Bloody Mary 2nd container 第21話A
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『だからっ!ウィルにそんなもの食べさせないでくださいっ!』

『そんなものとはなんじゃ!これはれっきとしたポトフじゃぞっ!』

 日々の日常。今日も今日とて団長と姫様が言い争っている。

『それのどこがですか!花瓶の花を見てみなさい!臭気で枯れてしまったでしょう!
 そんなおぞましいモノ、ウィルの寿命を縮めるだけですっ!早々に捨ててきなさい!』

『やかましいわっ!それは花が軟弱なだけじゃっ!ウィリアムはこれしきのことで
 食べるのを躊躇したりせん!』

 ―――あー…姫様?そういう問題じゃない気が……

『ウィルもウィルです!この毒物製造機にはっきり言ってあげたらどーですか!』

 ―――えーと…いえその…姫様がいつか美味いポトフを作ってくれるなら我慢できるかなぁ、
 と思ってるんですが。

『ほれ、見たことか。ウィリアムはこう言っておるぞ?
 だいいち、料理の全くできんヤツが逆恨みでそういうことを言っても見苦しいだけじゃがな』

 ―――ちょっと!?姫様!そうやって火の中に油注ぎ込まないでください!

『ふふふ……言ってくれましたね、王女。……いいでしょう。
 私が本気を出せば味王すらも唸らせる料理を作れるということを証明してあげます』

 ―――団長も挑発に乗らないでください!ってか味王って何ですか!

『ほう?食材を粉のように切り刻むしか能のないおぬしが、料理をか?』

『ふ、ふん!馬鹿にしないでください!
 …ウィル!姫様の毒物を食べられるんですから、勿論私のも食べてくれますよね?』

 ―――は、はぁ……でもその言い方だと団長のも毒料理だと言っているように聞こえるんですけど…

『よかろう。そこまで言うのならどちらがウィリアムを昇天させられるほど美味い料理を作れるか、
 勝負しようではないか』

『わかりました。媚び媚びロリ王女ごときが相手では役不足ですが受けて立ちましょう』

 二人が肩を怒らせながら厨房へと歩き出す。

 ―――ちょっと、お願いですから厨房を破壊しないでくださいよっ!?

 嫌な予感がして俺も二人の後を追いかけた。

 ……実のところ俺もこんな毎日が楽しい。騒がしくて、二人に振り回されることばかりだけど。
 それでも今の俺にとっては。
 こんな日常が幸せでたまらないのだ。
 いつまでも。いつまでも。どっちが好きなのかはっきりしろと言う二人には悪いけど。
 いつまでも、こんな楽しい日々が続けられれば。
 大切な人たちと騒がしくて取り止めのないこんな日を過ごしていければ。そう思う。

 

 彼女たちの背中を見つめながら今ある幸福を強く噛み締める。

 ―――ははっ。

 この状況で唐突に何を考えてるんだと思うとちょっと可笑しくなった。

 ―――あれ?

 厨房へとさっさと歩いていく二人を見ながら違和感に気付いて首を傾げる。
 いくら走っても、前を歩く二人に追い付けない。そればかりかどんどん距離が離れていく。
 どうして?

 ―――待ってください。団長、姫様。

 俺の声が届いていないのか、二人は更に遠ざかっていく。

 ―――待って!

 それが凄く不安で。自分だけが取り残されるような気がして。俺は力の限り叫んだ。

 ―――置いていかないでくれ!俺を独りにしないでくれ!

 もう二人は遥か向こう。
 怖い。寒い。痛い。悲しい。ありとあらゆる負の感情で、心が押し潰されそうになる。
 お願いだ……俺を、置いていかないでくれ……

 ―――待って!待って!待って!待って!待って!待って!待って!待って!
 待って!待――――――

 

 

 

「――――って!!!」
 突然世界が一変し、気が付けば俺はベッドで横になっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 きょろきょろと部屋の中を見渡す。
 ここ数週間、幾度となく目覚めたいつもの部屋だった。
「ゆめ、か……」
 良かった。ただの夢か。そりゃそうだよな。ちょっと疲れてたからあんな夢見ただけだ。
 にしても、ずいぶんタチの悪い夢だったなぁ、ははっ。

「おはよう、お兄ちゃん」
 ベッドに同衾していたマローネが俺に目覚めの挨拶をした。
 この数週間毎朝、俺が一番初めに見る光景だ。

「おはよう、マローネ」
 俺が笑顔で答えると、彼女は俺の頬に口付けした。
「さてと。お兄ちゃんも起きたことだし、ご飯作るね」
 そう言って、ベッドから這い出て服を着始めた。
 マローネの裸。この数週間、見慣れた光景だ。
「…ん?」
 俺も支度するためベッドから立ち上がろうとするが腕が縛られていたのでそれは叶わなかった。
 この数週間、毎朝毎朝支度しようとしてから縛られてることに気付く自分に苦笑した。

「なぁ、マローネ。いいかげん、このなわ、ほどいてくれないか?」
 いつもの台詞。そしてそれに対するマローネの回答はいつもこうだ。
「ダ〜メ。お兄ちゃんが完全にあたしのものになるまでずっとそのままなんだから」
 なんのこっちゃ。毎度同じことを聞くがわけがわからない。
 俺が初めてこの部屋で目覚めてから、ずっと縛られたままなので
 此処がいったいどこなのかも解らない。
 おまけに腕がこの状態のおかげで俺はずっと裸のままだ。……ん?なんで俺裸なんだっけ?
 えーと……っつ!
 思い出そうとすると頭痛がするので考えるのはやめた。まぁいいや。
 それより団長たちはどうしたんだろう。今朝あんな夢を見たせいか、無性に二人に会いたくなった。

「そういえば、だんちょうとひめさましらないか?」
 俺が尋ねるとゆっくりマローネが振り返った。
 彼女の顔は笑顔。背筋が凍るくらいの、笑顔。

「いないよ」

 ただそれだけ答える。ぞわりと寒気が全身を襲った。

「は?」

 さっぱり意味がわからない。どこか出かけてるんだろうか。

「いるわけないよ」

 なにを、いってるんだ…?

