とらとらシスター 第22回
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 心の痛みは罪の重さ、だからいつまでも回復しない。今が楽しい放課後デート中だとしても
 霧は晴れずに濃くなるばかり、いつも美味しいと思って飲んでいるここの珈琲も何故だか
 味がしていない。
「大丈夫か、虎徹君」
 心配そうな表情で見つめてくる青海は、僕がこんな状態になっている理由を聞いたら、
 どんな感想を抱くのだろうか。どうしようもないくらいに歪んだ意識が、
 思考の片隅から笑い声と共に語りかけてくる。
「虎徹君?」
「大丈夫、少し寝不足なだけ」
 これは本当、ただ理由が青海にだけはいえないけれど。
「もうすぐテストだからさ、少し頑張ろうと思って。僕はあんまり頭が良い方じゃないから、
 努力するしかないし」
「む、しかし睡眠時間が減るのは良くないな」
「ほら、青海が少しでも誇れる彼氏になりたいと思ってさ。私の恋人はこんなに凄いんだ、
 って皆に胸を張って言えるように」
 口ばかり、良く回る。
 だからこその『詞食い』なんだろうけれども。
 僕のあだ名は理由を知る人があまり多くないけれど、きちんとした理由を知っている人からすれば
 これ以上の表現はないと思うだろう。姉さんやサクラの奇抜な行動を、
 言葉で制しているからではない。相手の発言をどこまでも食い潰して無意味なものに
 してしまうから付いた、僕のどうしようもない性質が原因だ。普段はなりを潜めているそれが、
 今のように辛いときになると顔を出してくる。僕はそれが一番嫌いだ。

 今だって、
「気持ちは嬉しいが、それで虎徹君が体を壊したら余計に悲しいんだ。でも、ありがとう」
 相手を誤魔化して、時間を過ごしている。青海のそんな笑顔なんて、
 僕には不釣り合いも良いところだ。彼女を裏切って姉妹を抱いた男なんて、害悪にしかならない。
「ほら、これも食べてくれ。疲れには甘いものだ」
 青海が勧めてくるのは『極楽日記』の名物であるパンプキンタルト、前回食べて
 よほど気に入ったのか店に入るなり注文していたけれど、全く手を付けていない状態だった。
 今の僕はかなり酷い表情みたいだ、僕を心配してくれて好物にも手を付けないなんて
 よほど酷い状態なんだろう。彼女の見えている部分で心配をかけて、見えない部分では裏切って。
 あまりの情けなさに、もし分身の術が出来るのなら自分で自分を殴り倒しているところだ。
 僕がタルトに手を付けていないのが不満なのか、青海は眉根を寄せ、
「大分酷いな。虎徹君、口を開けてくれ」
 素直に従って唇を軽く開く。
「何を」
「良いから」
 言いながら青海はフォークで軽く身を崩すと、タルトを口の中に突っ込んできた。
 僕は甘いものはあまり好きではない、と言うよりも食べると具合いが悪くなるのだけれど
 今回はそうならなかった。それどころか、口の中に広がる甘さが心地良い。
「どうだ?」
「うん。うま、い」

 そうだろう、と笑顔で軽く頷き、二口目を僕に食べさせるべく丁寧な仕草で切り分けている。
 上下に動く手は本当に楽しそうで、僕のためにしてくれていると実感できる。
 青海が楽しく出来るのなら悪くないと、僕はまた口を開いた。
「はい、あーん」
 今時、この言葉で食べさせるのはないだろうと思ったけれども、
 普段はクールな青海がやると新鮮で、つい釣られてぱくついてしまう。
 僕がそれを飲み込むのを見て小さく笑う顔も、可愛らしい。どちらかと言えば、
 かわいいと表現するよりも美人と言う方が合っている彼女だけれど、
 今のような表情をしているのもこれはこれで良いと思った。
「元気、少しは出てきたかな?」
「え?」
「鏡で見てみるといい、笑っているぞ?」
 手渡された手鏡を見てみると、まだ硬さは残っているものの確かに口元が綻んでいた。
 まだこんな表情が出来るのか、と少し安心をする。
「だろう?」
「本当だ」
 気が付けば、心も少し軽くなっているような気がした。思考も悪い方から
 抜け出している気がするし、青海の笑顔を見ても辛さが今までより少ない。
 それどころか純粋に良いと思うことが出来ているし、食べ物の味もきちんと分かっている。
 不思議なことに、あっという間に心が晴れやかになっていた。ほんの少し前まで悩んでいたのが、
 まるで嘘のようだ。自覚すると、その気持ちはより強くなってくる。
 そうすれば口も自然に回る。勿論さっきとは違う、相手を潰すのとは逆の方向で。

