ジグザグラバー 第9幕
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「あぁ、風が気持ち良いね」
 放課後の屋上、そこに水と華は立っていた。そこに居る二人の少女は対照的で、
 笑みを浮かべた少女は柵にもたれかかり、もう片方は怒りを顔に浮かべたままドアから
 一歩も離れない。外見すらも正反対の二人に共通しているのは、精々髪の長さ程度だ。
 風に長い髪をなびかせながら、水は微笑みを華へと向けると、軽く手招き。
「華ちゃんもこっちにおいでよ、気持ち良いよ?」
「突き落とすぞ。更に風を浴びれるだろう。それに気持ち良いだろうしな、ボクが」
「やっぱ来ないで、目が」
 水は小さく笑い、
「夜中のさくらちゃんと同じになってる」
「そうかもな」
 苛立った様子を隠すこともなく、舌打ちをすると華は水を睨みつけた。
 理由は簡単、誠だ。教室に残ってもらう約束をしていて、早く誠の隣に戻りたいからだ。
 それに、誠の隣に今誰が居るかと思うと気が狂いそうになってくるし、そうでなくても話しかけてくる
 奴がいるかと思うだけで殺したくなる程の怒りが生まれてくる。
「怖いよ、華ちゃん。顔が槃若みたいになってる」
「なら、お前は泥眼だな」
 華が笑ってそう呟いた瞬間、空気が氷付いた。
「気付かれてないとでも思ったのか? 誠は優しいから気付かなかったかもしれんがな、
 ボクから見たら丸分かりだ。お多福を作っていたつもりなら、滑稽ここに極まれりだな」

 一般的には有名な槃若やお多福だが、それが能のお面だと知っている人はあまり多くない。
 そして誤解している人も多いが、槃若は嫉妬心ではなく女性の怒りを表している。
 怒りの原因に嫉妬というものもあるだろうが、あくまでそれは原因。嫉妬の表情というものは、
 泥眼というお面で表される。輪郭はお多福にも似ているが、表情が絶対的に違うものだ。
「どうした、表情が消えたぞ。しかし、槃若と泥眼か」
 華は、普段絶体に誠に見せない種類の笑みを浮かべて水に近寄る。
 その中には、既に苛立ちや怒りは消えていた。
「ボクは確かに独占欲も人の何倍もあるし、泣き付いて甘えるしか脳のない女だ」
 更に、近寄っていく。
「でも、そんな醜い嫉妬は、絶対に、しない」
 近寄る。
「依存を、舐めるな」
 言い終わったときには、既に1mも離れていない場所に立っていた。
 強い風が、二人の長い髪を揺らす。
「っ、この」
 水は、拳を振り上げかけて、しかし止めた。
 それよりも、久し振りに自衛以外の手段で相手を殴ろうとした自分に驚愕する。
「図星か? この程度で殴りかかろうとするなんて、誠への愛が少ない証拠だな」
「そっちこそ」
 水は呼吸を整えると、静かに頭を回転させた。
「いつも旦那の周りに噛みついて、それこそ信じてないんじゃない?」
 再び作るのは、いつも顔に浮かべている笑み。
「そうでもしないと、旦那が離れていくと分かってるから。自分の居場所がなくなるから。
 自分は旦那の隣にふさわしくない、それ以前に気持ちが自分に向いていないと理解して…」

「黙れ」
 睨みつけてくる華を鼻で笑い、水はますます笑みを強めた。口からは、ひひひ、
 と独特の笑い声が漏れてくる。
「黙らないね。第一に、何が愛しあっているだ。それは愛じゃなくて依存と束縛でしょ?」
「違う」
 襟元を掴む華を見下ろし、水は溜息を一つ。
「これを、旦那に言ったらどうなると思う?」
「あ」
 小さく呟くと、華はすぐに手を離した。
 そして、脅えた表情をして床に座り込む。
「頼む、言わないでくれ」
「ほら、旦那を信じてない」
 軽く咳き込みながら華を見下ろすと、水は真剣な表情をして呟いた。
 そこには、いつものふざけた陸崎・水の姿はなかった。
「今はどっちも悪いけど、言われても構わない。私なら、旦那を最後まで信じれるし、
 自分も信じられる。離されたって構わない、自分の足で追い付いてやる。隣の空席は私が貰う」
「…れ」
 不意に、華の体が小さく震えた。
「嫉妬深くても、それが私。文句あんの、弱虫」
「黙れ、クソ虫」
 低く重い声で呟くと、華はゆっくりと立ち上がった。
 突然の変化に、水の表情が強張る。
「誠の隣は、僕の指定席だ」
「そんなの…」
「黙れ泥棒猫」
「誰が華ちゃんのだって言ったの? それこそ、旦那に迷惑じゃない」
 漸く作った笑みと言葉は、しかし、怒りに狂った華には通じない。
 華は軽く溜息を吐くと、薄笑いを浮かべた。
「馬鹿が、それこそさっきお前が言っただろ。誠を信じる、って」
「それは」
「嘘でも構わんさ。それならボクが誠を信じきれなかったのも無効になる。どっちにしろボクが一番だ」
 水は禁句を言ってしまった。

『誠の隣が空席』
 そんなものは華自身が一番理解している。
 だからこそ、本気になった。
 普段、それでも抑えていた依存心が溢れてくるのを、華は実感する。
「誠の隣が空席? 当然だ。ボクと誠は一心同体だからな、席は一つで十分だ」
 しかし、水は言葉を探す。この程度で折れたら、そもそも『疾走狂』という名前は付かない。
 そう自分に言い聞かせ、水は華を見た。
「じゃあ、一つ訊くよ。何で、旦那はキスを許したんだろ」
「無意味だからだろ。それに優しいし」
 その言葉から漏れてくるのは、絶対無比の依存性。
 しかし、そこに勝機がある。
「もう一回訊くよ。何で、華ちゃんの為に取っておいてくれた大切な初キスを無くしたのに、
 許してくれたんだろうね? 心がいくら広くても、普通は許せないよ」
 言い終わったところで、水の携帯電話が鳴った。
「ごめんね、今日はこれで終わり。またね」
 笑いながら言うと、水は屋上から出ていった。


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