その日の夜。
「よぉ〜!ウィル!ちょっと来い!」
バーの前を通りかかったのが運の尽きだった。
師匠がバーの中から俺を呼んでいる。楽しそうなのはただ酔っ払ってるのか、何か企んでるのか…。
「な、なんか用ですか」
げんなりした表情を全く隠さずに師匠のテーブルへ近づくと。
師匠が楽しそうな理由が後者だとすぐに気づかされた。
「あっれ〜。ウィルぢゃないれすかぁ〜?」
うっ……。
ひどい酔っ払いがもう一人いた。
「いや〜お前ンとこの騎士団長様は酔うとおもしれぇなぁ」
ぐびぐび〜と飲酒している団長を見ながらゲラゲラ笑う師匠。あんたの仕業かい。
「師匠!何やってるんですか!笑ってないで団長を止めてくださいよ!…うぉっ」
俺が注意しようと団長の隣に移動した瞬間、凄い力で引っ張られ無理矢理隣に座らされた。
「ふふふ〜、つ〜かまえたぁ〜♪」
さ、酒臭いです…団長。なんとか説得して今日はもう寝かせないと。
「だ、団長、その辺にしましょう?明日は積荷の護衛ですよ?」
「うりゅさ〜い!誰の所為でこんなことになったと思ってるんれすかっ!」
「だ、誰の所為って…誰?」
酔っ払いにまともな受け答えをしてはならない。傭兵時代に培った教訓だ。
その日はそれをうっかり忘れていた。
「それはれすねぇ………あーたに決まってるれしょーがっ!!」
ビシィッと俺を指す指が鼻にささった。
「今日は寂しかったんれすよぉ…朝からず〜っと姫様と出かけてるしぃ〜」
しなを作りながら俺に擦り寄って。
「私ぢゃらめなんれすかぁ?」
俺の胸の上でのの字を書いた。
「だ、駄目ってことは、ない、ですけど……」
助けを求めて視線を動かす。あ、師匠と目が合った。
ニヤニヤ笑ってやがる……憶えとけよ…あの酔っ払いオヤジ。
「ウィルはぁ…私が嫌いなんれすか〜?」
依然として酔っ払い上司の口撃が続く。
「い、いえ…そんな訳ないです……」
団長の柔らかい肌の感触が右半身の至るところを刺激する。
非常に危険だ。今の団長はとにかく危険だ。
「らったら〜私にちゅーしてくらさい」
「ちゅ、ちゅー?……ってうわわっ!?」
俺に唇を寄せてきた。失礼とは思いながらも彼女の額を押さえて防御する。
「ちゅ〜…」
さて。この人、どうしたもんだろう。
「う〜…やっぱり私が嫌いなんら…」
今度は拗ね始めた。団長って酔っ払うとこうなるのか……次から気をつけよう。
「そんなことないですってば」
「じゃあ、じゃあ、せめて『愛してる』って言ってくらさい」
「えぇ!!?」
ずずいと顔を寄せてくる。息が猛烈に酒臭い。
「早く、早く。ほら、愛してりゅ〜、って」
「うぅっ…」
「あ・い・し・て・りゅ〜♪」
戦局は不利。撤退もしくは降参を提案。撤退は却下。降参を推奨。相手の要求に従え。
俺の脳内会議はとうとう白旗を揚げた。
「あ、あい…」
「………」
「愛して……」
ポテンと。俺の肩に彼女の頭がもたれかかった。
「団長?」
顔を覗くと彼女はすやすやと眠りこけていた。やっとダウンしたらしい。
「ふぅ〜……」
「首の皮一枚で繋がったな。ウィル」
安堵のため息をつく俺を見ながら師匠がニヤニヤしていた。
「これは何の拷問ですか…」
「くくっ…でもなかなか可愛かっただろ?」
「だとしても悪趣味すぎます。……あ、そういえば師匠」
酔い潰れた団長を部屋に運ぼうと抱えると、ふと夕方のことを思い出した。
「あん?」
「ここのところ、マローネの様子がおかしいんですが……何か知りませんか?」
その質問にちょっと苦い顔をして黙り込む師匠。何か心当たりがあるんだろうか?
「…………お前もマローネもまだまだガキってことか…」
「師匠?」
「何かアドバイスでもしてやれりゃいいんだが…オレは女房一筋だったしなぁ…」
脈絡のないことを言う。意味がさっぱりわからない。
「何の話ですか?」
「なぁ、ウィル。明日の護衛のことだけどよ、マローネのやつに目をやっといてくれないか?」
本当に脈絡がない。何を言いたいんだ?
「それは構いませんけど…どうしたんです?藪から棒に」
「ま、親のエコヒイキってやつだ」
「はぁ?」
「明日は気ィ引き締めてかかれよ?じゃねぇと分け前やらねぇからな〜」
俺にひらひらと手を振りながら師匠はバーを去っていった。
「師匠まで様子が変だ…」
泥酔する団長を抱き上げたまま俺はそうぼやいた。
同刻、オークニーより西の山小屋にて。
誰にも使われていないことが一目で解るほどの朽ちた山小屋。
小屋の中は勿論のこと、外にまで幾人もの強面の男たちが翌日網にかかるであろう獲物を待っていた。
総勢は優に五十人を超える。
小屋の中で一際自信に満ち溢れた隻眼の男。
その男が手下から報告を受けていた。
「ふーん……これ、間違いねぇんだろうな?」
「もちろんです。冒険者の斡旋所から今日盗ってきたものですから」
鋭い眼光で手下を睨む。どうやらここに集まっている男たちの頭らしい。
「そうか。もう下がっていいぜ」
男は受け取った用紙をパラパラ捲りながら手下を下がらせた。
「積荷の護衛……ベイリン傭兵旅団、か。
………こりゃ面白ぇことになってきやがった」
紙に目を通しながら口角を吊り上げる男。
笑ってはいるが、その男の目はギラギラとした殺気に満ち溢れていた。
「三年前の借り、返させてもらうとするか」
紙をぐしゃりと握りつぶす。
――――――――隻眼の男の名は、モルドといった。