血塗れ竜と食人姫 第5回
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 闘技場と控え室を繋ぐ通路。
 試合に赴く囚人が、己の気を高ぶらせながら歩む道。
 生き残った囚人が、勝利の余韻に浸る道。
 それが、今は。
 
「貴女が王者の血塗れ竜ですか?
 はじめまして。アトリっていいます」
「お前なんか知らない。消えろ」
 
 二人の少女が、にらみ合っていた。
 
 アトリが白に向かって口だけ微笑み、
 白は僕の側に歩み寄る。
 
「貴女のことは、ユウキさんから“よく”聞いてますよ」
 頻繁に会っていることを強調するように。
 アトリが、僕と白を交互に見た。
「…………」
 白が、僕の顔を見上げてくる。
 ――いつなの? と、目が問いかけていた。
 暇なとき、少し話をしていただけ――と、口を開きかけて、それに上乗せするように。
 
 
「――鬱陶しい餓鬼ですって。ベタベタしてきて気持ち悪いそうですよ」
 
 
 何を言ってるんだこの娘は!?
 直ぐさま訂正するつもりだった。
 しかし、それより早く。
 
 
「ユウキはそんなこと言わない」
 
 
 アトリの嘘に対して。
 白はきっぱり言い返した。
 でも、その言葉には。不安や恐れが多分に含まれていて。
 アトリが、くすりと笑みをこぼした。

「まあ、信じる信じないは貴女の勝手ですけど。
 それじゃあ、今後ともよろしくお願いします」
「ユウキみたいな喋り方を止めろ」
「すいませんね。こちらの言葉にはまだ不慣れなものでして」
 嘘吐け。
 本当は、敬語から日常会話まで完璧にマスターしているくせに。
 おそらくは、白を挑発するためだろう。
 ……何故、アトリが白を挑発するのかはわからないが、兎に角このままぼんやりと
 眺めるわけにはいかない。
 囚人同士の私闘は厳罰だ。
 そうなる前に、何とかこの場を納めなければ。
 
「と、とにかく、白もアトリも、控え室に戻りましょう。
 アトリは試合が終わったばかりですし、白もこの後試合です。勝手な行動は――」
 
「――そうですね。
 血塗れ竜さんとユウキさんの最後の時間、別れの言葉でも交わし合っててください」
「言ってる意味がわからない」
「ユウキさんは、」
 
 まて。
 何を、言うつもりだ?
 
「明日から、私の付き人になるんですから」
 
「嘘」
「嘘じゃありませんよ。ユウキさんも、ちゃんと、約束してくれました」
「嘘だ!」
 
 白が声を張り上げる。
 彼女の叫び声なんて、初めて聞いた。
 
「ね、ユウキさん。約束してくれましたよね?」
 確かに……約束は、した。
 だが、言っちゃ悪いが――守る気なんて欠片もない約束だった。
 嘘つきの誹りを受ける覚悟で、明日にでも約束は反故にするつもりだった。
 アトリが――こんなタイミングで白の耳にさえ入れなければ、何事もなく終わるはずだったのだ。
 なのに。

「ユウキさんが約束を破るような人ではないことを、貴女は知ってますよね?」
 僕が何と言おうか迷っている隙に、アトリが更に追い打ちを。
 ――なかなかに、したたかな娘である。
 狙いがいまいち掴めないが、今、この場を支配しているのは間違いなくアトリだった。
「……だめ」
「貴女の意思は関係ありません。
 囚人と監視員。どちらの処遇が優先されるかは、考えずともわかるでしょう?」
「だめ!」
 
 駄目だ。
 このままアトリに喋らせ続けるわけにはいかない。
 でないと――きっと、よくないことになる。
 しかし、現実は非常なもので。
 僕が反論の言葉を発する前に、アトリは告げた。
 
 
「貴女は、ユウキさんに見捨てられたんですよ」
 
 
「だまれッ!!!」
 
 叫ぶと同時。
 白は目にもとまらぬ速さで、僕の制服の内ポケットに手を差し入れ。
 ひゅ、と。
 一挙動で、万年筆を投擲していた。
 
 狙いはアトリの喉。
 鋭い先端は、そのまま少女の喉を貫く――かに見えたが。
 
 
 がきり。
 
 
 硬い音が響き、万年筆は砕けて落ちた。
 ――歯で受けたのか。
 投擲の勢いと咬合力で、硬いはずの万年筆は、無惨にも粉々に砕けている。
 両者共に並ではない。もし、この二人が本気で殺し合った場合、果たして止めることはできるのだろうか。

