血塗れ竜と食人姫 第24回
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 轟音を聞き、ミシアははっと顔を上げた。
 食人姫に媚薬を飲まされ、あられもない姿を晒してしまってからしばしの時が過ぎていた。
 身体の熱と疲労を排するため、監獄の外に出て涼んでいたのだが――
 
「……何かしら? 尋常な音じゃなかったけど……」
 
 とりあえず立ち上がる。休憩はもう充分だろう。
 公爵から命じられていたのは、食人姫の煽動と、ユウキ・メイラーの監視である。
 予想外の事態に一時離脱してしまっていたが、そろそろ戻った方がいいのかもしれない。
 ユウキは食人姫の部屋にいるはずだ。ティーが付いているとはいえ、
 長時間任せっきりにするのは拙いだろう。
 食人姫や血塗れ竜の戦いに巻き込まれる可能性だって高いし、
 アマツが来たらユウキを殺さなければならない。
 自分もティーも暗殺が専門である。
 正面に向かい合っての戦闘は不得意どころか鬼門ともいえるだろう。
 
「あの子、気の弱いところあるしなあ」
 
 ティーことトゥシア・キッコラは、双子の姉妹のような存在だ。
 ビビス公爵直属の暗殺者として、幼い頃から共に教育を受けてきた。
 互いが辛いときには支え合い、喜びは分かち合ってきた。
 故に、絶大な信頼を寄せているし、逆に心配もしてしまう。
 ティーに何かあったら、きっと自分は生きていけない。
 体の火照りも、もう充分に治まった。
 動きも元通りだし、思考もクリアになってきた。
 そろそろ、食人姫の部屋に向かうことにする。今の轟音も気になるし。
 
 
 
 そして。
 ミシアは、己の目にした光景を、すぐには受け入れることができなかった。
 
 
 
 戦闘の空気を感じたので、気配を消して部屋を覗き込んだ。
 そして、飛び込んできた戦闘模様。
 しかし、それ自体は別にどうでもよかった。
 問題は――部屋の端。
 両腕を失っているユウキ・メイラーのすぐ近く。
 ベッドの周囲に散らばっていた“それ”が。
 最愛の存在の成れの果てであることを、受け入れるのは難しかった。

 

「……嘘」
 ぽつり、と心が口から零れた。
 冷徹な暗殺者には、あってはならないこと。
 自分はまだまだ未熟者だな、と思いつつも、それを止めることはできなかった。
 
 訓練が辛いとき握りあった腕が、転がっていた。
 ミシアより速く駆けることのできた足が、粉塵にまみれて汚れていた。
 過酷な訓練のせいで固形物を食せなくなっていた内蔵が、断面からこぼれていた。
 半分以上が失われている、虚ろな瞳で中空を眺めている顔が、こちらを向いていた。
 
 嘘だ。
 こんなの嘘だ。
 ずっと一緒だと信じていたのに。
 信じていたから今まで生き延びてこられたのに。
 
 なにこれ。
 ひどいよ。
 
 ティーは苦しんだのかな。
 あんなにバラバラにされちゃって。
 きっと痛かったんだろうなあ。
 苦しかったんだろうなあ。
 死にたくなかったんだろうなあ。
 
 殺されたく、なかったんだろうなあ。
 
 
 誰だ。
 誰が殺した。
 中で馬鹿みたいに殺し合っている四人の誰かなのは間違いない。
 ティーはバラバラに解体されている。こんな非常識な殺しができるのは一人しかいない。
 それに、頭部が砕けている。その壊れ方は特徴的で、まるで獣に囓られたかのよう。
 そうか。
 つまり。
 
 
 殺したのは、血塗れ竜と食人姫か。
 
 

 憎い。
 殺してやりたい。
 でも、自分一人では血塗れ竜と食人姫のどちらか片方でも殺すのは難しい。
 差し違えようとしたところで、自分だけが殺されるのがオチだろう。
 そんなの嫌だ。
 絶対、ティーのカタキを取ってやる。
 
 血塗れ竜と食人姫に、殺すことと同等の苦痛を与えることは可能だろうか。
 …………。
 ……ひとつだけ、あった。
 実行すれば、自分はきっと殺される。
 怒り狂った二匹の怪物に惨殺されるのは間違いない。
 でも――別にそんなことはどうでもいい。
 だって、ティーが死んでしまったのだから。
 もう、生きていく意味を見出せない。
 それに、アマツがこの場にいるということは、それをしなければならないということでもある。
 ビビス公爵に逆らうことはできないのだから。
 命を賭して――否、捨ててでも、実行に移すしか、ないのだ。
 
