スウィッチブレイド・ナイフ 第10話
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確定だった。

今まで何度も心の中で否定してきたが、終にこうやって自身の瞳で映してしまったのだ。

その、決定的な光景を。

なんといえばいいのだろう。
この気持ちを。
概念では表現できず、頭の中の抽象的な映像でしか捉えることができない。

ただひとつ簡単に言葉にしてしまうとすれば、それは一色に表すことができる。

――――黒。

私があれほど釘を刺したのに、馨はまたあの病院へ向かった。
その結果が、これ?
身を切るような寒さに体を丸めてこらえ、いつ馨がでてくるのだろうかと心待ちにしていれば、
朝日が目を焼いていた。

ふと一晩中私は何をやっているのだろうという考えにいたったが、一瞬で打ち消した。
決まっている。
馨のことを考えていた。
いつもいつも、私の心を占めているのは馨しかありえない。
どんな佳境に心を乱されようとも、結局残るのはその気持ちだけ。

少し悔しいなぁと、馨の横顔を浮かべては、思う。
でも、同時に仕方ないと思ってしまった。

それが、私の本心なんだから。
二度と来ない瞬間に後悔だけは残したくない。
中学時代からの教訓。

でも教訓に倣っているだけでは、現実は好転しない。
一度傾いていしまったバランスを正すには、それ以上の衝撃で今を転覆させるだけ。
朝の病院から足早に去っていく馨の後姿を眺め、不穏な決意を身に抱いた。

だが実のところ、どうやってあの女から馨を取り戻す?

自分の体を使って馨を惑わそうか?
これは何度も失敗している、却下。

ならばあの女みたいに自傷行動に出るか?
これも無駄。長年築き上げてこいた関係を白紙に戻してしまうだけ。

 

さてどうしようか…
胸に黒いものを抱えながら思索をめぐらせていると、先ほどまでの激昂は怖いくらいに醒めていった。
それと同時に妙なシンパシーを感じる。

きっとあの女も馨をひきつけようと、こんな策謀をめぐらせていたのだろう。
同じくして浮かび上がったのはあの女の零れんばかりの笑顔。

「■■…」

病室とあの女の顔、そして馨の後姿がかちりと音を立ててリンクした。

馨を他の存在に曝さない。

自分だけが馨を見ていられる状況を作り出す。

簡単なことじゃない…

“馨を閉じ込めてしまえばいいんだ”

そう思いついたとたん、急に胸が軽くなった。
昨晩は不安で不安で仕方がなかったけど、その気持ちがまるで夢の中の出来事みたいに消滅していた。

なんて素敵なことだろう。
ずっと馨と一緒にいられる。
あの女のところに行かない、別の女を見ない。
そしてずっと私は馨のお世話をしていられる。
十数年、心に溜めて来た想いが爆発して、私は今にも踊りだしたい感情をこらえ切れなかった。

馨…ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね。
恐くない、すぐに済むから。
すぐに二人だけになれるから。

どうして今までこうしなかったのだろう。
とても簡単で単純で、小学生でも思いつくようなことなのに…

沸き立つ気持ち。
何度も別の女に盗られた馨。それを後ろから見ていることしかできなかった私。
馨の上辺ばかりを愛した雌ども、馨の優しさだけに漬け込んできた犬ども。

悔しくて。目を覚まさせてあげたくて、何度も、何度も頼んだのに。
いつも馨は笑っていた。
どんなに傷ついても、自分がボロボロに壊れていっても…

その寂しい笑顔が、忘れられなくて、離れられなくて。

それでもずっと待ち続けた。

 

 

もう我慢は要らない。
今度の相手は今までの連中とは違う。

手段を選ばないタイプ。
自分を抑えられないタイプ。

――――私と同じ、■■■なタイプ…

 

こんなことを考えている私、どんな顔をしているのかな?

唇を吊り上げて、私は歩き出す。

 

 

学校を無断欠席した。
授業を一度もサボったことのない私が連絡もなしに姿をくらませば、馨は私の重要性に気づくはず。
困ったとき、嬉しいとき、傍に私がいない。
どう思うかしら?

