ジグザグラバー 第14幕
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「な、んで」
 僕は華が走っていった方向を見た。すぐに追い掛けていかなかったのは、自責の念や、
 水が心配だったから。簡単に言ってしまえば、下らない僕の弱さが足を鈍らせた。
 でも、このままにしてて良い理由にはならない。
 走り出そうとすると、足元に違和感があった。視線を向けると、水が僕のズボンを掴んでいた。
 振り払おうとする思考が浮かんだが、しかしそれは水の表情で遮られる。
 あまりにも悲しい顔。
 いつもみたいに、ヘラヘラと笑っていれば良いのに、余裕を漂わせて僕たちを小馬鹿にしている表情を
 浮かべていれば良かったのに。そうすれば、もしそうだったら簡単に振りほどくことが出来たのに。
 そんな表情をしていたら、振りほどこうにも振りほどけない。
 走り出そうとする姿勢のまま数秒、
「ねぇ旦那、どうやったらアンタの一番になれるのかな? 大切な人になれるのかな?」
 その言葉は、今の僕にはあまりにも思い。
 頭の中に浮かんでくるのは、今までで一番悲痛な色を浮かべた、さっきの華の表情。
「大切な人なんか居ないよ」
 自分でも驚く程に、冷たい声がした。
 大切な人なんか居ない。
 ついさっきまでは居たけれど、失ってしまった。
 裏切ってしまった。
 拒絶されてしまった。
 だけど、
 それでも、
「このまま終わってしまうのは辛すぎる」
 僕は水の手を振りほどくと、走って教室を出た。

 どこだろう。方向からすると、体育館だろうか。今日からテスト習慣で人が殆んど残っていない
 とはいえ、僕以外に泣き顔を見られたがらない華はそっちに向かった筈だ。
 道の間には普通の教室しか無いし、わざわざ遠回りをして特別教室のある棟へ行くとも思えない。
 下駄箱を確認してみると、外履きはあったので校舎の外には多分出ていない。
 上履きのまま出た可能性もあるが、僕は出ていない可能性の方を信じた。
 華の名前を叫びながら、体育館に着いた。
「あれは?」
 用具室の扉が薄く開いている。
「華?」
 中に入ってみると、確かに人は居た。ただし、今会いたくない人物を僕に挙げさせたら、
 間違いなく五本の指には確実に入る女子生徒。
「あ、御主人様」
 宮内・さくらがそこに居た。昨日でほぼ確信を得ていたが、事実だったらしい。正真正銘の
 異常者であるその事実を示すように、鉄パイプを片手に持っている。表情もよく見てみると
 壊れた笑みを浮かべていて、特に瞳なんかは視点などが定まっていない。
 こっちを向いて唇の端を上げる。
「こちらから迎えに行くところだったんですけども、手間が省けました。水さんとの交渉は
 役に立ちませんでしたけれど、もうそれもどうでも良いですね。巡り会えたのは運命、
 世界に通ずる主従の絆ですか」
 その声に、ぞっとする。こちらに向けて意味の分からない言葉を伝える声は、抑揚どころか
 感情の欠片さえ込もっていない。鉄パイプで床を叩くその音の方が、よっぽど人間らしい感じがする。
 それ程に、現実離れしていた。

