ジグザグラバー 第7幕
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 暗闇に、鈍い音が響き渡る。
 音の発生源は寂れた駐車場に横たわる高校生の少女と鉄パイプで、生まれる音は水気を含んだ
 粘着質なもの。さくらが血まみれの少女に鉄パイプを振り下ろす度、その音は生まれていた。
 どれ程続けられていたのか、既に骨が砕ける音は無い。
 一度振り下ろすのを止め、相手が呼吸をしていないことを確認すると、更に念を押すように
 三回殴り漸く完全に行為を止めた。
「ふぅ、良い汗。奴隷も楽じゃないですね」
 そう呟きながら鉄パイプを杖代わりに姿勢を正すと、さくらは笑みを浮かべて額の汗と返り血を拭った。
 一瞬後。
 不意に、さくらは駐車場の入り口に視線を向けた。寄せられた眉根が示す視線の先、
 女性の陰と軽い足音、そして下手な鼻唄が聞こえてくる。
「あれ? 随分な血の匂いに誘われて来てみれば、さくらちゃん」
「水さんですか」
 さくらは溜息を吐き、数秒。
 僅かな体重移動を初速にし、二歩目でトッピスピードに加速をして、水の隣へと移動。
 そして慣性のままに銅を横回転。遠心力と共に、横薙に水へと殴りかかる。
 決着は一瞬。
 水が蹴り上げた鉄パイプは回転しながら上空に飛び、高い音をたてながら数m離れた場所へと転がった。
 片足を上げた姿勢のまま水は笑みを作ると、
「ありゃ、随分な挨拶じゃねぇの」
「昨日で馴れ合ったと思ったら大間違いです。今はあなたの方が強いから殺さないだけ」
「自分のことを客観的に見れるのは良いことだけど、酷くない?」

「御主人様以外に屈し、ましてや尻尾を振るのは『奴隷』の名折れですから」
 水は足を下ろすとバックステップで数歩下がり、
「そう言わないで。今日はドンパチしに来たんじゃないの」
 どういうことだ、とさくらは表情を険しくした。無意味にここに来るには、たとえ無関係だとしても
 危険すぎるし、はっきり言って利益が皆無なのは誰の目にも明らかだ。しかし、それなのに
 自発的に来るには、何か明確な目標があるということで、血生臭い現場に一人で来るというのは
 争いを望むか殺されたいということだ。攻撃を防いだら残る選択肢は争いで、
 それを否定したら選択肢は残らない。
 しかし水は、そんなさくらの考えを無視するようにニヤニヤと笑い、
「第一、女子高生が殺し合いなんて出来る訳ないじゃん」
 さくらは白々しい、と内心毒を吐き、
「何が目的ですか?」
「いや、ね。コムスメからマジナイシに転職したから、レベル上げ」
「大胆なジョブチェンジですね」
 さくらは昨日の会話を思い出し、少し呼吸を整える。
 要は、自分に危害は加えないが、騙し合いをこれから始める。それで、あわよくば手駒にして
 使おうということだろう。目的は華の排絶か、誠の攻略だろうか。
 どちらにしろ、
「気に食わないですね」
「そう言わないで」
「要は、自分の為でしょう?」
「言い方が悪かったね、旦那の言葉を借りるなら交渉かな」
 それはつまり、相手を自分の手駒にしてしまう、という宣言だ。
「それなら尚更」