「ありがとう」
「これくらいしか出来んがね」
 照れ臭そうに笑う青海を見て、不意に悪戯心が沸いてきた。
「ただ一つ問題が」
「ん?」
「僕は甘いものが苦手なんだ」
「あ、そう言えば今回も前回も甘くなさそうなものを注文していたな」
「食べると具合いが悪くなる」
「え?」
 青海さん、面白い顔になってますよ!!
「実は今にも吐きそうだ」
「うわ、あ。すまん、虎徹君、吐くなら是非わたしの胸で!!」
 このくらいで限界だろうか、青海も混乱しているのか良く分からないことを言っているし
 これ以上は気の毒だ。意外に許容量が少ないのかもしれない、と言うか素での発言だと
 思いたくはない。そもそも、僕にはそんな趣味は無い。
「冗談だよ」
 何故かは分からないけれど、口の中に甘さが残っているのに不快な感じはしない。
 これは多分、青海が食べさせてくれたからだろうか。愛情で食べ物が美味しくなるのは、
 多分成分変化ではなくて味覚が変わってくるからだ。舌だけではなく心でも味わうから、
 料理がいくらでも上等なものになる。
「酷いな、虎徹君」
「ごめん、でも具合いが悪くなるのは本当。今は平気だけど」
 青海のお陰で。
「いや、本当にすまなかった。知らなかったとはいえ」
「いや、言わなかった僕の方こそ」
「いやいや」
「いやいや」
「いあ いあ」
「はすたー?」
 数秒。
 どちらともなく笑いが漏れてきた。

 楽しい。
 こうしていると普通の日常を過ごしている、という感じがする。
 昨日サクラを抱いてしまったことや、初めて姉さんとセックスをした日から
 毎晩続けていることなどは現実感の伴わない、まるでどこか遠い国の物語のように思えてくる。
 今が唯一の現実で、夜のことなんかは夢の中で起きている架空のお話であるような。
 ずっと、こうしていたい。
 何だ、そうか。
 こんなに簡単な話だったんだ。
 当たり前のことで、疑問にすらしていなかったから答えが出てこなかった。
 昨日サクラを抱いたことも原因は一つ、青海のことがもう完全に好きになっていたから、
 それを壊したくなくて選んだことだ。
 不意に、心の中に壁が降りてきた。
 あちらとこちらを遮断する壁は、透明だけれども決して壊れることはない。
 向こう側はよく見えるけれども確実に隔離をされていて、反対側に移るには
 唯一つしか存在しない扉をくぐらなければいけない。
 鍵の管理は簡単なもので、踏み越えるのも楽なものだ。
「ありがとう、青海」
「ん?」
 目尻に浮いた涙を拭いながら小首を傾げ、上目遣いでこちらを見てきた。
 この表情も、また堪らない。僕の恋人は沢山の一面を見せてくれて、それら全てが愛おしい。
 それを守るためなら、外道にもなれる。
 人を好きになるのは、きっとそういうことだ。
「ありがとう、恋人になってくれて」
「どういたしまして」
 向こう側の僕が何かを叫んでいるみたいだけれど、気にしない。
 壁は防音だ。


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