ジグザグラバー 最終幕
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 水は、本当に無器用だった。僕が答えを出したように素直に考えればこんなことにはならずに
 済んだのに、それでも進めなかった。目標に向かって進むことしか知らないのに、
 肝心の真っ直ぐ進む方法を知らなかったから辛い目に遭ってしまった。それでも『疾走狂』
 の名前の通りにひたすらに僕に向かってきて、『ジグザグ』とした道のりを見せつける。
 真剣で一途な彼女の想いは、だから僕には痛々しさを覚えさせた。
 さくらは、本当に馬鹿な娘だった。素直に懐いてくれれば良いのに、屈折した関係を僕と結ぼうと
 していた。その想いには応えられないけれど、他にも、道が出来た筈だった。
『ジクザグ』なその繋がりが、多分最初から間違っていたんだろう。
 僕は歪な彼女たちのことを振り切るように走る。
 着信音。
 音だけで華からのものだと確認すると、急いでポケットから携帯を出した。慌てて取り落としそうに
 なるものの、気合いで持ち直し通話ボタンを押す。
『誠か?』
 電話越しに聞こえてくる華の声は、感情が削がれて冷たくなったもの。先程に長講説をしていたもの
 とは思えない程に暗くて悲しい声だ。
『ボクは屋上に居る』
 短く呟くと、一方的に通話を切られた。こっちからかけ直しても、電源を切っているのか
 繋がらない。試しにさくらにかけてみても、同じ結果だった。
 廊下を曲がりながら、僕は舌打ちを一つ。
「冗談じゃない」
 口からは、自然に憎まれ口が漏れていた。

 そう、本当に冗談じゃない。折角本当に華が大切だと、好きだと気付いたのに、こんなことで
 終わるなんて冗談じゃない。これは僕の利己主義かもしれないけれど、いつものように
 習慣で言うのではなく、きちんと好きだと伝えなければならない。やっとの思いで分かった言葉が、
 無意味になってしまうなんて悲しすぎる。
「ごめん、華」
 華は、いつでも僕に好きと言ってくれていた。僕がはぐらかしたり、曖昧にしたり、
 引き延ばしていたときでも、心の底から好きと言ってくれていた。僕がそれに答えていなくても、
 応えていなくても、そんなことを気にせずに愛情を示してくれていた。僕が何もせずに暮らして
 いたときでも、二十歳になったら結婚をして、キスをして、セックスもするという約束を
 信じて待ってくれていた。僕はさも当然のように暮らしていたつもりだったけれど、
 華はどれだけ辛かったんだろう。自分の体や性格に劣等感を持っていて、それなのに
 僕が約束を守る証明も無い生活。同年代の男女がしているようなことを何一つしてもらえなかった
 華は、どれだけ苦しかったんだろう。僕のキスを見せられたり、セックスの跡を見たときは
 どれだけ悲しかったんだろう。今の僕よりも、ずっと辛くて苦しくて悲しかったに違いない。
 華は泣きやすい娘じゃない、僕が泣かせていたんだ。
 それなのに、僕は今まで信じていてくれた華に答えを言っていない。

 階段を上る。
「無事でいてくれ」
 軽い息切れを感じて、日頃の運動不足を呪った。
「無事で」
 疲れのせいか、最悪の光景が頭に浮かんでくる。
「無事で、いてくれ」
 三度目の光景が頭に浮かび上がったとき、やっと屋上の扉が見えた。そこからは屋上の光景は
 見えないが、僅かに開いた隙間から漏れてくる声で華は無事だと確認。安心で緩む足を奮い立たせ、
 ラストスパートをかけるように一気に駆け上がる。
 着いた。
 完全に座り込みそうになる体に鞭を打ち、扉を開ける。
「お疲れ様、メロス」
 華が、薄い笑いを浮かべて僕を見る。
「お疲れ様です、御主人様」
 満面の笑みで、さくらは僕を見た。さっきの蹴りで骨が折れているのか、左腕はおかしな方向に
 曲がっているし、脇腹からは血が溢れ落ちている。それでも笑顔なのはハイになっているのか、
 痛みすらも感じない程に壊れているのか。
 フェンスに背中を向けてもたれかかっている二人に共通しているのは、どちらにも声に
 感情が無いことだ。壊れて冷たくなった感情に背筋が凍るが、僕は前を見た。
「ただいま、セリヌンティウス」
 華の方に歩みを進める。
「御主人様、待っておりました。御慈悲のお陰で、今は何でも出来そうなんですよ?
 今、このクソガキを…」
 さくらが言い終わる前に、華は軽くその体を押した。