 ユウキ・メイラーを、殺す。
 
 自分にとってティーが最愛の人間だったのと同様に。
 血塗れ竜と食人姫にとっての最愛の人間は、彼に間違いない。
 それを殺し、自分と同じ苦しみを与えてやるのだ。
 しかも都合の良いことに、今の2人は銀の甲冑・怪物姉という同格の怪物と死闘を演じている。
 助けに戻ることすらままならないだろう。
 ひょっとしたら、ユウキの死に気を取られて、そのまま殺されてしまうかもしれない。
 そうなったら最高だ。自分の復讐は完全となる。
 まあ、その場合でも、怒り狂ったアマツ・コミナトに殺される可能性は高いが。
 血塗れ竜と食人姫に復讐できれば、それでいい。
 
 
 

 そうと決まれば、行動は迅速に。
 怪物4匹の決着は、いつ着いてもおかしくない。
 連中の注意が戦闘に向けられてるうちに、ユウキ・メイラーを殺さなければ。
 幸いなことに、気付かれないようこっそり殺すのは得意分野だ。
 これだけなら、自分は血塗れ竜にだって負けはしない。
 
 食人姫の部屋の中にいる全員、その意識の隙間を縫って、ユウキ・メイラーの横たわるベットへ。
 
 袖の内にある刃物の感触を確認する。
 腹の底でぐつぐつと煮えたぎる殺意や復讐心は、欠片も外には漏らしていない。
 音も立てず、滑るように部屋の中を進んでいった。
 誰一人として、ミシアの存在に気付いていない。
 
 ユウキ・メイラー。
 悪い人間ではないのだろう。怪物連中の執着具合から考えて、
 良いところも少なからずあるに違いない。
 先程抱き留められた感触を思い返す。
 下心など欠片もなく、助けようと親切心だけが感じ取れた。
 あんなに暖かく心地よい男の胸は、滅多に存在しないだろう。
 それを――殺す。
 抵抗がないといえば嘘になる。
 でも、それ以上に。
 ティーを失ったことの方が、ミシアの中では大きかった。
 大きすぎて、空っぽになってしまった心のまま。
 ユウキ・メイラーの枕元に、立った。
 
 まだ、血塗れ竜と食人姫は気付いていない。
 呑気に、戦闘を続けている。
 
 憎い憎い怪物ども。
 私の最愛の人にしてくれたように。
 お前らの最愛の男を、殺してやる。
 
 
 断固たる決意のもと。
 ミシアは、取り出した刃物を、ユウキの喉元へ――

 

 

 ――ひとつだけ、ミシアが失念していたことがあった。
 暗殺をする際は、対象の素性を調べておくのは基本中の基本であり、
 ユウキのことも調べてあった。
 だが、今、この瞬間。
 ミシアの中には、白とアトリへの復讐心しか存在せず。
 ユウキを、無害な重傷者としか、考えていなかった。
 
 ユウキ・メイラーは、かつて帝都中央の巨大学院に通っていた。
 本人の努力のもと、文武共に優秀な成績を残していたことも記録されている。
 ミシアはそれを知っていた。
 知っていたが、この瞬間、ユウキは無力な男であり殺すことは容易いこと、
 と思い込もうとしていた。
 ――学院には、護身術の授業も設けられていた。
 当然、それはミシアたちから見ればお飯事のようなものに過ぎず、
 正面から相対したとしても、5秒とかからず殺すことが可能であった。
 
 だが。
 
 ほんの数秒、抵抗することができる程度には。
 ユウキは、護身の術を身に付けていた。
 
 時間にすれば2、3秒に過ぎないだろう。
 それでも、ユウキは、ミシアの暗器を一度だけ避け、
 続く太刀を防ごうと、距離を外し、死の刃が到達するのを遅らせた。
 
 
 それが、彼の命を、救うことになった。
 
 
 
 
 
 白とアトリは、同時に気付いた。
 気付いて、このままじゃ間に合わないことも、悟ってしまった。
 両者とも、ユウキとミシアのいるベッドからかなり離れたところにいた。
 ユウキが抵抗しているとはいえ、彼が殺される前に辿り着くには、絶望的な距離だった。
 しかも、白はアマツと、アトリはユメカと相対中である。
 尋常な手段では、ユウキを助けることなど不可能だった。
 
 不可能だから諦めるしかない。
 ――白とアトリは、そんなこと、欠片も思っていなかった。
 
 他の何ごとを諦めようとも。
 これだけは、絶対に、諦めない。

 

 

 先程のユウキの姿が脳裏に蘇る。
 命を賭けて、白とアトリの衝突を防いだユウキ。
 命を賭けて、白とアトリを“助けた”ユウキ
 
 ユウキに助けられた2人の少女は。
 全く、同じ思いを抱いていた。
 
 
 ――今度は、こっちが、助ける番だ!
 
