疾走 第1話
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 鼓動の音がうるさいです。
 でも簡単に抑えられる類の緊張ではないので、我慢します。
 そう――私はすごく緊張し、なおかつ興奮しちゃってます。
 ただ一言を伝える為に。
「わた、わた、し、あのその」
 壊れたラジオみたいに、意味を見出せない音声ばかりを吐き出してしまいます。
 ああちゃんと練習してきたのに。顔が熱過ぎる。俯かないで彼を見据えなきゃ。
 勇気を出さないときっと何も変わらない。頑張れ私。
「ずっと前から、その……エースケくんのこと、好きでしたっ! つ、付き合って、くださいっ!」
 そうして放課後の校舎の屋上。
 私は人生で最初の告白を終えました。

 たっぷりと空白の時間が流れる。
 俺――阿良川瑛丞は、眼前の小柄な、ポニーテールのチビッ子上級生を見ていた。
 場所は屋上。時刻は夕方。
 手紙で呼び出されて来てみれば、こんな状況なのだった。
 髪型とは裏腹に、非常に内気で頼まれると『ハーイ』としか言えないこのお方とは、
 知り合ってまだ一ヶ月ほど。
 俺は一年。彼女は二年。
 名前は瀬口至理。至理は『いたり』と読むらしい。俺はいたり先輩とお呼びしている。
 さて――確かきっかけは、大量のプリントを独りで運んでいる先輩を見たことだったか。
 今にも転倒してプリントをばらまきそうだったので、俺は運ぶのを手伝ったのだ。
 その謝礼とばかりに、弁当を作ってもらったっけ。
「あの、よ、よかったら、これからもお昼、い、一緒に食べませんかっ!?」
 なにやら切羽詰った様子でそんな提案を投げられた俺は、両目を潤ませている彼女を見て
 断れなかったのである。
 そんなこんなで今現在、毎日昼休みに会ってはお喋りするくらいには、仲良しな関係だった。
 だったのだが――。
「……あの、いたり先輩」
 のどが渇いているのを自覚しながら言葉を紡ぐ。
 言わないといけない。何かしらの答えを。
 好きですと、言われたのだから。
「その、俺、嬉しいです」
 嘘ではない。実際先輩の見た目は可愛い。抱き締めたくなる魅力を持っている。
 まあ胸は小さそうだけど……って思考が脱線しているぞ俺っ!
 今は極めて真剣な気持ちで考える場面なのに。
 つまり俺が、先輩を好きなのかどうか、という問題を。
(……どっちでもないんだけどなあ。好きでも、嫌いでも)
 というか、先輩も俺の何処が好きなんだ? わからん。
 別に顔立ちは平凡だろう。成績が抜群に良かったり、金持ちだったり……。
 俺にはどれも疎遠な要素で泣けてくる。
「けど先輩。あの、俺のどこが、良かったりするんです?」
「えと、その――。やさ、優しいところ、とか……」
 俯きながら赤面で言われると、こっちも恥ずかしいな。
「でも先輩くらい可愛いと、あのほら、誰でも優しいですよ絶対っ!」
 俺は早口に言ってしまう。
 ――正直面倒臭かったのだ。俺は好きではないのだから、早々に決着を求めた。
「だから先輩のその気持ちも、きっと錯覚かなんかですよ、うん」
 努めて精一杯の笑顔を張り付かせて、俺は言った。

「えっ……?」
 顔面の温度が低下するのを、明らかに感じてしまいます。
 彼は今、笑いながら、なにを言ったのか。
「あの、それは、つまり……?」
「俺なんかよりもいますって、もっと優しい人。だから、俺とは」
 付き合わないほうが。
 そう続けられるのが恐ろしくて、私は叫びました。
「嫌ですっ!」
 彼の言葉が止まります。
 けれど私の手足が震えるのは止まりません。
 私は俯いていた表情を持ち上げて、必死にエースケくんを見ます。
 戸惑いの色が濃厚です。私が抗議するのを考えなかったんでしょうか?
 他のことなら『ハーイ』とでも言いますけど、これだけは譲れません。
「エースケくんじゃないと、駄目なんです、私」
 というか嫌です。絶対に。
「だから付き合ってください。私を、エースケくんの彼女に、してください」
「あ、あの……先輩?」
「駄目ですか? 私何でもしますよ? 悪い所は言ってくれれば全部直しますし、
 お弁当も毎日作ってきます」
 ここで引き下がったら、もうエースケくんとはこれまでだと思えて、いつまでも喋れそうでした。
 ちゃんとエースケくんを見つめて、言います。
 ――何で後退りするんですか? まるで私を怖がってるみたいじゃないですか。
「絶対に錯覚なんかじゃありませんよっ! 勝手なこと言って、誤魔化さないでよっ!」
「す、すみませんっ。あの、そんなつもりじゃ」
「謝るくらいなら私と付き合いますって言いなさいよっ! この卑怯者っ!」
 のどを駆け上がる怒りを、そのままに吐き出した。
 そうだ、そうだ――全部エースケくんが悪いよ。
 錯覚なんて単語で、私の純粋な気持ち、歪ませて……。
「ひどいよ……。エースケくんじゃないと、駄目なのに……うっ……ひぐっ」
「……ご、ごめんなさい。あの、錯覚なんて言ったのは、ひ、酷かったですよね……」
「そうです……っひっく……酷すぎます、うっく……っ」
 涙は拭いません。この液体は、彼に同情を誘う重要な要素だから。
 けど悲しくて泣いているのは真実ですよ? わかってるんですか、エースケくんは。
「言って……くださいよぉ……」
「えっ……?」
「お願いですから……いいですよって……っひぐぅ……言って、ください」

