Bloody Mary 2nd container 第20話B
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 夢を見ている。とても懐かしい、それでいて鮮明な過去の思い出。

 確かお兄ちゃんが笑顔を見せるようになってからそう間もない頃だろうか。
 あのころは、戦争に参加しないあたしもお父さんたちに連れられて、駐屯地で過ごす毎日だった。
 戦争に駆り出される皆の帰りを、ヒヤヒヤしながら待っていたのを今でも覚えている。

 いつも待ってばかりだった自分に嫌気が差していたんだと思う。
 ある日、あたしは思いつきでお兄ちゃんにあることを言った。

 

『マローネ。なんだ、それ』

 長筒を持っているのに気付いたお兄ちゃんが近づいてくる。
 もう大分みんなとも打ち解けたようで表情も柔らかい。

『え、これ?さっき知らない兵隊さんにもらったんだ。使い物にならないから、って』
 長筒を、お兄ちゃんに差し出すように見せて答えた。

 あたしがもらってもどうしようもないんだけどな。

『……マスケット銃か。確かに初心者には敷居の高い武器だな』
 しげしげと眺めながら頷く。お兄ちゃんもまだ戦闘経験が浅いから、マスケットが珍しいみたい。

『どうしようか…?これ』
 もらったのはいいんだけど、使い道が見当たらない。

『俺たちの隊に銃を得物にしてる人はいないしな……』
 お兄ちゃんも考えあぐねているようで歯切れが悪い。
 そんなお兄ちゃんを見ながら、ふと良いことを思いついた。

『じゃあさ。あたし、この銃の使い方勉強するよ。それで傭兵になったら、
 お兄ちゃんを助けてあげる』
 軽い雰囲気のまま言ったが、内心ではかなり本気だった。
 だって、お兄ちゃんの訃報なんて聞きたくなかったから。そんなもの聞くくらいなら
 お兄ちゃんと一緒に死んだ方がいい。
 そう思っていたから。

『ははっ。それは助かるよ。うちの傭兵部隊って弓兵が殆どいないしな』
 多分このときのお兄ちゃんはあたしが本気だって気付いてなかったんだろう。
 冗談でないと解っていたなら全力で止めていたはず。
 実際、後日改めて銃の勉強をすると言ったとき、一番反対したのはお兄ちゃんだった。

『でもマスケットって再装填してる間、すっごく無防備だって言うから。
 その間はちゃんと守ってよね、お兄ちゃん』
 笑顔でぱしっ、と背中を叩いたのだけど。お兄ちゃんは何故か辛そうな顔をした。

『………ああ。守るよ。
 ――――――――――今度こそ、絶対』

 こっちまで胸が締め付けられるような、そんな顔だった。

 

 

 

 嗚呼。気付いてしまった。

 

 その顔は山小屋で山賊の頭領を撃ってから、ずっとあたしに向けていた顔だ。
 お兄ちゃんのそんな顔見たくない。そう思って死にもの狂いで銃の扱い方を習ったのに。
 初めてあたしに心を開いてくれた、あの柔らかな笑顔が見たくて、
 お兄ちゃんに世話を焼いていたのに。

『あなたが欲しかったのはウィルの何ですか?』

 いつからだろう。お兄ちゃんをただ独占したいと思ったのは。
 ねぇ、お兄ちゃん。
 あの笑顔を見せてくれなきゃ辛いだけじゃない。独り占めする意味がないじゃない。
 そんな思い詰めた顔を独占したって嬉しくないよ。だって。

 あたしの生き甲斐は、あの笑顔に集約されているのだから。

 お兄ちゃんを独占するにはあの三人が邪魔。
 でもその三人を排除しようとするとお兄ちゃんはあの笑顔を見せてくれない。
 それなのに三人を放っておいたら独占できない。

 ぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。
 いつまで経っても考えがまとまらない。

 マリィを殺すとあんなに強く誓った決意が揺らぎ始め。
 かと言って他に良い方法が思いついたわけでもなく。
 ――――まるで答えが見えて来ない。

 考えても、考えても。

 どこを目指せばいいのかすら皆目見当もつかない。
 思考を積み重ねれば積み重ねるほど、迷走を繰り返し……雁字搦めになって身動きが取れなくなる。

 

 

