スウィッチブレイド・ナイフ 第9話
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俺にはやらなくてはならないことがあった。
それは、森さんをあそこまで暴走させたゆかりから事情を聞くことだった。
離れるのが厭なのか、子供のようにごねる森さんを何とか押し止めて病院から抜け出す。
その代わりといってはなんだが、肩口に思いきり歯型を頂戴した。
服の上から触れても痛みがあり、インナー一枚になったら間違いなくばれる。
そして去り際に、
『あの女のところへ行ったら―――――――わかってますよね?』
という危険な微笑まで賜ってしまった。
あまりにキレイすぎる、完璧すぎる微笑。
ここまで来て、その切欠を作ったゆかりを問い詰めずに何ができるだろうか。

真冬の風に差し込む日差しに少しの勇気をもらって、俺は携帯を握り締めた。
とにかく今はゆかりに会って問い詰めるのが先だ。
学校へと向かう電車のホームでゆかりの番号にコールする。
いつもなら3コール内に出るか留守電につながるはずなのに今日はそのどちらでもない。
胸に膨らんでいく不安と焦燥感が思考をかき乱す。
再びコールするが、出ない。
苛立ちは焦りに変わっていた。
いつものゆかりと俺の距離が違う。
更につづけようとしたが、電車がきたので断念。
車内で通話するのはさすがに気まずいので、連絡の手段をメールに切り替えてみる。
文面はゆかりを心配する旨と、森さんと何があったのかを問う内容にした。
いきなり強い態度に出ても無駄だということは重々理解しているが、そこは不撓不屈の信念で望みたい。
今すぐに連絡をよこせ、と普段からは考えもよらないほどのストロングスタイルで攻めてみる。
矢張り返事はなかった。
苛立ちを抑えるために携帯を閉じたり開いたりして玩ぶが、デジタルの時計が、
オープンのたびにすこし遅れて時の流れを伝えるだけ。

中央線の擦過音が耳を劈く。脳の位置がずれたのではないかと思うほど、
いつになっても慣れない騒音だ。
思い返してみると、ゆかりは学校を休んだことがない。
気づけば俺の隣に座っているし、食事のときも常に傍にいた。
何より人気の高い教授の講義を聴くとき、ゆかりは席取り係だった。
在校生の数に較べて収容人数の少ない食堂の座席をいつの間にか確保しているのもゆかりだ。
それが突然なくなる。
今までの苛付きはきれいさっぱり消えてしまっていた。
その感情がもっと大きな波に攫われたからだ。神経が窄まって、心臓の音だけがやけに五月蝿い。
人の匂いでいっぱいの車内。だがこの中に人間的なつながりはどれくらいあるのだろうか。
偶然同じ時刻に、同じ電車に乗り合わせただけの希薄な関係。
ここで誰かが急病で倒れても、いったい何人がすぐさま救いの手を差し伸べるだろうか。
きっと、誰かが声をかけるだろうと知らぬ顔をするのが相場だ。
実際俺もそうするだろう。ただそれだけの、薄い、薄い空間。

しかし、俺と森さん、ゆかりの関係はまったく違う。
ゆかりは大切な幼馴染。思春期を通り過ぎても弱まらなかった絆がある。
森さんは俺が事故に巻き込んでしまった人物。
被害者加害者の関係であったが、今はもっと別の形でつながっていると思いたい。
俺に見捨てられるという被害妄想に浸ってしまった森さんはいくつかの奇行に出たが、
その意図はすべて俺に繋がっている。
ゆかりとの繋がりも同様だ。どちらかがナイフで切ったとしても、相互関係である以上
片方がしっかりと相手に絡みつく。
なら、森さんとゆかりの関係はどうなのだろうか。
俺を中心に生まれたトライアングル――――
三角という以上、その二人にも糸が張っているはず。
それがどんな糸なのか・・・
俺はそれを今から追及しようとしているのだ。
すべてを捻じ曲げた二人の関係。
たとえそれが拗れて修復不可能なほどに歪んでいたとしても、俺にはそれを受け止める義務が
あるのではないだろうか。
だとしたら、俺はまっすぐ目の前を見て進むしかない。
昔からそれほど器用な人間ではないのだから。

突然ポケットに突っ込んだままだった携帯が振動した。
バックポケットでジーンズを揺らす振動は三回。メールだ。
俺は待ちわびたとばかりに携帯を開く。
はやる気持ちを抑えもせず、薬の切れた中毒者のような手つきで新着メールを確認した。

『ゆかり
題名:ごめんね
本文:電話出れなくてごめんね〜ちょっと体調崩したみたいで、今日は病院に行くから
学校は休むからよろしくね☆
夕食はちゃんと作っておくから期待して待っててね!!学校が終ったらすぐ来てよ〜』

内容は水槽の金魚に餌をやろうとしたら、鰐が飛び出して腕を持っていかれるくらいに予想外だった。
勿論、逆の意味で。
安堵感と先ほどから張り詰めていたせいか、妙な疲労感が全身を奔る。
俺は電車のドアに背中を預けてほっと一息ついた。
朝から全力で走りこんだような虚脱感で暫く呆けながら、列車の揺れに体を預けた。
あぁ・・・やべぇ・・・ここ優先席の目の前だった、電源、切らなきゃ。
アホみたいに律儀な考えだけが、浮かんでは消えていた。

