とらとらシスター 第13回
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「ん?」
「どうしたんですか?」
「何でもない」
 気のせいかもしれないと思って、里芋の煮付けをもう一つ口の中へと放り込んだ。
 気のせいではなく、本当に少しだが味付けが変わっている。
 いつも通りに美味いことは美味いけれど、どうしたんだろうか。
 どこか体調でも悪いのかと思ってサクラの顔を見てみると、
 特にこれといった変化はない。いつも通りの表情で、体も健康そうだ。
「サクラ、何かあった?」
「いえ、何も」
 姉さんが何か知ってしるかもしれないと思い、そっちの方に視線を向けてみると
 こっちも普段通り。口の周りに大量のご飯粒をくっつけながら、丼飯を勢い良く掻き込んでいた。
 高校三年生にもなってこれなのは問題だけれど、今の問題はこれではない。
「姉さん」
「なぁに?」
 ご飯粒にまみれたまま、笑顔で振り向いてくる。昔からそうだったけれど、
 最近は特に精神年齢が下がってきている気がした。
「サクラに何かあった?」
「んー、分かんない」
 再び物凄い勢いで食事を始める姉さんは、本当に何も知らなさそうだ。
 幸せそうな表情のまま元気におかわりを頼んでいるその姿からは、
 中に何か隠しているようには見えないし、性格からしてそんなタイプでもない。
 それに本当に何かがあったのならきっと僕に言い出すだろうし、
 男には言えないことでも母さんには言うだろう。普段は喧嘩が多いけれど、
 それでも家族仲はそこらへんの家庭よりはずっと良いから。

「さっきからどうしたんですか? 何か問題でもありましたか?」
 少し怯えた表情になって訊いてくるサクラ。
「味付け変えた?」
 普段より、少しだけ塩味が濃い気がした。
 サクラは姉さんのご飯を丼に盛りながら微笑を浮かべ、
「分かりました? 今は春なのに少し暖かみが強いし、少し濃い目にしたんですよ。
 特製の調味料を少し増やしてみたんですけど、どうですか?」
 頑張っているんだな、サクラは。特製の調味料を作ったり皆のことを考えたり。
 朝食の他に弁当も作らないといけないから、今は朝だけは母さんが手伝っているけれど、
 このままいくと母さんが台所を完全に追い出される日も近そうだ。
「美味しいね。少し味が濃い方がご飯が進むねぇ、さすがはサクラちゃん」
 サクラは姉さんに丼を渡しながら睨みつけると、
「姉さんのためにしたんじゃありません、兄さんのためですから。
 大体、ご飯が進むってそりゃこれだけご飯粒をくっつけながら食べていたら
 丼の中に入れる量も増えるでしょうねそれはもう体重も乳も尻もそれに昔から姉さんは
 食べ過ぎなんですそれは嬉しいとは思いますし構いませんけれど人のおかずまで取るし
 感謝しているのならもう少し丁寧に食べて下さい口の周りにご飯粒を付けてみっともないし
 炊いた分のご飯が少し無駄になっていると悲しいんです分かってますか聞いていますか姉さん!!」
「えっと、早口だし長かったからよく分かんないけど、ごめんねサクラちゃん」

 サクラの長口舌を久し振りに聞いた気がする。これだけ喋るのは機嫌が極端に良いときか
 悪いときで、今は良いときだというのは表情で分かる。何かしょんぼりしている姉さんの丼に
 ご飯を多目に盛っているのもその証拠だ。大量のご飯を受け取って笑顔でお礼を言っている
 姉さんから視線を反らしてはいるが、口元の微笑は隠しきれていない。
 微笑ましい。
 青海にも、このくらいの態度で接してくれたら良いのに。今日の放課後に色々話をしてみて
 意外に普通なところも知ったし、姉さんともサクラとも相性は悪くないと思ったんだけれど。
 やはり僕を取られたような気持ちもあるんだろうけれど、女の子には、
 男には分からない論理が働いているんだろうか。
 僕の膝の上で気持ち良さそうに丸まっている呑助に視線で問掛けてみても、
 目を細めて欠伸を返してくるだけだった。
「二人とも、仲が良いのは僕も嬉しい。その調子で、青海とも」
 言い切る前に、僕の言葉は二人の表情で遮られた。先程の笑顔が一転、
 猫のように笑っていた表情が怒れる虎のような目つきになって僕の顔を睨みつけてくる。
 姉さんに至っては、気に入っているからと長年使っていたマイ箸までもを手の中で
 へし折っていた。口の周りにご飯粒を付けているのが多少間抜けな感じではあるものの、
 それを補って余りある迫力の表情をしている。
 これが先程の和やかな人と同一人物かと疑いたくなる程だ。

