血塗れ竜と食人姫 第25話
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 ふらふらと。
 ユメカはユウキに近付いていく。
 怖い女の子も、何故か邪魔をしてきた女の子も、いなくなった。
 もう、自分とユウキの再会を邪魔する者は、いない。
 身体も、もう限界を通り越してしまっている。
 霞みがかっていた思考は殆ど白く染まっており、その中央に、ユウキの顔だけ鮮やかに浮かんでいる。
 つらかった。
 くるしかった。
 でも、すがるものがあったから生きてこられた。
 死にたくない、という思いを維持するには、今までの仕打ちは惨すぎた。
 死にたい、という思いをいつ抱いてもおかしくない状況だった。
 でも、支えてくれる思いがあったから。
 妹と男。この2つだけを見るようにして、全ての現実から目を背けてきた。
 妹はユメカに生きて欲しいと願っていた。
 男の優しさに触れ、一緒に生きたいと思っていた。
 だから、ここまで生き延びてこられたのだ。
 
 ユウキまで、もうあと数歩といったところか。
 邪魔する者はいない。
 彼と…………のところに向かうのだ。
 彼がいなかったら、ここまで頑張ることはできなかった。
 自分を生かしてくれたのは、この人。
 
 ゆうきさん ありがとう
 
 ユメカはユウキを前に、救われたような表情を見せ。
 
 その首が、宙を舞った。
 
 
 
 
 
 ――これで、全員。
 アマツ・コミナトは、剣を真一文字に振り抜いた姿勢のまま、唇の端を歪めていた。
 血塗れ竜も食人姫も怪物姉も、全員排除した。
 
 血塗れ竜は腹部を貫かれ、内蔵破損と大量出血。
 食人姫は脊髄を砕かれ、頸動脈を引き裂かれている。
 そして怪物姉は、頭と胴がお別れだ。
 
 やった。
 邪魔者は、みんな、殺した。
 ユウキは、私のものだ。

 

 私は、輝かしい未来を疑うことなく、そのままユウキに近付いた。
 ユウキを惑わす雌猫も雌犬も雌狐もいなくなった。
 だから、もう怖がることはないと、苦しみ悩むことはないのだと、安心させてやるべきだろうか。
 それとも、少なからず仲の良かった少女を殺してしまった、可哀相な女として慰めてもらおうか。
 どちらでもいい。どちらもいい。
 ユウキは見たところ重傷で、これだけ衝撃的なことがあった直後なのだから。
 心身は摩耗しきっていて、何かに逆らう余力は残ってないだろう。
 そこに強い言葉や縋り付ける言葉をかけられれば、まず間違いなく、堕ちる。
 そうなれば、ユウキは完全に私のもの。
 私だけに優しい言葉をかけてくれて、私だけを見てくれる。
 抱きしめて貰えなくなったのは残念だが――私がユウキの腕の代わりになればいい。
 そうすれば義理堅いユウキのことだ。己の全てを私に捧げようとするだろう。
 その様を、想像してみる。
 
 ぞくぞくどころじゃない。
 恍惚で、身体全部が吹き飛んでしまいそうだ。
 
 さて。
 そのためには、最初の言葉がけが重要だ。
 ユウキの自我を壊すことなく、私しか頼れる存在がいないと認識させなければ――
 
 
「……ユ」
 
「――アマツさん」
 
 
 しかし。
 心神喪失状態と思われたユウキが、口を開いた。
 それは、弱り切っているとは思えないほど力強く。
 私の発言を認めない強硬さが、あった。
 
 
 おいおい、どうしたんだよユウキ。
 お前は、囚われの王子様なんだぞ?
 助けを求める悲鳴こそ上げても、間違っても助けに来た騎士を払いのける人間じゃないはずだ。
 私は、お前を助けに来たんだ。
 私だけが、お前を幸せにしてやれるんだ。
 
 だから。
 
 だから、その、
 
 そんな目で、私を、見ないで。

 

 
 
 
 
