血塗れ竜と食人姫 第21回
[bottom]

 ビビス公爵からの指令は、非常にシンプルなものだった。
 
 ――アマツ・コミナトを消す前に。
 ――奴が居なくなったら抑える者がいない血塗れ竜を。
 ――殺す。
 
 そのための手段は問わないとされた。
 血塗れ竜の戦闘能力は侮れないが――不意を打てばどうにでもなる。
 そう思い、“暗殺侍女”は確実に隙を突ける手段を模索した。
 まず最初に浮かんだのは寝込みを襲うことだが――これは却下。
 気配を断って暗殺する術は身に付けているが、それはあくまで常人に対してのものである。
 ビビス公爵が怪物姉妹を手に入れた際、警告としてセツノ・ヒトヒラを軽く脅そうとしたが、
 就寝中だったはずの怪物妹は、ティーの襲撃をあっさり看破し、難なく撃退してみせた。
 一定以上の能力を持つ者にとって、寝込みを襲われるのはたいした脅威ではないことを知った。
 強さの種類にもよるのだろうが――血塗れ竜の特殊性から考えて、
 寝込みを襲うのは確実とは思えない。
 通常の不意打ち程度では殺せそうもない、というのがティーとミシアの結論である。
 
 では、どうするか。
 
 思いついたのが、精神的な動揺を狙い、その隙を突くことだ。
 血塗れ竜の戦闘能力は確かに飛び抜けてはいるが、精神的な強さは皆無といってもいいだろう。
 彼女が付き人にご執心であることは周知の事実である。
 手品師との試合で右腕を負傷したのも、食人姫とのいざこざで動揺していたからのようだ。
 これを利用しない手はなかった。
 
 ユウキ・メイラーを寝取るか殺害するのが確実かもしれなかったが。
 彼は食人姫のお気に入りでもあるし、銀の甲冑とも距離が近い。
 直接狙うのは難しかったため、他の人間を有効活用することにした。
 
 食人姫に、寝取らせる。
 
 食人姫の方の積極性などから考えても、これが一番確実だった。
 元付き人が寝取られた様を見せつけ、動揺した隙を突いて殺す。
 食人姫を焚きつけその気にさせるのがミシアの役目。
 血塗れ竜を現場に連れて行き、隙を突いて殺すのが自分の役割。
 
 扉をノックする寸前、中から伝わってきた睦み事の気配より、ティーは成功を確信していた。
 
 しかし。
 
 
 空気が歪んでいた。
 まるで空間がねじ曲げられたかの如く。
 2人の少女を中心に、部屋が修羅場に変わっている。
 
 呼吸をすることすらままならない。
 手足どころか指先を動かしただけで殺されそうだ。
 でも――動かなければ。
 することは簡単だ。今まで自分が幾度となく実行してきたこと。
 相手の意識の裏に滑り込み、死角から急所を一突きする。
 ただ、それだけ。
 武器はある。技術もある。経験もある。
 
 ――なのに。
 
“暗殺侍女”とまで称えられたはずのトゥシア・キッコラは、まるで彫像のように固まっていた。
 
(怖い……怖い……怖い、怖い怖い怖い……っ!)
 かちかちと奥歯が鳴ってしまうのを止められない。
 今まで己がくぐってきた修羅場なんて、今この状況に比べれば、遊戯場としか思えない。
 武器を取り出す?
 攻撃する?
 ――1歩近付く?
 
 無理だ。
 
 自分たちは、血塗れ竜を甘く見ていた。
 ――否、血塗れ竜だけではない。
 それに対面する食人姫も――自分たちが思っていた以上の存在である。
 アマツ・コミナトを消した後、憂いとなるのは血塗れ竜だけではない。
 食人姫、アトリ――こいつも、制御不能としか思えない。
 
 この2人のどちらかを殺す――そんなこと、不可能だ。
 こいつらは、確実に、人間の域を逸している。
 戦って、敵を殺す。
 その暴力性は、どんな軍隊ですら及ばない。
 相手を殺すことに特化された存在。
 
 つまり、怪物だ。
 
 
 