 助け舟を求めて母さんに視線を向けてみると、
「虎徹も大変ね、モテモテで。青海さんって、今朝のリムジンの人? どんな関係なの?」
 笑顔で火にガソリンをぶちまけてきた。
 今なら昔は理解できなかった、母親をクソババァと呼ぶ人の気持ちが少しは分かるかもしれない。
 この気持ちはきっとそれだ。
「今時、モテモテって表現は無いよ。それと、青海は僕の」
「ストーカーです」
 怒りを抑えて話を切り出してみれば、見事にサクラが打ち崩してくれた。
「兄さんが迷惑しているのに、それも分からずくっつき回っている害悪の権化。最悪の…」
「サクラ」
 嫌っているのは分かっていたけれど、ここまでとは思わなかった。少しの文句は許せるけれども、
 これはそれを通り越して只の罵倒。こんな悪意の塊は、少し許せないものがある。
 フォローをしながら付き合うと決めたのは僕だから、そこはきちんとしなければ。
 少し冷たい声を意識しつつ、サクラを見る。
「青海を、あまり悪く言うな。仮にも、僕の彼女なんだ」
 僕が思っていたよりもきつい表情だったのか、サクラは怯えたような表情で
 こちらの顔を見てきた。その目は少し潤んでいて、肩は小さく震えている。
 しまった、少し強く言い過ぎたか。
 僕はうつむき始めたサクラの頭を抱えると、軽く背中を撫で始めた。
 腕の中に完全に入り込む妹の体は酷く華奢で、少し力を込めただけで簡単に折れそうだ。
 なのに、ぐいぐいと全力で、その体を僕の胴体に押し付けてくる。

 それでもその力は、とても弱い。
 見過ごしていた。
 口が悪かったり、気が強かったり、平気そうだったり、そう見えていたなんていうのは言い訳だ。
 サクラはこんなに細い体で、弱い心で、いつも震えていたのに我慢していただけだったのだ。
 台所を仕切り、強く歩いていたのも僕の幻想に過ぎなかった。
「ごめん、言い過ぎた」
 数分。
 漸く視線を上げたサクラの目からは、大粒の涙が流れていた。
 心が、痛い。
 何が周りをフォローしながら付き合うだ、ちっとも出来てやしない。
 昔にあの娘とあった出来事を忘れたのか、皆を傷付けて、あの娘に至っては
 病院送りにまでさせて。それなのに、その経験を全く生かせていない。
 痛め痛め、その痛みが罪悪の印だ。
 もう一人の僕が責めたててくる。
「ごめん」
 もう一度呟くように言うと、サクラはゆっくりと体を離した。
「こっちこそ、すいませんでした。つい、取り乱して」
 申し訳なさそうに目を伏せ、
「もう、大丈夫です」
 姉さん、おかわりしますか、と言いながらぎこちなく笑みを浮かべる。
 同じく目を伏せていた姉さんから丼を受け取ってご飯を盛り、そこで箸が無いことに
 気が付いたのか台所へと向かった。
 人一人分だけ少なくなったこの場所は、空気が重い。
 サクラが戻ってきた後で食事が再会されてもそれは変わらず、無言の辛さが辺りを包む。
 サクラが作ってくれた、少し味付けが濃くなった筈の料理も、何故か味がしなかった。


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