Bloody Mary 2nd container 第19話B
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 オークニーの静まり返った宿屋。その自室であたしは今か今かと時が満ちるのを待っていた。
 刻は月が空を支配する時間帯。よほどのことがない限り大抵の人間は眠っている時間だ。

「あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつの――――――」

 もう何度繰り返しただろう。あの女への怨念を短い言葉に乗せてただ繰り返す。
 あれからあたしは独り部屋の中で呪詛のように呟き続けていた。

 ……お兄ちゃんにまで捨てられた。いくら言っても目を醒ましてくれなかった。
 あの女が全部悪いのに。お兄ちゃんはあいつの味方をした。
 それだけにとどまらず、あたしを怒鳴りつけた。
 あのときみたいに。まだ出会って間もない、あの頃みたいに。

「あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつの――――――」

 そのせいで。自分でももう訳が解らなくなって。
 お兄ちゃんにまで怒りをぶつけてしまった。あたしを心配して来てくれたのに
 部屋から追い出してしまった。

「あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつの――――――」

 きっと。お兄ちゃんに嫌われただろうな。
 もうあたしのこと、構ってくれないのかな。
 もしかしたら昔みたいに無視されるかも。
 三年前のお兄ちゃんを思い出して、ぽっかりと心に大穴が開いたような気分になった。

 今でも細部まで鮮明に思い出せる――――――あの日見た、お兄ちゃんの笑顔。
 もう二度と見ることは叶わないのかもしれない。
 嗚呼。あたしはあの笑顔のためだけに銃の扱い方を覚えたと言うのに。
 何も……何も無くなってしまった。
 三年間積み上げてきたお兄ちゃんとの関係も。生きる意味も。一切合財あいつに盗られた。

「あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつのせいだ。あいつの――――――」

 惨めに独りで生き続ける気は毛頭ない。
 お兄ちゃんに振り向いてもらえないなら潔く死を選ぼう。
 だけど、このまま独りで死ぬつもりもない。
 あの女も道連れだ。せいぜい幸せを噛み締めていろ。すぐに地獄に叩き落してやる。

 

 抱えていたマスケット銃をぎゅっと握り締めた。
 弾はとうの昔に込めてある。元々は陽が沈む前に葬ってやろうと思っていたのだから。
 直前で邪魔が入ったせいで見送っていたけど。

 一本は片目の男を撃ったときに故障してしまったので、予備の銃はもうない。
 他の二人を殺すときのことを考えるともう強化火薬は使えないかな。
 本当は壊れた一本目の銃を修理してから行動した方がいいんだろうけど。
 そんなに待ってられない。陽が登る前にあの女を殺さなきゃ。

 殺す。絶対殺す。あたしのお兄ちゃんを盗った報いを受けさせてやる。
 脳髄を破壊して、残った四肢はコマ切れにして、誰も通らない森に捨ててやる。
 そこであたしが味わった独りの恐怖に震えてろ。後はそのまま野犬の餌にでもなればいい。

 独りで震えている間にお兄ちゃんはお前のことなんか忘れる。
 お前に誑かせてたことにすぐ気付いて。あたしの方が正しかったんだって解って。
 もしかしたら、そうすればあたしのところに帰ってきてくれるかもしれない。
 さっきお兄ちゃんにしてしまったことも許してくれるかもしれない。

 ……あれ?
 もし、そうだとするなら。
 あたしにもチャンスがあるんじゃない?
 何もかも失ってしまったと意気消沈する必要なんて何処にもない。
 ―――――あいつを殺せば、お兄ちゃんは戻ってくるんだから。

「なんだ………そうか」

 結局は。あの女が死ねば全部丸く収まる話じゃない。
 あの女を殺せばお父さんも浮かばれる。お兄ちゃんも騙されてたって気付いて帰ってくる。
 また……あの笑顔も見られる。
 盗られたのなら、取り返せばいいんだ。
 最初の目的通りあの女を始末すればそれで元通りなんだ。

 なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
 あいつを殺せばお兄ちゃんの目が覚めるって今朝からずっと思ってたのに。
 あたしがお兄ちゃんに此処でした失敗なんて全然気に病むことなんかない。

「えへっ」

 簡単な話。悪者を退治してお兄ちゃんを取り返す。
 よくある、勇者様が囚われたお姫様を助けるお伽話と同じだ。

 …でも、お兄ちゃん?普通はこういう場合、勇者様がお兄ちゃんで、お姫様があたしじゃない?
 まぁそんなちょっと世話のかかるお兄ちゃんが大好きだけど。

 窓から見える月に目をやる。
 月の位置からしてもう夜もかなり深い。……そろそろ、頃合かな。
 あたしはベッドから立ち上がり、小さく息を吐いた。

 