 ……どうすればいいの?あたしはどうしたいの?
 あたしは、いったい、どうしたら――――――――。

 闇へ、闇へと。
 出口の見えない思考の迷路を彷徨いながら、あたしは暗い闇へと堕ちていく。
 もうこのまま、浮上できないくらい深い底まで沈んでしまおうか。

 そう諦めかけたとき。

 誰かがあたしの右手を掴んだ。
 とても温かい、人の肌の感触。覚えのある感触だった。

 掴まれた右手が力強く引っ張られ、あたしは一気に光の許まで引き上げられる。

 光が視界いっぱいに広がって。

 その先に誰かの人影が見えた。

 

 

 

 

「ん………んぅ……―――――?」

 目が覚めると、あたしはベッドで横になっていた。
 窓から見えるのは燦燦と輝く太陽。
 いつの間にか夜は明けていた。いや、もしかしたら正午も過ぎているのかもしれない。

「つっ…!」
 突然頭に鈍痛が襲った。
 顔をしかめながら頭に手をやると、指先に布の感触。………包帯…?

 怪我をしているのだろうか。
 怪我の原因は何なのか記憶を辿る。
 確か、あたしは。
 マリィを撃ち殺そうと引き金を引いて……目の前が真っ白になって。
 ……そこで意識が途切れている。気が付けばあたしは此処にいた。

「何が、あったの……?」

 部屋のまわりを見渡すと、誰かがあたしのベッドに上体を預けて
 うたた寝しているのが目に入った。
 ベッドの横、椅子に腰掛けたお兄ちゃんだった。

「お兄ちゃん………」

 眠っているお兄ちゃんの髪に右手を伸ばそうとして、やっと気付いた。
 右手にずっと感じていた温もり―――――お兄ちゃんがあたしの手を握ってくれていたのだ。

 

 

「…………ぅ……?」
 あたしの気配を感じ取ったのか、お兄ちゃんがゆっくり瞼を開く。
「マロー……ネ…?」
 寝ぼけ眼であたしの目を数瞬見つめ。

「マローネッ……!!」

 いきなり抱きつかれた。
 こちらから抱きついたのは幾度となくあったけど、抱きつかれたのは初めてだった。

「お、お兄ちゃん?」

 嬉しかったけど信じられない気持ちの方が大きかった。
 抱きつかれたことが信じられないんじゃなくて。

「良かった……良かった……。目を覚まさないんじゃないかと心配したんだからな」

 お兄ちゃんが泣いていたから。
 初めて会ったあの日以来、泣いているのを見たことがなかったから。

「痛いところはないか?気分悪いとか、身体のどこかが動かないとか……」

「だ、大丈夫だよ。ちょっと頭が痛いけどそれ以外は何ともないから」
 お兄ちゃんの背中に手を回して、落ち着けるように答えた。

「本当だな?何かおかしいと感じたらすぐに言えよ?」
 自分が泣いていたのがやっと解ったのか、恥ずかしそうに涙を拭うお兄ちゃん。

「それより……あたしどうしたの?
 あの女―――――マリィを……えと、その…撃とうとして……その後の記憶がないんだけど……」
 鈍痛のする頭を巡らせながら尋ねる。何度思い出そうとしてもやっぱり記憶がない。

「銃が暴発したんだよ。覚えてないか?
 火打ち石以外の次善策としてシャロンちゃんが銃口を詰めてたんだ」

 お兄ちゃんの話ではあたしが夕食を取っている間に銃に細工をしてたらしい。
 弾込めは山小屋に出掛ける前に終わっていたから、銃口の確認なんてしていなかった。
 陽が暮れて暗かったせいもあって確認に手を抜いていたのが仇になった。
 あたしの負けはお兄ちゃんが部屋に来るよりも前に決まってたことになる。

 ―――――まあ、今となってはどうでもいいけど。

 