 だが、ここで立ち止まっている訳にもいかない。部活動をしている者が居ないため、
 ここに居るのは僕とさくらの二人きり。二人なのはさっきの水のときと同じだが、今の場合は違いすぎる。
 それでも華が心配な僕はさくらの目を見ると、
「さっき、ここに華は来なかった?」
「あぁ、あのクソガキですか」
「明らかに君よりは年上だけどね。それより、来たの?」
 華のことを悪く言われた上、答えを出そうとしない口振り。そして焦りと苛立ちで
 声が荒くなっているのが、自分でも分かる。
 だが僕とは対照的に、さくらは笑みを浮かべたまま、
「そんなことより」
「そんなこと?」
 今の僕には、華の優先順位が最高だ。
「そんなことより、ここでお話でもしませんか?」
「しないよ。この場所はちょっと、いかんのじゃないかな」
 さっきの言葉からすると、多分華は来ていないんだろう。来ていたら、ブッ壊れてはいるものの
 こんなに冷静ではないだろう。僕の『毒電波』の名前は伊達じゃない。変態だったら
 いくらでも見ているし、どのパターンに入るかの見極めくらいは出来る。
「ねぇ、御主人様」
 厄介なのは、今離れようとしたら暴れる可能性があるということだ。依存型で武器を持つのは、
 それだけで酷く危険物扱いになる。
 方法が幾つか思い浮かび、すぐに実行する。
「交渉だ」
 今は周りに誰も居ないが、まずは誰か助けが来るまで話を引き伸ばす。ここで完全に
 動けなくなるよりは、少しタイムロスをしてでも移動できるようにするのが大事。

「僕からの要求は、華の捜索の手伝い」
 それにこの要求が通れば助けが来なくても離れられるし、華を探すのは随分楽になる。
 壊れかけているものの、まだ理性は少し残っている筈だ。
「要求を飲みます」
 僕が安心したのも束の間、
「あたしからの要求は、二人だけで永遠に暮らすことです。今この瞬間から、他の全ての
 存在を捨てて楽園を作りましょう」
「僕の要求が理解できなかったのかな? 華を見付けるんだよ?」
「この世の全てから切り離された、二人だけの理想京。主従関係のみによって成り立つ、
甘美な世界。なんて、素敵なんでしょう」
 僕の言葉を聞く様子もなく、さくらは一人で精神世界にのめり込んでいる。
 やっと気付いた。さくらは理性が残っていて、それで精神が安定していたのではない。
 とっくに壊れていて、既に外からの影響を受けなくなっている状態だ。だから、華の捜索の協力を
 頼んでも怒ったり悲しんだりするどころか、全く精神に影響を受けない。それどころか、
 御主人様と呼んでいる僕の言葉にも耳を貸さない。何を言っても、彼女の精神状態は、絶体に揺るがない。

「それで御主人様、まずは何をしましょうか」
 いつから彼女は本格的に壊れだしたんだろうか。心辺りといえば、多分昨日の放課後。
 そのときからなんだろうか。僕に拒絶をされたり、キスをしたり、本人でも気が付かない内に
 精神崩壊が始まったに違いない。初めて僕を先輩と呼んだのは、その葛藤の現れなんだろう。
 そこから壊れだしたのか、昨日も水と交渉をしたような話をしていたので、そこからなのかもしれない。
「御主人様、聞いているんですか?」
 高い音をたてながら鉄パイプでボールの籠を殴り、僕に向かって叫ぶ。
「ごめん、さくらに見とれていたんだ」
 今は感情を高ぶらせてはいけない。外からの影響を受けないにしても、それはそれで危険で、
 自己判断で勝手に暴走する恐れがあるということだ。
「そうだったんですか、嬉しいです」
 相変わらず感情が言葉に含まれていないものの、床を叩く軽快なリズムで機嫌を直した
と分かった。抑揚の無い鼻唄も聞こえてくるあたり、本当に嬉しいのだろう。
 僕の言葉で感情を変えたというならば、もしかしたら交渉も可能かもしれない。
「あのさ」
「それでは御主人様。戦いに行く前に、この『奴隷』に少し勇気を下さい」

 僕の発言を遮るように言うと、さくらは一歩近付いてきた。顔に浮かべているのは満面の笑み、
 このタイプの変態が浮かべる表情としては危険信号だ。
「おい待て…」
 鈍音。
 それが僕の側頭部から出た音だというのは、強烈な衝撃と傾いていく視界で理解した。
 一瞬遅れて湧いてくる痛みで意識を保とうとするが、視界が薄らいでゆく。
「いつものじゃないとやっぱり使い辛いですね」
 消えてゆく意識の中で、さくらがそう言うのが聞こえた。


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