血塗れ竜と食人姫 第22回
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 時間は少々遡る。
 
 荒々しく踵を鳴らし、アマツはミシアに指定された場所へと向かっていた。
 指定された場所は、東4番棟の応接室だった。
 応接室とはいえ、あくまで本棟ではなく東棟の応接室なので、その造りは豪奢とはほど遠い。
 見栄えを気にするビビス公爵が待っている場所としては、かなり不自然だ。
 しかし、近衛隊隊長とはいえ、正式な爵位は士爵であるアマツとしては。
 ビビス公爵の大抵の指示には、立場上従わなければならなかった。
 
 でも。
 本音を言えば。
 ユウキの側を、一時たりとて離れたくはなかった。
 
 折角、ユウキに抱きしめて貰えたのに。
 ユウキの心の内側に入り込めたのに。
 ――ユウキを付け狙う、食人姫のもとに置き去りにしてきてしまった。
 
 ユウキは無事だろうか。
 無理を言ってでも、一緒に連れてくるべきだったのかもしれない。
 襲われていたらどうしよう。
 食人姫に常識を期待してはいけない。
 ひょっとしたら、泣き叫ぶユウキを押さえ込み、服を破き、嫌がるユウキに無理矢理――
 
 ぎり、と奥歯が軋んでしまう。
 今からでも遅くはない。すぐに引き返してユウキを助けに行くべきか。
 
 
 ――いや、落ち着け、アマツ・コミナト。
 食人姫も馬鹿ではない。強姦することでユウキの心を手放すような真似はしないだろう。
 ことに及ぶのであれば、周到に手を尽くしてからの可能性が高い。
 しかし、激昂に駆られて人の背中に噛み付く程度では、そんな策など準備できまい。
 すぐに用事を終わらせて、すぐにユウキのもとへ向かえばいい。
 食人姫の部屋にいても関係ない。そのまま外に連れ出して、自分の部屋か宿にでも連れ込めばいい。
 そして昨晩のことをいっぱい慰めてもらい、ユウキに弱い私を印象づけた後、
 血塗れ竜を殺せばいい。
 そうすれば、ユウキの心は私のもの。

 

 組み上げた計画の結末を想像すると、頬が緩むのを止められない。
 もうすぐだ。もうすぐで、ユウキは私のものになる。
 いつでも私を気にかけてくれるようになる。
 いつでも私を抱きしめてくれるようになる。
 いつでも私を“愛して”くれるようになる。
 
 ぞくぞくする。
 
「……やべ。下着がちょいと濡れちった」
 これから公爵に会うというのに、自分はなんてはしたないんだろう。
 ユウキにお仕置きしてもらいたいなあ。
 お尻を平手や鞭で叩かれたり。
 縄できつく縛られたり。
 首輪を付けられ、裸で散歩させられたり。
 ユウキにされるのであれば、どんなことだって悦べる。
 って、私が悦んでしまっては、お仕置きにならないか。残念。
 私が堪えそうなお仕置き――たとえば、ユウキに無視されるだとか、
 
 それは駄目だ。
 
 一瞬で血の気が引いてしまった。
 頭のてっぺんから爪先まで冷たくなり、ごうごうと耳鳴りがして歩けなくなる。
 ユウキは私を見ていなくちゃ駄目。
 ユウキに無視されたりしたら、きっと私は生きていけない。
 だから、やっぱり、お仕置きは駄目だ。
 そんなことを考えるより、ユウキに悦んでもらえることを考えよう。
 ――ではなくて。
 変なことを考えるのは止めて、さっさと公爵の所に行かなければ。
 ビビス公爵がこちらを敵対視しているのは承知している。
 故に、油断してはいけない。
 死んでしまってはユウキと会えなくなってしまうのだから、殺されないように気を付けなければ。
 何せ、今の自分は負傷中の身。
 右腕は、間接をはめ直したとはいえ、筋が痛んでしまっているため、まともに動かすのは難しい。
 実質、片手しか使えないようなものだ。
 こんな状態で、最悪の場合、荒事に挑まなければならない。
 ビビス公爵はメイドを私兵にしてしまうような大変態だ。
 応接室でいきなり殺されそうになる可能性だってある。
 腰の剣は、左腕で抜きやすい位置に佩き直す。
 部屋に入った瞬間襲われる、という可能性は低いだろうが、
 それでも気を張っておくに越したことはない。
 
