とらとらシスター 第16回
[bottom]

 体の具合いが悪いのか、寝不足なのか、車に乗り込んだ途端に虎徹君は倒れるように座って
 眠り始めてしまった。結構無理をしていたらしく寝顔は少し辛そうで、何か酷いことがあったのが
 簡単に想像できる。原因は分からないけれど、側に居てあげられなかったことが悔やまれた。
 昨日のデートの後、お互いに帰る家があるから仕方ないけれど、普通に分かれて帰宅したのが
 いけなかったんだろうか。ずっと、と言っても短い期間だけれどもその間中、
 虎徹君には気遣いばかりしてもらっているのに、わたしからは何もしてあげられない。
 それが一番辛い。何をしてあげれるのだろうか、と虎徹君を見る。
 あぁ、口の端からおつゆが。
 起こしてしまわないように、なるべく軽く、しかし丁寧に拭う。よし、綺麗になった。
 この程度のことしかしてあげられないのが惜しいけれども、少しでも気を使ってあげよう。
 そして、このハンカチは洗濯をせずにわたしの虎徹君コレクションに加えよう。
 直で採取したものだから特別に大事にしないといけない、今すぐにむしゃぶりつくのは愚の骨頂。
 その上のことなんて、もっての他だ。
 でも、少しくらいは良いだろうか。
 と小さな葛藤をしている内に、再びおつゆが垂れていた。少しだらしないのかもしれないと
 思ったけれども、注意をして見てみれば違う。余程の悪夢を見ているのか、
 苦痛にあえいで口元が半開きになっているせいだ。
 何てエロい光景だ。こう、中で生々しく動く舌や、溢れる唾液が何とも。

 もう少し眺めていたかったけれども、今はそんな場合ではないと軽く頭を振って冷静になる。
 あと少しで完全に落ちそうなおつゆを軽く手を伸ばして拭っていると、
 一つ幸せなことに気が付いた。
 今、わたしと虎徹君は隣り合って座っている。
 何故、そのことにずっと気が付かなかったのだろうか。少し考えてみれば、
 簡単に理由に辿り着くことが出来た。今までは邪魔虎が二匹、ずっとくっついていたからだ。
 無意識の方にまで擦り込まれるくらいに、一緒に居た光景ばかりだった。
 そう考えてみると次に出てくるのは、今までそんな幸せを独占してきた
 彼女らに対する羨みや嫉妬。今の虎徹君はわたしの隣に居るという愉悦や優越感。
 様々なものがあるけれど、一番大きいのは怒り。何故こんなになるまで、
 こんなになっているのに彼女達は助けてあげないのか、助けてあげられないのか。
 わたしの兄弟はずっと年上の、年に一度会うか会わないかの姉が一人いるだけだから
 一般の兄弟のことは分からない。けれども、姉も含めて家族を愛しているし、
 どこの家庭でもそうなんだろうと思う。長く一緒に居たのならば、その思いも強い筈なのに。
 それに、あまり認めたくないけれども彼女達の方が虎徹君の助け方を知っている筈なのに。
 いや、もしかして逆に彼女達が原因なのかもしれない。だから、助けようがなかった、
 助けを求めなかったのかもしれない。そう考えると、余計に怒りが湧いてきた。

 飽くまでも笑顔を崩さないようにしながら、姉妹を睨む。偶然に虎徹君が起きたときに
 怒りの表情を見られるのは嫌だし、何より嫌われたくないから。
 二人の表情を簡単に言ってしまえば、怒りと嫉妬。逃げ出したくなるくらいに恐ろしい迫力で
 睨んできている。昨日デート中に聞いた話だと虎徹君の先祖は虎をも殺したらしいが、
 成程、そんなことをするような人間の子孫だというのも頷ける。
 今にも殴りかかってきそうな雰囲気だけれど、それでも虎徹君を起こさないように気遣ってか
 座っているだけ。姉の方は睨みつけてきているだけだが、妹は何かを呟いている。
 どちらにせようっとおしくて、もしそれが原因で虎徹君が起きたのならわたしは
 彼女達をきっと許せないだろう。今でさえ腹腸が煮えくりかえっているのに、
 これ以上のことが起きたのならば理性を保っていられる自信がない。
 いかんいかん。
 今はそんなことよりも虎徹君に気持ち良く眠ってもらうのが先だ。わたしとしたことが
 何たる失態、他人に構って大事な時間を無駄に浪費してしまうなんて。
 学校に着くまではあと三十分強、その間に出来る虎徹君への償いといえば何があるだろうか。
 そうだ、辛いときといえば。
 幼い頃にとても悲しかった出来事があり、そのときに姉さんに頭を撫でてもらって
 楽になったことを思い出した。姉さん程の優しさがあるかは自信が無いけれど、
 それでも精一杯の愛情を込めて虎徹君の髪を撫でてみる。