「――無理ですよ、いたり先輩」
 先輩の足元のコンクリートが、濡れている。
 それでも、今度こそはっきり言わなければという決意が、俺を動かした。
 びくっと、まるで母親に叱られた幼子のように――俺の言葉に、先輩の体が揺れる。
 信じられないのか、両目は見開かれていた。
「な、何でですかっ!? エースケくんは、私が嫌いなんですかっ!?」
「嫌いでは、無いですけど」
「だったら――っ!」
 見ていられない。涙で濡れた表情が、酷く夕陽に映えている。
 視線をそらしながら、「でも」と続ける。
「そんな、恋人になってほしいほど……大好きでも、ないんです」
「はあ……っ!?」
「半端な気持ちで、付き合うとか、出来ませんよ……。誤魔化そうとしたのは謝ります。
 俺の本心は、それだけだったんです」
「そん、な……っ? 無理って……嘘……っ?」
 頭を抱えて、ぶつぶつと呟いている先輩が、痛々しかった。
 だけどここで余計に慰めるのは、駄目だ。背中を向けないと。
 振り返って、俺は歩き出す。
「待って、待って、くださいっ!」
 袖を掴まれて、歩みが止まる。顔だけで振り返ると、先輩だった。
 掴む力は強いが指が震えている。冬でもないのに、それは異常に。
 なんでだよ……? 俺なんかに交際断わられただけで、なんでそんなに、
 今にも死にそうな表情浮かべるんだよ……?
 思わずハンカチを差し出しそうになるくらい、泣き腫らしているし……。
「離して下さいよ」
「嫌です。絶対に離しませんっ!」
「っ……! 離せよっ」
 いい加減限界だった。俺はちゃんと断わったのに、いつまでもしつこい。
 力任せに右腕を振って、先輩の指を掃った。きゃっと、尻餅で倒れる先輩。
「俺、ちゃんと無理ですって言いましたよね?」
 見下ろしながら、言った。
 お尻をさすりながら、先輩が俺を見上げてくる。まるで死刑を宣告された罪人だ。
 絶望が表情に満ちている。
「私が、駄目なんです……。エ、エースケくんじゃないと……っ! 好きなんです、お願いですっ」
「はっきり言って……迷惑です」
 決して言うべきではなかった、最後の台詞。
 先輩から、あらゆる感情の色素が抜ける。
「――行きます。さようなら、いたり先輩」
 歩き出す。
 今日言った、さようならは……きっと、いつものさようならとは違う意味を抱いている。
 先輩にもそれは理解できるだろうと信じて、階段を降りた。

 迷惑です。
 予期せぬ一言でした。
 あの優しい……困っていた私を助けてくれたエースケくんが言うなんて、想像も出来なかった。
 涙は気付いたら止まっていました。
「あはっ……ははは、ははっ……」
 笑うしかありません。
 迷惑って、思われていた。
 告白が成功したら、色んなところをデートして……繋がって。
 馬鹿みたいに想像ばかりしていた自分は、馬鹿を超越しています。
「何か理由が……あるんです、きっと……」
 認めたくない一心で、そう呟きます。
 でも……。
 おかしいじゃ、ないですか?
 好きでもない人間を、助けたりしますか、普通。
 そうですよ。エースケくんは、好きなはずです、私を……決まってますっ!
 何か理由があって、断わったんです。何か、何か……っ!
「探さないと……そうです、調べれば、いいんです」
 諦めません、納得できるまで。
 調べましょう、そうです――例えば彼の住所とか、携帯の番号とか、彼の近辺を。
 そうしたら何か掴めます。
 もしかしたら悪い女性に騙されているのかもしれません。困っているのかもしれません。
 そう、待っているのです。
 エースケくんは――私が、助けてくれるのを。
「待って、いて、くださいね……。あははっ……今度は……」
 私が、助けてあげます。
 絶対に。


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