 

ゆかりのいない講義というのはいやに殺風景なものだった。
何故か瞳には講堂が色あせて映り、普段なら仲間と大勢で囲む昼飯も何故か一人で摂りたくなった。
購買で買ったパンとペットボトルの緑茶。
室内から出ると、外はやはり真冬。
小春日和の太陽は早々に形を潜め、北風が乾いた悲鳴を上げていた。
キャンパス内を歩く者たちは一様にコートの襟を立て、マフラーの結びを強める。
その中でポツリとたっている自分を客観的に見ると、他人にはどう映るのだろうか。
ただの学生、その中の一人でしかないだろう。列車の中で感じたとおり、ワンオブゼムの、
すれ違うだけの関係。
仲間との繋がりを強く感じられたこの場所でも、感じるのは何故か孤独感だけだった。
あぁどうかしてんぞ、俺。頭の中だけでぼやいてみる。
学校が終れば飯だ。ゆかりの飯。そこでゆかりに話を聞けばいい。
今は、握り締めたペットボトルの人工的な暖だけが俺のぬくもりだった。

 

普段は思いつくことのない大学という場所に不釣合いな感傷に浸りながらも、
その日を滞りなく消化した俺は、講義終了後即刻電車に乗り込んだ。
流れ行く風景と夜に染まり行く都景。
電車が空気を切り裂いて進むたびに、追い越していく街の光。
一際大きな不眠街にたどり着いたかと思えば、家路に着くものであふれ帰る私鉄へ足早に乗り換える。
二十分ほど、電車の揺れに身を任せると目的の駅にたどり着く。
さっさと切符を精算して改札をくぐり、ざわめきだす黒い雲を眺めながらも俺は走り出した。

ガツガツとソールを鳴らし、俺はゆかりのマンションの階段を上っていた。
エレベーターを使うのもいいのだが、このマンションはあまりには階数が多い。
正直待つのがダルイので階段で行くことにしたのだ。
一階分上るたびに感じる焦燥感は加速していく。
自然とペースの上がる足に自分でも気づかない。
人の流れに身を任すことによって一時は抑えられていた気持ちが、フルスロットルで回転する。
心臓が大きな音を鳴らす。
今思えば、これは半鐘だったのだろう。
クラッチ盤を焦がすような感覚は、直感的な警鐘だったのだろう。

――――だが俺は、それに気づかず、ゆかりの部屋にたどり着いた。

 

荒れる呼吸を何とか整え、とりあえずインターフォンを鳴らす。
・・・・無音。
間隔を置いて、再び鳴らす。

もう一度、鳴らす。
――――無反応
今度は間隔を狭めて、鳴らす。
――――沈黙
更に早いタイミングで、鳴らす。
――――無返答
時を置いた最後は、連打していた。

何だこの違和感は?
奇妙。
奇妙だ。

俺はすぐさま体を反転させ、管理人室へ向かう。
ゆかりとは確かに夕食の約束をした。
今までそういう類の約束を破ったことのないゆかりが、家にいないはずがない。
たとえ学校を休んだとしても、そんなことはありえない。

俺は再びエレベーターホールに向かい、階段を下ろうとして、言い知れぬ不快感に足を止めた。

心臓の鳴らす半鐘と、背筋を走り抜けていく悪寒が、強くなる。
冬なのに肌と服の隙間を滑り落ちていく冷や汗に、俺は階段を下ることをためらった。

 

だが中途半端な姿勢でそうしていた所為か、不自然な衝撃に体が均衡を崩した。
気づけば緩やかな陥穽に全身を囚われているかのように。

ふらつく足元、ゆれる体。

突然の衝撃に、階段を受身も取れないまま転がり落ちていた。
ゆかりに固定されていた思考のせいか、実感がない。
思考だけがぽつりと宙を浮かんでいるよう。
手を伸ばして胸に戻すと、体を鈍い衝撃が襲う。
階段の縁に頭を打ちつけ、肘を殴打し、脇腹を打撲して、足が妙な方向に捻じ曲がっても、
心はぽっかりと穴を開けたまま。

踊り場に転げ落ちて数瞬。

ようやく追いついてきた体のコントロールに全神経が痛みのオーケストラを奏でた。

ヘッタクソな演奏だ。統一性などない。
だからこそ混ざり合った思考と、正反対の痛みをリアルに刻み付けてくれる。
ぬるりといやな熱さが額から落ちて、視界を塞ぐ。

だが、たとえ視界をふさがれようとも、この細い目は、ぽんこつな耳は、霞む風景の中で
逃してはならないものを捉えていた。

 

カツ、カツ、カツ・・・

この音は・・・

不気味なくらいに冴えていく思考。

まさか・・・
腹の辺りを這い回る、いやな、いやな感覚。

それが・・・

――――暗転した。


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