 
 そして、応接室の前に辿り着いた。
 入念に準備を整えて、扉向こうに明確な殺気が潜んでないのを確認してから。
 こんこん、と。
 落ち着いて、ノックをする。

 

 
 
 
 ――部屋に控えているのは6人。
 ビビスは応接室のソファーにふんぞり返っている。
 その脇にメイドが2人。気配から察するに、戦闘訓練を積んでいる模様。
 部屋の端に武装した兵士が2名。制服は正規軍のものではない。私兵か。
 そして――後の1人は姿が見えない。
 奇襲役として隠れているのかと思ったが、気配を隠している様子もなく、
 奥の部屋で何やら盛んに動いている。
 感じとしては、男女の情事の気配に近いが――相手の気配を欠片も感じられない。
 まさか、一人でとんでもない自慰をしているのかとも思ったが、状況からしてそれはあるまい。
 こちらを攪乱させる役だろうか。それならそれで、気にしなければいいだけの話である。
 
 
 公爵の話は、退屈なものだった。
 私が囚人と死闘したことに対する叱責と、それに関する問題点の羅列。
 しかし、そんなことが本題ではないことは、わかりきっている。
 ビビスがクドクドと語る内容の裏には、ある明確な言葉がはっきりと示されていた。
 
 お前の弱みは自分が握った。
 逆らうことは許さない。
 
 中央での政権争いに参加している身なら、ここではビビスに従わざるをえないだろう。
 私自身、本家の駒のひとつとして、余計な問題は起こさないように厳命されている。
 でも。
 ビビスの狙いは、あくまで私を亡き者とすることのみ。
 囚人闘技場で、更に好き勝手出来るようになりたいだけなのだ。この変態親父は。
 血塗れ竜を庇ったことがそんなに気に食わなかったのか。
 今なら喜んで受け渡せるが、残念ながら手遅れだろう。
 ――しかし、私としては、こんな変態親父を満足させるためだけに死ぬつもりなんて毛頭無い。
 責任を負わされ、無茶苦茶な要求を押しつけられたら――
 コイツを殺してユウキと一緒に逃げるのもいいかもしれない。
 ユウキは多少渋るかもしれないが……そのときは、強引に連れ出してしまえばいい。
 
 
 
 しばらくの間。
 ビビスのどうでもいい話を延々と聞かされ。
 途中何度か小休止を挟んだ上で、ビビスが改めて、話題を出してきた。
「――それで、君の処分だが」
 ビビスの目に、一際特殊な光が見えた。
 ここからが本題か。
 さて、どんな要求を突きつけてくるつもりか。

 

「このままでは、他の騎士達に示しが付かない。
 君も、隊を束ねる騎士として、範を示さねばならない立場であるわけだしな。
 しかし、君のような立場の者を罰するとなると、爵位剥奪か謹慎しかないのかもしれないが――」
 
 いいからさっさと要求を言え。
 アンタが謹慎程度で満足するだなんて、欠片も思っちゃいないんだよ。
 
「――事件を起こした場所の特性から鑑みて、ひとつ趣向を凝らそうと思う。
 囚人闘技場の選手として、その戦いぶりを民衆に見せてみろ。
 己が今後も隊を束ねるに相応しいことを、実力をもって示してみろ」
 
 戦うことは君の領分だろう、と。
 どう見ても腹の中に何か抱えてる笑みを浮かべながら、ビビスはそう言い放った。
 
 ……囚人闘技場で、ねえ。
 
「公爵様。ひとつ質問があります」
「何だ?」
「囚人闘技場で戦う場合――私は抜剣を許されるのでしょうか」
 
 要は武器ありかそうでないかということだ。
 まあ、答えは大体想像できるが――
 
「アマツ君。君も闘技場の仕組みはよくわかっているだろう?
 囚人に戦わせるのだから、武器の持ち込みなど以ての外だ」
「つまり、素手、と」
「そうなるな」
 
 あー。脂ぎった笑みのど真ん中に拳をぶち込みたい。
 ユウキの爽やかな微笑みを見たいなあ。
 ……しかし、素手か。
 徒手空拳も、少なからず自信はある。
 街のごろつき程度なら軽くあしらうことができるし、ここの闘技場の連中でも、
 中堅程度までなら何とかなる。
 
