ジグザグラバー 第4幕
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 雀の鳴き声と電子音が部屋に響き、僕は眠りから覚めた。必要な家具以外は殆んど無い
 殺風景な部屋は、必要以上に電子音を大きく聞こえさせる。
 首だけ起こして視界に入ってくるのは、いつもと同じ、ワンルームマンションの室内風景だ。
 続いて視線を僕の隣へと移す。
「ヨッシャヨッシャ。バッチコ〜イ」
 意味の分からない寝言を呟く華を見て、僕は溜息を一つ。登校まではまだまだ時間があるので、
 もう少し寝させても良いだろう。ワイシャツ一枚でしがみ付いているのに、何故だか全く
 情欲がそそられない寝姿を僕は眺めた。当然、僕の手は神が作りし逸品であるその愛くるしい
 ぽっこりお腹へ。
「成長してないなぁ」
 成長していない、と言うよりは、姿が変わっていない。目線の高さが変わることもなければ、
 ワイシャツの胸の部分を押し上げるような変化もない。初潮すらも来ていない。
 たった一つだけ変化があるとしたら、それは僕への依存が深まったことだけだ。
 昔から僕にベタベタとくっついていたが、これ程酷くはなかったと思う。しかし、華が十歳になった
 日がきっかけでそれが悪化した。それから考えるともう七年になるのか、と時間の流れる速さを実感する。
 華の両親の蒸発。それで一人になることが出来なくなった華は、引き取られた先の一人息子である
 僕に深く依存した。華と僕の両親は昔からの友人で交流があり、華が僕にくっつくのを
 不自然に思わなかったし、僕も嫌ではなかったので仲良くしていた。

 そして、気が付いたら重度の依存になっていた。
 まるで、十歳の誕生日で止まった成長の代わりとでも言うように。それとも、もしかしたら
 華の両親は時間と自制心を持っていったのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい」
 僕は呟くと小さく体を揺すり、華を起こす。目が覚めたとき、僕が隣に居ないとパニックを
 起こすので、華が起きるまではベッドから出られない。
「起きろ起きろ」
「おはよう」
 十数秒動かし、やっと薄目を開いた華は小さく唇を動かす。
 ここからが大仕事で、寝惚けたままの華を洗面所まで連れていき…
「おはようさーん」
 突然玄関の方から、非常識な声が飛んでくる。つい最近聞いた、超聞き覚えのある声だ。
「どうする誠」
 すっかり目が覚めたらしい華が眉を寄せて尋ねてくるが、答えは一つだ。
「無視」
 しようとしたら、ドアを何度も打撃する音が聞こえてきた。
「あんにゃろぉ」
 若い男女高校生の二人暮らしってだけで周りからの視線が厳しいのに、これ以上
 酷くさせてなるものか。しかもマンションの修理費を出したり、大家さんや近所の人に謝りに
 行くことの苦痛がどれ程のものか。実際にやってみればもう二度とそんな気は起きなくなる。
 僕は酷くなる音を聞きながら、持っていく菓子折りの金額を算段をしつつ玄関に向かった。
 除き窓から見ると、やはり陸崎さんだった。
 チェーンをかけたままドアを開ける。
「おはよう」
「えへへ、来ちゃった」

「帰れ」
 一言言って、ドアを閉めようと…閉まらない!?
 視線を下に向けると、ドアの隙間にブーツが超しっかり指し込まれていた。
「大体、何で僕の住所を知ってるんだよ」
「愛の力?」
「よし、帰れ」
「ごめんウソウソ。乙女の秘密スキル、ストーキングしちゃった。テへ☆」
 何がテへ☆、か。第一、そんな乙女が居るものか。仮にだが、それが本当に乙女の秘密スキル
 だとしたら、僕はこの世界に絶望する。
「誠、どうした?」
「お、その声は華ちゃん」
 恐ろしいことに、陸崎さんは鞄から取り出したチェーンカッターでチェーンを切ると、
 強引にドアを開け室内に入ってきた。これはもう、積極的の範囲を越えている。
「うわ、華ちゃん。何その格好」
「羨ましいだろう」
 僕との身長差が45cmなせいでワンピースのようになっている、僕の着古しのワイシャツ姿。
 華はその薄い胸を反らして、陸崎さんを見下した表情だ。
「それにしても、何で華ちゃんがここに居るの?」
「ララブ同棲中だ、だから帰れ」
「それよりも」
 急に華の表情が真剣なものになった。
「昨日、いや今日か。鉄パイプに会わなかったか?」
 その言葉に陸崎さんの唇の端が歪んだ。

「会わなかったのならまだ良い。今日は機嫌が良いんでな、忠告しといてやる。死にたくなかったら、
 二度と面を出すな」
「残念。倒して丸め込んだよ」
 二人の間に流れている空気が急に冷たいものへと変わる。しかも、流れを読むと僕の知らない
 物騒なことがあり、多分それに僕が関わっているらしい。もしかしたら関わっているどころか、
 僕がその中心かもしれない。
 またか。
 僕は心の中で溜息を吐き、華を見た。
「…好きにしろ」
「ひひひ、お邪魔します」
 数分後。
 我が家では珍しく、三人分の朝食が並んでいた。
「いただきます」
 もしかしたらだけど、陸崎さんのどこかを華が認めたのかもしれない。僕としては少し寂しいけれど、
 これを機に華の友達が少しずつ出来ていくのは正直嬉しい。
「あ、醤油とって」
 陸崎さんの言葉にいち早く反応した華は、醤油刺しを取り、
「ほら」
 陸崎さんの手に醤油を垂らした。ソースを取ったり、勝手にかけるのは予想していたが、
 これ以上は予想外だ。
「な」
「違ったか? ボクは醤油と聞こえたんだが、ソースだったか」
「醤油」
「なら合ってるだろ。醤油入りの瓶とは言ってないしな」
 軽音。
「ごめんね。醤油を取ってくれたお礼に、蚊を退治したの」
 陸崎さんはヘラヘラと笑いながら、華をビンタした醤油まみれの手を拭う。
 取り敢えず僕は華を抱き締めながらお腹をさすり、頬を拭い始めた。


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