とらとらシスター 第11回
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 初めて虎徹君を見たときの感想は、普通、の一言だった。問題児だという表現が正しいのかは
 分からないが、彼の周囲では問題が多いというのは聞いていたし彼の『詞食い』という
 何やら物騒なあだ名も聞いていた。しかし実際に目の当たりにしてみると、
 ごく平凡としか言いようのない人間だった。問題を起こすのは専ら彼の姉や妹だし、
 普段の素行や成績などを調べてみても問題はない。勉強も運動も中の上、
 身長は平均よりかなり高めだがそれだけ。個性と言えばそのくらいの男だと思った。
 だが調査を終えようとしたその日に、彼への印象は大きく変わった。呑助と彼が名付けたらしい
 仔猫を拾っているときの、優しい目。それが印象的だった。
 その日からすっかり惚れ込んでしまったわたしは、彼しか見えなくなってしまった。
 そして今、その彼と一緒に居るという事実は私を舞い上がらせた。朝に告白に答えて
 くれただけでも充分嬉しかったのに、こうしてでーとをしているということを確認するだけで
 股間が熱くなってくる。昨夜に充分慰めたのに、やはり想い人が隣に居るというのはそれだけで
 大分違うものらしい。歯止めが効かなくなりそうなのを必死で堪えているものの、
 それでも自制心が効かなくなりそうになって虎徹君の横顔を見た。
 さっきからしきりに後ろを向いているようだが、どうしたんだろう。

 少し気になり視線の先を辿ってみると、そこには誰も居ない。いや、違う。
 その視線の先にあるのは、ホテルだ。夜になると明るくネオンが灯もるであろうその看板には、
 通常のホテルの表記にある宿泊の文字の他に、休息の単語が書かれていた。
 成程、彼もやはり人間、健康な男子高校生ということか。
 失望、という気持はない。寧ろ嬉しいという気持ちがある。だが奥手な彼のことだ、
 更には優しい性格も手伝って言い出せないのだろう。それなら、なるべくわたしに
 気付かれないようにしていることにも納得がいく。
 わたしは、いつでも大丈夫なのに。
 だが、彼が言い出してくれるまでは敢えて言わないのが、恋人としての務めというものだろう。
 はしたない女だと思われるのは構わないが、彼の気持ちを無下にすることだけは絶対に
 したくないから。
 また向いた。
 いつ言い出してくれるのだろうか。ご飯をわたしが食べさせるどころか、手を繋ぐのも
 恥ずかしがっている彼だから、言い出すのは少し遅くなるだろう。しかし、それでも構わない。
 待つ楽しみも、知っているから。
 しばらく歩いていると、喫茶店に入った。彼が言うには馴染みの店らしく、慣れた様子で
 店主と鳥に挨拶をして奥へと向かった。座ったのは、外からは覗かれない窓のない席。
 そのさりげない優しさに、再び股間が熱くなる。

 虎徹君に渡されたメニューを見てみると、意外に数が多かった。虎徹君は既に注文が
 決まっているらしく、何を頼むか悩むわたしに一々言葉を返してくれる。さんざん考えた末、
 決まると手早く店主を呼んで注文。
 そのあとの軽い話で、幸せなことと辛いことが一つずつ出来た。
 幸せなことは、わたしが虎徹君の初めての彼女であること。
 辛いことは、馴染みの店と言うからには、虎徹君はしょっちゅうあの姉妹とここに
 来ているということだ。
 そして、今になって分かったことも一つ。
 わたしは、意外に独占欲が強いらしい。それとも、嫉妬深いと言うのだろうか。
 兄弟でどこかに遊びに行き、仲良く珈琲でも飲みながら楽しく話す。そんな当たり前の光景を
 想像してみると、彼の姉や妹に対して敵意が湧いてきた。これは今に始まったことではなく、
 昨日虎徹君に告白した前後から度々こうなった。彼が仲良くしている対象が例え身内でも、
 そう思ってしまう。それどころか、男のユキに対してもだ。極力表に出さないようにしていたし、
 自分で気付かないようにしていたけれど、改めて自覚した。
 いけない、思考に没頭していた。
 慌てて虎徹君を見てみると、彼もぼんやりとしていた。二人ともこうしているなんて、
 傍目から見たらさぞ滑稽だろう。デートの筈なのに、心も体も離れたままだ。