 
 
 
 
 許された時間はほんの数瞬。
 そのあまりにも短い時間の中。
 アトリは、ユメカに背中を向け、1歩だけ、駆けた。
 それだけだ。
 走って辿り着くなどどう考えても不可能で。
 アトリも、そんなことは考えていなかった。
 
 無防備な背中を晒すという、度し難い隙が現れた。
 当然、それを逃すユメカではない。
 右手に装着された手甲型のナイフ。その切っ先を正面に向ける。
 アトリの身体に叩き付けたら、刃の部分は一度で壊れてしまう。
 故に今まではそこを使わず攻撃してきたが、今この瞬間、確実に壊せる確信が持てたユメカは。
 城壁すら破壊しうる打撃力を。
 刃の先端という、非常に細い一点に集中させ。
 
 アトリの背中を、穿ち抜いた。
 
 剣撃すら防ぐアトリの頑強な骨格も。
 この一撃には耐えることができず。
 脊髄が、完全に破壊された。
 
 その痛みは、人格すら吹っ飛ばしてしまいそうなものだった。
 しかしアトリは、健気にも歯を食いしばって耐え、そのまま、正面に吹き飛ばされた。
 
 正面――ユウキとミシアの、いる方向へ。

 

 隙を見せれば攻撃してくることは分かり切っていた。
 問題は、その方向。
 アトリを完全に戦闘不能にするには、生半可な攻撃では不可能だ。
 故に、急所に完璧な角度で攻撃を通さなければならない。
 逆に言えば。
 急所を晒せば、そこを完璧な角度で、攻撃してくれるのだ。
 人間をあっさり吹っ飛ばす、あの威力で。
 アトリは背を向ける際、後頭部を手で庇った。
 残る急所は脊髄となり、其処を壊すには全力の一撃を、真っ直ぐ当てなければならなかった。
 だからユメカはそのままアトリの背中へ強烈な攻撃を叩き込み。
 アトリをユウキのもとまで運んだのだ。
 
 血液と髄液と骨片を撒き散らしながら。
 アトリは、ユウキのもとへ、飛んだ。
 
 1秒もかからず到達する。
 ユウキはまだ殺されてない。
 しかし、首に刃が向かっていた。
 壁にぶつかりそこから飛びつくのでは間に合わない。
 
 よって。
 
 アトリは空中で。
 刃とユウキの首の間に、己の指を差し込んだ。
 
 空中を高速で飛ばされながら。
 針の穴を通すような正確さで。
 
 それは血塗れ竜に勝るとも劣らない精密動作で。
 アトリは、一瞬だけ頑張った自分の身体を、心の底から褒めてやりたかった。
 
 刃を掴んだまま、アトリは壁に激突する。
 それに引っ張られ、ミシアもユウキから引き離された。
 
「――このっ!」
 それでも反応できたのは、流石“暗殺侍女”といったところか。
 アトリの手から刃を引き抜き、彼女の首を切り裂いた。
 ぶば、と。
 常人より血圧の高いアトリの首から。
 まるで花が咲くように、鮮血が撒き散らされた。
 アトリは反撃を試みようとしたが、脊髄を破壊されているため、足がぴくりとも動かない。
 そのまま一歩も進めずに、首と背中から鮮血を撒き散らすだけだった。
 
 だが。
 アトリの、唇の端は。
 何故か、笑みの形に、歪められていた。
 
 
 

 アトリがユメカに背中を向けたのと全く同じタイミングで。
 白も、ユウキに向かって駆けだしていた。
 アトリと比べて多少近いところにはいたが、それでも間に合わない距離だった。
 
 しかし白は、焦ることなく、全速力で駆けていた。
 
 そして、アトリが砲弾のように飛んでいき、更に数秒稼ぐことに成功していた。
 ――やっぱり。
 それしか方法がないとわかっていた。
 
 そして、アトリならやってくれるだろうと、信じていた。
 
 つい先程まで、殺してやりたいと心の底から思っていた奴なのに。
 今この瞬間だけ、白はアトリを信じることが、できていた。
 同じ相手を好きになったからだろうか。
 それとも、好きな相手の腕を失わせてしまったことによる共感か。
 明確な理由はわからないが、それでも白は己の裡に突き動かされるまま。
 ユウキのもとへ、駆けていた。
 
 懲りもせず、ユウキへ刃を向けていたミシア。
 アトリの突撃で動揺していたのだろう。白のことは、完全に失念していたようだ。
 そこに、白が辿り着く。
 ミシアが気付き、ユウキと白、どちらを攻撃しようか一瞬迷った。
 
 そして白には、その一瞬で充分だった。
 
 飛びかかり、相手の腕を掴む。
 全身の力を左手に収束させ、そのまま脆い部分を破壊する。
 そしてその反動を利用して、ミシアの全身を引き裂いた。
 確認するまでもない。
 ミシアは完全に絶命して、ユウキの命を脅かす存在はいなくなった。
 白とアトリの力が合わせられた結果。
 ユウキ・メイラーの命は、救われた。
 そして。
 
 
 
 それと、同時に。
 
 
 
 アマツの投擲した剣が。
 白の小さな胴を、貫いていた。


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