スウィッチブレイド・ナイフ 第8話
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「馨さん・・・・待っていましたよ・・・ずーーーーーっと。待ちきれなくてこんなに濡らしちゃいました、
見てください」

金色の輝きを浮かべる森さんの瞳。

「うふふ―――――――――もう準備はできてますから、早くください―――――――――」

小さな唇を吊り上げる森さん。

「正気ですか??いったいどうしたんです!!!あの森さんが!!!」

「わたしはいつもほどほどに正気ですよ・・・・まさか、あの牝犬にはできて、わたしにできない
なんてことはないですよね?」

彼女は愉悦の笑みを浮かべていたが、ふと思いついたように語気を荒くした。
見えない何かにおびえているようにも見える。

「・・・・・・・・・めす、いぬ・・・・・・?」

「あの女のことですよ、馨さん!!!!
キラキラと自己主張をして止まない目障りな狂犬が!!!!!!!
誤魔化さなくても結構ですよ、あの電柱女に手を出したのは若気の至りということで許してあげます。
本命がわたしだってことはちゃんとわかっていますから。
だからわたしのために毎日毎日毎日通ってくれたんですよね?
わたしを愛してるからでしょ??
ねぇ??―――――――――」

黄金の深淵を思わせる双眸が細められる。

まさか・・・・・ゆかりのことか??
ゆかりが牝犬??
いったいどういう・・・・・

「さぁ、早くください・・・・・もう、我慢、できません・・・・・・・」

「待って、落ち着いて!!!」

細い体をボディプレスの要領で躍らせた森さん。
対格差で何とか押し止め、もはや狂気に取り付かれた瞳に言い放つ。

 

「ゆかりとは何もありません、だから落ち着いてください・・・・・何を勘違いしているのかわかりませんが、
俺とゆかりはただの幼馴染で、それ以上は何もないですから・・・・・」

一歩後ずさる。

「だから、言い訳はいいって言ったでしょう?・・・・・・もう解ってるんですから・・・・・あの女は
嬉しそうに語りましたよ・・・・?」

「ゆかりの言ったことは嘘ですよ。俺はゆかりを抱くどころか、キスすらしたことありませんから」

徐々にうろたえていく森さん。あと少し、あと少しだ。

「え・・・・・・・・?でも、あの女は・・・・・」

「ゆかりがどんな失礼なことを言ったかわかりませんが、とにかく冷静になりましょう。
怪我に障りますから、早く病室に戻って」

まっすぐに森さんの瞳をのぞきこむ。
狂気に冒された黒い宝玉。
僅かに揺れている。
俺が眼光に力を込めるたびに、揺らぎは大きくなった。

張り詰める空気。

「俺を、信じてくれ―――――――――」

肩を掴んで、抱き寄せた。

揺らぎは、決壊した。

「あ・・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・・・?わわわわたし・・・・あの女に、だまされたの?・・・・・・」

「よくわからないけど、とにかく部屋に戻りましょう」

何もないところを見つめる森さん。
炯炯と輝く満月はいつの間にか暗雲に隠れていた。
今度は光を失った黒曜石がそこにあった。

「わたし・・・・・・・・取り返しのつかないことを・・・・・・・」

弱弱しいその姿に一瞬思考を奪われかけたが、ここで機会を逃したら最後かもしれない。
俺は生まれて初めて、自分の感情をすべて吐露した。

「その怪我はわざとやったんですよね・・・・・俺のことを、引きとめようとして。
俺はどこにも行かないから・・・・森さんが望むまでそばにいますから。
もうこれ以上傷つかないでください・・・・」

寒さにおびえる子猫のような彼女を、更に抱きしめた。
この細いからだのどこにあんな力が隠されていたのかはわからないが、今俺が全身で感じている感触は、
病室に咲いた一輪の花―――――――――
俺が知っている―――ありのままの森瑞希その人だった。

「あ・・・・・・・・・・」

森さんの瞳が輝きを取り戻した。
俺が何時も見とれていた、天使の瞳。
忘れられない、愛らしい姿だ。

「その・・・・・ごめんなさい、馨さんの気持ちを、なんども利用して、自分だけのために・・・・・
なんてズルイおんななの・・・・・わたし・・・・・・どうやってわびれば・・・・・」

「いいんですよ、やっぱり悪いのは俺のほうなんだから。だからもう心配しないで」

「うう、ひぐっ、うっ、えぐっ・・・・・・・」

俺の胸に顔をうずめ、子供のように泣きじゃくる森さん。
小さく震える肩に触れると、確かなぬくもりを感じる。

だからこの手を、離しちゃいけないと思った。

泣き疲れて眠ってしまった森さんを部屋まで送りとどけ、引っ張り出した椅子に腰掛ける。
艶やかな黒髪と長い睫毛。
静かな寝息を立てる可憐な唇は、電話越しに感じた狂気を感じさせないほどに無邪気だった。
こんな天使のような女性が、俺ごときのために自らを傷つけ、身投げを仄めかして肉体関係を強要した・・・・
夢、といわれればそのまま信じてしまいそうだ。
しかし奪われた唇の感触を思い出すたびに、現実だと思い知らされる。
頭の中を森さんの濡れた指先がフラッシュバックする。
頬を染めて、体を掻き抱くように欲求を押し殺していた彼女。
あのときは本当にやばかったのだ。
偶然ゆかりという名前が出てこなければそのまま勢いに任せて森さんを襲っていたかもしれない。