 だが。
 
「相手は決まっていますか?」
「ああ。ついこの間初戦をこなしたばかりの新入りだ。君の敵ではないだろう?」
「名前は?」
「新入りだと言っているだろう?」
「その新入りの名前を教えていただきたいのですが」
「…………」

 

 じっとりした視線が突き刺さる。
 まあ、言いたくないのなら、こっちから言ってやるか。
 
「――アトリ。通称“食人姫”ですね?」
「……察しがいいな。まあ、そういうことだ。
 まさか、近衛隊を束ねる者が、新入り程度に無様に負けるはずがないよなあ?」
 
 いけしゃあしゃあとよく言ったものだ。
 食人姫が新入りレベルではないことをよく知っているくせに。
 ……武器があれば、おそらく倒すことは可能だろう。
 怪物妹との戦いは見たし、その特性も大体理解できた。
 愛剣の使用が許可されるのであれば、きっと苦もなく殺せるだろう。
 しかし――素手となると話は別だ。
 殺すことは勿論、倒すことも難しい。上手くいって相打ちが限界だろう。
 
 つまり……これは、無茶苦茶な要求ということだ。
 
 故に。
「お断りします」
 本家の権威など知ったことか。
 中央での政権争いは、ジジイどもが好き勝手やっていればいい。
 私は、ユウキを連れてどこか遠くに行ってやる。そして幸せになるんだ。彼の暖かさに包まれて。
 
 背を向ける。
 もうこんな場所に用はない。
 さっさとユウキのところへ向かうだけ――
 
 
「断っても、いいのか?
 あの監視員――ユウキ・メイラーといったかな」
 
 
 ぴたり、と。
 私の足は、地面に貼り付けられ動かなくなる。
 
「……聞き覚えのない名前ですが、その監視員が、何か?」
「なに。その監視員のもとに、ミシアとティーを付けてある。
 お前が一人で奴の側に近付いたら、即殺すように言いつけた」
 
 ……殺す?
 ユウキを?

 

 

「幸いなことに、“暗殺侍女”の腕前を、食人姫や血塗れ竜は知らないからな。
 一瞬の隙を突いて殺させることは十分に可能だ」
 
 ……なるほど。
 ビビスの懐刀である暗殺侍女がこの場にいないのはそういうことか。
 食人姫がすぐ側にいたとしても、メイドの技能を見抜けない限り、ユウキを守るのは難しいだろう。
 ……ここまで、手を打ってくるとはな。
 ビビスの執念は、ユウキにまで及ぶようになっていたか。
 
 
 それがわかれば、もう躊躇う理由なんてない。
 
 
「公爵様」
「ん? 受ける気になったか?」
「ユウキが殺される条件は、“私が彼に近付いたと暗殺侍女が認識する”ということですね?」
「ああ、だから大人しく――」
「ユウキが殺されないようにするには、2通りの手がありますね。
 ひとつは貴方の指示に大人しく従うこと。
 そして、もう一つが――」
 
 
 左手を剣の柄へと滑らせる。
 片腕での抜剣なんて慣れてないが、まあ、何とかなるだろう。
 ビビスの脇に控えているメイドの一人が咄嗟に気付き、飛び出てくる。
 腰の捻りと抜剣の勢いを利用して、一閃。
 真一文字に振り抜かれた愛剣は、メイドが盾代わりに挟んだ暗器を破壊し、
 そのまま頭部を斬り裂いた。
 
「「ビビス様!」」
 一連の動きに反応し、部屋の両脇に控えていた兵士が、ビビスの近くへ駆け寄った。
 ……ちっ。流石に単独で襲いかかってくるほど馬鹿じゃない、か。
 まあ、この程度の連中なら、3人がかりでも大したことないけどな。
 
「――ここで皆殺しにして、暗殺侍女の2人に気付かれないように、ユウキを助ける。
 私は、後者を取らせていただきます」

 

 