 個人的にはこんな表情の虎徹君も堪らなく良いと思うので眺めていたいが、
 彼に恥をかかせる訳にはいかない。それに、もしかしたらわたしに非があるのかもしれないし、
 そうだとしたら彼に対して失礼だ。股間を濡らしているべきではない。
 いけない、いけない。
 再び虎徹君に目を向けてみると、何故か壁に頭突きをしようとしていた。それ程までに
 彼は追い詰められていたらしい、心配になって彼に尋ねてみると、返ってきたのは
 予想を遥かに上回る答え。はにかんだ表情で発せられた『美人』という単語に、
 意識が一瞬刈り取られた。
 美人。
 ビジン、びじん。
 意識を取り戻してみると、グラスが倒れていた。テーブルの端から垂れた水が股の部分にかかり、
 幸か不幸か割れ目が濡れていたのを隠してくれた。これが神のおぼしめしであるのなら
 従うべきなのだが、それはないだろう。間抜け過ぎるにも程があるし、第一虎徹君に
 みっともないこところを見せてしまった。
 嫌われただろうか、と思って虎徹君を見てみると、顔が綻んでいた。悪い意味ではなく、
 ごく自然な表情でこちらを見つめている。その上、緊張も緩んだらしくゆっくりとでは
 あるけれど話も走り出した。
 

 始めに持たされた感想は辛いものだったが、しかし一区切りの部分で流れが変わった。
 好きではなかった、という言葉は辛いものだけれど、これからの道を示す言葉が
 脳髄に染み込んでくる。
 快い。
 その口から流れ出てくる言葉はわたしの心を揺さぶるもので、改めて虎徹君のことを
 好きにさせてくれる。永久に続けばいいと思っていた時間は、しかしわたしに答えを求めた所で
 途切れた。
 今が駄目でも、これから供に歩いていこう。
 そんな意味合いを持つ甘美な言葉、それの答えは当然決まっている。
 そう、これから虎徹君と歩いていくのは二人の、二人だけの道。それには、
 他の不純物は要らない。あの忌まわしい『姉虎』や『妹虎』も、必要ない。虎徹君は優しいから
 家族を大事に思っているようだから少し反対をするかもしれないけれど、
 すぐに必要ないと分かってくれるようになる。
 何だ、簡単。
 一度自覚が出てしまえば、次々と沸き上がる気持ちを理解するのも難しくなかった。
 あのうざったい二匹の虎は、はっきり言って邪魔者だ。ことあるごとに突っかかってくるし、
 毎回毎回わたしと虎徹君の邪魔ばかりする。大体、二人とも何なのだろう。虎徹君の妻だという
 言葉を言ったり、過剰に触れ合ったり、虎徹君の迷惑になっていることが分からないのだろうか。
 それなのに、わたしが少しでも動こうとするとすぐに気配を察して動こうとする。
 まるで恋人気取りで、誰にも取られたがらないように。
 始末におえない、まさに噂通りの虎だ。
 しかし、決めた。
 人を泥棒猫呼ばわりしてくれたが、そんなつまらないものには成らずに叩き潰してやる。
 猫なんて可愛らしいものじゃない、獰猛で、気高く、美しく、強い虎だ。相手が虎ならば
 こっちも虎になるべきだ、敵は引き裂き食い千切る。泥棒呼ばわりでも構わない。
『泥棒虎』
 その言葉を心に刻み、しかし表面では笑みを浮かべて虎徹君と目を合わせ、答えた。
「供に、歩もう」
 二人、だけで。


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