Bloody Mary 2nd container 第18話A
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 ――――――――ズッ…

 呆気ない……ともすればさっき手首を切り落としたときの方が手応えがあろうかという、
 何の感慨も浮かばない感触だった。

 胸に深く潜り込む俺の剣。モルドは鬼気迫るほどの愉悦の表情を浮かべたまま息絶えていた。
「はぁ…はぁ…はぁ……はぁ――――――」
 仇を討った。三年前、気が狂うほど呪った男を殺した。
それなのに。

「なんだよ、これは」
 ……虚しい。達成感も、充足感も悦びも。何もない。ただ虚しいだけだった。
「何なんだよッ!!クソッ!!!」
 剣を荒々しく引き抜く。刀身にはべっとりとヤツの血が付着していた。
 仇を討った証だ。だけど、それを見ても何も感じない。
「クソッ!!クソッ!!クソッ!!クソッ!!」
 わけがわからない。ただひたすら、何度も何度もモルドの胸に剣を突き刺す。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ………

 こいつを殺したってキャスも師匠も帰ってこない。仇を討っても得るものなんて何もない。
 そんなことは最初から解っていた。
 でも、それにしたって。
 なんでこんな気分になるんだ。モルドの屑野郎のせいで、なんで惨めな気分に
 ならなきゃならないんだ!

「ちくしょうッ!キャスを返せッ!!師匠を返せッ!!皆を返せッ!!
――――――――俺の三年間を返せよッ!!!」

 ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ………

 何度も。何度も。剣を突き立てる。
 俺からあらゆるものを奪った男の着衣は、もう元の色が確認できないくらいに赤く染まっていた。

「返せッ、返せッ、返せッ、返せッ、か――――――」
 急に腕が動かなくなった。茫然としたまま振り返ると、団長が俺の腕をきつく掴んでいた。
「ウィル、彼はもう死んでいます」
 静かに首を振る。
 ……なんで、そんな悲しそうな顔するんですか、団長。
 ははっ、俺、三年越しの悲願を達成したんですよ?むしろ喜ばしいことのはずです。
 何も、悲しいこと、なんて――――――

「違う、俺が求めてたのはこんなんじゃ、ない…」
 なんて言い訳がましい。結局俺の悲願はこの程度のものだったんだ。
 こんなつまらない虚無感のために、戦争に参加して、師匠たちを死なせ、
 団長やマローネをボロボロにして。

「間違ってた…」
 あの虐殺事件が茶番だったとかそんなのは関係ない。最初から。
 そう、師匠に教えを乞うた瞬間から俺は間違ってたんだ。
 俺が仇を討つことを誓ったのがそもそもの間違いなんだ。今さらそんなことに気付いた。
 何も残っちゃいない。復讐を遂げて、今の俺の中身はカラッポだ。俺にはもう、何も……

「……ウィリアム」
 誰かの涙声。昔よく聞いた声に似ているけど少し違う。
「あ……」
 俺から少し離れたところに。
 姫様が目尻に涙を溜めて俺を見つめていた。

 ―――――まだ、あるじゃないか。空っぽなんかじゃない。
 今度こそ守れたんだ。姫様を助けられたんだ。全部なくなったわけじゃない。
 つん、と鼻の奥が痛んだ。
「姫様…」
 あぁ、良かった、良かった。姫様は無事だ。本当に良かった。それだけが
 俺にとって唯一の救いだった。
 少しずつ視界が滲んでいく。
 俺が師匠に教わったことは無駄じゃなかった。三年の苦労も少しは報われた。

「ウィリアムッ!!!」
 感極まったのか、顔をくしゃくしゃにしてこちらに向かって走り出した。
 俺もそれを出迎えようと少し屈んで両手を広げる。

 良かった。姫様が無事で。これでやっと、俺も―――――――

 

 タッタッタッ、と姫様の足音が小屋に響く。
 俺が抱きとめるまで、その音だけが響くはずだった。なのに。

 

 ―――――ドンッ

 

 突然、姫様の足音をかき消す轟音。
 それと同時に姫様の身体が何かに殴られたように真横に吹き飛んだ。
 よく見ると、姫様の腹部が爆ぜていた。

 

 ―――――――あ………え…?

 な、に…?なんなんだ。いったい。
 なんでこっちに駆け寄っていた姫様が不自然に九十度違う方向に飛ばされるんだ…?
 なんで、姫様は「転んでしまった」と照れながら起き上がってこないんだ…?

 状況が全く解らない。さっきの、音は、いったい、何…?
 音源を辿って小屋の入り口に目を向けた。夕日の逆光に照らされ思わず目を細めたが、
 人影を確認することはできた。
 顔をよく見ようと目を凝らすと。

 

 構えた長筒の先から黒煙を上げ。

 まるで顔に切れ込みを入れたかのような鋭い笑みを浮かべたマローネが。

 そこに立っていた。

 

 

「ま、マローネ……?」
 どうして此処にいるんだ…?銃口から煙が出ているのはどういう意味だ…?
 情報が全く整理できない。思考が固まったまま理解することを拒否している。

 ただ錯乱する俺に向かって、マローネが笑みを一層鋭くさせた。

「あはははははははははははははははははっっっ!!
 やった!やったよ!お兄ちゃん!!!これで先ずは一人目ェッ♪」

 耳を劈くマローネの笑い声。何、言ってるんだ……?

