スウィッチブレイド・ナイフ 第2話
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馨さんは亡者のような弱々しい姿のまま、部屋を後にした。
必死で引きとめようしたが、想像以上の早足でわたしの言葉が届くことはなかった。

「そ・・・・・んな・・・・・つもり、じゃ、なかったのに・・・・」

津波のように押し寄せてくる感情。
胸が張り裂けそうなほどに痛い。
毎日のようにお見舞いに来てくれる馨さんを病室から見送るときも、同様の痛みがある。
しかし、今回のは桁違いだった。
わたしの不適切な発言が与えた誤解。
しかも最悪な方向にニュアンスを間違えてしまった。
むしろ・・・・赦されないのは、わたしの方なのに・・・・

実際、事故の原因はほとんどわたしのほうにある。
暗い夜道で、しかも横断歩道ではないところで急に飛び出したのはわたしだ。
衝突の際、バイクの操縦技術がよほど高かったのか、わたしはほとんど衝撃から逃れることができた。
そう、わたしの左腕の骨折と、全身打撲はバイクの音に驚いて立ちすくんでしまった上に、
パニック状態で自ら車体に突っ込む形になってしまった自分に原因があるのだ。
その上私の体は直りが悪く、通常の人なら二週間の入院と一ヶ月の通院ですむところを
わざわざ三ヶ月まで引き伸ばし、更にまともに歩く体力も失ってしまって、
入院期間を先送りにする形となってしまった。

このことは事故で『一応』加害者となっている馨さんも知っているはずだ。
むしろ馨さんは被害者なのに、甲斐甲斐しく身辺の世話と身寄りのいない私に毎日会いにきてくれる。
最初は罪悪感のようなものを感じていたが、想いはだんだん変容していった。
気づけば罪悪感は恋心になっていた。
彼の優しさと笑顔に触れるたびに、わたしの慕情は肥大化していく。
そして二ヵ月半経った今では自分でも抑えきれないほどになっていた。
正直彼の姿を見て、彼の呼吸を感じ、彼の優しさに触れないと生きていけそうもないし、
彼の笑顔、温もり、視線、興味・・・・すべてを自分の物にしてしまいたいとまで考えている。
なんて薄汚い女だろうか。

・・・・わたしは罪人だ。

馨さんは身長が高くて体つきも立派。
細い目と鋭い顔つきがちょっと怖い印象を与えるけど、とても心の温かい温和な人柄だ。
私のような勉強しかしらない暗い女に合わせて必要以上の知識までも学んできてくれた。
私なんかにかまっていなければ、外ではお友達がたくさんいるだろうし、
女の人にも大層もてることだろう。彼女の一人や二人いてもおかしくはない。
そう思うたびに、申し訳ない気持ちと、存在するかどうかもわからない女性の影に煮えたぎるような
嫉妬さえ覚え始めている。
彼の有意義な時間を、病室で小さくなっているのが相応しい狡猾で浅ましい女のために
使わせてしまっているのだ。
ほんとうに、本当に申し訳ない気持ちと、彼にもっと構って欲しい。他のことに感けないで
もっと私だけを見ていて欲しい。という感情が二律背反して自分でも制御できないほどになっている。
その上、彼に最悪の形で誤解まで与えてしまった。

謝らなくてはならない、誤解を解かなくてはならない。
始めにそう考えるべきなのに、私の薄汚い慕情は、

『もしかしたら、彼は明日からお見舞いに来なくなるかも・・・・』

『面倒くさい女だと思って、別の女のところにいくかもしれない・・・・』

そんな低俗で汚らわしい独りよがりな考え方をしている。

しかも、退院の日までが刻々と迫っているのだ。

どうしよう・・・・もしかしたらこのまま彼と疎遠になってしまうかもしれない・・・
もうわたしに笑顔を見せてくれないかもしれない・・・・
どうすれば、どうすれば、彼とこのままでいられるの?
どうすれば、どうすれば、彼の誤解を解いてあげられるの?

 

一晩考え抜いても、答えは出なかった。
それに考えれば考えるほど、思考は深みに落ちていく。
わたしが途方に呉れていると、コンコンっとドアをノックする音。
このリズムは馨さんのものだ。
全細胞が歓喜を告げているが誤解だと告げられなかったことが胸に引っかかっていた。

「失礼します」

何時もどおり一礼して入室する馨さん。でも今日は声が少し枯れている。

「気分はいかがですが?森さん」

いつもはここで破顔してくれるのだが、今日は表情が硬いまま。
釣られて私の声も低くなってしまう。

「へ、平気です・・・・」

「そうですか」

彼は短く告げると日課となった花瓶の水を取替え、ゴミ箱と簡単な部屋の掃除をした。
そして慣れた仕草で椅子を引っ張り出して雑談なり法律の勉強をするのだけど・・・・

「では今日はこれで・・・・それと昨日のケーキ、いかがでした?幼馴染が薦めてくれた店で
買ったものですが。お口に合えば幸いです。では」

馨さんの声がいやに冷たく感じる。そして言葉に含まれた『幼馴染』という響き。不穏だ。
不穏すぎる。
誰、誰なの?幼馴染??男の子・・・・・いや、男の子はケーキなんて・・・・でも馨さんは甘いもの
好きだって・・・・・それも私に合わせてくれたの?
・・・・馨さん・・・・
棄て・・・・ないで。

「馨さん!!!・・・・・幼馴染・・・・誰??」

気づけば大声を上げていた。
馨さんは細い目を見開いて驚いている。

「ど、どうしました?森さん」

しまった、感情が暴走していた。先に誤解を解かなくてはいけないのに・・・・

「違うの・・・・昨日の事・・・・違う・・・・」

「え?」

「忘れないってこと・・・!」

馨さんは目を見開いたまま直立していたが、また表情を曇らせると悲しそうに言った。

「解りました・・・・・・迷惑でしたら、もうお見舞いにはきませんから・・・・賠償金が少ないのでしたら、
更に上乗せしても構いません。
こんなことで赦されなんて思っていませんでしたが、目障りなら本当に消えますので・・・
今まで申し訳ありませんでした」

その言葉を最後に馨さんは退出した。
白い部屋に打ちひしがれた私だけが、残された。

今日も、誤解は解けなかった・・・
しかも新しく浮かび上がった、『幼馴染』という単語。
心が悲鳴を上げる。
黒い炎が胸を焦がしている。
灰色の怨念が脳内を渦巻く。
違う、違うの・・・・

 

独りに、しない、で・・・・


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