 さあ。
 今宵はお伽話の再現にはうってつけの夜だ。
 月がこんなにも明るい。……まるであたしを応援してるかのよう。
 今日はマリィ=トレイクレルの命日になるだろう。あはっ、でも誰も弔わないけど。
 殺すのが早ければ早いほど、それだけお兄ちゃんが正気に戻るのも早くなる。善は急げ、だ。

 窓から漏れる月の光に銃身を晒して、マスケットの火皿を覗き込む。
「……ん」

 火皿にちゃんと火薬が入っているのを確認してから。
 あたしは部屋を出た。

 

 ――――――――・・・・・

 

 足音を殺して二階まで来た。
 暗い廊下に扉が三つ並んでいる。その真ん中。
 あの女がいる部屋だ。おそらく、命を狙われているとも知らずにベッドで夢の中なのだろう。
 お兄ちゃんの夢でも見ているのだろうか。想像するとその場で引き金を絞りたくなった。

 そっと扉を開ける。
 駄目元で扉に手をやったのに、施錠はされていなかった。
 えへっ、無用心だなぁ。そんなことじゃ殺されても文句言えないよ?
 ま、おかげでこっちは窓から忍び込む手間が省けて助かったけどね。

 これから殺される女の馬鹿さ加減にほくそ笑みながら部屋の中に入ると。

 

 ―――――蝋燭に明かりが灯っていた。

 

「…え?」

「―――――――来ましたね、マローネさん」

 ベッドに腰掛けている女の顔が蝋燭に照らされ、ぼんやりと見える。
 あの女、マリィの顔だった。

 

「な、なんで……」
 眠っていなかった。もうこんな時間なのに。
 いくらなんでも偶然起きてた……なんてことはないだろう。あれだけ待ったんだから。

 ……と、なると。

「知ってたんだね、あたしが此処に来るの」

「正確には"気付いた"ですけどね。
 あれだけ殺気をバラ撒いてたんですから一両日中には来ると思ってました」

 目を細めて少しだけ悲しそうに笑うマリィ。
 ―――――何。その憐れむような表情は。
 どうしてあたしがそんな顔されなきゃならないの。しかもあんたなんかに。
 本当に。つくづくムカつく女。

「へ、へえ……。あたしが何しに来たのかも?」

「えぇ。心当たりはたくさんありますし。
 それにあんなに敵意を剥き出しにされたら嫌でも気付きますよ」

「じゃあ、わざわざ説明する必要もないよね?
 ――――――おとなしく死んで」

 銃口をマリィに向け、引き金に人差し指を掛けた。
 ……救国の英雄が聞いて呆れる。何の策もなしにあたしが来るのを待っているなんて。
 帯刀すらしていない姿はもう失笑する他なかった。

 ………あれ?帯刀すらしてない…?

 ―――――いくらなんでもおかしい。
 あたしが来るのを解っていてどうして剣を持っていないの?
 そもそもこうなる前に返り討ちにすることだってできたはず。
 本当に何もせずに待っていただけなら、ただの自殺願望者と同じだ。

 ……嫌な予感がする。

 

「マローネさんとちゃんと話をするのは、これが初めてでしたよね?」
 穏やかな口調であたしに話しかけてきた。

 いったい何を企んでるの…?このまま引き金を引くべきか、
 それとももう少し様子を見ておくべきなのか……
 部屋の中には他に誰かいる気配はない。マリィは囮で誰かが物陰から襲ってくる、
 なんてことは無さそうだ。

「……やっぱり、あなたのお父様のことが原因ですか?」

 逡巡するあたしを余所に一人で勝手に喋り続けるマリィ。……勘に障る女。

「…ふんっ!よくも抜け抜けと…!それだけじゃないッ!
 お兄ちゃんの仇のくせに…図々しくあの人に纏わり付いてるのが、
 あたしは我慢ならないのッ!!」

「仇……。そうですね、確かにその通りです」
 どこか遠くを見つめるような瞳で、マリィは呟いた。

 嗚呼ッ…!何なの!その冷静ぶりはッ!

