とらとらシスター 第36回
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「それでは失礼します」
 見送りに来てくれたユキさんに頭を下げて、僕は青海の家を出た。家まで送ると言って
くれたけれども、とてもそんな気分にはなれなかった。会わせる顔がない、と言うよりも
一緒に居ることが出来なかったからだ。だから、悪いと思ったけれども無理を言って
先に帰してもらった。母さんはまだ話があるらしく残ったが、一人の方が考えるのに向いているから
寧ろ都合が良かった。
 思い出すのは、つい先程のこと。
 僕に会った青海の両親や姉は悲しそうなものではあったけれども、それでも笑みを浮かべて
出迎えてくれた。勿論、ユキさんや他の使用人の人達もだ。恨んでも良い筈の僕に対して
頭を下げて、言ってくれた。
 短い間でしたが青海様を幸せにしてくれてありがとうございました、と。
 最近は本当に楽しそうでした、と。
 それは違う、とは言えなかった。青海が死んだのは殆んど僕のせいなのだし、僕に会わなければ
もう少し楽しい人生を遅れたのかもしれなかったのに。何度もそう言おうと思ったけれども、
皆の表情を壊すことは出来なかった。それに、言おうとする度にサクラのことが
頭に浮かんでしまったからだ。姉さんが昨日の夜に言ったことを思い浮かべる度に、
言ってしまっても良いのか迷ってしまう。喰った詞を吐き出してしまえば真実は分かるけれども、
絶対に全てが壊れてしまう。

 どうしようか。
 結局さっきの席では言えなかったけれども、まだ間に合うかもしれない。振り向いてみれば
門までは僅か100m程しか離れておらず、歩いても一分もかからない距離だ。
未だに僕の見送りを続けているユキさんの表情もはっきりと分かる。悪い表現をすれば
感傷とでも言うのだろうか、若干寂しそうなその表情を見て心が痛んだ。
 数秒。
 少し躊躇ったけれども、僕はユキさんの前へと足を進めた。
「お忘れ物ですか?」
 僕が戻ってきたのを少し不思議そうな目で見ながらも、どこか安心したような、
嬉しそうな声で訊いてくる。もしかしたら青海のことを過去にしたくないから、
話せる人が居たのを喜んでいるのかもしれない。多分僕もそうだ、常に青海の側に控えていた
ユキさんが応えてくれたことが少し嬉しかった。
 僕は吐息を一つ、
「青海と居たことを、過去に置き忘れそうになりました」
「ありがとうございます」
 ユキさんは深く一礼すると、歩き出した。
「車は、使わないんですね」
「青海様は虎徹様の隣を歩いていたのでしょう? でしたら私も車などという無粋なものを
使わずに、隣を歩かせて頂きます。役者不足かもしれませんけれども、私も少しは青海様を
理解していたと自負する身。思い出話のお相手くらいは出来るでしょう」
 僕と同じくらい、いやもしかしたら僕よりも辛いかもしれないというのに、ユキさんは
笑みで答えてきた。そのまま僕の隣に立つと小首を傾げ、
「どこに行きましょうか?」

 格好良いことを言ったけれども、どこに向かうのかは決めていなかったらしい。
意外と抜けている部分がある、と思うと自然に笑いが溢れた。それに対して
不思議そうな表情を浮かべているのも少しおかしい。
「どうされたんですか?」
「何でもないですよ。それよりも、行く場所が決まってないのなら行きたい場所があるんですけど」
 相手の答えを待たずに歩き始めた。
 十数分。
 早く着きたいと思っていたからだろうか、目的の場所には予想よりも短い時間で着いた。
見上げる看板には『極楽日記』という文字が書いてある。
ほぼ毎日、青海と学校帰りに寄った喫茶店。放課後デートの締めはいつもここだったな、
と思いながら扉を開いた。僕に続き、ユキさんが入ってくる。
「あ、虎徹君いらっしゃい。今日はまた別嬪さん連れて、青海ちゃんに怒られるぞ?」
「そう、かもしれないですね」
 それが本当に起こるのならどれだけ良かっただろうか、と思いながら返事をする。
そう言えば青海に告白された次の日、突っ込みどころのありすぎるユキさんの方ばかりを
気にしていて怒られたな、と思いユキさんを見た。僕と同じことを思い出しているのだろうか、
視線を交わした後、互いに苦笑が漏れる。
 いつもの席に座り、青海がいつも頼んでいたウィンナー珈琲とパンプキンタルトを
三人分注文した。僕とユキさんと、それから青海の分。マスターは少し驚いていたけれども、
これ以上のものは思い付かなかった。