「相手も甘い汁を吸えないと、交渉とは言えないんだよ?」
 こっちにも、それなりのメリットがある。
 さくらは少し考え、「良いでしょう。少しなら付き合います」
「そう来なくっちゃ」
 笑い、水は唇の端をシニカルに歪めた。
「私の要求はもう決まっているから、そっちから」
「そうですね。では、御主人様に…」
「待ってよ。私の要求が旦那に関わるものだから、定義崩しはいけないよ。一度納得して
 交渉を始めたら、それをおじゃんにするような話は無しだ」
 さくらは舌打ちし、
「それでは、一度だけで良いので御主人様とサシで話せる機会を作って下さい」
「難しいね」
「だから交渉の手札になるんです」
 数秒。水は少し黙り目を閉じると、
「分かった。でも、一度だけで良いの?」
「構いません、それでも多いくらいです。奴隷の定義からすれば外れまくりもいいところ、
 大反れている上に破廉痴です」
「奴隷ね。言い過ぎじゃない、その単語。大義名分にこだわる年でもないのに」
「それよりそっちの要求を言って下さい」
 少し苛ついたさくらの言葉に、水は今日何度目か分からない溜息を一つ。
「簡単。私と旦那と華ちゃんが揃っているときに、会話を作って。ちょっとした事情で、
 旦那たちには私から話しかけられないんだ」
 そんなことですか、とさくらは苦笑。
 今日の目的は簡単で、誠に口先で丸め込まれたから、それの定義を破壊する手札が欲しかったのだ。
 他にも含みはあるが大元の意思が分かり、さくらは口元を綻ばせる。

 表情をヘラヘラとしたものに戻すと、癖なのか水は溜息をまた一つ。
「交渉はこれで終わりとして、雑談タイム」
「何ですか」
「さくらちゃんが旦那に近付く娘を退治しているのは分かるんだけどさ」
 私も殺されかけたしね、という言葉と一緒に出てくるのは乾いた笑い。思い出して少し引いたのか、
 その目には、先程までには無かった警戒の色が大量に含まれている。
「華ちゃんは?」
「あの人は特別です。居なくなったら、御主人様が悲しまれますから」
 その言葉を聞いて水の口から漏れてくるのは、氷点下の冷たい笑い声。視線には最早警戒は
 含まれておらずに、ただ愉悦の色が浮かんでいる。
 ひひひひひ、と独特な笑い声と共に、水は近くに転がっている鉄パイプを見た。
「悲しまなきゃ、手を出すって聞こえるよ」
「どうでしょうね?」
 両手を肩の高さまで上げ、笑みを作りながら緩く首を振る。しかしその目は笑っておらず、
 浮かんでいるのは明確な敵意。
「それじゃあ、仮に悲しまないとする方法があれば?」
 その言葉に、さくらは無言。
「例えば、好意がさくらちゃんに向いていたとしたら?」
「それこそ、定義崩壊ですよ。奴隷の定義を忘れたんですか?」
 しかし、水の余裕の表情は崩れない。
「でも、可能性はある。サシで話をしたいのも、だからでしょう?」
「それは…」

「それに、旦那の初キスの話は聞いているよね。最初は華ちゃんが本命かと思ったんだけど、
 キスもしていない。友達とも言っていたし、華ちゃんに対する旦那の好意は、異性や恋人に対する
 ものじゃなくて、家族や友達に対するそれじゃないのかな。つまり、恋人の座は常に空席なんだ」
 さくらは、いつの間にか乾いていた唇を舌で舐めると、
「でも、御主人様の隣を狙っているのはあなたもでしょう? 何であたしに? 第一に、
 御主人様は誰も見ないで…」
「だから、その定義を崩す必要がある」
「それに、誰も見ていないからこその…」
 震え、脅えた表情のさくらに対し、水は笑顔のまま、
「だからこそ、だよ。自分と旦那で閉じるんだ。キスにしたって、私からしたからで…」
 さくらを見ながら軽く唇を舐め、
「旦那からしたことは無い。つまり、旦那が自発的にしてくる人は、これから出来るんだ」
「な」
 いつの間にかさくらに密着する程に寄っていた水は、唇を耳元へと寄せると、
「旦那の隣に、立ちたいとは思わない? 主従関係のみで成り立ちながらも、甘美な欲が作る
 箱庭的な極限世界」
 呟き、再び独特な笑い声を漏らしてさくらから離れる。
「ま、考えておいて」
 先程とは打って代わり、快活な声で笑いかけると水は駐車場を後にした。


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