 
 一部始終を、目にしてしまった。
 僕を助けるために文字通り飛んできたアトリ。
 その脊髄は破壊されていて、首筋からは夥しい出血が見られる。
 僕を助けるために侍女を殺した白。
 その腹部には大きな剣が貫通し、引き抜かれて無惨な傷口を晒している。
 僕を見て何故か救われたような表情を見せたユメカさん。
 その首から上は見当たらず、断面から鮮血が、逆さにした蛇口のように溢れていた。
 
 全員、どう見ても、致命傷だ。
 
 どうして、こんなことになったのだろうか。
 僕は、殺し合いなんてして欲しくなかった。
 だから自分の命を捨てる覚悟で、白とアトリの間に飛び込んだ。
 2人はその後、殺し合おうとする気配もなく、何とかなったと思ったのに。
 そこにユメカと天津が現れて、大乱闘になってしまった。
 
 その結果が、これだ。
 ユメカは即死だし、白とアトリもじきに死ぬだろう。
 
 ――結局、白とアトリを止めたことは、無駄だったのだろうか。
 
 あのまま2人を殺し合わせても、結果は同じだったのだろうか。
 自分が両腕を失ったのは、意味がなかったのだろうか。
 いっそ止めずに静観していれば、両腕を失うこともなく、五体満足で同じ結末を――
 
 
 ――そんなこと、ない。
 
 
 一部始終を、目にしていた。
 だから、わかった。わかってしまった。
 目を逸らすことなんてできなかった。
 それどころか、感動すらしてしまっていた。
 
 血塗れ竜と食人姫が、相手を殺そうとせずに、戦っていた。
 
 相手を殺すことしか知らなかった白が。
 相手を喰うことしか知らなかったアトリが。
 命を賭けた戦いであるにもかかわらず、相手を殺さないように、戦っていたのだ。
 ただの気まぐれだなんて思わない。
 彼女たちは、こちらの思いを、受け取ってくれたのだ。

 

 

 血塗れ竜も食人姫も。
 人を殺さないように戦うことができたのだ。
 2人は、僕を守ろうとしてくれた。
 殺すことしかできない怪物に、できることではない。
 
 囚人闘技場なんて特異な環境で、限られた選択肢しかない状態だったからこそ。
 少女達は、殺すことしか知らず、疑うことなくそれを実行していた。
 しかし。
 闘技場とは関係ない場所では、殺すことはいけないことだと、誰かに教えられさえすれば。
 少女達は、きっとそれを守ることができるのだ。
 
 では、何故。
 何が、少女達を、殺すことしか知らない存在へと祭り上げたのか。
 きっと、環境であったり本人の資質であったり、様々な要因が絡んでいるのだろう。
 でも、何が一番かと問われれば。
 
 
 血塗れ竜。
 食人姫。
 
 
 こんな名前を与えられたことが。
 彼女たちに、殺戮の正当性を与えていたのではないか。
 物々しい2つ名。
 少女らが持つ純粋さや可愛らしさとはかけ離れた呼び名。
 こんな名で呼ばれることがなければ、ひょっとしたら、普通の女の子のように――
 
 ――でも、戦わねばならないことに変わりはない。
 
 わからなかった。
 思考がぐるぐると渦を巻く。
 少女達の幸せの形とはどのようなものか、いくら考えても答えが出ない。
 戦うことしか許されない少女達は、一体何を望んでいたのか。
 
 ふと、視界の端に、声をかけようとしているアマツが見えた。
 混乱した頭のまま、ユウキは明確な答えを求めて、アマツに問いかけることにした。
 其処にアマツに対する思いはなく。
 ただ純粋に、白とアトリのことを思っていた。
 
 
「――アマツさん。
 この子たちは、何を望んでいたのでしょうか」
 
 
 どうしても、知りたかった。

 

 

 問いかけを受けたアマツは、しばし悩んだ後、口を開いた。
 
「血塗れ竜も食人姫も、相手を殺すことしか知らない怪物だ。
 それはきっと、こいつらのせいじゃなくて、環境とかの要因もあったんだろう。
 だとしても、こいつらが怪物であることには変わりない。
 ――人間以外の望みなんて、考えるな。無駄だ」
 
 その言葉は力強かった。
 少女達の願いなんて考えるだけ無駄だ、と。
 それに縋り付いてしまいたくなる。
 自分にはどうせわからないことだと。
 生き延びられたことの幸運を噛みしめて、先のことを考えていこうと。
 そんな誘惑に、囚われてしまいそうになる。
 
