お願い、愛して! 第1回
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『なんで僕たちだけ……なんで……』
『キョータくん……』
『僕らだって欲しかった……だけど、そんなの決められることじゃなかったんだ!』
『…………』
『なんで、そんなことで嫌われなくちゃいけないんだよ……おかしいよ……』
『だいじょぶ、だいじょぶだよ? わたしも同じだから……わたしだけはずっと
 キョータくんの味方だから……ね?』
『……ごめん……っ』
『謝らないで。……そうだ、ねぇ約束しようよ。あなたが望むものはわたしが
 与えてあげる……だから――』

 朝の訪れと共に覚醒した意識は同時に憂鬱な色へと染まる。
 うっすらと開いた目から窓を通して青々とした空が見えた。
「変な夢……」
 気だるげに言って、頭をかきながら起き上がる。目覚めの日光はどうも好きになれない。
 まぁ、曇りの日も雨の日も雪の日も等しく憂鬱なわけだが……。
 必要以上に温度の高い僕に暖められた布の熱が恋しくなり、もう一度、ベッドに伏せようか
 という考えが頭をよぎった。
 ……あ……。
 だが、時計を見てその考えは即座に却下。
「キョータくん!」
 まずい!
「ごめん瑞奈ぁ! 今起きた!」
 姿を確認するのを省略して、ハンガーにかけた制服に手を伸ばしながら、
 二階のここからでも聞こえるように叫ぶ。
 僕のことをキョータくんと呼ぶ人間なんて一人しかいない。
 僕の名前はキョータではなく、京太(ケイタ)だからだ。
 ずっと前に間違って以来、瑞菜はずっとキョータと呼び続け、もはや今では第二の名前として
 違和感すらない。
「いいよ〜! 待ってるから」
「ごめん!」
 最後にそれだけ言って、僕は急いで少しきつい制服に袖を通した。

 別に遅刻するような時間じゃない。もしかしたらこれさえ計算づくなんじゃないかと思う程、
 始まりの予鈴にはまだ余裕がある。
 だけど想い人を長く待たせるわけにもいかない。

 こんな朝の情景を繰り返してきて、もう幾数年が経った。
 律儀にも毎朝、僕を迎えに来てくれる少女、白河瑞菜(しらかわ みずな)は
 母親代わりの叔母と一緒に暮らしている。
 両親を交通事故で亡くしてから、叔母に引き取られ、ここに引っ越してきたのだという。
 出会った頃は叔母の後ろに隠れて顔すら見せてくれなかったのを覚えている。
 幼い時分にそれだけの衝撃があれば無理はなかった。
 そんな瑞菜も今では随分と社交的になり、代わりに僕はこんな体型も災いしてか、
 瑞菜以外の人間とはすっかり疎遠になっていった。
 それに不満や孤独を感じていないわけじゃないが、正直に言うと瑞菜以外にどう思われていようと
 大した問題じゃなかった。
 瑞菜は美人だ。いや、確かに美人でもあるのだが、それより際立つのはその愛くるしさだ。
 プロポーションにはあまり恵まれていないが、故に可愛らしさをより強調している。
 それに惹かれたというのも確かだが、瑞奈と長い付き合いをしていれば、
 どう足掻いても意識してしまう。それだけの内面的魅力も兼ね揃えているのだ。
 彼女ならきっと、そのままの僕を愛してくれる。
 そう信じていた。

 わたしには、誰よりも大切な人がいる。
 恋に恋する時期を迎える前から、気付いたときには好きになっていた。
 その男の子は世間一般が言うには不細工な人間に属するらしい。
 彼を分かってない。何度聞いても、苛立ちながらそう思う。
 眼鏡をはめてて、ちょっと荒れた髪が長くて、アニメのロボットみたいなのが大好きで、
 そしてお腹がプニプニ愛らしいあの人。
 あの人は引っ越してきたわたしに優しくしてくれた。母の背中に隠れるわたしにお腹を差し出して、
 触ってみろ。って言ってくれた。柔らかくて暖かかった。
 その暖かさに涙を流したのも一度や二度じゃない。
 あぁ……キョータくん……。
 気付けば彼の熱を求めているわたしがいた。
 早く、はやく、ハヤク……早く来て。
 その姿を早く目に焼き付けて、声を頭に刻ませて、キョータくんの隣でキョータくんの息遣いを
 聞きながらキョータくんと歩きたくて……。
「キョータくん!」
 待ち望んだキョータくんが中から姿を見せてくれた。
 ――えへへ。今日もかっこいいよ……キョータくん?
 わたしは、にやけそうになる表情を必死にこらえてキョータくんに駆け寄っていった。
 この時は毎日不安なんだけど、いつもキョータくん、準備が早いから我慢できるんだ。

「おはよう、瑞菜」
「おはよ〜!」
 あぁ……キョータくんの「おはよう」は一日の原動力だよぅ……。

「いつもありがとう」
「ううん、全然だいじょぶ」
「そう? 今度は僕が早起きして迎えに行くからね」
「っっ!!」
 キョータくん優しいよぉ〜っ! 思わず抱きついちゃいそうだったよ?

