Bloody Mary 2nd container 後日談2
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 あの人と初めて出会ったのは戦場だった。
 当時のあたしはまだ十三歳で戦闘には参加してなかったけど、
 いつも傭兵隊のみんなにくっついて行った。
 三年前のフォルン村虐殺事件。その駆逐部隊の斥候から帰ってきたお父さんがあの人を連れてきた。
 泣き腫らした瞳と決して手放さなかった果物ナイフ。
 あたしでは及びもつかないような酷い目に遭ったのは一目瞭然だ。
 彼の入隊が決まったのはそれから数日後のことだった。
 今まで剣を握ったことすらない手に血豆を作りながら黙々と鍛錬をこなすその人。
 あたしは興味本位で遠くからそれを眺めていた。
 変わった人だな。他の傭兵たちと馴れ合わない姿を見てあたしはそう思った。
 普通の人なら「気にくわないヤツ」と煙たがっていただろうけど、
 なぜかあたしはそうは感じなかった。

 大人の傭兵たちに混じって修練を積む、あたしよりふたつ年上のお兄ちゃん。
 終始観察していたけど、お父さん以外の人とろくに話もしていないみたい。
 そのお父さんも訓練に関することしか話してないそうだ。
 部隊内で孤立しても気にせず、独りで訓練に明け暮れていた。
 別にみんなが冷たいわけじゃない。あの人が拒んでいるのだ。
 最小限度の必要なことしか口にせず、他愛ない会話をしようとしても無視して
 その場から去ってしまう。
「取り付く島もねぇな」とお父さんは苦笑していた。
 みんなとは離れた席で食事を取るお兄ちゃん。
 そんなあの人の様子を見ていたあたしは“可哀想”だと思った。
 どうしてだか解らない。ただあの人の背中が泣いているように見えた。

 あたしだって何度も話しかけたけど。あの人にとってはあたしも
 他の傭兵たちと変わらないのだろう、ことごとく無視された。
 それでもあたしは諦めずに根気強く話しかけた。でもやっぱり無視され続けた。
 暫くそんな日々が続いた。

 今でもあまり思い出したくないけど、お兄ちゃんに酷く拒絶されたことがある。
 確かあれはお兄ちゃんが剣の手入れをしていたとき。

 

 

「ね、ね。ウィルお兄ちゃん」
 いつものようにできるだけ気さくに話しかける。

「…………」
 今日もやっぱり無視された。
 お兄ちゃんはこちらを一瞥するだけで再び剣を研ぐ作業に戻った。

「大変そうだね。あ、それ、おとーさんから貰った剣?」

「…………」
 無視。黙々と剣を研いでいる。

「あ、あはは……」
 ……ええぃ!へこたれるな!マローネ!
 自分に渇を入れて再度挑戦。

「えっとね…お兄ちゃんってもしかしてポトフ好きなの?」

 あっ、ちらっと一瞬こっち見た。もしかして手ごたえアリ?
 先日の夕食がポトフだった。その時珍しくお兄ちゃんがおかわりをしたものだから、
 もしやと思ったけど。

「じ、実はあたし結構料理得意なんだ。だからどんな味が好みなのか教えてくれると嬉しいなぁ」
 今度は二度こっちを見た。
 よしよし。落城するまでもう少しだぞぅ。

「そうすればお兄ちゃん好みのポトフ作れるんだけど。
 でもお兄ちゃん何も言ってくれないし…弱ったなぁ」
 わざとらしく困った素振りで顎に指を当てた。ぴくぴくお兄ちゃんの耳が動いている。

 一瞬の沈黙。あたしとお兄ちゃん、それぞれの思惑が鎬を削る。
 そして。

「――――――――――――ミルク」

「え?」
 思わず聞き返してしまった。

「昨日のは………ミルクの風味が足りなかった」

 ……やった!とうとうお兄ちゃんが返事した!
 本当は踊りだしたくなるくらい嬉しかったけどなんとか我慢した。

「そか、そか。お兄ちゃんはミルク風味が好きなのかー」
 再び剣の手入れを始めたお兄ちゃんの耳は真っ赤だった。
 それを見ながら、あたしは気を良くしてうんうん頷く。
「なるほどねー。えへへ」
 そこで止めておけばよかった。だけどお兄ちゃんからまともな返答が聞けて、
 あたしは舞い上がっていた。
 そのせいでお兄ちゃんに余計なことまで訊いてしまった。

「でもなんでミルクなの?あ、もしかしてお母さんの味?
 まさか恋人の味〜、とか言わないよねぇ…?」

 茶化すように言ったつもりだった。今思えば配慮が足りなかったと思う。
 でもその時のあたしはそこまで気が回っていなかった。

 結局、お兄ちゃんはあたしの余計な一言で雰囲気が一変した。

 

