お願い、愛して! 第3回
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 それから、わたしは自分がどう過ごしてたのか、良く覚えてない。
 どこかに出かけたのかも知れないし、一日中、家に引きこもっていたのかも知れない。
 叔母さんは職業柄、滅多に家に帰ってきたりしないから、わたしの行動を証明するものは
 自分の記憶しかなくて、だけどその記憶すら、あやふやでおぼろげ。
 キョータくんのいない世界はどこまでも希薄で存在感がない。まるで自分が幽鬼にでも
 なっているかのような気分がした。

 ある日、気付いたら近所の寂れた公園に来ていた。
 昔、夏休みになるとキョータくんと一緒に来て、遊んだ公園。
 中央にある砂場には、身体を泥まみれにして遊んだ記憶がある。
 学校の通学路のすぐ側にあるけど、最近では、一人でもほとんど来ることがなくなっちゃった場所。
 暑いぐらいに強いお日様の光が大して大きくもない木々を照らし輝いて、その綺麗さを称えるように
 ミンミン蝉が大合唱を唱える。
 砂場のほかには、シーソーもブランコも何もない公園だけど、この懐かしい場所にいるだけで、
 色褪せたキョータくんの姿が砂場に見えて、楽になった気がしたんだ。
 そういえば、親無し子ってことでクラスの子達に苛められた時も、よくここに泣きに来てたよね。
 そのたびにキョータくんがわたしの側で、ずっと慰めてくれて……。
 すっごく嬉しくて、嬉しくて……。それから、そんなに苛められてもないのに、
 ここで大泣きして、キョータくんにずっと側で何度も何度も慰めてもらったりして。
 気付けば、景色が滲んで揺れていた。
 わたしはその場にしゃがみ込むと、そのまま砂場に倒れこんだ。
 あぁ……キョータくんと遊んだ砂場……。

「……先輩?」
「っ!?」
 ――だ、だれ……!?
 ツインテールの見た事のない娘が、突然、視界に入ってきたかと思うと、わたしの顔を見下ろしてきた。
 わたしのことを先輩と呼ぶということは同じ学校の生徒なんだろう。
 わたしは慌ててすぐに立ち上がって、ツインテールの娘を条件反射的に睨みつけた。
「…………」
「…………」
 その子は、わたしの視線にしばらく怯えた様子を見せて、少し沈黙の後、おずおずと言った。
「あの、白河先輩……ですよね?」
「……そうだけど……」
 自惚れるようだけど、その娘がわたしの名前を知っていても、別に不思議じゃなかった。
 学園では名前すら知らない下級生から妙に馴れ馴れしく挨拶を受けることも日常で、珍しくなかったから。
「あ、あの……泣いてらしたん……ですか?」
 はっとして、わたしは服の裾で目じりをすった。
「……あなたには、関係ないことだよ」
「あ、ご、ごめんなさい……」
「…………」
「…………」
 なんなんだろ、この娘?
 キョータくん以外の人に涙を気づかれたことが、なんだか他人に弱みを見せちゃったみたいで、
 それを隠すように睨みを弱めないまま、思った。
 キョータくんじゃない人からの慰めなんて、要らないよ。
 だけど、次にその娘が言った言葉は予想外のものだった。

「その……ここには、よくいらっしゃるんですか?」
「え……?」
「この公園、寂れててあまり人も来ないですし……先客の方がいたなんて初めてです」
 女の子は、まるでいつもここに来ているような口ぶりで言った。
「……ううん、来たのは、ほんとに久しぶりだよ……」
「……ふふ、そうですよね。もしいらっしゃってたら、こんな狭い公園なんですから
 お会いになっているはずですよね」
 そう言うと、その娘は首だけを動かして、辺りを見渡した。
 この娘はどうやらこの公園の常連さんみたい。
「私、辛いことがあると、よくここに来るんですよ」
 突然、憂いを含んだ横顔でそんなことをいう女の子。
 辛いことがあると、ここに来るのに、いつも来ているってことは……辛いことが頻繁にあってる
 ってことなんだ……。
 その悲しげな姿が、昔の自分の姿に重なって映った。
「ここが……好きなんだね」
 気付いた時はそう言っている自分がいて、少し驚いた。
 演じてるわけでもなく、自分から口を開いたことに。
「はい、砂場しかないけど……凄く風が穏やかで……。小さい頃はお父さんと……来たりもしたんです」
「そうなんだ……」
 一瞬、お父さんと呟くほんの一瞬だけ、その娘はすごく儚げな表情を浮かべた。