 さて、あとは、こいつらを斬り殺すだけ。
 そう思ったが。
 
 ……ふと、違和感を覚えた。
 奥の部屋で動いていた気配が。
 突然、動かなくなった。
 
 否。それだけではない。
 先程まで感じていた気配とは別の気配が。
 並の兵士には到底発せられないような、禍々しい殺気を放ちながら――
 
 
 ごがん、と。
 部屋の壁が爆発した。
 
 
「……っ!?」
 飛んでくる破片を何とか弾き、粉塵の向こうに目を凝らす。
 この攻撃、この気配、まさか――
 
「ゆうきさん、どこ?」
 
 ――怪物姉。
 間違いない。女で、石壁を破壊できる攻撃を行える者など、コイツ以外は存在しまい。
 だが……まさか、生きていたとは。
 血塗れ竜との戦いは見ていたが、腕を引き千切られ、しかもそれを眼孔に突き刺されていた。
 腕だけの負傷ならともかく、脳まで破壊されてなお生きているとは……。
 
「……いや、そういえば、あのとき」
 血塗れ竜は、確かに怪物姉の腕を、突き刺していた。
 しかし、己の腕が吹き飛ばされた直後ということもあり、踏み込みが甘くなっていた気がする。
 それで――浅い部分までしか刺さらなかったのか。
 しかし、だとしても十二分に致命傷だとは思うが、それでも生きているあたり、
 コイツは名前の通り“怪物”だ
 
 先程まで動いていた気配は、怪物姉を強姦でもしていたということか。
 ビビスの異常極まりない変態性には呆れ果てるしかない。
 だが、そんなことより――
 気配が死体同然であったはずの怪物姉は、どうしていきなり動き出したのか。
 
 ゆうきさん、どこ
 
 ――ああ、そういうことか。
 脳の一部を破壊されても。
 残っていたものが、あったのか。

 

 ユウキと怪物姉がいつ出会ったのかはわからない。
 だが、その経緯は想像できる。
 奇しくも、私が忠告したことだ。
 ――血塗れ竜の弱点を探るため。
 あの小娘はどう考えても疫病神だ。
 あいつのせいで、ユウキに変な虫がまた一匹、付いてしまった。
 
 とんでもない攻撃は健在――とはいえ、見てくれは死にかけ以外の何ものでもない。
 左腕の根元は赤黒く染まり、左目には暗い孔が空いている。
 着ている服はボロボロで、布切れを纏っているのと大差ない。
 それなりに離れているにもかかわらず、異臭がここまで届いてくる。
 生肉と精液が腐った臭い。
 ろくな手当もされずに、死姦の如く犯され続けた結果だろう。
 はっきりいって、生きていることすら奇跡である。
 こんな状態で、まともな戦闘なんて不可能だろう。
 
 そう、思ったが。
 
 怪物姉が、足下から何かを拾い上げる。
 ……先程私が殺したメイドの武器だった。手甲型のナイフ。無事だった方が床に落ちていた模様。
「ねえ、どこなの?」
 ゆらり、と怪物姉が動く。
 向かう先は――ビビス公爵。そちらを虚ろな右目で捉えながら、一歩、一歩と進んでいく。
 
 メイドと兵士2人が目配せを交す。
「……ふっ!」
 私と同じ判断を下したか、こちらに注意を向けつつ、一人が怪物姉へと攻撃を仕掛ける。
 長剣での一撃。
 脳の一部を破壊された半死体では、絶対に防げないと思われる一撃。
 なのに。
 
 一閃を完全に見切り。
 手甲を付けた右手を引き絞りながら一歩詰め、
 
 振り抜かれた右腕は、
 
“鎧ごと”、兵士の胴を引き裂いていた。

 

 金属の引き裂かれた異音が耳に残る。
 あの零距離打撃と似た技術か。
 しかし驚くべきは、その動作。あまりにも滑らかで、半死体とは思えない。
 血塗れ竜との戦闘から、怪物姉は素手での戦闘を得意とする者だと思いこんでいたが。
 
 ――コイツも、武器を扱うのか。
 
 怪物姉妹はイナヴァ村で育てられた諜報員だ。
 闘技場の選手ではない。故に、素手で戦う必然性は本来なく。
 得意とするのは――武器を用いた戦闘の方だったのか。
 
 素手で血塗れ竜と互角の戦いを演じた怪物姉。
 それが武装したら……一体どれほどのものになるのか。
 
 
「ねえ! ゆうきさん! どこ!」
 
 
 ばちん、ずがん、と。
 たった2撃で、残りの2人は肉塊になった。
 どちらもそれぞれ手甲による一撃。
 しかも――血塗れ竜に対して見せた素手のそれより、明らかに速い。
 素手であの破壊力を発揮するには、手を保護するため細心の注意が要る。
 それに対し今は手甲で守られている。その差が、攻撃の速度に表れているのか。
 