「危ないですね。
 あんまり速くなかったとはいえ、もし刺さったらどうするつもりだったんですか?
 囚人同士の私闘は厳罰と聞いていますが」
「うるさい」
 
 苦手な投擲より、直接“手を伸ばす”方が有効だと思ったのか。
 白はそのまま、アトリに向かって歩を進め――
 
 
「――止めなさい!」
 
 
 声を張り上げ、僕は二人の間に割って入った。
 これ以上は駄目だ。
 白が触れたら全てが終わる。
 アトリは、白の強さを知らない。
 だからきっと、こんな暴挙に出ているのだ。
 それに白も、アトリの言葉で頭に血が上っているだけだ。誤解を解けば、すぐに落ち着くと思う。
 
 
「ユウキさん。貴方も言ってやってくださ――」
「黙りなさいアトリ。それ以上喋るようならこちらにも考えがあります。
 白。殺し合うのは闘技場の中でだけです。それ以外は絶対に許しません」
「…………」
「……わかった」
 強い口調で、いったん二人を黙らせる。
 
 さて。
 まずは、一番最初に言わなければならないことを。
 
 
「――私は、囚人闘技場王者の付き人です。
 これは王者が望んでいることでもあり、私も外れたくはありません」
 
 僕は、白の付き人である。
 褒められるだけで、可愛らしい微笑みを見せてくれる血塗れ竜。
 僕はこの娘を見捨てる気なんて毛頭無い。
 
「ですから、アトリとの約束は破棄します。
 話し相手としてならともかく、それ以上アトリと関わる気はありません」
 
 きっぱりと、そう告げる。
 ぎゅ、と。白が腰に抱きついてきた。
 ぐいぐいと、おでこを胸に押しつけてくる。
 安心したのか、先程までの殺気は消え失せ、いつもの甘え竜に戻っていた。
 
「……今じゃ、コレが限界かな……?」
 
 ぽつり、と。
 アトリが何やら呟いたようだが、僕にはよく聞こえなかった。

「ごめんなさーい。囚人番号E4−934、心より反省してまーす」
 先程までの真面目な口調は何処へやら。
 そっぽを向いて、ふて腐れた声を上げる。
 一体何がしたかったのか。
 
 
 ――と。
 
 
 控え室の方から、慌ただしい足音が響いてきた。
 振り返ると、数名の監視員と、甲冑を着込んだ兵士がこちらに駆け寄ってきていた。
 
「いたぞ!」
「E4−934! 直ちに我らと同行してもらう!」
 
 先程の試合を見ていたのか。
 やや及び腰で、アトリへと近づいていく。
 
「何? 貴方達?」
「いいから来い! ビビス様の命令だ!」
 

 

 ――ビビス。
 アトリをこの監獄に連れてきた公爵である。
 貴族内での発言力もそれなりで、中央の兵士もそれなりに動かせる立場の人間である。
 
「……アトリが予想以上に強かったから、か」
 
 虐殺の見せ物として連れてきたはずが、逆に相手を惨殺してしまった。
 そんな少女を、ビビス公爵はどうするつもりなのだろうか。
 
「……別に、鉄でも噛み千切れるけど」
 
 ぽつり、と。
 アトリが怖いことを呟いた。
 露骨に後退りする兵士たち。
 これじゃあ、連れて行くのは一苦労かな、と思ったが。
 
 
「素直に従いなさい、E4−934。
 ビビス公爵は、貴女を闘技場登録者として支援するようです。
 ここで無駄に暴れてみせても、損するだけでしょう」
 
 
 凛とした声が響いた。
 兵士たちの合間を縫って。
 
“銀の甲冑”が前に出た。
 
「…………」
 白が唇をへの字に曲げてそっぽを向く。
 血塗れ竜にとっては嫌な相手が来たようだ。
 

 アトリが、銀の甲冑を見つめていた。
 自分に対して怯えきっていた兵士とは違うことを悟ったのだろう。
 どう行動するのが得策か考え込んでいる模様。
 
「……はーい。わっかりましたー」
 
 溜息を吐いた後。
 両手を、銀の甲冑に向けて差し出した。
 
「手錠はかけません。そのまま付いてきてくれて結構です」
「……気前がいいんだね?」
「私がいますから」
「貴方、男? 女? 声だけじゃいまいちよくわからないんだけど」
「性別は関係ありません。行きますよ」
 
 そう言って、銀の甲冑は背を向ける。
 その背中に、一瞬アトリは目を光らせたが。
 
 ――隙が全く見当たらないのに気付いたようで、そのまま諦めて歩き始めた。
 
 
「あ、ユウキさん」
 ふと。顔はこちらに向けずに、アトリが問いかけてきた。
「――私が王者になったら、付き人になってくれますか?」
 
 答える前に。
 白の腕に力がこもった。
 腰に柔らかい感触が押しつけられる。
 結局、タイミングを逃してしまい、そのままアトリたちを見送ることになった。
 
 
 このとき。
 白の唇は僕の制服に押し当てられていて気づけなかったが。
 彼女は、小さな声で呟いていた。
 
「もっと殺すから。
 いっぱい殺すから。
 がんばって殺すから。
 ぜんぶぜんぶ殺すから。
 
 ――だから、一緒にいて」


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