馨の心(なか)に住んでいる私、馨の瞳に映る私…

嬉しくなる。
自分がいないところで、馨が私のことを考えてくれていると思うと…

一人はしたない笑みを浮かべていると、携帯が着信メロディを吐き出した。
この曲は、馨から。
神速でメールボックスを開き、新着メッセージを確認する。

内容は昨晩のこと。
私があの女に何を言ったか、何をしたか。
そして、最後に私を心配する内容が添えられていた。
とても簡潔で馨にしては乱暴な言葉遣い。
それでも嬉しい。
胸に暖かい気持ちがあふれた。

でも同時に、心の奥には冷えた部分がある。
昨日あの女が馨を呼び寄せて何をしたかだ。

私の言葉でバカみたいに踊ったあの窮鼠はどんな行動に出たのか。
おそらく、馨に関係でも迫ったのだろう。
その貧相な体を精一杯押し付けて。
そして如何なる妄言で馨を病院に呼び寄せたのか。

私が馨からの誘いに甘く震えているときに。

 

せっかく私が馨からの誘いに甘く震えているときに。


……
………引いていたはずの溶岩が腹で胎動する。

嫉妬と、焼付く様な怒りを伴い、業火で狂う。

メールは平常心を装った内容で返信した。
それでも、手が標的のない殺意に痙攣する。

それから自分が何をしていたか覚えていない。
気づけばお気に入りのぬいぐるみがボロボロに弾けていたし、綺麗に並べた香水の瓶がいつの間にか
割れて魔女の釜のような匂いを発していた。

私がようやく平常心を取り戻したのは、馨のお陰だった。

荒々しく叩かれる扉。

来た……!!
目の前に馨がいる。

今すぐ飛びつきたい。
その逞しい体に顔をうずめたいしなやかな体に抱きしめられたい。
無骨な指で、頬をなぞって欲しい。

でも、我慢…

楽園は目の前に迫っている。
ここで焦ってはだめ。

慎重に、慎重に機会を待つ。
精神を研ぎ澄まし、急降下を待つ鷹のように爪を研ぎ。
舌をちらつかせ、喰らいつく毒蛇のように呼吸を殺す。

すぐに去っていく足音。
管理人室に向かったのだろう。

さぁ・・・
はじめよう。
私が、馨を、外敵から護るための神聖な行為。
誰にも侵されない、誰にも触れさせない聖域を築くための、儀式。

優しく馨の背中に触れてあげよう。
崖の下は谷底じゃない。

私の腕の中だから。

安心していいの。

ずっとずっとずっとずっとずっと!!

傍にいてあげるからね。

 

後ろから迫る私の存在に、馨は気づかない。
襟元に狐の毛をあしらった革のブルゾンを着こなしたその背中。

いっそのこと抱きついたまま飛び降りようかと思う。
…そこは押しとどめた。

そして馨が階段を下りようとして固まった瞬間…!!

愛撫するように優しく、そして律動するように激しく、その背中を押した。

魂が中に浮かんだように呆ける馨。
自分がどうなったか、がらんどうになった心では整理がつかないのだろう。
それでも美しい。
鈍い衝撃に転がりながら階段を滑っていく馨。

踊り場の壁に背中を打ち付けてうつぶせに倒れた馨は、身を折って激しく咳き込んだ。
その体の動きに伴って、前頭部からぬるりと赤いものが滴る。
それが意外にも長い馨の睫毛を濡らしたとき、私はいよいよ我慢が利かなくなった。

色っぽい。
あまりに官能的。
普段凛々しいその姿が、雨に打たれる棄て猫みたいに震えて…!!

あぁ、こんな馨見たことないよ。

 

可愛い愛しい素敵大好き愛してる襲いかかって服を脱がしてこのまま獣みたいに交わりたい
ぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくするこれは寒さのせいじゃない体をおかしくさせるくらいに
こぼれた血を掬って舐めたい迸る鮮血を尖らせた唇で吸収したい馨のにおいを胸いっぱいに吸い込んで
あの女の不健康な病院と包帯と薬のにおいを私の匂いでかき消して
一生離れられないようにこのまま一つになるのもいいし■■してもあこれから監■するんだった
■禁でも私の手当てじゃ馨が死んじゃうから救急車を呼んで近くの病院に搬送してもらおう
あの女がこられないように私がずっとずっと死ぬまで傍にいてあげるから、ね?

自分の存在をアピールするように、いつも歩き方をする。
沈黙した空間に、ヒールの音だけが響く。

馨が微かに顔を上げた。
自ら突き落とし、自ら手を差し伸べる。
そんな背徳的な行為がいよいよ高揚感という猛火に油を注いでいく。
馨の閉じかけている瞼から光るのは、思考の光。
生きてる。

だから、ゆっくり休んで…

私は。
そっと…

 

うごかなくなったかおるにくちづける。


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