「あの」
 不意に、ユキさんが声をかけてきた。もしかしたら勝手すぎただろうか、と思ったけれども
様子が少しおかしい。ユキさんは眉を少し寄せると頬に手を当て、声を潜めるように、
「あの方は、堅気なのですか?」
「大丈夫ですよ。最初は皆誤解しますけれども、外見が怖いだけで性格は普通の人よりも
ずっと良いですよ」
 最初は青海も同じことを言っていたな、と思いながら楽しそうにサイフォンをセットしている
マスターを見た。流石にユキさんのように店内でこんな発言をするようなことはなかったけれども、
アルコールランプに火を点けるとき、ライターが異常な程に似合っていたりなどしたから
本気で誤解していたものだ。僕が説得をしても、その後数日の間は不審な目を向けられていた
ものだから、マスターがすっかり落ち込んでいたことを青海は知っていただろうか。
「思い出の場所なのに、随分落ち着いているんですね」
「思い出の場所だから、ですよ。多分」
 いつもと変わらない店内を見回しながら、「ただ、後悔はありますね。毎回、こんなところ」
「聞こえてるよー」
 マスターに苦笑を返し、
「悪い意味じゃないですよ」
「まぁ、確かにお嬢様には合わないかもな」
 数秒互いに笑いを溢す。
「話がずれましたけど、毎回毎回ワンパターンだったな、って。楽しそうにはしてましたけど、
他にも色々してあげれば良かったなって」

 数分。
 ユキさんは運ばれてきた珈琲を一口飲みながら笑みを浮かべ、
「大丈夫です。虎徹様は青海様に、こんなに美味しい珈琲を飲ませてくださいました」
 タルトをフォークで崩しながら、
「他にも教えて下さったのは、たくさんあります。毎日、青海様はそれはもう楽しそうに
お話し下さいました。だから安心して、前に進んで下さい。ただ一時でも青海様のことを
思い出して頂ければ、それが幸いです」
 そんな誉められた人間でもないのに、全肯定されると辛くなる。青海に隠れて
姉さんやサクラと体の関係を持ったり、サクラを止められずに青海を殺してしまったり、
悪い部分は幾らでもある。そんな僕に笑顔を向けられる資格があるのだろうか。
「僕はそんな」
 言おうとしたが、口にタルトを突っ込まれて強制的に止められた。
「言わないで下さい。虎徹様が自身を否定されるということは、虎徹様を選んだ青海様を
間接的に侮辱することになります」
 そうじゃない、僕は本当に駄目な人なのに。
「では、こうしましょう」
 僕の気持ちは顔に表れていたのか、ユキさんは眉根を寄せ、
「忘れないで下さい、何もかも。罪を露にせず抱えるのが罰になります。如何でしょうか」
 そこで僕が頷くと、ユキさんは再び笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ユキさんが女だったら惚れてますよ」
「私は例え自分が女でも、妻一筋ですよ。それにそんなことを言っていると、
天国の青海様に叱られますよ」
 そうですね、と頷いたところで携帯が鳴った。液晶に表示されている文字は、
サクラという単語を浮かべていた。丁度良いかもしれない、昨日のことを本謝りする前に
軽く謝ろうとも思ったし、これからのことも色々話したくなった。
 ユキさんに断りを入れて通話ボタンを押すと、
『死にます』
 一言だけ言われて、一方的に切られた。


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