「だったら!さっさと消えてよ!!
 あんたのせいでお兄ちゃんは苦しんだのに!あんたがいなけりゃ
 お兄ちゃんはさっさと騎士を辞めてたのに!!
 おかげであたしはお兄ちゃんと離れ離れになって――――それでも我慢した。半年も待った。
 あんたがアリマテアでお兄ちゃんと居る間、あたしはずっと待ってた!
 こんなところでお兄ちゃんをずっと待ってた!!
 やっと会えたと思った時には女が三人も居て……おまけにその中の一人が
 お兄ちゃんの故郷を襲った黒幕の娘!?フザけないでッッ!!!」

 マリィはただ、あたしの罵声を黙って聞いていた。
 それが一層あたしの憎悪に拍車をかける。

「これ以上、あたしからお兄ちゃんを取り上げないでよッ!!
 お兄ちゃんは……!お兄ちゃんは、あたしだけのものなんだからぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!」

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
 ずっと溜め込んでいたマリィへの憤怒を吐き出した後は、
 あたしの吐息だけが部屋の中に響いていた。
 はらわたが煮えくり返っているあたしとは対照的に、終始冷静なマリィ。

「…………それで、私を殺そうと思ったんですか?」

 ―――――そうだよ。当然でしょ?人のものを盗っちゃう泥棒にはバツを与えないと。

「私を殺して、その後。あなたはどうするつもりだったんですか?」

「あははっ。何言ってるの?お兄ちゃんと二人で暮らすに決まってるじゃない。
 あんたが死ねばお兄ちゃんも誑かされてちょっと病気になってただけだって気付くもの。
 その後はどこかでお兄ちゃんと一生二人きりで過ごすんだ。
 ……えへっ、羨ましい?
 ……あ。でも、残りの二人が邪魔してくるんならそいつらも殺しとかなきゃ」

「……そうですか」

 まただ。また、憐れむような目であたしを。
 だから……あたしはあんたに憐れまれる謂れなんてないって言ってるのに。

 

 

「…こういう時って、後のことは殆ど考えていないんですよね…。
 捨てられたくないあまり、思いついた一つのやり方にしがみ付く―――――
 よく考えれば破滅するだけだって解ってるんですけど。
 でも。それでも……破滅より彼に捨てられる方が恐い。他のどんなことよりも……」

 だから、あんた何?さっきから。……知った風な口聞かないで。

「あなたの気持ちは解らなくもないですが……それだけに見てて気分が悪いです。
 ―――――こういうのを同族嫌悪、って言うんでしょうね」

 言いながらベッドから立ち上がり、あたしを正面から見据える。
 ああ。おかげで狙い易くなった。

「あんたと一緒にしないでよ、それこそ気分が悪い」
 照準をマリィの額に合わせて睨み返す。

「おじさまを死なせてしまった咎はいくらでも受けるつもりです。
 …ですが、ウィルのことだけは譲れない」

 ふーん。そこで女の顔するんだ、あんた。…ムカつくなぁ。

「だから、違うってば。お兄ちゃんはあたしのなの。
 譲る譲らないじゃなくて、生まれた瞬間から、この先未来永劫ずっとあたしのなんだから」

 いくら話をしても平行線。
 あんたがお兄ちゃんを諦めるって言うんなら見逃してあげたんだけど。
 でも、当たり前か。あたしとこいつが交わることなんて絶対ない。

「……なのに、あんたは誰に断ってお兄ちゃんの傍にいるの?」

「ウィルは、私のことを恨んでいないと言ってくれました。傍に居てもいいと言ってくれました。
 ちゃんと彼と話をすれば、こんなことしなくても他にいくらでも方法があるんです」
 自分の胸に手を当て、思い出すように目を瞑るマリィ。
 ……なるほどね。そうやってお兄ちゃんを誑かしたわけだ。…この糞女。

「あなたがどういう経緯で今の行動に至ったのかは私にはわかりません。
 でも今あなたがしていることは、邪魔者を排除するのと同時に
 ウィルを苦しませることになるんです。
 此処に来る前、私はそれを痛感しました」

 次から次へと。全く飽きもせずあたしの癪に障ることばかり。
 あんたにあたしの何が分かるって言うの。

「あなたが欲しかったのはウィルの何ですか?身体?心?それとも他の何かですか?
 それをもう一度考えてみてください」

 不意に。お兄ちゃんの笑顔がチラついた。
 ……いけない、いけない。ちゃんと現実に目を向けていないと。
 こんな女なんかに惑わされるなんて。よっぽどあたしも疲れているらしい。

 

「言いたいことはそれだけ?」

 さて、と。そうこうしている間に結構時間経っちゃったけど。
 何かあると思ったのはあたしの思い過ごしかな…?
 これだけ待っても何も起きやしない。ただの時間稼ぎ?
 いや、あたしが仕掛けてくるのを待ってるのかもしれない。
 それなら望みどおりにしてあげよう。いい加減こいつとの会話も飽きたし。