 怪物姉が、ちらりとこちらに視線を向ける。
 かちん、と床に落ちたナイフを蹴り上げて、そのまま空中で投擲動作へ入った。
「っ!」
 咄嗟に横に跳び、私の額を貫くコースだった投擲を何とか避ける。
 怪物姉との距離が、先程より更に開いた。
 完全に、私の剣の有効範囲外だ。踏み込んで斬りつけても届かない距離。
 ……間合いの把握もできるのか。
 半死体なんかじゃない。武装した状態の怪物姉は、立派な“脅威”である。

 

 

 怪物姉は私から目を逸らし、ビビスの方へと向き直る。
「ひっ!?」
「ゆうきさん、どこ?」
「し、知らな――ぎゃっ!?」
 怪物姉の踵が、ビビスの右手指を3本ほど踏みつぶした。
「ぅぎぃ……かはっ……ひゅ、ひゅびが」
 ぐるん、と白目を剥いてビビスは気絶しかける。
 その瞬間、怪物姉が喉を軽く蹴る。ビビスは咳き込み、気絶を無理矢理防がれた。
「ゆうきさん、どこ?」
「た、たぶん東棟のどこかにいる! た、たすけ」
 ぶち、と再び指を踏む。潰されたカエルのような悲鳴がこぼれた。
「どこ?」
 
「しょ、食人姫――アトリのところにいると思う! そこで事を起こすように指示した!
 だからきっとそこにいる! 部屋の場所はここの4階だ!」
 
 ビビスがそう叫んだ瞬間。
 怪物姉は後ろに飛び退き、残されたビビスの額に――小剣が突き立った。
 
「ちっ! 間に合わなかったか……!」
 投擲した姿勢のまま、毒づく。
 ユウキの場所を吐く前に死ねよ、このアブラ豚!
 
「よんかい……」
 怪物姉が周囲を見回す。
 私は慌てて扉の前に立ちふさがる。
 こんな怪物、ユウキのもとへは行かせられない。
 だいたい、こいつはユウキの中では死んだことになってるのだ。
 そんなのがユウキの前に現れでもしたら――あのお人好しが、放っておくはずない。
 そうなってしまっては、私がユウキの一番になりにくくなってしまう。
 だから――ここで殺さなければ。
 
 
 

 
 
 出口はひとつだけ。
 通路側に出るには、私のいる方の壁を壊すしかない。
 攻撃の威力は凄まじくとも、別の対象に放っている瞬間は隙だらけだ。
 相手もそれはわかっているだろうから、私に向かってくるしかない――って、ええっ!?
 
 
 怪物姉は、窓側の壁に跳躍し、三角跳びの要領で、そのまま天井へと到達した。
 そして。
 
 ごがん、と天井を破壊。
 
 そのまま2階へと上っていった。
「……くそっ!」
 こちらは上の穴まで跳躍できない。
 仮にできたとしても、待ち伏せされていたら瞬殺されてしまう。
 舌打ちしながら通路へ出る。向かう先はわかっている。ユウキがいるであろう4階だ。
 全速力へ階段へと向かう。
 上の方から、幾度となく轟音が響いてくる。
 くそ、あの怪物、どんどん壁や天井を破壊しながら進んでやがる!
 音の聞こえる位置から推測するに、既に4階へは到達しているようだ。
 今は一部屋一部屋調べているのだろう。
 しかも――私にとっては不運で、奴にとっては幸運にも、食人姫の部屋へと徐々に近付いている。
 
 4階に辿り着いた。
 食人姫の部屋の位置はわかっている。
 轟音。
 そうだ、ちょうど今、音が鳴ったあたり――
「――畜生ッ!」
 全速力で通路を駆ける。
 このままでは、ユウキに奴の姿を見られてしまう。
 そうなったら、優しいユウキのことだ。
 彼の一番気になる対象が怪物姉になってしまう可能性がある。
 それは駄目だ。
 ユウキの一番は自分でなければ。
 汚らわしい姿をユウキの前に晒すな。彼の目を汚すな。
 お前はユウキにとっては害悪でしかない。彼のためを思うのであれば、
 すぐさま死体も残さず消えてくれ。
 ユウキを傷つける奴は許さない。心であろうと体であろうと、ユウキを傷つける奴は殺してやる。
 それは、私だけに許されたことなのだ。
 学生時代から培われた大事な関係。
 彼の心も身体も全て私のもの。奪う奴は殺してやる。