 
 睨み合っているのは竜と鬼。
 どちらも人間などではなく。
 近付けば、きっと殺される。
 その片割れを殺そうとしてただなんて、自分の愚かさに涙が出る。
 
 思い上がっていた。
 殺すのなんて不可能だ。
 任務なんて知ったことか。
 この場を生き延びたら、辺境に逃げ、片田舎でのんびり暮らしてやる。
 
 だから、かみさま、おねがいです。
 わたしを、ここから、ぶじにかえしてください。
 
 失禁しそうな――否、既にしてしまっている恐怖の中。
 暗殺侍女の片割れは、奥歯を鳴らしながら、神に祈った。
 
 
 がしり、と。
 細い腕が、ティーの胸ぐらを掴んだ。
 
 
 血塗れ竜に掴まれた。
 それが、自分の死が確定した瞬間だと気付いたのは、バラバラにされた後だった。
 
 肉の弾ける音と。
 バラバラになって宙を併走する、己の体。
 
 向かっていく先には――口を開けた、食人姫。
 
 
 ……神様は非情だなあ。
 そう思った次の瞬間。
 ティーの頭部は噛み砕かれていた。
 
 
 
 
 
 
 
「――危ないなあ。ユウキさんに当たっちゃったらどうするつもり?」
 バリバリとメイドだった肉片を噛み砕きながら、アトリは呑気そうにそう言った。
「うるさい、だまれ」
 対する白の声は硬く、そこには敵意しか感じられなかった。
 
「ユウキさんは私の大切な人なんだから、傷つけたら許さないよ――絶対に」
「ユウキから離れろ」
「えー。折角繋がることができたんだから、もう離れたくないなあ」
「離れろ」
「それよりー。男と女がえっちなことしてるところに踏み込むなんて、無粋じゃない?
 出てきなさいよ」
「離れろっ!」
 
 白の叫びに。
 仕方ないなあ、とベッドから降りるアトリ。
 
「ユウキさん、ごめんね?
 このお邪魔虫を喰い殺したら、あとでいっぱいいっぱい、続きしよ」
 白の乱入に気付いて呆然としていたユウキに、アトリは片目をつぶって謝った。
 裸のまま、白と相対する。
 鎧以上の防御力を誇るアトリとしては、服なんてあってもなくても同じようなものだ。
 終わった後、すぐにユウキと続きをすることを考えれば、着てない方が都合いいくらいである。
 
 
「ユウキ」
 一瞬。
 白がアトリから視線を外し、呆然としているユウキを見る。
「こいつ殺したら、帰ってきて」
 それだけ言うと、後はただ、アトリのみを見つめていた。
 
 食人姫はどこを喰うか見定めて。
 血塗れ竜はどこを破壊するか観察している。
 
 空気は刃物のように緊張を帯びていき、動いただけで切り刻まれそうな鋭さとなる。
 もう、誰にも止められない。第三者が見たら、そう断言するだろう。
 狭い部屋。
 向かい合う怪物2匹。

 

 

 殺し合いが――始まる。
 
 触れて破壊するか喰って破壊するかの違いはあるが。
 両者とも、近づけなければ始まらない。
 互いの歩みに気負いはなく。
 ただ、相手を殺すためだけに、普通に歩いて距離を詰める。
 
 接触まで、あと数歩。
 
 
 そこでようやく、声が出た。
 
「――2人とも、止まりなさい!」
 
 ユウキ・メイラーの声だった。
 薬で意識は曖昧だが、それを雑巾のように引き絞って、制止の声を捻り出した。
 でも――2人は止まらない。
 
 ユウキは2人にとっては商品のようなものである。
 手に入れたい、という欲求は強まるが、止まろうなんて考えは欠片も浮かんでこないだろう。
 
 
 朦朧とした頭で、ユウキは必死に考える。
 このままでは2人が殺し合ってしまう。
 そんなの絶対に見たくはない。
 試合として仕方なく、ならともかく、現状はそんなの関係ない。
 どうしてこうなってしまったのだろう?
 何が悪いのだろうか。誰が悪いのだろうか。
 