 ――違う。
 そんなこと、ない。
 
 だって、少女達は、僕の考えを受け取ってくれた。
 アマツやユメカを殺さないように戦っていた。
 僕を守るため、命を投げ出してくれた。
 
 分かり合えるはずのない怪物には、不可能だ。
 
 ならば答えは簡単だ。
 少女達は、怪物では、ない。
 
 
「そんなことありません。
 この子達は、れっきとした人間です。年端もいかない、女の子なんですよ」
「ユウキ、それはお前がそう思いたがってるだけだ。
 血塗れ竜と食人姫に命を救われて、分かり合える存在だと誤解してしまっているんだ。
 お前も身近で見ただろう? そこのミシアを、こいつらは何の躊躇いもなく殺したじゃないか」
「それは、僕を守るためで……」
「守るためなら、何をしてもいいのか?
 冷静になれ。ユウキは少し疲れているんだ。安心しろ、アタシに全部任せてくれ。
 今は何も考えず、ゆっくり休めばいい。血塗れ竜と食人姫のことなんて、忘れて――」
 
「――ちがう」
 自然と、言葉が漏れていた。
「“血塗れ竜”と“食人姫”じゃない。この子たちは“白”と“アトリ”だ」
 知らず知らずのうち、口調が厳しくなっていた。
 そうだ。傷の痛みで、大事なことを忘れていた。
 この子たちは――その名前で呼ばれたときは。
 
 嬉しそうに、笑っていたじゃないか。

 

 

 ――僕だけに“白”と呼ばせていた少女。
 他の者にはそれを許そうとせず、嬉しそうに変わった呼び名を受け入れていた。
 
 
 ――僕だけと秘密の会話をしたがっていた少女。
 それは、凄く胸が暖かくなると、恥ずかしそうに言っていた。
 
 
 
 ああ。
 そういうことか。
 
 今更のように気付かされる。
 少女たちは、戦うことしか、殺すことしか知らなかったわけではない。
 ちゃんと、普通の女の子のように、恋をしていた。
 
“血塗れ竜”と“食人姫”、と呼ばれているときは、その名の通り殺戮のための怪物となり。
“白”と“アトリ”、と呼ばれているときは、乙女のように恋をしていた。
 
 ただ、それだけのことだったのだ。
 
 
 立ち上がり、2人の姿を探す。
 ――いた。
 すぐ近くに、血塗れで横たわっている。
 その姿は、怪物などではなく。
 苦しげに横たわる、2人の少女でしかなかった。

 

「ユウキ、どうし――」
 重傷なのに突然立ち上がったユウキに、アマツが心配そうな表情を見せる。
 しかしユウキは、そちらには視線を向けずに。
 
「“白”と“アトリ”を、助けます。2人とも、まだ、生きています」
 
 きっぱりと、そう言った。
 
 アマツの反応を待たずに、白とアトリのもとへと向かう。
 白は腹部に大きな貫通傷。乱暴に剣を引き抜かれたからか、傷口はかなり荒れている。
 下手に動かしたら内臓がこぼれてもおかしくない。
 
 アトリの方は出血が酷い。
 頸動脈を裂かれてから、ある程度の時間が経っている。
 背中の損傷も酷く、内側の赤と白が晒されていた。

 どちらも致命傷だ。今すぐ専門家に任せても、助かるとは思えない。
 だけど――自分に恋している少女を、どうして見捨てることができようか。
 
 両腕がない。激痛で今にも気を失ってしまいそうだ。
 ――それがどうした。頬の内側を噛み千切って意識を保つ。
 何かできることがあるはずだ。
 幸いなことに、近くにはアマツもいる。
 彼女に手を貸してもらえれば、何か手があるはずだ。
 
 そう思い、アマツの方へ顔を向けると。
 
 
 
「どうして」
 
 
 
 初めて見るアマツが、そこにいた。
 その手には血の滴る剣が握りしめられていて。
 いつの間にか、振り上げられていた。
 
 
 
「そいつらの方を、見るの?
 私の方を、見てくれないの?」


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