とらとらシスター 第2回
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 電子音。
 四時限目の終了を示すこの音は、この織濱第2高校においては祭の開始を告げる開幕のベル。
 これを聞いた生徒はあちらこちらで手作り弁当を広げていちゃいちゃとカップルぶりを
 見せ付けるように食事を開始し、今さっきこのクラスで熱弁を繰り広げていた世界史の教師も
 自慢の愛妻弁当を食べに職員室へと駆け足で戻って行った。自慢するように重箱を持ち、
 全クラスを訪ねていたことは記憶に新しい。兔にも角にもどちらを見てもカップルカップル
 カップルカップル、男女交際率が90%をこえるこの高校はそんな男女で満開だ。
 たまに男々だったり女々だったりするのは御愛敬だが、世界は愛で満ちている。
 え? 僕?
 生徒全員がカップルという訳ではないので、それには含まれません。だけどそれでも一人寂しく
 という訳ではなく、一緒に昼を食う人は居る。そろそろ来る頃だろうと考えていると、教室の扉が開いた。
 しかしそれはいつもとは逆、教室の前の扉。
「守崎・虎徹君は居るか?」
 禀とした声に視線を向けると、そこには有名人の織濱・青海(あおみ)さんが立っていた。
 僕に何の用だろうか、正直心辺りが無い。片や理事長の娘で才色兼備のお嬢様、僕は平凡な一生徒、
 会話をしたこともなければ接点すらもない。そんな人からの突然の指名に、思考が混乱を始めた。
「返事くらいしてくれないか?」

 織濱さんは僕を鋭い目で睨みつけると、大股で寄ってきた。美人なので様になっている、
 という考えと恐怖が混ざり、僕は自然に椅子ごと後退をする。
 僕が何をした?
 自慢ではないが、自分でも「温厚・人畜無害・平和主義者」と三拍子の揃った普通人の
 代表のような生徒として暮らしてきたつもりだ。理事長の娘さん直々に詰め寄られる覚えは欠片もない。
 だが向こうはその気持ちは関係無いらしく、僕の僅か1m手前に立つと、
「君の子供を産ませてくれ」
 随分と直球で告白してきた。
 ちょっと待て。
「分かりにくかったか? 短刀直入に言うと、結婚を前提に付き合ってくれ」
 その言葉を聞いた瞬間、僕を含めてクラス中の空気が凍りついた。
 その原因はこの高校での禁忌を犯した哀れな愚者に対する恐怖の念だ。
 僕だって好き好んで独り身でいる訳ではなく、それなりの理由が存在する。それが今、
 織濱さんが平気で踏み込んできたもので、僕の周りでの最大のタブー。
 僕にはブラコンの猛獣が二人居て、他人が近付こうものなら迷わず噛みついてくる。
 結果、僕は年齢と彼女が居ない暦が等しくなっているのだ。
「どうした? そんなに固まって」
 しかし、織濱さんは周囲の空気など関係無いらしい。純粋に不思議そうに小首を傾げて、
 僕の顔を覗き込んでくる。
「もう一度言おう。好きだ、付き合ってくれ」
「ちょっと待ったァ」
「それとお昼ご飯です」

 小気味の良い音と共に教室の扉が左右に動き、再び閉まる。僕にとっては見慣れた光景だが、
 織濱さんは眉根を寄せてそれを不思議そうに見た。
 しかしすぐに視線を戻すと、再び僕の顔を覗き込んでくる。
「それで、答えだが…」
「待ちなさいってば」
「この雌豚」
 今度は普通に扉を開き、姉さんとサクラが入ってきた。叫びながら織濱さんを睨みつけているのは、
 二人とも共通だ。ここ暫く見ていなかったから、その迫力も増して見える。
「誰だ?」
「奥さんだよ」
「妻です」
「姉と妹だけど」
 今まで何度もしてきたやり取りに、僕は少し肩の力が抜けるのを感じた。少し問題ありだが、
 やはり家族というのはそれだけで安心出来る。
 改めて話を聞こうと、織濱さんに向く。
「何で僕なのさ」
 よくぞ聞いてくれたとばかりに、織濱さんは胸を反らした。胸に手を当てて軽く上を向き、
 何か過去を反芻するように目を閉じてうっとりとした表情を浮かべている。
 今時、このポーズはどうなんだろう。
「あれは、一週間前のことだ」
 一週間前、何かあっただろうか。思い出せる事と言えば、捨てられていた三毛猫を拾った事しか
 覚えていない。まさかそんなベタな事が理由とは思いたくないが、念の為に携帯の待ち受けにしてある
 呑助(のみすけ)の画像を出す。因みに名前の由来は、牛乳を恐ろしい勢いで飲んでいたからだ。
「もしかして、これ?」
「それだ、その優しい姿に心がときめいた」

