血塗れ竜と食人姫 第11回
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『それでは、本日の大目玉の片側!
 怪物妹 対 食人姫
 を、開始させて頂きます!』
 
『まずは東より、今は伝説のみ伝え聞く、イナヴァ村から送り込まれた対人兵器!
 ――怪物妹、セツノ・ヒトヒラッ!!!』
 
『前回の試合で、皆様度肝を抜かれたことかと存じます!
 今宵も我々に猟奇を見せてくれるのか!?
 異色少女改め、――食人姫、アトリッッッ!!!』
 
 
 う お お お お お お お お ! ! !
 
 
 歓声で空気がびりびりと震えている。
 しかし、闘技場の中心に立つ二人の少女は、欠片も動揺を覗かせずに、ただ相手のみを見据えていた。
 
 怪物妹――セツノは黒装束に身を包み、長い黒髪を首の後ろで無造作に括っていた。
 彼女本来の装備は、肌を露出させることのない完全黒ずくめだが、
 今回は主催の要望により、腕や足などを露出させた軽装となっている。
 闘技場は原則として素手のみなので、手甲や暗器の類は全て没収されていた。
 いつもとは違う戦闘着。しかし、その表情に恐れや不安は見当たらない。
 
 食人姫――アトリは、女囚のスタンダードでもある白シャツに、厚手の布のズボンである。
 帝国民に持ち得ない亜麻色の髪が、白い服と合っている。
 首もとで揃えられた短髪と、手入れされた眉や爪は、今日この日のために整えたもの。
 ぺろりと舌なめずりをして、相手の“食べやすそうな”部位を見定める。
 
 ――この試合に勝てば、姉と共に生きる道へ進める。
 
 ――この試合に勝てば、欲しいものが手に入る。
 
 
 そして。
 司会の口上も終わり。
 試合が、始まった。
 
 
 
 先に動いたのはアトリだった。
 彼女の戦い方はひとつしかない。
 相手の体のどこかを噛み千切る。それだけだ。
 故に、相手に飛びかかり、押さえ込んで動きを封じた上で噛み付くのが得策である。
 駆け出しの速度は、少女のそれとは思えない、素早いものだった。
 
 しかし。
 
 セツノは全く動じることなく、腰を落として足払い。
「――あれ?」
 すぱん、と乾いた音が響き、アトリの体は宙に浮く。
 刹那。
 
 目にもとまらぬ速度でセツノは回り込み、
 鉄槌――握り拳の小指側を、豪快にアトリの後頭部に叩き込んだ。
 
「――ぎゃっ!?」
 悲鳴を上げ、アトリが地面に叩き付けられた。
 ばふ、と砂煙が舞い上がり――セツノは即座に跳び退いた。
 同時に、がちん、と足のあった場所でアトリが歯を合わせていた。
 
 
 優れた対術を見せたセツノと、
 強撃を喰らったにもかかわらず反撃してみせたアトリ。
 
 二人の攻防に、会場が沸いた。
 
 
 
(……とにかく、顔面への攻撃は避けなきゃ駄目だ)
 間合いを維持しながら、セツノは頭の中で戦略を再確認。
 以前、背後から不意打ちした際――こちらの攻撃を事前に察知したわけでもないのに、
 相手はあっさり手甲を囓った。
 どんなに速い攻撃でも、口の近くへ放たれた場合は、苦もなく食い千切ってみせるのだろう。
 ――故に、手足や背面を攻撃するのが得策だろう。
 
(……背後に回って関節を極め、四肢を破壊した後に転がして頸椎を砕く、が最善かな)

 

 食人姫の体捌きのレベルは、大体把握できた。
 何でも噛み砕く咬合力こそ厄介だが、それさえ気を付ければ、他に怖い所などない。
 動きも素人そのもので、技術性など欠片もない。
 身体能力に頼り切った稚拙な戦い方。
 これなら――負ける方が難しい。
 
「このっ!」
 
 再び飛びかかってくる食人姫。
 それをギリギリまで引きつけてから、半身になって綺麗に避ける。
 背後を取った。
 首を180°回転できる人間が相手でなければ、噛み付かれることなど有り得ない位置。
 右の二の腕を掴み、相手の突進の勢いを利用して、そのまま地面に押し倒す。
 ――まずは右腕。
 肩と肘を固定して、普段力を加えられることのない方向へねじ曲げる。
 
 
(……あれ?)
 
