね……っ。わたしは直感しちゃったよ、エースケくん」
「ちょ、直感っ?」
「いたりの彼氏たる君の趣向に合わせたんだって、もうすぐに閃いたさっ!」
 ――はあ……っ!?
 ちょっと、生方先輩……いま、なんて、言った……っ?
「でえ、ちょこっと親友の彼氏を生で拝むのと、わたしの直感が正解なのか確かめるために、
 いたりに内緒で君を呼び出したって――っ」
「ま、まって、ください」
 うん――っ? などと、首を傾げられてしまう。
「俺が、いたり先輩の彼氏って……だ、誰が、そんなこと言ったんですか……っ?」
「ふい……っ? 誰って、そりゃ君ね」
 やだなあ、って、耳の裏を掻きながら。
「いたり本人に決まってるじゃんっ! もう、今朝だっていたりってば、君の話しかしなくてね――」

 一瞬地面が消失したみたいに……俺は愕然とした。
 昨日あれだけの否定を直撃させたにも、関わらず……っ。

 いたり先輩は……何も、諦めていなかった。

 

 瑛丞も生方も、気付いていない。
 きちんと閉めたはずの屋上へのドアが――僅かに開いていることを。


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