「待っててね、お兄ちゃん。そこの二人もすぐだから。すぐ済むから。
 悪いけど、もう少しだけ待ってて。えへへっ」

 濁った瞳で俺に微笑みながら逆光の中に消えていくマローネ。
 ……ちょっと待てよ。マローネ、ちゃんと説明して行けよ。これはいったい何のマネだ?
 そう言おうとしたが、声に出すことは出来なかった。

 え?あれ?えと…俺がモルドを殺して、すごく嫌な気分になって…でも姫様の無事が
 凄く嬉しくて……あれ?
 なんで?
 いったいどこをどうすればマローネが姫様を撃つなんてことになるんだ?
 嘘だろ。こんなことあるわけない。

 ああ、そうか。きっとこれは夢だ。こんな支離滅裂な話、夢以外あり得ない。
 ほら、もうすぐ姫様が無理矢理起こしに来て、食堂に行けば朝から師匠が酒を飲んでて………

「ウィ、リア……ム…」

 現実から乖離しそうになった俺の耳が姫様の声を拾った。

「姫様ッ!」
 まだ、まだ生きてる!
 血相を変えて姫様に駆け寄った。まだ諦めちゃいけない。まだ諦め―――――

「――――――あ」
 駆け寄って姫様を見ると。
 右上腹部がごっそり抉り取られていた。

「す、済まぬが手を、貸してくれ…ぬか?どういうわけか、う、動けないのじゃ…」
 少しだけ身じろぐ。
「…っ!動かないで下さい!!今、今止血しますから!」
 ハッとなって着ていた上着を姫様の傷口に当て、止血を試みる。
「は…ははっ。なんじゃ、動けぬと……思ったら、わらわは怪我をしていたのか……」
 姫様が可笑しそうに掠れた声で笑う。
「喋らないで!!……団長、姫様を街まで運びます!!手伝ってください!!」
 俺が必死で声を掛けているのに団長はあらぬ方向を向いたまま、唇を噛んでいるだけだった。
 なんで!なんで動いてくれないんだよ!!
 早くしないと姫様が死んじゃうだろう!!なんで無視するんだよ!!

 ――――――お前も本当は分かっているだろう。その傷を見ろ。それで助かるわけが………

「認めるか!絶対認めないッ!!
 大丈夫です、姫様。医者のところまでちゃんと運びますから」

 頭に響く声にかぶりを振りながら、傷に手を強く押し当てる。
 傷口が広すぎて止血なんて出来やしない。俺の上着はもうグズグズだった。

「…………ちくしょうッ!止まれよッ、なんで止まらないんだよッ!クソッ!」

「な、何を泣いておる……しんぱい、するな。わらわは平気、じゃ。大して痛くない。
 ……少し…寒い、がな」

「助けます。今、助けます!」
 意識を強く持つように何度も話しかける。
「これも……おぬしの仕事の、邪魔をした…バチが当たったのかも、知れぬな……」
 血が止まらない。血が止まらないんだ。誰か…誰か何とかしてくれ……

「……そう、言えば……」
 何か思い出したらしく、俺の服を弱々しく掴んで。

「おぬしが来たら……ひとつ、言おうと思っておったのじゃが……」

「なんですか…?」
 傷口を強く押さえる。血は止まってくれない。

「帰ったら…また…わらわのポトフを……食べてくれぬ、か…?」

「勿論です。絶対、食べさせてください」
 傷口を強く、強く押さえる。血は―――止まってくれない。

「嗚呼……良かった…」
 安堵した笑みを浮かべる姫様。

「ふふっ……覚悟、しておけ。
 次、こそは、ぜっ…たい、おぬ、しに………いと…………て………」

 そこで、彼女の言葉が途切れた。

「ひめ、さま……?」
 不思議に思って顔を覗き見る。彼女は俺の方に向かって笑いかけたまま。
 だけど、焦点はもう定まっていなかった。

「え?…え……?」
 なんですか、最後まで言ってくださいよ。俺に、何なんですか?
 お願いですから何か言ってください。お願い、ですから………

 姫様は虚空を見つめたまま、瞬きひとつしない。既に瞳から生の輝きは失われていた。

「あ、あ……ぁ…あぁ………」

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ。
 さ、さっきまで攫われてたとは思えないくらい元気だったのに。
 助けられなかった。今度も。死んでいくのをただ見ているだけだった。

 脳裡に浮かぶ、姫様の笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。
 笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。

 そのひとつひとつが、俺の心を砕いていく。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!!!!!!」

 

 喉から搾り出すように叫びながら。
 今度こそ、本当にもう何も残っちゃいないんだな、と心の片隅で思った。


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