 余計な言葉は要らない、僕は移心伝心したことをこれ程悔いたことはない。
 こんなことで惚れられるのは有り得ないだろうが、しかし彼女からは何かラブいオーラが
 伝わってくるのがはっきりと分かる。一週間もそんなことを考えていたとすると、
 それはもう、大変だっただろう。
 一週間。
 不意に、疑問が湧いてきた。彼女ははっきりと物事を言うタイプなのは周知の事実で、
 即断即決の人としても有名だ。乙女心というものもあるのだろうが、無神経にも不思議に思ってしまう。
「そんな、何で一週間も間を開けたんですか? それは愛していない証拠なので、
 豚小屋にでも帰って下さい」
 言葉は汚いが、サクラが上手い具合いに質問をしてくれた。誰に対しても怯まずに言葉を放ち、
 簡潔にまとめようとする。好みは分かれるところだがこれは僕の好きなところで、
 サクラの数多い個性の一つだ。因みに姉さんは付いてこれずに後ろでうろうろしていた。
 話を戻す。
 僕も興味があったので視線を向けると、
「見とれて雨に打たれて風邪を引き、三日間寝込んだ。その後二日間伝える方法を悩み、
 残りの二日は友人に止められた」
 納得した。現に今でも僕の後ろでは二匹の虎が襲いかかるタイミングを見計らい、
 獲物が妙な動きをするのを待っている。殺虎の血は今日も全開だ。
 しかし彼女からは恐れのようなものは感じない。
「話が反れたが、答えを聞かせてくれないか?」

 正直、僕にもそろそろ春が来てほしいと思っていたから、その申し出はありがたい。
 だがそれの相手が織濱さんとなると話が微妙に変わってきて、僕自身気後れするのと、
 織濱さんの安全が心配になってくる。この姉妹虎は、過去に僕が付き合いかけた女の子を
 病院送りにした前科者だ。出来ることならば織濱さんだけではなく、姉さんにもサクラにも、
 傷付いてほしくない。皆で笑って暮らすのが一番に決まっている。
 僕が答えあぐねていると、横から手が伸びてきた。
「駄目えぇッ」
 鈍い音と共に姉さんが織濱さんを突き飛ばす。
「虎徹ちゃんは、あたしと結婚するの。お姉ちゃんのお婿さんだもん」
 何て事をするんだ、仮にも理事長の娘さんなのに。しかも、どさくさに紛れて
 変態発言をしないでほしい。只でさえ僕まで変態だという噂が流れているのに、
 これ以上酷くなったら堪らない。
「私の夫に手を出すな、この泥棒猫」
 サクラまで!!
 流石に注意をしようと後ろを向くと、そこには恐ろしい表情をした二人が立っていた。
 先祖の血を色濃く受け継いだ、『虎殺しの虎』がそこに居る。過去に一度しか見たことのない
 その表情は、僕を恐怖のどん底に突き落とした。
 蛮勇だと分かっていても、しかし男には動かなければいけない時がある。このままいくと、
 確実に血を見ることになるのは誰の目からも明白だ。

 立ち上がろうとすると、後ろから制止の声がかかる。見ると、埃を払いながら織濱さんが
 ゆっくりと立ち上がっていた。お嬢様していると思っていたが、結構タフな人らしい。
「君の姉妹は、少し変わっているな」
 少しで済むんだろうか。僕には彼女の基準は分からないが、動揺もせずにこの二人を
 少しの変わり者と評する彼女が大物なのは分かった。
「あたしは普通だもん」
「姉さんは兎も角、私は普通です」
 この娘達は…。
 しかし織濱さんは気にした様子もなく微笑むと、
「そうだな、すまなかった」
 一礼する。
 流石はお嬢様、僕らとはどこか出来が違うのかもしれない。だが、未だに凶悪な視線を二人は続行中。
 もしかしたら、この人は大物とはもっと別の、
「返事は後の方が良さそうだ。今は友達から、昼御飯でも一緒に食べよう」
 曲者かもしれない。


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