 キョータくんは昔から少しも変わってない。いつも優しくて、気遣ってくれて、
 安心できる笑顔を見せてくれる。
 その笑顔を他の人にも見せてるって考えると、気が狂いそうになるけど、
 でもそんなこといって束縛して嫌われるのは絶対に嫌だから。
 だから我慢するんだ。
「それじゃ、行こうか」
「うんっ!」
 早く隣を歩くキョータくんの暖かい手を握りながら、学校に行ける日を夢見て、わたしたちは歩き出した。

「ねぇ瑞菜ぁ……あんた学園のアイドルなの分かってる? 自覚してる?」
「え?」
 わたしは突然の理恵ちゃんの言葉に首を傾げた。
 今は昼休み。たまに授業中、貧乏揺すりなんかしちゃいながらも、ずっと待っていたの。
 早くキョータくんのいるクラスに向かって、一緒にお弁当食べたいのに。
 うぅ……後にしてよぉ……。そんなキョータくん以外からのお世辞なんて聞き飽きて、
 今ではもう何も感じないよ。
「なんであんたみたいな可愛い子が、幼馴染だか知らないけどさぁ、あんなデブを飼ってるの?」

 ピクッ……。

 目の前の女の言葉に目元がひきつった。
「理恵ちゃん……酷いこと言わないで」
 あの人のことなんて何も分かってないくせに。
「まぁ、いいけどさ。でも瑞菜、今からあいつのとこ行くんでしょ?」
「そうだよ」
「今朝だってあいつと学校来たみたいだし、もう少し人付き合いは考えたほうが…………ってこらこら、
 睨むな。ごめん、ごめん。睨んでもあんたじゃ可愛いだけよ?」
 冗談じゃない。この女はなにをわたしの親友のつもりでいるんだろう。
 人間関係は上手くいってるってところをキョータくんに見せてあげるために、
 わたしはあなたたちと仲良くしてるフリをしてるだけなんだよ?
 変な娘のせいで少し、いやな想いしちゃった。早くキョータくんに会いたい。
「ってもこの前さぁ、左川ブーに見つめられて嫌がってなかった?」
「だって……」
 左川君がどうとかじゃなくて、あんなねちっこい視線で見つめられたらキョータくん以外、
 女子でもお断りだよ。
「デブはやなんでしょ?」
 もう……しつこい……!
「確かにあの人は……あんまり好きじゃないけど」
 いい加減にうんざりしてきながらも、話を早く終わらせるために肯定することにした。
 聞き分けのない子への対処は刺激しないこと……だよね?

 

「〜〜〜〜」

 瑞菜のクラスはここからでも喧騒に包まれているのが分かった。
 昼放課、僕は毎日僕のクラスまで来て一緒にお昼をとろうといってくれる瑞奈にたまにはこっちから
 行こうと思って、授業が終わると同時に教室を出たのだ。
 まぁ、それに今日は少し瑞菜を待たせてしまったからね。
 クラスに近づいて行くごとに喧騒は大きくなっていき、瑞菜の姿が見えた。
 瑞菜の席は廊下側の窓際にある。
 声をかけようかと思ったけど、瑞奈は瑞奈の友達(にしては化粧がキツイ)と話しているようだった。

「――デブはやなんでしょ?」

 身体が硬直した。
 ……僕のことだ。自覚ぐらいはある。
 瑞菜……?
 不安になって、瑞菜を凝視した。
 そして、耳を疑った。

「確かにあの人は……あんまり好きじゃないけど」
「っっ!」

 僕は、呆然とその場に立ち尽くした。
 何が「そのままの自分を好きになってくれる」だ。
『あんまり好きじゃないけど』
 控えめな瑞菜のその言葉は普通の人間の「嫌い」と同意義だった。
 信じていたものに裏切られた気がした。
 瑞菜も少なからず自分に好意を寄せてくれている。だから迎えにきたり、一緒にお昼をとったり、
 一緒に帰ってくれるんだと思っていた。
 ――だけど、違う。
 僕が言うとおかしいけど、瑞菜も年頃の娘だ。こんな容姿の幼馴染なんていやに決まってる。
 瑞菜は優しいから言わなかったけど、僕と仲良くしているせいで一時期クラスから
 疎遠気味にされた時だってあった。
 くそっ!
 今までの自分の自意識過剰ぶりに腹が立つ。
 瑞奈に無理をさせてきたということも相俟って、今すぐ自分をぶん殴ってやりたい気分だ。
「やっぱりね」
 悟ったような瑞菜の友人の声が聞こえて、僕は逃げるようにその場を後にした。
 少なくても瑞菜の隣にいても恥ずかしくないようになるまでは、瑞菜を避けよう。
 その想いとある決意を胸に抱きながら。
 この日、僕の初恋は終わった。


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