 
 違和感。
 そしてそれは、すぐに確信へと変わる。
 
 
(――お、折れない!?)
 
 
 まるで、鋼の棒を捻ろうとしているかの如く。
 どんなに力を込めても、折れるどころか軋む気配すら、なかった。
 ならば――と即座に思考を切り替え、関節を外そうと持ち手を変えようとしたところで、
 
「……んっ!」
 
 絶妙なタイミングで、食人姫が体を跳ね上げた。
「くっ!?」
 そのまま跳ね飛ばされることはなかったが、衝撃で――極めていた手が外れてしまった。
 
 がりっ。

 

「――ッ!?」
 セツノは歯を食いしばった。
 激痛が脳を白く染める。
 しかし何とか動きは止めずに、そのまま背後へと跳び退いた。
 
 見ると、手首が半分ほど囓り取られている。
 赤い肉と白い骨の断面が、自分のものだと認識するのに数秒かかった。
 ――痛い。
 でも、今はそれに気を取られている場合ではない。
 こいつ……関節技が、効かない?
 いや、問題はそれほど単純ではない。
 思い返せ。
 試合が始まった直後、後頭部にいいのを一撃叩き込んだのに――平然としていた。
 立ち上がるのにはしばし時間を要していたが、頭蓋骨が割れてもおかしくない一撃を受けて、
 血の一筋すら見当たらない。
 
 まさか――
 
 
 
 
 
「……ふむ」
 かりこりと怪物妹の骨を噛みながら、アトリはこれからどうしようか考える。
 まあ、最終的には捕まえて食べるのだが、それまでが少々難しそうである。
 何せ、動きがとんでもなく、速い。
 今、手首を囓れたのも、相手がこちらの関節破壊に失敗した隙をつけたからだ。
 普通に追っかけても、捕まえるのは難しいだろう。
 左手首が壊れたことで、動きが鈍ってくれればいいのだが――
 
 しかし、怪物妹は動じることなく、今度は向こうから攻めてきた。
 
(……うわ!? 速すぎっ!)
 動きを目で捉えることができない。
 あっという間に見失い――次の瞬間、お腹にどでかい衝撃が来た。
 どーん、とあっさり吹っ飛ばされる。
 どさり、ごろごろ、と会場の端の方まで吹っ飛ばされた。
“普通の人間”なら、内臓破裂確定の強烈な蹴りだった。
 
 でも――何事もなかったかのように立ち上がる。

 あはは、驚いてる驚いてる。
 
 今の一撃を受けて、どうして平然としていられるのか。
 まあ、理由は至ってシンプル。
 
 
 ――私は、とても“壊れにくい”身体なのだ。
 
 
 人間や獣の打撃程度では傷ひとつ付かない。
 刃物なら肉をある程度切れるが、骨で確実に止まってしまう。
 大砲の直撃を受けたとしても、耐えきる自信が、ある。
 
 対衝撃に優れた筋繊維と、鋼鉄以上の頑強さを誇る骨格。
 
 これが、自分の今の身体。
 咬合力は確かに異常なまでに育てられているが――それを満足に扱えるのは、頑丈な身体があるからだ。
 弱点はあるにはあるが――いちいち思い返す必要はないだろう。
 嫌なことまで、思い出しちゃうし。
 
 さて。
 相手が、こちらの異常さに気付いたところで。
 とどめを刺しに、行きますか。
 
 ――普通の敵なら、攻撃が効かないと悟った時点で逃げてしまうのだが、
 ここは闘技場なので、相手は向かってくるしかない。
 逃げられても追う俊足がないので、アトリとしては、この闘技場ほど“勝ちやすい”場所はない。
 確実に勝ちたいのであれば、相手に好きなだけ攻めさせて、疲れたところをガブリ、だが。
 