「ここにいるのはあたしたちだけ、っていつも言ってるのに……」

 いつも言ってる?そうだっけ?
 あ、れ………記憶が酷く曖昧で、此処に来る前の記憶を掘り起こそうとすると目眩がした。

「あの二人に会いたいの?お兄ちゃん」

 ああ。会いたい。すごく、会いたい。どこにいるんだ?

「無理だよ」

 なんでだよ。遠くにいるとしても俺は一目散に飛んでいくぞ。二人に会えるのなら
 それくらいの苦労、なんてことない。

「だって――――」

 ……だって?

 

「二人とも、もう死んでるんだもん」

 

 ――――――――あ。

 そして、今日も俺の心は壊れた。

 

 

 いつもだ。いつもこうなってから思い出す。
 この部屋で暮らすようになってから毎朝毎朝俺はマローネとこんな不毛なやりとりをするのだ。
 朝目覚める度、俺は団長たちのことを訊いて。
 マローネがその問いに何度も同じ返事をして。
 その答えを聞く度に絶望に心を砕かれて。
 二人がもういないことを思い出す。
 そして翌日にはそのことをもう忘れて、再びマローネに二人のことを尋ねるのだ。
 来る日も、来る日も。

 此処に来る前の記憶は曖昧だけど、二人がもういないことだけは深く俺の心に残っていた。
 どうせならそれも忘れていればよかったのに。そうすればこんな思いをせずに済んだ。

「あぁ、そうか。ふたりともしんだのか……」

 その事実を口に出して、砕かれた心がさらさら零れていくのが解った。
 ただ天井を見上げるだけの俺の目には涙すら浮かばない。そんなもの、とうの昔に枯れ果てている。

「しんで、るのか……」

 不安、安堵、絶望。毎朝、それの繰り返しだ。

 どうして俺がこんな目に合うんだ。俺のいったい何がいけなかった?
 キャスを見殺しにしたから?戦争で罪のない人をたくさん殺したから?
 姫様と団長を助けられなかったから?
 だったらいくらでも償う。どんなことでもするつもりだ。
 だから、もうやめてくれ。これだけは辛すぎる。他のことならなんだってするから。

 

「お兄ちゃん」
 黙って様子を見ていたマローネが俺の手に触れた。
 マローネに目を向けると、まるで彼女が聖母に見えて少しだけ気持ちが楽になる。
「辛い?」
 痩せこけた俺の頬を優しく撫でるマローネ。

「うん。とても、つらい」
 自分の声がしゃがれているのに今更気付いた。

「楽に、なりたい?」
 やさしく語りかけられる。

 ――――ああ。楽になりたい。どうすればいいのか知ってるのか?

「うん。知ってるよ。とても、とっても簡単なこと」

 ――――それって何だ?教えてくれよ。早く楽になりたいんだ。

「それは、ね」

 ――――早く教えて。

「二人のこと、忘れちゃえばいいんだよ。そうすればすぐに楽になれるよ?」

 ………は、はは。何を言い出すかと思えば。

「むりだよ、そんなの。ふたりのことをわすれられるわけないじゃないか」
 忘れられるわけがない。今の俺にとって大きすぎる存在なんだ。だから忘れられない。

「できるよ。お兄ちゃんがあたしのことだけを考えればいいんだよ。…あたしのことだけを」
 俺を舐るようにキスするマローネ。彼女から漂う甘ったるい匂いが俺の思考を除々に奪っていく。
「そうすれば二人のことを忘れられる」

「おまえのことだけを?」

「そう、あたしのことだけ」
 言いながら、俺の身体の隅々まで唇を這わせる。それがとても心地いい。

「そうしたらおれもらくになれるかな?」

「なれるよ」
 まるでぬるま湯に浸かっているかのように気持ちがいい。
 ぼんやりとマローネの言っている意味を咀嚼する。
 確かにマローネの言うとおり、忘れられるかもしれない。

 だけど。

「……でも、わすれるなんてふたりにわるすぎるよ」
 俺が拒絶しようとするとさっきまでの苦痛が再び身体を襲ってきた。

「二人はもう死んだんだよ?お兄ちゃんが辛いのなら、さっさと忘れた方があの人たちも
 きっと安心すると思うな」
 どういうわけかマローネが俺に声を掛けている間だけは苦痛も薄れる。

「そうかな?」
 マローネの言葉がとても魅惑的で。

「そうだよ」
 彼女の声が辛いばかりの俺を優しく癒してくれているように感じた。

「……うん――――」
 
 辛さを忘れられるのなら。ずっとこんなぬるま湯に浸かっていられるのなら。

「――じゃあ、そうする」
 マローネにそう返事をした瞬間、二人の顔が不意に浮かんだけど、彼女たちのことを
 思い出すのはもうそれっきりだった。

 俺が決意した途端、急速に二人の顔が思い出せなくなっているのが分かった。

 彼女たちの姿形が蟲に喰われるように記憶から消えていく。

 

 ――――すいません。団長、姫様。でも………もう俺は。


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