 

 

 息は切れ、足は千切れそうなくらい酷使して。
 ようやく、食人姫の部屋へ到着した。
 扉は開け放たれている。
 壁に穴が空いていないところを見ると、怪物姉は隣の部屋から壁を破ったのか。
 音が止んだのは少し前。
 まだ、部屋に入った直後のはず。
 
 とにかく部屋に突入して、ユウキが怪物姉にはっきりと注意を向ける前に、殺す。
 
 そう決意して、部屋へと突入し。
 ぜんぶ、吹っ飛んだ。
 
 
 粉塵の舞う部屋の端。
 ベッドの上で、食人姫が側にいる。
 
 
 ユウキ。
 
 
 アマツ・コミナトにとって、何ものにも代え難い、世界で一番大事な男性。
 その、両腕が。
 どちらも、失われていた。
 
 白い布で縛られて。
 つい今しがた止血されたように見える。
 
 部屋の中にいるのは。
 ユウキと私と怪物姉と。
 
 
 血塗れ竜と、食人姫。
 
 
 …………。
 こいつらか。
 この糞餓鬼どもが。
 ユウキを。よりにもよってユウキを。
 傷つけたのか。
 腕を千切ったのか。
 私を抱きしめてくれるはずだったユウキの両腕を。
 ふざけるな。
 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、
 ふざけるなふざけるなふざけるな!!!

 

 

 なあ、血塗れ竜。
 おまえ、ユウキのことが好きだったんだろう。
 なのに、なんだ、これは。
 よりにもよって、おまえが、ユウキを傷つけたのか。
 お前なんか、助けなければよかった。
 ユウキを傷つけるような糞餓鬼には、お仕置きしないといけないよな?
 いいよ、とびっきりのやつをやってやる。
 手足切断どころじゃない。身体全体、余すところ無くミンチにしてやる。
 
 
 食人姫、おまえもだ。
 ユウキを慕っているくせに。まさか、ユウキを食いやがったのか?
 お前が食べていいものなんかでは断じて無い。
 お前はもう何も食うな。ユウキの腕を食った時点で、お前は一生分の食事をしたようなものだ。
 これ以上ものを食うのは許さない。
 今すぐ殺して、何も食えない身体にしてやる。
 身体、に――
 
 
 まて。
 
 
 どうして、食人姫は、裸なんだ?
 それに――ユウキ。両腕が失われていることだけに目を奪われていたが、格好も妙だ。
 下半身を露出させて、しかも、妙に湿っていて――まるで、女を抱いた後のように。
 
 
 
 ……。
 …………。
 ……そう、か。
 …………はは。
 ……そういう、こと、か。
 ……おまえら、あれだろ。
 わたしのいやなことをするために、うまれてきたんだろ。
 そうだ、そうにきまってる。
 だから、こんなひどいことばかりするんだよな?
 ……ふ、ふふ。
 …………。
 …………す。
 ………………ろす。
 ……………………殺す。
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス
 うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!

 

 
 
 
 がきん、と壁に剣を突き立てる。
 包帯をべりべりと毟り、右手を露出させる。
 薬剤の匂いが鼻につく。未だ痺れが残っているが――気にしない。
 両腕で、しっかりと愛剣を握りしめる。
 数え切れないくらい私の斬撃を支えてきた柄が、みしみしと悲鳴を上げていた。
 
 
 ――怪物姉を殺すのは後回しだ。
 
 
 まずは、この、糞餓鬼どもをぶち殺す。
 怪物姉の相手は、それからだ。
 
 見ると、怪物姉は、血塗れ竜と食人姫に対して戦闘態勢を取っている。
 都合が良い。2人をいっぺんに相手にするのは厳しいので、ここは一旦怪物姉と組むことにしよう。
 そして、確実に、こいつらを、殺す。
 
 
 こいつらは、ユウキの信頼を裏切ったんだ。
 ――その罪は、自身の命で償わせてやる。


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