 この試合に勝てば、ユウキさんが手に入るのだから。
 
 できるだけ、景気よく、決めておきたいところである。
 だから、私は再び飛びかかる。
 頑強な肉体は、防御に優れているだけではない。
 相手の攻撃を、わざと刃向かう形で受けてやり、逆に相手を壊すことだって可能なのだ。
 
 がつん、と胸に一撃喰らう。
 しかし、肋骨に阻まれて、相手の右拳から嫌な音が響いた。
 けほけほと咳き込みながらも、にやりと笑って見せた。
 
 ……って、あれ?
 怪物妹は痛みに表情を歪めることなく、
 少し離れたところで、何やら考え込んでいた。
 
 
 
 
 
 食人姫が、咳き込んだ
 ――この意味を、よく考えろ。
 渾身の打撃を放っても、逆に私の右拳が破壊された。
 どうやら骨の強度が異常に高いみたいだ。
 それは事実として受け止めるしかない。でも、諦めるにはまだ早い。
 効かないはずの攻撃を受けて、どうして食人姫は咳き込んだ?
 
 確認するため、再び打って出た。
 手首からの出血が酷い。できるだけ手早く済ませなければ。
 2歩で間合いを詰め、相手が反応しないうちに、鳩尾につま先を叩き込む。
 鉄を蹴るつもりで、自分の足が壊れないように威力を弱めて。
 
 するとどうだろう。
 食人姫は、動きを微かに、止めたではないか。
 
(外側は強くても――内側は、それほどでも、ない!)
 
 無論、常人よりは頑丈だろう。
 先程の蹴りでも、内臓破裂することなく、平然と立ち上がっていた。
 しかし、今の鳩尾への一撃は、呼吸機能を一瞬麻痺させる程度には効いていた。
 先程の胸への一撃も、肺へ衝撃が通っていたのだろう。
 壊すことはできなくても、やり方次第によっては、効く。
 
 ――最初にあったときの、不意打ちの一撃。
 こめかみを殴られた食人姫は。
 
 しばらく、立つのも覚束なかった。
 あれは、脳が揺れていたからだ。
 
 それだけわかれば充分だった。
 左手からは著しい出血。
 右拳はヒビが入ってしまった模様。
 ――でも、いける。

 痛みを無理矢理意識の外に追いやって、食人姫に飛びかかる。
 今度は真っ正面から。
 顎に向かって、左手を全力で突き出した。
 
「――はぐっ!?」
 
 それにそのまま、齧り付いてきた。
 左拳が、半分ほど食われてしまった。
 打撃も、顔の正面へのものだから、それほど効いた様子はない。
 ――これでいい。
 左手の先っぽは、くれてやる。
 でも――
 
 食人姫がこちらの拳を食い千切り、口を完全に閉じた瞬間。
 
 そのままの勢いで、肘を顎先に、引っかけた。
 こつん、と肘先に軽い感触。
 これで、充分だった。
 
「――あれ?」
 
 再び噛み付こうとしていた食人姫が、
 その場に膝を、付いていた。
 
 
 
 
 
 足から、唐突に力が抜けた。
 やばい。脳を揺らされてしまった。
 上半身はそれなりに動くが――如何せん、足が動かないとなると、相手の攻撃を受け放題に、
 
 がつん、ごつん、と殴られた。
 
 打撃は全て、頭部へのもの。
 まず後頭部に。そして流れるような追撃をこめかみに。
 視界が面白いように回っている。
 吐き気もしてきた。先程胃に収めた血肉を戻してしまいそうになる。
 打撃はあくまで、内側に通すためのもののようで、先程から脳を見事にかき回されている。
 なんとか首を動かして噛み付こうとするが――駄目だ。こちらの可動範囲を完全に把握された。

 ちょっと、余裕も見せすぎたかなあ。
 
 倒れ込んだところに、足を乗せられる。
 踏みつぶすつもりか? ――いや、違う。これは、
 
 どん、と一際大きい衝撃が来た。
 
 乗せた足の上から、拳を叩き付けた模様。衝撃を通す上手い攻撃だ。
 折れた拳でよくやるなあ。……まあ、効果は絶大だけど。
 やば、うまく考えられなくなってきた。
 ぐるぐる回る世界、どうしよう、と悩むだけの脳。
 もう、複雑なことは考えられなくなってきて。
 なんだか、気持ちよくなってきた。
 
