疾走 第4話
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 ――言った。
 ははは……すごいなあ、人間の顔って、こんなに熱くなるんだ……っ。
 あたし、かまずにちゃんと言えたよね?
 すきだって。
 付き合って、くれませんか――うん、言えたはず。
 時間がどれだけ経過したのか、あたしの麻痺している脳味噌は伝えてくれない。
 ただ――告白を投げてからずっと、エー兄とあたしは、見詰め合っていた。
 やばい……泣きそうだよ。
 努めて表情が崩れないようにしているけど……。
「……はははっ」
 ――えっ。
 エー兄……なに、笑ってんの……っ?
 あたしは、何かしらの答えをエー兄は与えてくれるだろうと信じていた。
 なのに――。
 おかしくないかな……っ? だって普通、告白されたら――驚くのは理解できるけど、
 笑うってのは、ない。
「うは、はははっ……! し、神妙な顔してなにを言うのかと思えばお前――っ!
 わかった、俺の負けだっ」
「あう……っ? エ、エー兄……なに、言ってるの……っ?」
 負けって――なんの勝負なの。
「いやいや、遂にお前の冗談に爆笑する瞬間が到来するとは……。
 うむ、もうお前に教えることは何もないなっ!」
 冗談。
 ――だって?
 頭蓋に氷を詰め込まれたみたいに――思考も、火照る頬も、冷えていく。
 エー兄は、うんうんと、勝手に納得したように頷いていた。
「タイミングもばっちり。真顔ってのもポイントだったな。いやいや、
 お前のお笑いのセンスには正直脱帽し――」
 渾身の力を、両腕に込めて。
 あたしはテーブルを、叩いた。

 バン――っ!

 陽気にぺらぺらと喋っていた俺を、その耳障りな騒音が停止させる。
 今までさんざん一人で笑っていたから気付けなかったが――なんだろう、なんか、空気が重苦しい。
 有華は、両手をテーブルに叩き付けた姿勢のまま、硬直していた。
「ど、どうしたんだよ、有華」
 俺は面白かったから褒めたんだけど……。なんだ、評価する部分が違ったか?
「――冗談じゃ、ないもん」
「……えっ」
「なんだ、よぉ――っ」
 教科書を持ち上げると、それを――。
「うがっ」
 投擲しやがった。
 見事顔面に直撃した。――こいつ、物は大事にしろと何度言えばっ!
「お、お前、教科書は投げるもんじゃ……」
「――ねえっ! なにがおかしいのっ!?」
 有華が、俯かせていた表情を、真っ直ぐにした。
 ――っ!?
「お前……なに、泣いてるんだ、よ」
 笑顔が似合ってるんだから、お前には……。
 だから俺は、急に地面が消え失せたみたいに……焦ったんだ。

「泣くよ、あたしだってっ!」
 狼狽する俺を尻目に、有華の逆上はエスカレートする。
 おいおい……なんなんだよ、落ち着けって。
「と、とにかく落ち着けっ。座れって」
「なによぉ……っ! あたしがエー兄のこと好きなのが、なにがおかしいのよっ!
 言ってよ、ちゃんとわかりやすくっ!」
 有華の四肢は、震えていた。
 そして――その泣き顔が……いつかの誰かと、重なる。
(いたり……先輩っ)
 そう。
 今の有華と、あの屋上での先輩が――ひどく重なって、網膜が捉える。
「すごいいっぱい、もともとからっきしな勇気振り絞って言ったのに――それがなによ、
 冗談の一言で、片付けられて……っ!」
「あ……っ」
 ――じゃあ、なんだ?
 さっきの告白は、有華の渾身の冗談などではなく――極めて真剣な、恋慕の告白だってっ?
 嘘だろう……でも、それが真実だとしたら、俺は。
(なんて……ひどいことを、言いやがったんだ……俺って、馬鹿はっ)
 有華の、勇気を。
 笑いながら踏みにじった……んだ、俺は。
「ひっ……えっ……うっく……」
 涙が、有華の顎を伝って、フローリングの床に落下しては弾ける。
 あの一つ一つが――俺の責任だ。
「ゆ、有華……。あの、その、俺は――」
「うるさい、黙ってよぉ――っ!」
 鼓動が早まる。
 馬鹿か……っ! 俺は、今にも壊れそうな、か弱い少女に怯えている。
「――もう何も、エー兄の口から、聞きたくない……っ」
 それを言うと、有華は自分の筆記用具と教科書を拾う。
 手伝おうと立ち上がりかけるが――今の俺は、気安くあいつに近付いてはいけない、と思う。
 だから黙って、有華が鼻をすする悲愴な音を聞いていることしかできなかった。
「あたし、帰る」
「あ、ああ……そ、その、有華」
 呼びかけは無視される。
 小さな背中は玄関に遠ざかっていく。歩みが停滞する様子は、微塵も、ない。
 ドアのノブに、有華の手が乗っかる。
「――エー兄の……っひぐ……うっ……あほぉっ……!」
「あっ……」

 ガン――っ!

 いつか、誰かにドアを蹴られたときのよう。
 有華はドアを思い切りに閉めて、俺の前から、消失した。


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