「その、悪かったな……マローネ」
 内心自嘲していたあたしに、お兄ちゃんが重たげに口を開いた。

「どうしたの?藪から棒に」

「勝手にお前に恨まれてるって勘違いして………それならお前から離れよう、って。
 よく考えたら自分勝手なんだよな、こんなの。ただの逃げだ」

 眉を寄せ、言いにくそうに目を伏せるお兄ちゃん。
 ああ。あの時の顔だ。お願いだから…そんな顔、しないでよ。

「その、俺さ―――――んあっ」
 せっかくお兄ちゃんと二人きりなのに、さっきから暗い顔ばかり。
 あの笑顔が見たくて、あたしはお兄ちゃんの両頬を引っ張った。

「お兄ちゃん、ネクラだよ〜。終わったことをいつまでもウジウジと」

「あ、あおーね……」

「あははっ。変な顔!」
 頬を引っ張られたまま喋るお兄ちゃんの顔があんまり可笑しいものだから、
 思わず噴き出してしまった。

「お前がやったんだろ…」
 不服そう睨みつける。
 でもすぐに自分でも可笑しくなったのか、あたしと同じように笑った。

 うん、それでいい。まだちょっと憂いは消えてないけど。
 あたしが見たいのはその顔なんだから。この顔のために色々やってきたんだから。

 あたしが満足して頬を綻ばせていると。

「マローネ」
 真剣な表情に戻ってあたしに尋ねてきた。

「お前さえ良かったら―――――――いや、違うな。マローネをダシにするのは卑怯ってもんか」

 かぶりを振って言い直す。

「俺たちと一緒に暮らそう……俺はそうしたい」

 俺と、じゃないのはいただけないけど。
 でも、まぁ。お兄ちゃんにしては上出来かな。この言葉が聞けただけでも。

 

「………」
 すぐには答えず、自分の考えをもう一度頭の中で咀嚼する。

 お兄ちゃんの申し出はすごく嬉しい。
 だけどあたしはもう決めてある。これからのこと。お兄ちゃんのこと。
 ちゃんとした答えはまだ見出せてないけど、当座の目的は決まった。
 自分がどうしたくて、どうするべきなのか。

 

「あたしは―――――――」

 そして、あたしは。今の気持ちを言葉にして伝えた。

 

 

 ――――――――・・・・・

 

 

 東の空から、太陽が顔を出している。…マローネが進む方角だ。
 眩しさに目を細めながら、俺はその遥か先に目を向けた。
 平野が続く向こうにはところどころ森林地帯が見える。

「ほんとにいいのか…?マローネ」

「…うん。みんなをちゃんとお家に帰してあげたいし」
 脇に置く荷物をちらりと見ながら、マローネは微笑う。

 荷の中にはベイリン傭兵旅団、みんなの遺骨が入っている。
 回収された遺体はマローネのたっての願いで火葬にしてもらった。
 遺骨をそれぞれの故郷の地で埋葬するためだ。

 

 マローネが目覚めてから三日。
 銃の暴発で受けた傷は奇跡的に大したものではなかったので、今はすっかり完治している。
 これからオークニーを出るマローネを見送るため、俺たちは街の東門に来ていた。
 今日はマローネの旅立ちの日だ。

 俺たちと一緒に暮らそう。
 その申し出に対するマローネの返事は"NO"だった。

『――――――少し、独りになって考えたいから』

 どういった心境の変化か俺には解らない。
 だけど、そのときのマローネの顔から陰鬱とした暗さは消えていた。
 マローネはみんなの遺骨を故郷に届けながら、独りで気持ちを整理したいと言っていた。
 俺と一緒にいたいとあれほど口を酸っぱくして言っていたマローネが、
 急にそんなことを言い出したのには驚いたが、彼女の目に迷いはなかった。
 ……旅団の故郷は皆バラバラだ。単にそれをひとつひとつ廻るだけでも長い旅になるだろう。
 しばらくは会えなくなる。

 

「マリィ」
 マローネが、少し離れてこちらの様子を眺めていた団長に声を掛けた。
「あっ、はい?」
 まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声で返事。
 姫様やシャロンちゃんも目を丸くしていた。

「ごめんなさい」

「え?…え?」

 突然マローネが頭を下げた。いきなりの行動に益々アタフタする団長を尻目に。

「勘違いしないで。あんたを殺そうとしたのを謝ったの。けど、それだけだから。
 あたしが今日此処を離れるのはお兄ちゃんを諦めたわけじゃない」

 マローネには珍しい、仏頂面で淡々と語る。

「お父さんが死んだのは仕方ないって理解してるし、お兄ちゃんがあんたのことを
 買ってるのも解ってる。
 ……でも、それでもやっぱりあたしはあんたが嫌い。お兄ちゃんは絶対に渡さないから。
 ――――――あたしが言いたいのはそれだけ」

 ぽかんと口を開けている団長から離れて、置いていた荷物を肩に掛けた。
 ……間もなく出発だ。

 

「お兄ちゃん、行ってきます」

「ああ。―――――いつでも帰って来いよ」

 こちらの返事に少しだけ淋しそうに笑うと、俺たちに背を向け、東へと歩き出した。
 その背中を黙って見つめる。
 徐々に。徐々にマローネとの距離が離れていく。
 世界は広い。もしマローネに帰ってくる気がなかったとしたら、
 これが今生の別れになってしまうだろう。
 朝日に吸い込まれるように小さくなっていく後ろ姿を見て、俺は少し不安になった。