 ……ああ、でも。
 
 ……ひとつだけ、はっきりとした、ものがあった。
 
 どうしても欲しいものが。
 
 あったんだっけ。
 
 絶え間なく訪れる食欲ではない。
 
 もっと暖かいもの。一緒にいたいと、思ったもの。
 
 全部いらないと思って、国を出てきたはずなのに。
 
 何も欲しいものなんてないと、思ってたはずなのに。
 
 ユウキさん。
 
 そうだ、私は、彼を欲しいと思ったんだ。
 
 手に入れるには、どうすれば、いいんだっけ――?
 
 
 
 おなか、すいたなあ
 
 
 
 しぶとい。
 このままでは、こちらが先に出血多量で倒れてしまう。
 ただ気絶されるだけでは駄目なのだ。
 確実に、殺さなくては。
 そのためには、意識を完全に攪拌させ、
 おそらくは柔らかいであろう場所から指を突っ込み、
 脳を確実に破壊しなくては。
 
 出血で、だんだん意識が薄れてきた。
 もう、いいかな。
 充分、脳をかき回したよね。
 まともに考えることすら、難しいはずだ。
 あとは、顔をこっちに向けて、眼孔に指を――
 
 足で食人姫の身体をひっくり返した、その瞬間。
 
 ゆっくりとした動きだったが、
 完璧な、足払いを、かけてきた。
 驚くべきことに、その当て方は、試合の最初に私が見せたのと同じもので。
 出血多量で朦朧としていた状態では、避けることすらままならず。
 
 どさり、とその場に倒れ込んでしまった。
 
 衝撃で一瞬、目を瞑ってしまう。
 そして目を開けたとき――そいつは、セツノの上に、乗っていた。
 
 視点は定まっておらず、左右の瞳が不安定に揺れている。
 首もガクガクと震えていて、押さえ込むというよりは、そのまま覆い被さっているようだ。
 半開きの口が、唾液をぺちゃぺちゃこぼしながら、
 
 
「つかまえたぁ」
 
 
 そう言って。
 かぶりついてきた。
 
 ――その瞬間。
 セツノは、自分が今から死ぬことを認識し。
 
 ……姉さん、ごめん。
 
 最後に、そう思った。
 
 
 
 
 闘技場の中央で繰り広げられる光景に、観衆全員が魅入っていた。
 
 気の弱い者は失禁し、特殊な性癖を持つ者はギンギンに勃起している。
 あまりの光景に、嘔吐してしまう者が続出する始末である。
 痛いほどの静寂の中、
 くちゃ……ぱきん……がりごり……ぐちゅ……、と。微かな音が、響いている。
 
 
 食人姫が、怪物妹を、喰っていた。
 
 
 肋骨にかぶりつき、べりと剥がしてバキバキと噛み砕く。
 晒された肺臓を引き千切り、押し込むように口の中へ。
 怪物妹の体は、既に2割は胃の中だ。
 頭部は半分ほどになり、そこから食い千切られた脳の欠片がこぼれている。
 残った瞳の片方は、虚ろに血の涙を流していた。
 手足も所々食い散らかされ、まともな場所など残ってない。
 
 がつがつと。
 ひたすらに、食人姫は貪っていた。
 白かった囚人服は、べっとりと血の赤が染みこんでいる。
 
 
 ――と。
 唐突に、食人姫が顔を上げた。
 
 その目が捉えたのは、貴族席に座る一人の男。
 怪物妹が食される様を見て、涎を垂らし、下着の中に何度も何度も射精している。
 そいつを視線で刺しながら、食人姫は、ぽつりと、呟いた。
 
 聞こえた者は一人もいない。
 しかし、彼女は、確実に、こう呟いていた。
 
 
 
「――これで、ユウキさんは、わたしのもの」
 
 
 
 その後、食人姫が食事を終え、係官が肉塊を運び出すまで。
 闘技場は、異様な沈黙に、包まれていた。


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