 
 そんなの簡単だ。
 悪いのは、どう考えても自分じゃないか。
 
 
 じゃあ、どうすればいいのか。
 何をすれば、2人を止められ、罪滅ぼしができるのだろうか。
 
 
 そんなの、簡単だ。
 
 
 
 
 
 
 
 もうすぐ。
 もうすぐで、食人姫に手が届く。
 手が届いたら、まずそこを破壊しよう。
 口にだけは注意して、他の場所を念入りに。
 体が丈夫なのは、よく見ればわかる。
 以前の自分だったら、上手く壊せなかったかもしれないけど――
 今の自分なら、難なく破壊できる。
 だから、もうすぐ。
 
 
 あと少し。
 あと少しで、血塗れ竜に口が届く。
 近付いたら、まずは食べられるところから食べてしまおう。
 端っこからでも喰っていけば、そのうち勝手に死んでくれる。
 別に、手足が破壊されても構わない。
 一度だけ、急所に食いつくことさえできれば、大抵の人間は脆いから、簡単に死んでくれるだろう。
 苦痛には慣れている。手足が千切れた程度の痛みで――私はかぶりつくのを止めはしない。
 だから、あと少し。
 
 
 互いが、相手しか見ていなかった。
 だから、その瞬間まで気付けなかった。
 
 
 血塗れ竜と食人姫。
 もう互いが触れ合えそうな距離まで近付いていたその狭間に。
 何者かが、割り込んできた。
 2人を突き飛ばそうと、両手が伸ばされる。
 
 
 目の前に障害物が現れた。
 両者の認識はこの程度。
 とにかく相手を殺すことにのみ集中していたので。
 邪魔なものは排除するだけだった。
 
 
 いつも通り。向かってくる力を利用し、ねじ曲げ千切り飛ばした。
 
 いつも通り。首を巡らせ、強靱な顎と歯で簡単に食い千切った。
 
 
 そして。
 両腕を失った乱入者が、悲鳴を上げた。
 そこでようやく――2人は、“誰”が割り込んできたのか、わかった。

 

 

 
 
「――ユウキッ!?」「――ユウキさんっ!?」
 2人の叫びが部屋に響く。
 白は己の左手に残る感触を。
 アトリは己の口の中にある肉片を。
 すぐには、受け入れられなかった。
 
 ユウキの腕を千切ってしまった。
 ユウキさんの腕を食べてしまった。
 
 2匹の怪物は、その事実に現実を見失いかけた。
 
 
「……囚人同士の……私闘は、厳禁です」
 
 
 ユウキの掠れた声。
 それが、2人を現実に帰らせた。
「ユウキ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「××××ッ!? 血が! 血が止まらないよっ!?」
「――ね、根元を押さえて! 上に伸ばしてっ!」
「う、うん!」
 断面より溢れる鮮血に慌てる2人。
 このままでは、ユウキが死んでしまう。
 それは、2人を恐慌寸前にまで追いつめる。
 
 白が止血方法を知っていたのが幸いだった。
 観察能力に優れ、半ば本能的に止血方法を知っていた白は、即座に実践しアトリに指示する。
 アトリも反発している場合じゃないことはわかっているので、素直に白の指示に従う。
 殺し合おうとしていた2人が、奇妙な連携を見せていた。
 
 
 
 やがて。
 両腕の先端こそ失ったものの。
 完全に止血されて、ユウキはベッドの上に横たわっていた。
 とにかく血を止める方法しか知らない2人は、ユウキがこれ以上出血しないように、
 左右それぞれの腕を持ち上げていた。
 自分たちは素人だというのははっきりと理解している。
 落ち着いたら、すぐに人を呼んで、ちゃんとした治療を受けさせなければ。
 白もアトリも、示し合わせたわけでもないのに、そう考えていた。

 

 