 柔らかいな。
 染めてはいないらしいが綺麗な虎毛色の髪は、繊細で触り心地が良い。
 少し長めの髪の毛がふわりと手指に絡まるのをくすぐったいと思いつつ顔を見てみると、
 険しかった表情が少し和らいだような気がする。迷惑ではない、
 と言うより少しは安心をしてくれているらしい様子に安堵の吐息をし、撫でるのを続けた。
 僅かでも、気遣いが出来ているんだろうか。
 落ち着いてきた表情に、嬉しさが湧く。昨日はまだ好きになりかけだと言っていたけれども、
 それでも姉妹ではなくわたしの隣に来てこうした表情を浮かべているのを見ると、
 少しは彼の心の中に存在しているのだなという実感が湧く。
 このまま流れに乗って、膝枕でもしてしまおうか。
 口には出さずに、彼に心の中で問掛けてみる。返事は当然来ないけれど、
 そのまましてしまおうか。いや、それとも止めておいた方が良いだろうか。
 手を繋ぐのも遠慮する彼だ、性急にことを運ぶのは悪いかもしれない。
 ここで虎徹君の意思を無視してがっついて、嫌われたら元も子もない。
 こんなときにまで冷静に考える自分が少し嫌いだけれど、今だけはそのことに感謝もした。
 寝顔を眺めていると、不意に体が揺れた。カーブの勢いをそのままにわたしに
 もたれかかってきて、肩の上に彼の頭が乗る。驚いて見てみると、
 異常に近い位置に寝顔があった。
 吐息が首筋にかかり、ぞくりとした快感が広がっていく。

 不味い。
 今まで予想もしていなかった刺激に、下着が湿っていくのが分かる。
 人形を相手にしていたときには存在しなかったものだから耐性もある筈がなく、
 その軽い、しかし生々しい寝息は絶妙に体を高ぶらせてくる。
 膝枕は、止めておいて良かった。
 想像するだけでも、蜜が溢れてくる。もし本当に膝枕をして、
 彼の吐息が足や股間にかかったらもう駄目になってしまうかもしれない。
 いや、きっと駄目になってしまったに違いない。
 そんな痴態を彼に見られたら、きっと嫌われてしまうだろう。本当に危ないところだった、
 理性に感謝。
 ん、何だろう。
 突然、苦しそうな表情になった。どうやら撫でるのを止めていたのが悪かったらしい。
 重箱を必要以上に強く持ったり奥歯を噛み締めたりしているのか、妹さんの方から
 聞こえる音も悪いのかもしれない。その意外な弱さと可愛らしさに
 壊れてしまいそうな意識を無理に保ちながら、再び髪を撫で始める。
 そうすると表情は、元の穏やかなものに戻った。
 ずっと、こうしていたい。
 昨日も喫茶店で同じ願いを持ったけれども、今のものは強さや密度が全然違う。
 昨日は普通にさよならをしたけれども、今日は二人でずっと居るのも良いかもしれない。
 無理をして登校するよりも、ゆっくりと体を休める方が良いのかもしれない。
 もう学校も近い。どちらにせよ、まずは起こさないと。
 体を軽く揺すると、薄い笑みと共に目を開く。
「何か、良い夢を見た気がする」
 少しでも彼を幸せに出来たことに、心が震えた。
 わたしの幸せはここにある。


[top] [Back][list][Next: とらとらシスター 第17回]

とらとらシスター 第16回 inserted by FC2 system