いや、それでもよかったのかも―――――――――

安らかな寝息を立てる森さん。
穢れ無き白磁の肌。小さなくちびる。

―――――――――思考を打ち消した。

この寝顔を見ていると自分の選択は正しかったと胸を張って言うことができた。
目に掛かる前髪を除けてやりながら、布団を掛けなおす。

『・・・・・・・・・・どこにも・・・・・・いかないで・・・・・』

あの時聴いた言葉。
それが何よりも俺の胸に突き刺さる。
先ほどのことは真夜中の傷として忘れよう。
しかし、小さな胸に抱いた決意は・・・・・ずっとここにしまっておくことにした。

 

 

翌朝目覚めると、隣には馨さんの寝顔があった。
頭をよぎる自分と馨さんの姿。
急に頬が熱を持って今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。

どうしよう・・・・なんて馬鹿なことを・・・・してしまったのか。
愚かな嫉妬にとらわれた私は、屋上から自殺を匂わせて真夜中に呼び出し、関係を強要した。
正気の沙汰じゃない。
確実に嫌われて、どんな汚い言葉を使って罵られても文句は言えなかった。
そして、わたしも甘んじて受け止めるつもりでいた。

でも・・・・
―――――――――でも、馨さんはそんなわたしを受け入れてくれた。
―――――――――抱きしめてくれた。
―――――――――優しく囁いてくれた。
体が甘い幸福に震える。

『俺を、信じてくれ―――――――――』

これって、プロポーズ?・・・・
シーツを少し手繰り寄せてこそばゆさを打ち消す。

結局最後までいけなかったけど、結ばれる日は遠くないと思う。

だからこそ頭から離れない、幸せそうに馨さんのことを語った忌まわしい幼馴染が。
全身から噴き出すまばゆいばかりのオーラ。
日陰で六法を読んでいるのが相応しいわたしとは文字通り相反する、陰陽の関係。
きっと生まれながらにして相容れない存在。
どんなことがあっても認められないし、許せない。
一挙一動が逆鱗に触れる。
視界の隅に映った瞬間に本能が殺意を囁く。

あの顔、体、声・・・・・

―――――――――でも、馨さんはわたしに言った。
もうどこにも行かないって・・・
信じていいよね?―――――――――

もう一度隣の馨さんに視線を向ける。
精悍な顔つきからは想像もつかない無邪気で、純真な姿。

渡さない。触れさせない。決して視界に入れない。
この空間はわたしのモノ。

信じてるよ馨さん・・・・
硬い髪の毛を優しく撫でてみた。
なんだか恋人みたい・・・・・

「う・・・・・ゆ、か・・・・り?・・・・・」

 

甘い空気は吹っ飛んで、体がおぞましいほどの憎悪に駆られた。
思わず、頭からスムーズな動きでクビに手が伸びる。

あわてて引き戻した。

いけない、いけない。
もう馨さんはわたしのモノになったんだから・・・・・
なにも心配することなんかないんだよ、みずき。
大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・・・

「ゆか・・・り・・・・・」

・・・・・・・・・・ぎり

我慢、我慢・・・・・・

 

「ゆ、かり・・・・・」

ぎりぎりぎりぎりぎりぎり・・・・

 

「うふふ・・・・・」

 

だんだん見開かれていく瞳を押さえられない。
シーツを掴む手の血がとまって真っ白になっている。
馨さんを殺さんばかりの視線で射抜く。

「ゆ・・・・・・・・・・」

言葉は途切れ、途中で寝息に変わった。
わたしはほっと一息。
どっと疲れが押し寄せた。

「もう」

しょうがないなぁ、馨さんは。
今回ばっかりは見逃すよ。わたしも鬼じゃないもん。

でも。
みずきの顔も三度まで。

うふふ・・・・

―――――――――つぎはないよ?

でも、もし、またわたしの前であの女の名前を出したら。

―――――■すから・・・・・・・
■すから、■すから。
■すから、■すから、■すから。
■すから、■すから、■すから、■すから。
■すから、■すから、■すから、■すから、■すから。
■すから、■すから、■すから、■すから、■すから、■すから。
■すから、■すから、■すから、■すから、■すから、■すから、■すから。

 

 

               殺すから♪

差し込む日差し。さえずる鳥達。
今日はいい一日になりそうだ。


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