「ユウキ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 白は、ひたすら謝っていた。
 難しい言葉を考えるより、とにかくユウキに謝りたかった。
 あんなに会いたかったのに。会って愛してほしかったのに。
 自分は、なんてことをしてしまったのか。
 腕が無くなる痛みはよくわかっている。それをユウキに与えてしまった。
 嫌われて当然だが――それでも、嫌われたくなかった。だから、ひたすら、謝り続ける。
 すぐ近くに食人姫がいるのも気にしない。ユウキに謝るのが最優先だった。
 隙を突かれて喰い殺されるのであれば、それはそれで仕方ない。
 
 ――囚人同士の私闘は厳禁です。
 
 ユウキには絶対に嫌われたくなかったから。
 言いつけを破るつもりなんて、欠片もなかった。
 
 
 
 
 
「……なんかなあ」
 ぼんやりと、アトリは溜息を吐いた。
 思うのは、ユウキのこと。
 ――普通、あそこで飛び込むか?
 自分も血塗れ竜も異常で、その間に飛び込んで無事に済むだなんて、どう考えてもありえない。
 事実、今こうして、両腕を失ってしまっている。
 これでも運がいい方だと思う。最悪、死んでしまってもおかしくなかった。
 だというのに――飛び込んできた。
 己の体を顧みず。
 私と血塗れ竜の衝突を防ぐためだけに。
 きっと、ユウキにとって、血塗れ竜と食人姫は、どちらも大事な存在で。
 2人を、守りたかったのだろう。だから、こんなことをした。
 ……不謹慎だとはわかっている。でも、それでも。
 
 ますます、好きになってしまった。
 
 血塗れ竜との決着は後回しだ。
 今はただ、この愛しい人の無事だけを祈ろう。
 
 
 
 
 

 

 血塗れ竜と食人姫。
 衝突するかと思われた2人だが、なんとかそれを回避することができた。
 短くなった両腕の先端を大事そうに抱える2人の少女を見て、
 ユウキ・メイラーは安堵の溜息を吐いた。
 腕からは間断なく激痛が伝わってくるが、こんなのは自業自得である。
 白にはもっと早く謝っておけばよかったのに。
 アトリにはもっと誠実に接していればよかったのに。
 自分の心地よさを優先して、ずるずるとここまで引きずってきた自分が悪い。
 
 とりあえず、これで一段落。
 気絶してもおかしくない激痛に晒されながら、
 しかし2人のためにも考えるのを止めることなんてできなかった。
 2人が再びぶつかり合わないように、何か良い方法を考えなければ――
 
 
 そう、思った瞬間。
 
 
 轟音。
 
 
 空気がびりびりと震えていた。
 洋燈が揺れ、テーブルの上のコップが倒れた。
 建物が倒壊したかのような轟音に、3人が目を白黒させる。
「じ、地震ですかね?」
 掠れた声で、ユウキが呟く。
 アトリもそう思ったのか、呆然としながら頷いた。
 
 しかし。
 ――白だけは、頷かなかった。

 

 

「…………」
 険しい表情で、音のした方向を見据えている。
 と。
 再び、轟音が鳴り響いた。
 ……心なし、先程より大きな音がした。
 それから、何度も何度も音が響く。
 そのたびに空気は揺れ、ユウキは傷口へ伝わる振動に歯を食いしばる。
 音はどんどん大きくなってきている。
 まるで、音源が近付いてきているかのように――
 
 
「……信じられない」
 再び轟音。やはり、近付いてきている。
「し、白? この音に、心当たりが?」
 轟音。まるで、建物の一部が破壊されたかのように。
「……生きてた」
 轟音。やはり、移動している。もう、すぐ近くから――
 
 
「あいつ、生きてた」
 
 
 白がそう呟いた、次の瞬間。
 
 轟音と共に、個室の壁が破壊される。
 ユウキは響く振動に激痛の悲鳴を上げ、アトリは破片からユウキを庇った。
 白は、ベッドから離れ、破壊された壁へ向き直る。
 
 砕けた石壁。
 粉塵が舞い、その奥で、何かが動いた。
 
 
 ゆうきさん
 みつけた
 
 
 見覚えのある黒髪が、揺れていた。


[top] [Back][list][Next: 血塗れ竜と食人姫 第22回]

血塗れ竜と食人姫 第21回 inserted by FC2 system