 お父さんを亡くしてるのかも知れない。
 わたしも同じような境遇だったから、その表情の意味は何となく分かった。
 この娘も、わたしたちみたいに苦しんだんだよね――。
「あの……白河先輩」
「……なぁに?」
 言い難そうに話してくるその娘に、できるだけ優しく返事する。
「元気……出してくださいね」
「…………」
 それは、きっとできそうにない。
 ――キョータくんがわたしを避けてるのに、元気を出すことなんてできるはず、ないよ……。
 会いたくて、会いたくて、堪らないのに……。
 キョータくんの姿が強烈に頭に浮かび上がった。
「雨倉先輩も辛そうにしていましたし……。白河先輩が元気を出せば、きっと雨倉先輩も、
 元気が出ると思うんです」

 …………。
 ……え?
 
 雨倉って……。
 間違えるはずのない、間違えるなんて有り得ない……愛しいあの人の――。
 キョータくんの……姓。雨倉京太(あまくら けいた)……。
「キョー……京太くんが辛そうに?」
 異常に高まってうるさいくらいの心音を誤魔化しながら聞き返す。
「はい、とても。白河先輩は雨倉先輩の幼馴染なんですよね? どうか、雨倉先輩を元気付けて
 あげて下さい。何度か、先輩のクラスに行こうとしているのを見たことがありますし、
 きっと頼りにしていますよ」
「う、うん……うん!」
 嬉しい……うれしいうれしいうれしいうれしい!
 この娘の話が本当ならわたしは嫌われていたわけじゃなくて、何かキョータくんに事情があった
 だけなんだ……。
 それに、この娘はうそを言うような子じゃない。
 仮面を被らなくても、同姓として、生まれて初めて本当の友達になれると思えたんだもん。
 たった今、出会ったばかりだけどそう信じてる。
 もうすぐ終わる夏休みが過ぎれば、またキョータくんと一緒に登校して、一緒にお昼ご飯食べて、
 一緒に帰って……。えへへ……。
 嬉しくて、涙が出そうになる。少し前とはもう違う涙。
 わたしは精一杯の笑みを浮かべて、女の子に言った。
「ありがと……!」

 それから、わたしは女の子の名前を教えてもらって、最後にもう一度だけお礼を言って帰路についた。

 

 ――ピンポーン、ピンポーン
 歯磨きが終わって、登校する準備が全部整ったのと同時に玄関のチャイムの音が聞こえてきた。
 今日から、ずっと待ち焦がれていた二学期が始まる。
 この日のために、わたしはキョータくんのいない無意味な残りの夏休みを、ただ無為に過ごしてきた。
 だけどそれも今日で終わり。
 早く迎えになんか行って、キョータくんを急かしちゃったらいけないから、狂いそうなほど
 高揚する気持ちを必死に抑えて、ゆっくり準備をしてたんだけど……。
 ――ピンポーン
 もう一度鳴らされる玄関のチャイム。
 ……まさか……。
「瑞菜、迎えに来たぞ!」
「キョータくん……!?」
 望んで止まなかったその声……。
 思わずポロポロと涙が零れ落ちた。
 キョータくんが……迎えに来てくれてる……。
 やっぱり、あの娘……朝生凪(あさい なぎ)ちゃんの言ったことは本当だったんだ。
 わたしは、ぐいと制服の裾で涙を一拭いして、鞄を少し乱暴に掴むと、駆け足で玄関に向かった。
 やっと……やっと……。
 キョータくんに会えるんだ、キョータくんと話せるんだ!
 えへへ……。待ってた分、いーっぱい一緒にいようね? キョータくん!
 焦って上手く履けない靴をなんとか履いて、わたしは玄関のドアの取っ手に手を添えた。
「おはよ〜! キョータくん……?」
 そこにいたのは、やっぱりキョータくんだった。
 見間違えるなんて有り得ない。誰よりも愛しいキョータくん。
 だけど……。あれ?

 眼鏡と、髪の毛と、そしてお腹が……少し、変わっちゃってたキョータくんだった。

「おはよう、瑞菜」


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