「御主人様?」
 痛みは感じなくても、体は嘘を吐かないらしい。本当にあっけなく、あっさりと言っても
 足りないくらい簡単にさくらの体はバランスを崩して宙に舞った。綺麗な髪や制服を翻しながら、
 僅かな時間で視界から消えていく。
「な、華?」
 華は僕に近付くと、やっといつもの表情を見せた。
「ボクは、セリヌンティウスじゃない。暴虐邪治の馬鹿な王様だ」
 乾いた笑い声をあげて、僕にしがみつく。いつもより弱いその力だが、しかし僕には振りほどけない。
 振りほどこうとも思えない。
「ボクは人殺しだ。今だけじゃない、ずっと前から何人も」
 『殺戮姫』が、本当に人を殺した。今はそんな華のあだ名も、質の悪いジョークにしか聞こえない。
 僕の目の前に居る少女は、自分を『奴隷』と呼んでいた少女と同じ異常者だ。
 何の躊躇いもなく人の命を消す、最低の人種。
「誠が好きで、誰にも取られたくなかったから、間に入ってほしくなかったから」
 自分のためだけに、他の人のことなど考えずに殺す。僕に依存をしすぎて、人として、
 最低限のルールも守れない。僕の側に居るためだけに、最低のルール違反をしてしまう。
 人間失格もいいところだ。
「こんなボクがお願いするなんて、ムシの良い話だけど」
 本当に、自己中心的だ。
「どんなに嫌われても」
 僕を抱き締める力が強くなる。
「裏切られても、捨てられても」
 それはもう強いを通り越して、痛いとすら思える程だ。
「それでも、誠が好きだから」

「華」
 それでも、僕は華が好きなんだ。
「死ぬときは、誠に見てほしかったんだ」
 僕から離れると、華は綺麗な笑顔を浮かべた。それはいつも僕に見せていた、僕の一番好きな、
華の表情。一番見慣れた、二人の時の表情だ。
 華は涙を浮かべながら僕に背を向けると、
「そろそろ死ぬね」
 気軽に、旅行にでも行くときのような感じで告げるとフェンスに向かって歩き出す。
 僕は、華を抱き締めた。
「なん、で?」
 僕からは表情が見えないが、多分泣いているのだろう。くぐもった声で呟くと、体を小さく震わせた。
 小さい頃からずっと、何度も体験してきたことだから分かる。華が泣いているときは、いつもこうだった。
「ボクは、人殺しだよ?」
 手の甲に、滴が当たる。
「誠の側に居ちゃいけない」
 華の体が大きく震え、
「それどころか、生きてちゃいけない」
 ついには自分の力で立てなくなったのか、脱力した軽い体重が僕の腕にかかる。
 それは何年も変わらない、抱き慣れた重さ。
 その姿勢のまま、華は体を大きく震わせると、
「なのに何で?」
 僕に振り向いて叫んだ。
「ボクを捨てたのなら、もう関わらなきゃ良い」
「馬鹿」
 僕は先程よりも強く華を抱き締める。
「いつ僕が華を捨てた? 華を嫌った?」
「だって」
「人の話は、最後まで聞け」

 僕はさくらや水を歪んでいると思ったけれど、一番歪んでいるのは僕たちだ。
 お互いに好きな筈なのに、付きも離れもせずにだらだらと繋がってきた。いつも一緒に居た筈なのに、
 常に一定の距離で歩いてきた。気持ちも確かめずに、隣あっていた。
 だからこそ、
「僕の隣は華じゃないと駄目だ」
「でも、ボクは人殺しだよ?」
「関係無い」
 そんなことは関係無い。今までは邪魔者が居なくなるまで待っていたが、そんなのは無関係だった。
 そうする奴が現れたら、二人で潰して殺せば良い。
「僕と、付き合ってくれ」
「ボクなんかで良いの?」
「華が良い」
「ありがとう、宜しくお願いします」
「こちらこそ」
「愛してる」
「愛してる」
 華は涙を流しながら、笑顔を浮かべる。
 まっすぐ来れば良い筈なのに色々なところに寄り道をしたせいで、ここに来るまでの道のりは
 どうしようもない程に『ジグザグ』で、簡単な道も時間がかかりすぎた。今までの二人の関係も
 歪な『ジグザグ』、これからの関係も、これからの道のりもきっとそうなんだろう。
 どうしようもない程蛇行運転、『ジグザグ』尽くしも良いところだ。
 でも、
 それでも、
 僕たちは恋人になった。
「「愛してる」」


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