「……出て行ってくれ」

 いつもよりもっと冷たい声。あたしは自分の耳を疑った。

「邪魔だ、出て行け」

「え……え?」
 お兄ちゃんの急な変化にあたしは狼狽するばかりで。

「目障りだって言ってるんだッ!さっさと消えろッ!!」
 初めて聞いたお兄ちゃんの怒声。
 無視されたことは今まで何度もあったけど。怒りをぶつけられたのはこれが初めてだった。

「あ……うぅ……え、と………その、あのっ――――――――――ご、ごめんなさいっ!」

 あたしは恐怖に震え、泣きながらそこから逃げ出した。
 怒っているお兄ちゃんが恐かったんじゃない。
 あたしがとんでもないことを仕出かして、二度とお兄ちゃんと
 話が出来なくなってしまったのではないか。
 それが恐かった。

 

 

 その日の出来事は流石のあたしも堪えた。
 夜通し泣き続け、それ以後お兄ちゃんに話しかけるのが恐くなった。
 これは後で知ったのだけれど、お兄ちゃんがポトフ好きなのは
 幼馴染みの得意料理だったかららしい。
 キャス――――――――お兄ちゃんの初恋の相手。
 彼女の作るポトフにいつも隠し味としてミルクが入っていたのだそうだ。
 今でこそなんともないけど、当時のお兄ちゃんに幼馴染みの話はご法度だった。

 それからはお兄ちゃんに話しかけられない日々がしばらく続く。
 ビクビクしながらお兄ちゃんと距離を置いて、遠くから眺めていた。

 そして、運命の日が来た。
 お兄ちゃんの初陣。待ってる間、不安で不安でおかしくなりそうだった。
 ここでお兄ちゃんが死んでしまえば本当に二度と話せなくなる。
 あれから今までお兄ちゃんを避けていたことを後悔した。
 ……無視されてもいい。お兄ちゃんにもっと話しかけたい。
 だから、お兄ちゃんが帰ってきたらあの日のことを謝ろう。そう思った。

 結果を言えば、あたしが心配する必要などどこにもなかった。
 お兄ちゃんは傷ひとつ負うことなく帰ってきたのだから。
 お父さんの話では新兵とは思えない活躍振りだったらしい。

 ともかく、無事に帰ってきたことにあたしは安堵した。
 多分今までもこれから先も、この時以上に安心したことはないだろう。

 安堵のあまり、あたしは泣いて飛びついた。

「ごめっ…んなさい……ご、ごめんなさい…ごめんっ…な、さい……」
 嗚咽で声を詰まらせながら、ひたすら謝り続けた。
 なんとか許してほしい一心で。だって、あたしには謝り続ける以外、
 他にいい方法を知らなかったから。
 その時のお兄ちゃんの顔はよく憶えていない。
 頼りない記憶を掘り起こすと……少し驚いていた……ように思う。
 そのまま泣き疲れて眠ってしまったので自信はないけど。

 

 翌日。あたしはお詫びの意味を込めてポトフを作った。お兄ちゃんの好きなミルク風味で。
 お兄ちゃんに夕食を差し出すのは凄く恐かった。恐くてたまらなかった。
 今日もいつものように無視されるのだろうか。それともあの日みたいに怒号で拒絶される?
 嫌な考えばかりが頭の中をぐるぐる回って逃げ出したくなった。
 でも、もう後悔したくない。あたしは勇気を振り絞ってお兄ちゃんの前にお皿を置いた。

「………」
 いつもの仏頂面があたしを見つめる。

「……っ…」
 恐い。足がひとりでに震えだした。本当はお皿を置いたらさっさとお兄ちゃんから離れたかった。
 でも、我慢してその場に踏ん張った。血が滲むくらい唇を噛み締めて彼の反応を窺う。

 ひとしきり見つめられた後、お兄ちゃんは黙ってポトフを食べ始めた。

 ―――――ああ。今日も無視されちゃったか。
 そう思ったとき。

「……マローネ」
 初めて。
 お兄ちゃんがあたしの名前を呼んだ。
 ……聞き違いかな。信じられない気持ちでお兄ちゃんの顔を見る。そしたら。

「ありがとう。……すごく美味しい」

 柔らかい笑顔で。あたしにそう言った。

「あ―――――」
 
 お兄ちゃんがあたしにお礼を言ってくれた。
 お兄ちゃんがあたしの料理を褒めてくれた。
 それが、凄く嬉しくて。嬉しくて嬉しくて仕方なくて。

 ―――――あたしはまた、泣いてしまった。

 

 

 あのときの笑顔は今でもあたしの宝物だ。
 その日を境にお兄ちゃんは傭兵隊のみんなとも打ち解けていくようになる。
 あたしにとってはそれが嬉しくもあり、残念でもあり。ちょっと複雑な気分だった。
 
 実のところ。
 あたしは初めてお兄ちゃんの笑顔を見たとき、本心では独り占めしたかった。
 ……あたしにだけ、その笑顔を向けて欲しい。あたしとだけ、話をして欲しい。

 その想いは、お兄ちゃんと離れて暮らすことになって急速に膨らんでいった。

 だから。あたしは―――――――――。


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