 人差し指に意識を集中させる。
 さっきからずっと銃口を向けられているというのに、マリィは顔色ひとつ変えない。

「―――――やっぱり。
 私が何を言ったところで無駄ですか……」

 目を伏せ、ひとり呟くマリィ。

「それじゃあ、さよならだね」
 ……これで。これでお兄ちゃんはあたしのもの。

 あたしは。
 人差し指に力を込め。
 引き金を引いた。

 ―――――パチンッ

「……あれ?」
 マスケットは沈黙したまま。
 マリィは静かにこちらを見つめていた。

「何?不発?」
 何度引き金を引いても、当たり金を叩く火打ち石の音が聞こえるだけで弾が射出されない。
 単なる不発じゃない。火薬が湿った…?いや、それ以前に……
「あんた、何したの?」
 できるだけ動揺を隠してマリィから距離を置いた。

「私にできるのはここまで……。後はウィルに任せましょう。
 入ってきてください、ウィル」
 マリィがあたしじゃない、誰かに声を掛けた。

「―――――え?」

 

 マリィの声と共に背後の扉が開かれ、その先に。

「マローネ……もうやめよう」

 侍女に連れられたお兄ちゃんが姿を現した。

「頼むからこんなことやめてくれ」
 辛そうに眉を寄せた顔でこっちを見るお兄ちゃん。

 

 その顔が目に入った瞬間、全身の血が沸騰して銃をマリィに突きつけた。

「あんた!またお兄ちゃんを誑かしたのねッ!!」

 引き金を引く。…何度も。何度も。
 それでも銃口から鉛玉が飛び出すことはなかった。

「クソッ!なんで…なんで…ッ!!」

「いくら引き金を引いても弾は出ません、マローネ様」
 狂ったように引き金を引く横で、侍女が懐から小さな石を取り出した。
 涼しげな顔で、彼女が右手に摘んでいるのは、火打石…。

「……あ、え…?」
 慌てて自分の銃を見た。
 暗がりでよく見えないが、前に見たときと石の形状が少し違う気がする。

「石を掏り替えさせていただきました。今その銃に付いてる石では、着火は無理でしょう」

 いつの間に。
 とんだ茶番だ。意気揚々とマリィの部屋に忍び込んだのを、ここにいる全員が知っていた。
 知らなかったのあたし一人。おまけに使えもしない銃をマリィに向けて。
 間抜けなのは、あたしの方だった。

「……ッ」

 勝ち目はない。銃が使えなければ、体術でマリィを殺そうとしても
 すぐにお兄ちゃんたちに止められるだろう。
 銃が使えなければ………いや。火種さえあれば、まだ銃は使える。

「マローネ。聞いてくれ。
 俺は戦争で犯した罪を償いたいんだ。
 だからこうして団長たちと旅をしているし、騎士も辞めた。
 その答えを見つけるまで団長や姫様の告白を保留してる。
 それまで二人には待ってもらってるんだ。
 だからマローネの言うようにみんなと別れるわけにはいかない」
 やめてよ。こいつらに何を吹き込まれたか知らないけど、そんなこと言わないで。
 あたしじゃ、駄目なの?そいつの方がいいの?なんで?お兄ちゃん。

 三人に悟られないように机の上の蝋燭を見た。まだ弱々しくも火が灯っている。
 じりじりと、少しだけその蝋燭に近づく。

「な、何がいいたいの、お兄ちゃん」

 まだ手は蝋燭に届きそうにない。

「団長に誑かされたとか、そんなんじゃない。俺は団長と居たいからそうしてるんだ。
 いくらマローネの頼みでも聞き入れることはできない」

 なんだ。結局……結局のところ。

「やっぱりあたし、捨てられたんだ…」

「違―――――」
 お兄ちゃんが何か言うよりも早く、あたしは蝋燭に手を伸ばした。
 もういい。この女を殺してあたしも死ぬ。
 マリィにだけは、絶対にお兄ちゃんを渡したくなかった。

 

「マリィ様ッ!蝋燭をッ!!」
 侍女の声で弾かれたように飛び出すマリィ。
 だけどもう遅い。とうにあたしは蝋燭を掴んでいた。

 こちらに駆け寄ってくるマリィに再度銃口を向ける。…次は不発じゃない。

「止せッ、マローネ!!」
 ごめんね、お兄ちゃん。でもこいつだけは。

 お兄ちゃんは、誰にも渡さないんだから。
 こんな女なんかに。こんな―――――

「マローネさん、やめなさい!その銃は……!!」
 マリィが血相を変えてあたしに手を伸ばす。でも、そんなところからじゃ届かないよ?
 やっとこの女の慌てた顔を拝むことができた。その顔があんたの最期の顔だから。

 これで、詰め。

「えへっ」

 あたしは、火皿に蝋燭の火をぶち込んだ。


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