「マローネ!!!」

 不安に駆られ、大きな声で彼女を呼び止める。
 マローネがこちらを振り返ったが、逆光で顔がよく見えない。

「待ってるからな!お前が帰ってくるまで、ずっと待ってるからな!!」

 やはり顔はよく見えない。
 ―――――だけど。俺にはマローネが笑っているように見えた。

 再びマローネが歩き出す。もうこちらを振る返ることはなかった。

 

「あやつ、帰ってくるじゃろうか……」
 黙って眺めていた姫様が、誰にともなしに呟く。

「……ええ、きっと」
 それに答えたのは団長だった。

「あんな眼をしていた人が、これでウィルを諦めるわけありません」

「………経験者は語る、というヤツじゃな」
 ほくそ笑みながら言う姫様。
「不本意ではありますけど」
 団長も肩を竦めて笑っていた。

 また東に目を向ける。
 もう、マローネの姿はかなり小さくなっていた。

 ―――――待っている。
 お前が帰ってくるまで、俺は旅に出ない。オークニーで。ずっと此処で待ってるから。
 だから絶対に……。絶対に帰って来い。

 彼女の背中に向かって、俺は静かに誓いを立てた。

 

「そういえば、ウィリアム様。今まで訊きそびれていたのですが、少しよろしいでしょうか?」
 マローネが消えていく東の方角を眺めていると、今までずっと喋っていなかった
 シャロンちゃんが今日の第一声を上げた。

「……何?」
 穏やかな気分で答える。

「私が、囚われていた姫様の偵察から帰ってきたとき。
 ウィリアム様の部屋から栗の花の香りがしたのですが……気のせいですか?」

「すぺぺっ!?」
 ……舌噛んだ。

「ほ〜ぅ?詳しく聞かせてもらおうか……ウィリアム」
 笑顔で詰め寄る姫様が猛烈に恐い。

「あ、いや、その……」
 シャ、シャロンちゃん。何も今そんなこと訊かなくてもいいのに……。
 どうやって姫様の機嫌を取ろうか悩む俺の横で団長が。

「それなら私が答えましょう。ウィルがいかにして私に愛され、私を愛したか。
 そうですね、先ずは……『団長!俺、団長のことが好きなんです!』って
 ウィルが言ったところから―――」

 ああっ、火に油注がないでっ。……って、その前に事実を捏造しないでください。

「ウィリアムっ!おぬし、わらわが捕まっていたときにマリィと…くんずほぐれつ
 ヨロシクやっておったのかっ!!」
 姫様の顔が修羅に変わった。取って喰おうかというくらいの勢いだ。…やっぱり恐い。

「ウィルを責めないであげてくださいね。お子様の姫様より私の方がいいって思うのは
 至極自然なことですから」

「ぐぅぅぅぅぅっっっ!!!ひんぬーのくせにっ!ひんぬーのくせにっ!」

「むっ…!?あなたの方が洗濯板じゃありませんか!第一、毎回思うんですが
 あなたに胸のことを言う資格はありませんね!」

 

 ……また始まった。
 いつものように喧嘩を始める二人にため息をつきながら、マローネが消えた東の平野を見た。
 もう森林地帯に入ったのか、こちらからマローネの姿を確認することはできない。

「心配……ですか?」
 俺の様子を見ていたのかシャロンちゃんが横から顔を覗く。
「……まぁ、ね。
 でも―――マローネは『さよなら』じゃなくて『いってきます』って言ったから。
 あいつを信じて待とうと思う」
 
 俺は半年、いやニ年もマローネを待たせたんだから。今度は俺がマローネを待ってやる番だ。
 これくらい何てことない。

「…と、シャロンちゃん。いい加減二人を止めないと。そろそろ取っ組み合いになりそうだ」

「そうですね」

 癇癪を起こしている二人を指差すと、俺たちはお互いの顔を見て笑った。

「さ、姫様。その辺にしておきましょう」
「団長ッ!何抜剣しようとしてるんですか!」

 二人の間に割って入る俺たち。
 その遥か上方には雲ひとつない空が、マローネの旅立ちを暖かく祝福していた。

 

 ――――――北には故郷。東に帝国。大海を南にのぞむ、この地で。

 

 

俺はただ待つ。彼女の帰りを。

 

 

 

END B『去る者、待つ者』


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